犯人は此の中にいる


「また貴様か寺城!!」

 寺城に最初の非難を浴びせた熊のような大男は、怒声と共に彼女を睨みつけた。

 屋敷の人々は、警部のその態度に困惑を隠せないでいる。

 もしも、相手が子供であったのならば、泣き出すだけなら上出来、最悪失禁してもおかしくないほどの威圧感を心地良いそよ風程度にしか感じていないのか、寺城は楽しそうに警部を見つながら優雅に椅子から立ち上がった。

「やぁ栖昏警部。こんな時間までお勤めご苦労さま」

 寺城が子供をからかうかのようにイヤミな笑顔でそう言うと、警部はわかりやすく苛立ちを顕にする。

「貴様が大人しくしていれば、厄介な書類仕事を片付けられたんだがな。より厄介なもんを呼び寄せやがって……」

 寺城は心外そうなみえみえの演技をしながら、嘲るように言った。

「ボクはただの忠実な一臣民に過ぎないよ」

「毎回のように死人が出た現場に先回りしているような輩が、ただの善良な一臣民なわけあるかっ!!」

 警部の今にも噛みつかんばかりの怒声に、何人かが身をビクりと震わせた。

「何と言っても僕は探偵だからね。君だって死人が出ると涌いて来るだろう?」

「貴様と一緒にするな!!」

 窓ガラスが震えるほどの大声で怒鳴る警部に連れてきた部下の半数が顔を青くし、また半数がいつもの事かと呆れるような態度を示した。

「ワシは詳しい話を聞いてくる。数人だけ残りあとは現場保存と検証始めていろ」

 寺城との不毛な会話に嫌気の差した警部は、そう怒鳴ると俺達を無視するかのようにし、蓮城家の面々に向き直った。

「では、説明を頼めるか。それから誰か部下を現場に案内して欲しいのだが?」

 怯えを見せる軽氏に代わり、南人氏が一歩前に出る。

「下村、刑事さん達を現場に。兄さんと私達で詳しい話をしておくので」

 警部は部下に下村さんについて行くように支持をすると、南人に促され椅子に浅く腰掛けた」

「さぁ、僕達ももう一度現場に行こうか」

 寺城は当然のように下村達と現場に向かい、警部もその部下も半分無視をするようにそれを止めようとはしない。

 俺は、先回の事件を思い出し、一人納得をすると寺城と共に下村さんの後を追った。

「おっと、忘れる所だった。下村、番犬を何匹か借りられるかい?」

 食堂に向かう途中、寺城が思い出したようにそう言った。

「番犬でございますか?主人……軽様に許可を取ってからでしたら恐らく大丈夫ですが」

「ああ、警官諸氏は僕が案内しておこう。聞いてくるといい」

 一介の探偵に過ぎない寺城の自由な行動を黙認する警察官達を疑問に思いつつ、来た道を戻る下村に代わり、彼女が俺達の先頭を歩き食堂に向かった。

 既に時は晩く、窓からは雲の向こう側に隠れた月の光が僅かに見え、薄暗い廊下をより不気味にする。

 そんなもの微塵も感じていない寺城は、なお薄気味悪い死体の待つ扉を躊躇なく開け放ち、部屋の照明をつけるとツカツカと物言わぬ愛馬氏の下まで歩み寄った。

 寺城はそのまま愛馬氏の側で仁王立ちをしながら、プカプカとパイプをふかしゆっくりと顎に手を当て目を閉じた。

 大きな柱時計の音だけがカチコチと鳴り響き、数分、いや十数分か数十秒か、見守っていた気の短い警官が痺れを切らし僅かに身動ぎをした時、寺城はゆっくりと目を開き、一人納得したかのように微笑を浮かべると椅子に腰をかけて口を開いた。

