殺人現場


 建屋を一周ぐるりと調べ上げ、表口に戻ってくると、色白で亜麻色の髪が特徴的な大男が瀬葉とにらみ合いをしていた。

 何者かと思いながらも近づいていくと、気付いた大男は俺と寺城を眉を顰めて睨みつけてきた。

「また貴様か寺城」

「やぁ、奇遇だね栖昏警部」

 なるほど、この御仁が噂の堅物名刑事栖昏警部殿か。

 そう納得する俺を余所に栖昏警部は寺城の顔に唾を飛ばしながら怒鳴りつけた。

「何が奇遇だ!俺の縄張り(しま)で事件が起きれば駆けつけるのは当然だっ!そこにいくら鵺の如き魑魅魍魎の類とは言え、女の貴様がしゃしゃりこんで来るんじゃあない!!女は女らしく家の中の仕事をしていればいいんだ!!」

 窓ガラスが振動せんほどの怒声に、しかし、寺城は蟋蟀の泣き声程度にも感じていないようで

「なるほどね。確かに君がいるのは当然だ。しかし、一つ疑問があるのだでどいいかな?君と出会う事件出会う事件、みんなボクが解決している気がするのだけれど、君は自分の縄張り(しま)で何をやっているんだい?」

 寺城のおどけた挑発に警部の顔が茹蛸、いや赤鬼のように真っ赤に染まる。

「まとも事件は何百も解決しているわ!毎度毎度、訳の分からん奇妙な事件になると何処ともなく涌いて出おって!貴様が後で糸を引いているのではあるまいなっっ!!」

 示現流の猿叫霞む――いや、アレは甲高い叫び声である事を考慮に入れると、低い怒声でそれに匹敵するのだから、それ以上といえよう――声量と覇気で寺城を恫喝する。

「あまり近くで怒鳴らないでくれるかい?唾が飛んできて汚いじゃないかい。それとも文字通りボクに唾でもつける魂胆かな?」

 当の本人は飛沫する唾液こそ不快に感じているようだが、打てば響くその反応を楽しんでいるようで歴戦の鬼警部相手でありながら明らかに役者が違う。

「言うに事欠いて貴様は……っっっ!!」

 怒りを堪え鬼神の如き形相でプルプルと震える栖昏警部と、それを楽しそうに眺める寺城の間に命知らずにも瀬葉が割って入り栖昏を睨みつけた。

「栖昏警部、上からも寺城さんには最大限の便宜を図るようにとお達しが来ているはずですよね?素直に従ってはいかがでしょうか?」

「っ……!!……っさい!現場には現場の流儀がある!!邪魔するようならば問答無用で摘み出すからなっ!!!」

 流石の赤鬼もお上の意向には逆らえぬと、渋々最大限の譲歩をギチギチと歯が鳴る程に堪えて承諾した。

 しかし、これ以上の赤は竜田川でも拝めないであろうと思う程に、栖昏の顔が真紅に染まる様を眺め、この警部は早死にしそうだなと他人事のように思っていると、突如ギラついた瞳が俺を射抜いた。

「おい、貴様っ!見ない顔だが何者だ!!」

 怒りに染まりながらも、冷静さをなくしていな真っ直ぐで濁り無き瞳が俺を見据える。

 熱い心と冷静な脳を同時に備える、俺の剣の師匠のような一部の達人がたどり着く境地の一つ。

 目を通し心を読まれているような気にさえされ、正に蛇に睨まれた蛙の様な状態になってしまう。

 この様な場合、何をしても相手に先を押さえられ、一切の誤魔化しが通じない。

「お、俺は寺城さんの助手、候補です」

 警部の目に篭った迫力が増し、俺は僅かに後へと身体が反った。

 そして、その目が俺から離れると、自然と汗が額から流れた。

 警部が、視線を俺から寺城に移すと彼女は楽しそうに俺の方チラリと見て口を開いた。

「ふふ、彼の言うとおり新しい助手候補さ。あんまり虐めないでやってくれ」

 警部も再度睨むように俺を見ると、頭痛を抑えるように大きな右手で頭を掻いた。

「こんな若者まで毒牙にかけて」

「心外だね。こんな花のように可憐なボクが何をするというんだい?

