容疑者
部屋を出ると瀬葉と先ほど伝令に来た警察官、それから若い軽薄そうな警官が、顔色が悪くギョロついた目で強面だが落ち付きのない悪党じみた大男を粗末な椅子に座らせ周囲を囲むように立っている。
彼等は寺城の姿を見受けると即座に挙手の敬礼をし、寺城が軽く手を挙げると手を降ろし、大男が腰仕掛けている椅子よりか幾分かマシな椅子を彼女の元まで運んだ。
寺城はその椅子に背凭れを抱えるように座ると、大男を嘗め回すように観察した。
一連の行動に当初『なんだこのメスガキは』という、訝しげな態度をとっていたが、徐々に居心地の悪さ、奇妙な侵食感、得体の知れないナニカに凝視されているかのような不安を覚えたのか、堪らず偉そうで一番この場に相応しい人物に助けを求めるように不安を押し殺した、僅かに震えた声を投げつけた。
「お、おい一体何なんだこの餓鬼共は?いつから警察は寺子屋に鞍替えしたんだ?」
「おっと、まさか容疑者候補から今日一番のまともな発言が聞けるとは思わなかったよ」
軽口に警部は寺城を睨みつけるが、当然彼女はなんとも思っていないように足をプラプラさせながらパイプをふかしている。
警部は舌打ちをするとそうそうに諦め大男の方へ向き直った。
「お前には関係ない事だ、深く係わるな。それよりも聞きたい事がある」
大男は先ほどのやり取り混乱しつつも、彼女の言葉に感づいたようで非常に興奮した態度で警部に向かって唾を撒き散らした。
「なんだその容疑者候補ってのは!俺は善良な一般市民だ!だから、正直に見つけてすぐに通報したんだ!!それをなんだこの糞共め!!お上の威光を笠に着た権力の狗め!!」
一歩、警部が騒ぎ立てる大男の方へと進んだかと思うと、いきなり胸倉を掴み上げ黙らせた。
「おう、善良な一般市民さんよ。ちぃっとばかしこっちの質問に答えてくれねぇか?おまえさんだって顔が何倍にも膨れ上がるのは嫌だろう」
ドスの聞いた声で慣れた風に言う警部に、大男が最低限の体裁を繕いながらコクコクと頷くと、ゆっくりと椅子に降ろされた。
警部の太い指は、きっと素直に話さなかった際のお話の仕方も慣れているのだろう。
あの大男は小心者で幸いだったはずだ。
「警部そのくらいでいいだろう?それよりボクは君から直接聞きたい事があるのだけど――」
直接的な恐怖から開放されて一息ついた瞬間、大男の耳に冷たい風が吹き付けるように寺城の声がスッと響いた。
「――ちょっとした駄賃を稼ぐと思って、子供にお話を聞かせてくれないかな?」
そう言って寺城は、ポケットから銀製の札留めを取り出すと、大男に見せ付けるようにそこから数枚の一円札を引き抜いた。
「へ、へへ、災難の後に少しくらい役得があってもいいもんだな」
大男はそう言うともったいぶる様に懐から大き目の煙管を取り出そうとし、途中で止めて周りを見て口を開いた。
「誰か煙草をくれないか?」
「チッ、ほらよ」
警部が差し出した煙草を大男は、警戒しつつも卑屈な笑顔で一本受け取り、それにマッチで火をつけ一服すると鼻から紫煙を吐き出した。
「で、何を話せばいいんだ?