「さて、西岩君。君は犯人がどうやって愛馬氏を殺したと思う?」

 突然の問いに戸惑いつつも俺は決まりきった答えを口にする。

「そりゃあ、毒を飲ませたのでは……もしかして飲ませたのではなく、注射器か何かで毒を?」

 俺が若干の驚きを示しつつ寺城を見ると、彼女は人を小馬鹿にするような顔で気だるげに首を振った。

「いや、死体を見る限り経口摂取だろうね。中毒症状からみるに恐らくはトリカブト……西岩君。僕が尋ねたいのは彼がどうやってソレを口にしたかという事だよ?」

 なんとも腹立たしい顔だが、半分わかって玉虫色の答えを出した俺が悪い。

 しかし、トリカブトかアレは確か……

「寺城さんトリカブトの中毒反応が出るのはかなり早かったはずですよね?」

「ああ、最速で経口摂取から数十秒で死ん至らしめる」

 そうなると、愛馬氏が使っていた食器に毒が塗られていた可能性はかなり低い。

 パンやスープなんかもそれは同様。

 となると、一番怪しいのは愛馬氏が倒れる直前に食べていたローストビーフが怪しいが、愛馬氏以外にも軽氏が食べて無事である以上それもない。

 では、ワインか?

 ビールを飲み続けていた軽氏以外、食事をしていたものは皆一度は口につけていたが、ボトルは複数ある。

 いや、確か二花さんも同じボトルから飲んでいた。

 ……っ!

 寺城さんから聞いた氷を使った仕掛けのような時限式の方法なら。

「例えば、ワイングラスの底に毒を塗り、それを水溶性の膜で覆い毒が溶け出すまで時間がかかったという可能性はどうでしょうか?」

 俺の推理に寺城は含みのある微笑を小さく浮かべると、組んでいた細い足をといてゆっくりと立ち上がった。

「君がそう思うなら試してみようじゃないか」

 どうやって?

 まさか、人間で試すつもりではあるまいなと思っていると、食堂の戸がノックされ下村さんが三匹の犬と警部や蓮城家の人々共にやって来た。

「遅れても仕分けございません。犬の使用許可を取ろうとしたところ、愛馬様のご遺体をどうするかで話が紛糾しておりまして、寺城様の意見も聞こうと南人様の提案がありまして、皆でこちらに参る事になりました」