 スカートを翻し、クルリと回ると彼女を中心に黒い花が咲き、彼女は嘲るようにゾッとするほど美しい笑みを浮かべ首を傾げた。

 それはまるで大輪の如く、綺麗な花には毒があるのだと語るように。

「はっ!そのお顔で一体今まで何人潰してきたのか忘れたのか?この毒婦めが」

 寺城はそんな謗りもなんのその、柳に吹き付けるそよ風程度にも感じていない様子で、クスリと鼻で笑い警部の横をすり抜けて建屋に入っていく。

 俺も一瞬遅れ彼女の後を追おうと警部に頭を下げながらすれ違ったその時、警部は俺の肩を掴み俺を引き止めた。

 節くれ立った傷だらけの大きな手は、岩のように硬く、溶岩のように熱かった。

「無駄だと思うが忠告だ。危ないと思ったらすぐに逃げ出せ。行く場所がなければ俺の所に来い、何とかしてやる」

 警部は一方的にそれだけ言うと手を離し、先に中へと入って行った。

 俺は少し送れ今度こそ彼女達を追った。

 扉を抜けて最初の部屋は玄関兼受付であろう小さな部屋だったが、既に寺城はおらず、また警部もズンズンと先の扉を潜ったので俺もそれに続く。

 そして、それはすぐにあった。

 そこそこ大きな、倉庫のような部屋の中心より少しこちら側にかつては人であった物体。

 整った軽薄そうな顔は苦しみに歪み、生前ならば生への懇願を、死への恐怖を、誰かへの怨恨を紡いだであろう口も硬く閉ざされ、今では肉と皮から出来た糞袋とかしたそれ。

 ――俺がそれを初めて目にしたのは、今から十年は前だろうか。俺に惜しみない愛を注いでくれた祖母が、病に犯され、優しかった相貌を苦痛に歪ませ、死を望みながら目の前で息絶えたその時だ。俺はあの時、初めて死という物を理解した。初めて真に心揺り動かされ泣いた。アレから今まで幾度かそれを観る機会はあったが、俺はその度に形式通りにお悔やみの言葉を述べていた。――

 そう。

 死体だ。

 俺の心は、祖母の時とはまた違った、しかし、それ以外の御棺に入ったそれを観た時には感じなかった、激しい鼓動をかき鳴らした。

「絞殺ですか?それとも刺殺ですか?」

 俺の質問に寺城と警部、そして後から入ってきた瀬葉の視線が集まるのを感じた。

 顔には恐怖が張り付き、うつ伏せにされた死体には二箇所、派手で上質な上着を貫通し背中の肩甲骨の間とわき腹の高い位置に刺し傷があり、周囲には盛大に血痕が飛び散っている。

 否、飛び散りすぎている。

 刺し傷はそこまで大きくなく、傷口からもそこまで大量の血は出ていない。

 しかし、周囲にはまるでワザと撒き散らしたかのように血が付着しているのだ。

 そして、死体の首にはかなり太い縄で締め付けた痕とその内側にもう少し小さな何かの痕――紐か?――が残っている。

 刺し傷と絞殺痕。

 何故この死体にはこの二つが同時に存在するのだ?

 この人物は二度殺されたとでも言うのだろうか?

「貴様は――」

 しゃがみ込み死体を覗き込んでいた俺に影がかかった。

 見上げるとそこには厳しい顔の警部がいた。

「――殺人を見るのは初めてじゃないな?」

「こんなの初めてですよ」

 俺はゆっくりと立ち上がり少々大げさに身の潔白を示すよう動作をするが、軽侮はますます怪訝な顔色を浮かべる。

「では、その余裕は何なんだ」

 これは、なんと答えたらいいのだろうか。

 義憤なのか?

