殺人狂(サイコキラー)
「警察に連絡がつきました。判刻もせずにこちらへ到着するそうです」
泣き喚く二花さんを宥めながら、半分無理矢理全員で居間にやってきてすぐ、下村さんが現れそう告げると、皆わずかに安堵の息をついた。
しかし、未だ誰が愛馬氏を殺したかわからない以上、誰もが疑心暗鬼に捕らわれていた。
約一名を除いて。
「戻って来て早々で悪いけど、喉が渇いてしまってね。女中の誰かと厨房に行って温めの紅茶を淹れてきてくれないかい。ああ、お茶請けに甘い菓子も忘れずに頼むよ」
下村さんはその注文に一瞬眉を顰めるが、南人氏に目配せをすると頭を下げ、米と呼ばれていた幸薄そうな中年の女中を伴い、部屋を出ようとした。
「待てよ!犯人は料理に毒を盛ったんだろ。今その二人を厨房に入れるのは不味いんじゃねぇか」
軽氏が怒鳴るように二人をそう呼び止めると、二花さんと南人氏、もう一人の女中が二人に疑惑の目を向けた。
「どのような疑惑を私どもに抱いているかはわかりかねますが、旦那様への忠誠心だけは本物であると断言させていただきます。第一私共には旦那様に恩こそあれどお怨みする気など一切ごさいません」
落ち付き毅然とした態度でそう断言する下村さん。
しかし、軽氏の疑惑の目線はその陰に隠れる米に向いていた。
「怨む理由ならお前の後ろにいるじゃないか」
その言葉に下村さんは僅かに眉を顰め、米は脅えるように身を強張らせた。
「おい糞ババア、この二人はなぁ――」
「愛馬氏の元愛人とその育ての親、更に米の婚約者は下村の実の息子で先の戦争で戦死しているという事なら知っているよ?」
言おうとしていた事を全て言われてしまったのか、軽氏は僅かにたじろぎながら額に青筋を立てた。
「わかっているならとっとと逮捕しろよ!コイツ等が犯人なんだろ!!」
震え声を隠すように大声で怒鳴る軽氏に下村さんが冷静に訴えかけた。
「確かに、含むところが全くないと言ったのは軽率でした、しかし、結果的にそれで良かったと私共は思っておりますし、大恩ある主を殺すなんて恩知らずな行いをやっておりません。名ばかりとは言え、由緒ある旧士族の誇りに誓い主に手をかけていないと誓います」
「そ、そうです。け、軽様、私は、そんな恐ろしい事しておりません」
強い意志の篭った瞳で宣言する下村さんと涙を溢しながら、精一杯の気持ちを声にする米。
それに対し、軽氏は見下すように苛立たしく、そして、僅かに脅えながら吐き捨てるように言った。
「はっ!元士族だぁ?名前ばかりお偉い身分に産まれながらも食うに困ってただの商家に傅いた挙句、戦死した息子の許婚、それも亡き親友の代わりに愛娘のように育てておきながら、それを差し出して親父の歓心を買ったような屑の誇りなんて誰が信じるんだよっ!武士だったら楊枝でも咥えて餓死してろよ!」
「死ぬのなら主に尽くし死ぬのが武士の本望でございます。その忠誠の対象である主を殺すなどありえません」
軽氏と下村さんは僅かに睨み合ったが、視線を逸らした軽氏が寺城に話をふった。
「犯人はコイツ等だ!他に動機のある奴なんていないだろ!決まりだ決まり!早く逮捕しろ!!」
喚き怒鳴る軽氏を無視するようにその細い足を妖艶に組み替えながら、寺城は味わうようにじっくりとパイプをふかし、小さくいやらしい笑みを浮かべながら口を開いた。
「往々にして人が殺人を犯す理由は大きく四つに分かれる」
寺城のもったいぶった態度に軽氏は苛立ちと焦りを隠していない。
そして、それ以上に張り裂けそうな感情を持て余している南人氏が真っ暗な瞳で穴が開くほどに寺城を凝視している。
「一つは怨恨。もし、下村が愛馬氏を殺すとしたらこれだね。しk――」
「だがら言ってるだろう!下村が親父を殺したんだ!!犯人なんだ!!今すぐたい――」
我慢できなくなった軽氏が、寺城の言葉を途中で遮り、喚き怒鳴り掴みかからんばかりに詰め寄った。
「――君、黙りたまえ」
眼前まで詰め寄り怒鳴り散らす軽氏の大口に寺城は吸い口の反対側からパイプを捻じ込んだ。
「はkっっ!!あっっっ痛ぅうっ!!!こんっっのっ!!」」
悶絶し転げまわり、まだ完全に火の消えていない刻み煙草を吐き出した軽氏は、口を押さえながらも切れ切れに悲鳴のような嗚咽を洩らしながら寺城を睨んだ。
しかし、寺城が塵を見るような目で見下すと、悪態をつきながら目を逸らし、心配した下村が差し出した水を恥かしげもなく、一気に飲み干し黙ってお代わりまで要求した。
まったく、そこだけ見れば大物に見えなくもないのが更に残念だ。
「二つ目は利益だ。金銭、または地位や人間関係等、相手を殺す事により何らかの利益を得る、守る為。最も典型的で最も殺人の動機になりやすい理由だけど……この中の人間ならば、親族である軽や南人君があてはまるかな?」