 皆を見ると二花さんは怒りと悲しみで顔を真っ赤にし、他の人々は辛うじて冷静さを保ってはいる物のげんなりとした、あの熱血溢れる警部ですら表情に疲れが浮かんでいる。

 また、二花さんがヒステリーを起こしたのか。

「なんだい警部、また乙女心を傷つける発言でもしたのかい?そろそろ、でりかしぃというのを学んだらどうだい?」

 寺城がからかう様に軽口を叩くと、警部は苦々しい表情言い訳のようにごちた。

「チッ、ワシはただ仏さんの無念を晴らす為にも司法解剖を進めただけでだな」

「私の愛馬さんの体を傷つけるだなんてっ!誰にも!絶対に!許しませんっ!!」

 今にも愛馬氏の死体に口付けをせんが勢いで鬼のように顔を真っ赤にして金切り声で叫ぶ彼女の表情は、元の大人しい清楚なそれとはかけ離れた、まるで般若の如きそれである。

 流石の警部も二花さんの様相にまいってしまったようで、部下に何とかしろと無茶振りをし、自身は頭を掻いて天井を仰いだ。

「せめて、毒が何であるか明確に判明すればなぁ」

 そう愚痴る警部を二花さんは親の敵でも見るかのような目で睨み付ける。

 南人氏や軽氏もあまり死因解剖という言葉に良い感情を抱いていないようで、必要性を理解はしているようだが僅かに顔を顰めている。

「寺城様。このような事をお願いできる立場かどうかわかりませんが、どうか寺城様のお力で、主のお体に刃を入れずに本懐を成し遂げる事は叶いませんでしょうか?」

 そう言って、深々と頭を下げる下村さんに対し、寺城はつまらなそうに小さく笑うと紫煙を吐きながら口を開いた。

「僕の仕事が何なのか。何の為に犬を連れて来させたのかわからないのかい?」

 そう言いながら彼女は白い手袋をはめると、愛馬氏が死ぬ直前まで食べていたパンを手に取り、誰かが物を言う前にそれを小さく千切り口に入れた。

「寺城さんっ!?」

「なっ!?」

 誰もがその奇行に息を飲む中、寺城は毒が入っているかもしれない物を平然と咀嚼し、飲み込んだ。

「さて、これで愛馬氏が食べていたパンには毒が入っていなかった事が分かっただろう?次は西岩君が推理したワイングラスだ」

 彼女はそう言うと、顎でワイングラスを持ってくるように指図をした。

 俺は愛馬氏の死体の横に転がっているワイングラスをハンカチで掴み彼女の元に持って行く。

 しかし、彼女はそれを受け取らず、千切たパンで俺に持たせたままのグラスに残ったワインを器用に拭った。

「下村」

 寺城はまるで主人のよう自然に下村さんを呼びつけると、彼もまた自然に意図を読み取り、犬を一匹彼女の前まで引いてきた。

「さぁ、食べるんだ」

 そう言いながらワインを付けたパンを放ると、犬は疑いもせずそれを食べてしまった。

 寺城以外の一同が固唾を呑み見守る中、一分、二分と時が流れるが、犬には一切の変化は無い。

 嫌味な嘲笑を浮かべた寺城の顔が俺を見る。

「どうやら西岩君の推理は外れたみたいだね」

 俺は少しイラッとした。

「では、では何処に毒が盛られていたのかご教授願えますか?」

 何よりも苛立たせるのは、寺城がそれを知ってると俺自身が信じてしまっている点だ。

 そして、俺の信じている事が事実である証明をするように、寺城は嫌な微笑を浮かべてゆっくりと立ち上がり食卓へ手を伸ばした。

「これだよワトスン君」

 寺城が掴んだのは、銀色に輝く大振りの肉きりナイフ。

 その側面を見せ付けるようにしながら、肉の塊(ローストビーフ)を指し示した。

「お、オイ待て……本当にそれに毒が入ってるとしたらお、オレは……っ!?」

 顔面を蒼白にした軽氏が震えた声をあげる。

 しかし、寺城は軽氏の声に耳を貸さず、そのナイフでローストビーフの切っていない方を左手に持った切り分けようのフォークで押さえ、愛馬氏がやったように切り分け出した。

 僅かにナイフを右側に押し付けるように、最初は大きく切り分けるとフォークで端に除け、その後は薄く何枚も何枚も切り分けていく。

「さて……」

 寺城は大きく切り分けた右端の肉を一枚皿に載せ、また別の皿に後から切り分けた薄い肉を何枚も載せた。

 そして、先ほどパンを食べさせたのとは別の犬二匹の前に皿を並べた。

「おや、しっかり躾が出来ているようだね」

 寺城が目配せをすると、下村は躊躇なく犬達に合図を出した。

「よし!」

 その声に犬達はそれぞれの前の肉を食らいついた。

 誰もがそれを見守る中、僅かな時を置いて一匹の犬が嘔吐きだした。

 そして、愛馬氏がそうであったように嘔吐し、痙攣し、短い咳き込むような呼吸を繰り返し、もがき苦しみ、徐々にその反応も弱まり動かなくなった。