 否、俺は怒りを感じていない。

 恐怖なのか?

 否、ただの物体に恐怖を覚える事は無い。

 混乱しているのか?

 否、俺は今までないほど冷静に状況を観察理解できている。

 では、一体俺はどんな状態なんだ?

 誰かに、寺城に影響され探偵に目覚めたのか?

 それともただ単に野次馬根性に火がついたのか?

 警部の問いが俺の中に今初めて混乱を生み出そうとした。

 それを制したのは何よりも冷たい助け舟だった。

「良い事じゃないか」

 迷いのない、どこか楽しそうな声が鈴の音のように小さく、しかし、確かに響き渡る。

「己の感情が燃え上がれど、脳は冷静に個人の真実に惑わされず事実のみを収集する。捜査に必要な資質を君は、西岩君は備えているようだ。実に良い事だよ、特に――」

 背中を見せながらこちらを向いて話していた寺城は、ニヤリと笑うとスカートを可憐に翻し、俺の横までやってくるとそのまま死体の側にしゃがみ込んだ。

「こんな人の秘密や死を暴き立てるような商売にはね?」

 そう言うと彼女は懐から白手袋を取り出し、それを嵌めると躊躇なく、しかし、丁寧な手つきで死体を物色した。

 瀬葉も手袋を嵌めると寺城の側により、何か手伝いが必要な事があればすぐに動けるよう準備をしながら、彼女の一挙手一投足を食い入るように観ている。

 俺もに何か手伝える事があればいいが、そう思っているとイライラとした態度の栖昏警部が、何も言わずに白い手袋を俺に差し出してきたので礼を良い素直に受け取ると、彼は舌打ちをして数歩離れ紙巻煙草を咥え仁王立ちをし、俺達を見守るように監視する。