ワザとらしく挑発する寺城に軽氏のみならず南人氏まで顔を真っ赤にして怒りの声を上げた。
「私や兄が金や地位欲しさに父を殺したというのですか!?」
「ざっけんなぁッッ!!痛ぅ……」
二人が怒るのは十分理解できる。
しかし、それ以上にこの状況下で父を殺す理由も理解できてしまう。
膨大な資産を持つ父が再婚すれば、その伴侶である赤の他人の継母にも相続権が付与されるだけでなく、その間に子供でも出来てしまえば……
十分にありえる話だ。
もっとも、俺が同じような状況になった際、決して仲の良いわけでは無い父を殺して遺産を得るかと聞かれれば、そんな事するわけがない。
どんなに憎くとも、地位や金銭目的で実に親を殺すなど道義的に許されるべきではないし、彼等もその程度の事は十分に理解するだけの教養も守るだけの余裕もあるはずだ。
第一、会ってまだ僅かな時間だが、二人にはそれが出来るだけの資質は無いと判断できる。
軽氏は粗暴で軽薄、短慮で短気だが、父を自らの手で殺す事できるほどの度胸は無い。
南人氏は人の良い優男のようだが、それ以上に家族に対して異常な執着心を持っている。
あの狂気じみた瞳を見ると、何をしでかしてもおかしくないように感じるが、それが殺意となって家族を襲うとは思えない。
俺は少し考え寺城の方を見ると彼女はナプキンでパイプを磨き、刻み煙草詰め直し火をつけた。
上手くも不味くも無さそうに、ただ詰まらなそうに苛立ちを顕にしている兄弟へ紫煙を吹きつける。
「三つ目、保身。これは二つ目とも重複する事も多い。まぁ、全ての理由は重複し得るし、複数の理由が重なる事は珍しくない」
そう言いながら、寺城は一瞬、ほんの一瞬だけ、彼女以外がなせるわけがない狂喜的な黒い光を瞳に宿し、口の端を高く吊り上げた。
「そして、四つ目。殺人の為の殺人。ある意味究極的利益殺人とも言えるだろう。しかし、それを他の利益目的として一括りにするのは、あまりにも異端過ぎる」
寺城は一瞬の深いためを置いて、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「それが殺人狂(サイコキラー)というものだよ」
そう言うと寺城は全員の表情を味見するかのように眺めながらゆっくりとパイプをふかす。
殺人の為の殺人?
殺人狂(サイコキラー)?
そんなエログロナンセンスな存在下賤な小説(そらえごと)の世界だけで十分だ。
だいたい、そんな存在が軽々と生まれるような状況なんぞ、戦争や大災害、人が極限状態に陥り、正気が保てず、狂ってしまう様な所で生まれるものだ。
この帝都に生まれてたまるか。
そんな俺の心の葛藤の味を舐め取ったのか、寺城は舌舐めずりするように、蠱惑的な毒蛇の微笑で俺に微笑んだ。
「正常という認識がある以上、異常と呼ばれる存在は必ず生じる。そもそも、正常や通常なんて認識は、当人に染み付いた偏見でしかないのだがね。それでも大多数(マジョリティ)の一般大衆から見て、異常と蔑まれる少数存在(マイノリティ)は確かに存在する。統計的に見て彼等は、幼少期の孤独や精神的や肉体的、性的な虐待等の心的外傷を持つ者。特に貧困者や落伍者、知的水準の低い者が多いとされている」
そこまで言うと彼女は自分の言葉を鼻で笑った。
「まぁ、そりゃあ捕まるような行為をする馬鹿は、知的水準が低いだろうし、裕福ならばそれなりに発散方法もあるだろう。何より捕まっていない、ソレだと判別されていない同族の数が正確にわかるものかよ」
寺城は、横目で俺達を見ると再度鼻で笑いパイプを指で弄んだ。
「さて話を戻そうか。その手の殺人狂は何より人の死ぬまで過程、その苦しむ姿を楽しむ者が大多数を占める。もし、今回の殺人がその殺人狂によるものだとしたら、君達はどう考える?」
寺城の言葉にこの場にいる誰もが飲まれていた。
誰もが寺城の話す内容、その声色、視線、所作、口調、一挙手一投足に見入り、幻惑され、恐怖していた。
寺城は誰よりも低い位置から全員を見下ろし、ゆっくりと足を組み替え、尊大に紫煙を吐きながら言い放った。
「つまり、僕に言わせるなら、この場の誰もが殺人を犯す理由を持ちえるという事さ」
一瞬だけ交わった寺城の視線が囁いた。
「(ワトスン君)」
誰もが否定と怒りの声を声高に叫びたがった。
しかし、すぐさまソレを行える胆力は、この時誰も持ち得なかった。
「……っっ!」 ビーーーッ!
誰かが、永遠とも思える一瞬の沈黙を破ろうした時、屋敷の呼び鈴が間抜けな音を立てた。
「おっと、ようやく警察のお出ましだ」
寺城のおどけた態度に屋敷の誰もが怒りを覚えただろう。
しかし、結局その気持ちを口にする者は一人もいなかった。
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