 死んだのだ。

 その様子に一同は息を飲み、米は悲鳴を上げてへたり込んだ。

 軽氏など辛うじて立ってはいるが、恐怖と不安に顔は青ざめ、視線は震え、今にも気を失いそうに顔を抑え、しっかりと立つ南人氏に支えられている有様だ。

「おい寺城。これはどういう事だ」

 さすが警部と言うべきか、不幸にもこの状況になれているのか、それとも生来の気丈さ神経が綱で出来ているのか、いつも通りの声と胡散臭そうな目で寺城に問いかけた。

 しかし、迷惑な事に寺城はそんな警部の問いを無視するように俺を向いて口を開いた。

「犬猫じゃあるまいし、まともな脳が入っているのなら、人に尋ねる前に少しでも考えてみればものだろうにねぇ?」

 意地悪な微笑が寺城の口元に浮かんでいる。

「西岩君?」

「なんですか?」

「君なら当然わかるだろう?」

 試すような邪悪な瞳と強い意志の篭った強烈な瞳、その他大勢の瞳が俺に集中する。

 何で俺がこんな衆目を浴びねばならないんだ。

 適当に誤魔化してお茶を濁せる雰囲気ではない。

 俺は小さく呼吸をし心を空にする。

 ……同じ肉を同じナイフで切り分け、最初の肉以外に毒が入っている理由。

「肉に毒が仕込まれていたのではない」

 警部や他の人々の反応は様々だ。

 しかし、俺の答えに寺城は何の反応も示さない。

「ナイフの方にこそ毒は仕込まれていた。それも刃ではなく、右側面にのみ毒が塗られていた。そういう事ですね」

 そこまで言うと寺城は目を伏せたまま小さく頷いた。

「ご名答」

 寺城が俺の答えを認めると面々がざわめき出す。

「そうか!だから、ナイフの右側面に触れていなかった端の肉を食べた軽様は無事だったわけですね!」

「お、俺は大丈夫なんだな!」

「しかし、犯人が分かったわけでは……」

「ナイフに毒を塗ったのは誰だ!?」

「この館にいた者なら誰にでもその機会はあった!」

「私ではありません!」

 ざわめきはすぐに誰が毒を塗ったのかの犯人探しに変貌した。

 それもそうだ。 

 毒を盛った仕掛けは判明しても、未だ犯人特定へはほとんど進捗が無いのだ。

 むしろ、蓮城家に暮らす全員にその可能性が生まれたのだから、犯人の擦り付け合いが始まるのは自然な事だ。

 傍目には分かりずらいが、寺城はその様子を鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌にパイプをふかしながら眺めている。

「そうなると犯人は愛馬氏を狙ったわけではなく、この屋敷の者なら誰でもよかったという可能性も浮上してくるな……」

 警部の発言を小馬鹿にするように寺城は小さくクツクツと笑った。

「警部。犯人がナイフの右側面にのみ毒を塗った理由がわかるかい?もし、両面に塗っていれば最低でも二人は死んでいたはずだよ?」

「操作撹乱の為では足りんか?聞くに愛馬氏が自ら肉を切り分けて食べたという、普通誰が最初に食べるかなど誰にも良そうできんだろう」

 警部の発言は至極真っ当に感じるが、屋敷の幾人かは何か思う所があるらしいが、二人の話しに割って入っていいものか誰も口には出せないでいた。

「いえ、この家の者なら父が最初に食べるであろう事はわかっていました」

 意を決して言葉を発したのは南人氏だった。

 その言葉に軽氏等違和感を感じてはいたが、はっきりと思い至っていなかった者もそれを理解した。

「旦那様はローストビーフが何よりも好物でいらっしゃいまして、特に火の完全に通っていない所を何枚もまとめてワインで流し込むように食べるの好んでいました。その為にいつも自分で一番に切り分けている事も屋敷の者は皆知っております」

 下村さんが南人氏の言葉を補足するように話すと誰もがそれの意味を理解した。

 警部はその反応を見て、紙巻に火をつけると大きく一服し腕を組んだ。

「つまり、振り出しに戻ったという事か」

 その台詞に寺城は怖気の走るような妖艶でおぞましい小さな笑みを浮かべ足を組み変えながら言った。

「何を言うんだい。ボクとしては候補はかなり絞られたよ?」

 屋敷の人々の顔色が、疑惑、恐怖、疑心暗鬼へと変わり、警部が苦虫を潰したような表情で目を閉じた。

「愛馬氏の行動をよく知り、尚且つナイフに細工が出来る人間――」

 悪魔の笑顔とはこういうものを言うのだろう。

 屋敷の皆の背筋に戦慄が走った。

「――犯人はこの中にいる。それで十分だろう?」

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