 寺城は最初に注目したのは、被害者が死の間際に己の血で書き残したのではと思われる書きかけの血文字『カ』である。

 これは、カタカナの『カ』なのか、漢字の『力』なのか、それとも別の漢字化何かの書きかけなのか俺には見当もつかない。

 しかし、彼女はその血文字とそれを書き記したらしき血の付いた右手を少し確認するとすぐに興味をなくした。

 次に被害者の派手服を確認し特に上半身に興味を示した。

 そして、刺し傷顔を寄せその大きさと角度を観察し、手袋を外すと白い指を赤黒い傷口に入れ、内部を探るように丹念に舐った。

 それを背とわき腹、両方の傷口に対して行うと彼女はその指を高級そうなハンケチで拭い再度手袋を嵌めた。

 彼女は僅かに考えるような仕草をすると俺と瀬葉に指示を飛ばした。

「西岩君、セバスコイツを仰向けにしてくれ」

 俺と瀬葉は細心の注意を払い、慎重に硬く、見た目以上に重い男の身体を仰向けにする。

 寺城は今度は首の傷を注意深く観察すると、今度は地を這う様に床から壁、更には天井まで見上げて観察を始めた。

「西岩君これを見てご覧」

 彼女の言葉に従い、指差した先を見ると真っ直ぐに埃を被っている所とそうでないところに分かれている。

 これは、明らかに何か箱のようなものが置かれていた跡である。

 注意深くそれを追っていくと、かなりの量が置かれていた事がわかる。

「こっちには途切れた血の跡までありますね」

 確定だ。

 事件当時、ここには何か置かれており警察が来るまでに何者かによって運び出されたのだ。

「それから、こっちも見るといい。二種類の灰が落ちている」

 そちらには確かに灰が落ちていた。

 しかし、それが二種類であるかは俺には判別がしかねた。

 辛うじてわかるのはそれが紙巻煙草の灰である事くらいだ。

「警部の吸っている金蝙蝠とは別の銘柄。一つは安物の若葉、もう一つは細身の葉巻、おそらくバハマ葉モンテクリスト産かな」

 彼女は灰を手袋を外した手で摘むとそれを指同士で擦り合わせてから匂いを嗅いでそう言うと、そのままゆっくりと立ち上がりパイプを咥えた。

「セバス、いや、栖昏警部被害者について分かっている事を教えてくれ」

 栖昏警部は嫌そうな顔をした。

「瀬葉から聞いているんじゃないのか?」

「ボクは君から聞きたいんだよ」

 嫌そうな警部とは対照的に寺城はそれが楽しいようで嫌な笑みを口の端に浮かべている。

 警部は嫌々口を開いた。

「被害者は駑馬良太、田舎では地主だったが、仏さんはその財を元手に商売を始め一代で財を成した貿易成金だ。財布からは現金が抜き取られているところから物取りのものと思われる。死因は、背後から心臓への一刺しによるもの、若しくは絞殺……ただまぁ、絞殺で決まりだろうな」

 死因の断定に寺城は一瞬笑みを見せた。

「所持品は?」

「空の財布にハンカチ、懐中時計、ライターに葉巻、鍵だ」

 どれも派手な外国製で被害者の趣味の悪さが窺い知れる。

 寺城は人差し指を唇の下に、親指を顎の下にして何か思いついたように俺と瀬葉を見た。

「警部殿は絞殺だと読んでいるようだけど、君達はどう思う?」

 悩む俺と対照的に瀬葉はすぐ気答えた。

「刺殺です」

「理由は?」

「生きているうちに刺されたのでなければ、これほどまでに血は飛び散りません」

 瀬葉の説に寺城は「なるほどね」と意地悪そうに呟き俺を見た。

「で、西岩君は?」

 俺は逡巡し答えた。

「絞殺です。理由としては、飛び散った血があからさまで怪しい事。首に残る縄の痕が二重になっているのと合わせると、首の痕の小さい方を隠す為だと考えると辻褄が合います」

 俺の答えに寺城は嫌な笑みを浮かべ、警部は驚きの表情を、瀬葉は睨んでくる。

「で、警部殿はどうして絞殺だと?」

 俺の説を聞いて死体の首の絞殺痕を調べている途中に質問が回ってきた警部は、毒気を抜かれたように答えた。

「ああ、吉川線、分かりやすく言えば首を絞められたときの抵抗の痕なんだが、それが僅かだがあったからだ」

 吉川線、そういう物もあるのか。

 もし、寺城さんの下で働くようになったら一から勉強してみるのも面白そうだ。

 寺城は、俺達三人の意見を聞く一頻り納得した後、思い出したかのように警部の方を見た。

「そうそう、被害者の所持品以外に遺留品はあったかい?」

 その言葉に警部は頷くと懐から白い布に包まれた小さな赤い櫛を取り出した。

 寺城はそれを受け取るとしげしげと眺めた。

「縁日で売られるような安物だね」

 丁寧な造りではあるようだが、古く飾りっけの少ないそれは、それでも損傷は少なく、丁寧に扱われていた事が伝わってくる。

「ああ、該者はご覧の通りの成金趣味だ。絶対ないとは言い切れんが、こんな安物を持ち歩くとは到底思えん。おそらくホシの持ち物だろう」

 まさか犯人が女の可能性も……と、警部が難しげな顔をすると、寺城はそれを見て期限良さそうに口を開いた。

「そうだよねぇ。まさかか弱い女性が、原始的な方法で成人男性を殺してしまうなんて普通ないよねぇ」

「貴様の様な異常者、女怪が犯人ならば話は別だがな」

 警部が苦虫を噛み潰したような顔で寺城を睨むと彼女は更に楽しそうに笑った。

「警部は本当にその手の犯罪者に弱いからねぇ。比較的まとも(・・・・・・)な犯罪者相手でないと、まるで穢れ無き乙女のように可愛らしくなってしまうからねぇ」

 警部はそのまま噛み潰した苦虫を飲み込み、鬼のような怒気を噴出させ、一度は部屋を出ようかと思ったのか、足を上げるもののそうもいかず、足を戻すと我関せずの誓いを顕にするように不機嫌に腕を組んで目を瞑ってしまった。

「まぁいいさ。その手の異常殺人、特異な事件はボクの専門分野さ。手柄は全て君達に譲っているのだし、気負わず全てボクに任せてもかまわないんだよ?」

「ふざけるな!何度も何度も民間人に解決されるだけでも面目丸潰れだというのに、毎回毎回手柄まで押し付けやがって!!ワシにも尊厳というものがあるんだ!!」

 警部の誓いはすぐに崩れ去り、寺城はヒッヒッヒッと笑う。

 なんとも全く真逆な二人だが、力関係は一方的なようで、大柄で鬼とも呼ばれている警部が、娘とも孫ともみえるような少女に翻弄されているのは何とも哀れな光景である。

「それじゃあ警部は、この犯人の人物像はもう出来ているのかな?」

 この安い挑発に警部は乗った。

「あくまで現場を見た限りの話で絶対では無い、あくまで現段階でのよそうであり、決め付けによって事件に先入観を与え、柔軟な対応を忘れてはいけないと――」

 警部はそう前置きをした時、しまったと乗せられた事に気づいたが、三者三様の視線に諦め言葉を続けた。

「ごほんっ!はぁ、恐らくだがこれは計画的な犯行だ。犯人は何らかの機会に駑馬氏が成金である事を知り氏の後をつけ一人になったところを絞殺し財布の中身を奪った。しかし、犯人は物色途中に己の身長を思い出した。少年、西岩だったか、君が言ったように大きな痕に隠れた細い紐は、上に向かって引っ張り首を絞めていた。だから犯人は特徴的過ぎるそれが原因で特定されるのを恐れたのだろう。上から更に太い縄で下向きに痕を作りそれ消そうとした。さらにそれだけでは不十分とワザと低い所を刺し、犯人の人物像を誤認させようとした。つまり、犯人は大男。それも低学歴な前科者とみた」

 大男なのは理解できるが、なぜ警部は低学歴な前科者だと断定したのだろうか?

 あってわずかな時間しか経っていないが、警部はあまりそういう差別はしない人間に見えたのだが。

「西岩君。わからない事があったらその時に聞くべきだよ」

 彼女は俺の心中はお見通しといった風に笑う。

「警部、何故低学歴で前科者だと?」

 その質問に警部はばつが悪そうに頭をかく。

「ワシの経験則だ。最初から殺人を犯す犯罪者は滅多にいない。それこそそこの女怪が得意とする異常な事件は別だが、基本的に小さな犯罪から手を染め、徐々に大きな犯罪、最終的に殺人へと行き着くんだ」

 警部はそこまで言うと吸い終わった煙草を消し、また新しい煙草に火をつけ一息吸った。

「そして、そういう連中、特に金品目的で殺人を犯す連中は低学歴低収入である事が多い。偏見のようだが経験上これはれっきとした事実だ」

 そう言うと警部はどこか悲しげに目を瞑った。

 警部は自分がどれほど事件に奔走しようと、この様な事件がなくならない事にどこか虚しさ、力足らずを感じているように思えた。

 そして、警部の推理に感心を抱き、納得しかけると同時に何か違和感を感じた。

 それは、俺だけでなく警部と瀬葉も同じそうで歯に魚の小骨が挟まったかのような感覚に襲われている。

 その答えを教えてくれる声が、静かに三人の耳に届いた。

「ボクの見立てではその逆かな?」

「どういう事だ?」

 警部の問いになんでもないように寺城は答えた。

「話してもいいけど、扉の外で聞き耳を立てている彼を追い払ってからにしてもらえるかな?以前にもそれで文屋に情報を売られ、犯人を逃がす寸前だった事があるだろう?」

 目を扉に向けると外から慌てて逃げる音が聞こえる。

「あの野郎っ!」

 警部は苛立たしげに悪態をつくと瀬葉に外で見張りをするように合図をした。

 しかし、瀬葉は不満げに動かず、助け舟を期待するように寺城を見る。

「セバス」

 寺城がそれだけ言うと彼女は悲しげに眉を顰め、俺と警部を睨んで扉の向こうへと消えていった。

 彼女はゆっくりとパイプをふかすと、頭の中で話を組み立てるようにゆっくりと語った。

「犯人は被害者を此処まで運んだ円タクの運転手さ。身長は低く、被害者とは知己がある可能性が高い。忘れていた古馴染みかもしれないね。殺害目的は怨恨、もし金銭目的なら財布の中身だけでなく、彼は身包みを全て剥がれていた、とは言わないが少なくとも懐中時計は奪われているはずさ」

 彼女は窓辺に移動すると、パイプの灰を外へ捨てゆっくりと新たな葉を詰めながら続けた。

「犯人は明確な殺意を持って背後から被害者を刺した。その証拠に刃は肋骨をすり抜けるよう刃を倒して刺している。しかし、幸か不幸か被害者は倒れなかった。反撃に出たのかもしれない、そこで犯人はもう一度、今度はわき腹から刺した。流石に倒れた被害者に対し、犯人は今度は紐をその首に回し、被害者の肩を両足で踏み、両手で引っ張り絞め殺した」

 俺と警部は揃って被害者の肩を見た。

 するとそこには泥が、それも靴先の形についている。

 そして、被害者の首に残った吉川線が弱弱しいのも刺した後から絞め殺したのならば納得がいく。

「恐らく犯人は被害者にかなりの恨みを持っていたんだろうね。殺人自体はかなり突発的、もしかしたら偶然見つけて機会もあったものだから……という具合かもしれない。我に返った犯人はすぐに隠蔽ではなく捜査撹乱の工作を開始した。首に太い縄を巻き細い紐の痕を隠し、刺し傷に再度刃を突き立て刺した角度を誤魔化し、血を辺りに飛び散らせ格闘戦を偽装した。頭に血が回っていながら、ここまで頭の回る犯人は若しかしたら中々の高学歴の持ち主かもしれないね」

 俺と警部が今度はその刺し傷に顔を近づけ覗き込むと、寺城が歩み寄りやおら指を突き入れた。

「ほら、内部でぐるりぐるりとかき回した痕がわかるかい?これで刺した角度、身長を誤魔化そうとしたのだろうけれど、わき腹というか、腰の刺し傷の位置と外の足跡の大きさからすぐにバレてしまったけどね」

 そう言うと彼女はずるりと指を引き抜くと、それをハンカチで拭き取った。

 警部の顔が酷い表情を浮かべている。

「そして、犯人は更なる捜査撹乱の為全ての鍵を閉め、建屋を出た後針金か何かで鍵を閉め現場を後にしたのさ」

 たしかに、泥棒の鍵開けと逆の事をすれば密室なんて簡単に作り出せる。

 そういえば、警部は密室について何も言及していなかったが、もしかして密室自体の仕掛けは気付いていたのかもしれない。

「警部、此処の第一発見者は此処の管理人の大男で犯罪歴のある下層階級の出だろ?」

 寺城の問いに警部はギリっと歯軋りをさせた。

「彼の残した『カ』の血文字が『かんりにん』若しくは、その人物の頭文字そんなところじゃないかな、警部の犯人像が具体的だったのは」

 警部の握りこんだ拳がわなわなと振るえ、額のしわが深くなる。

 その時、コンコンっと部屋をノックする音が聞こえた。

「お話中失礼します。警部がお呼びでした第一発見者、管理人の不瀬願太(ふせ がんた)が着ました」

 やって来た警官の後から瀬葉の不機嫌そうな顔が見えた。

「ああ、そr――

「今から行くから椅子にでも座らせておいてくれたまえ」

「ハッ!」

 警官は警部の声を遮り命令を下す寺城に何の疑問も抵抗も持たず、素直に従って戻っていった。

 警部の額には高血圧で倒れないかと心配になるほど血管が浮き出ている。

「さて、丁度よく着てくれた事だし、残るおまけを解き明かしにいこうじゃないか」


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