「全部だよ。死体を発見する少し前から通報するまでの間の事を全てだ」
その言葉に大男は酷く面倒な顔をしたが、寺城の指先に摘まれている数枚の紙幣に目をやると気だるげに口を開いた。
「今朝の事だ。おれはいつもどおり真面目に見回りをしてたんだ。そしたら、泥に汚れた小男がうろついてたんで一括して追い払ってやったんだ。へへ、最初はルンペンかと思ったが、今思えばアイツが旦那を殺したのかもしれねえな」
「おいっ!そんな話し聞いていないぞ!!」
警部が怒鳴りつけると、大男は顔に汗を浮かべ僅かに仰け反った。
「い、色々立て込んでて忘れてたんだよ。いいじゃねぇか思い出したんだし」
「いいわけあるかっ!後で署でもう一度じっくり話を聞くからなっ!!」
起こる警部と慌てる大男を制するように寺城が口を挟む。
「警部、今はボクが話を聞いているんだ。君、ここでしっかり話しておけば、この殺人の件で連れて行かれる事はなくなるとボクが保障するから話を続けるんだ」
そう言って、彼女がもう一枚一円札を札留めから抜き取り追加すると、男は少し悩んだ後口端を緩めて話しを再開した。
「それから仕事熱心なおれは、あのルンペンが何か悪さしてたんじゃないかと思ってな。用心の為にも中に入ってみたら旦那が仏にやがるじゃねぇか。おでれぇたが、そこは冷静で聡明なおれ様は落ち着いて警察に連絡したってわけだ」
「おい、調書では六時頃に死体を発見したとあるが、通報は九時過ぎ、とてもじゃないが冷静で聡明にしては時間がかなり空いているようだが何をしてやがったんだ?」
警部がギロリと睨みつけると、大おt個は汗をかきながらあさっての方向に目を泳がせた。
「お、落ち着くために一服してたんだよ」
あからさまな嘘をつく大男に警部と瀬葉は胡乱な目を向けるが、寺城は既に彼が何をしていたのか予想しているのか、別の所に興味を向けていた。
「そんな事より、そのルンペン風の男は、背が低くて雨に濡れ、泥に塗れた円タクの運転手風の服を着てたんじゃないかい?」
寺城の問いに大男は少し考えた後、あっ!っと、声を上げた。
「そうだ!確かに円タクの運転手みたいな服を着てやがった!」
まるで見てきたかのように推理にピタリ合致した犯人像に俺は寺城を見るが、彼女は当然とばかりにパイプを加えたまま流し目で小さくドヤっと笑った。
そして、それに反比例するかのように警部の機嫌が目に見えて悪くなり、大男がビクビクと脅えながらも体面を気にし必死でそれを隠そうとする様は滑稽であった。
「ほかに何か気になる事はなかったか?例えば円タクが停まっていたとか?」
「さ、流石に円タクが停まってりゃおれだってすぐに気付くぜ。他に何かあったかなぇ……」
大男はチラチラと寺城の持つ紙幣に目線を送る。
「まぁ、こんなものか。ほら受け取るといい」
そう言い紙幣を渡すと大男はニヤつきならが枚数を数える。
「へ、へへ、また何か気づいた事があったら教えてやるよ。そんときゃまた頼むぜ?」
そう言うと紙幣をポケットにねじ込み、席を立ち上がった大男の体から乾いた汗の臭いがした。
「おい待て!話しはまだ終わりじゃないぞ」
警部が声を上げると、瀬葉以外の警官が男の行く手を阻むように扉の前に立ちはだかった。
「す、少し話を聞くだけだといわれたから着たんだ。話すことはもう全部話した。これ以上何をしろっていうんだ」
脅えながらもイライラとした大男の言動に警部ははき捨てるように言った。
「証言がコロコロ変わる奴の話しなんざ信用できるか!ワシがみっちり絞ってやるから座れ!!」
「信用ならねぇなら聞く必要ねぇだろう!それとも何か、やっぱり俺が怪しいってか!!」
「当たり前だ!貴様のような前科持ちのチンピラが怪しくないわけないだろうが!!」
売り言葉に買い言葉。
場が一気に険悪な空気に包まれる。
「全く、腹芸や搦め手が出来ない癖にカンだけは鋭いから性質が悪いんだよ」
寺城が誰に言うでもなくごちる。
「だったら、おれが殺った証拠を出せ証拠を!!」
興奮した大男が唾を撒き散らせながら、扉を塞ぐ若い警官に詰め寄り両の手で押すように突き飛ばした。
「あ~あ」
寺城が詰まらなそうに呟いた。
「あいたー」
押しのけられた若い警官が、ワザとらしく棒読みの台詞まで吐きながらぽてっと尻餅をついた。
一瞬大男は疑問の表情を浮かべたが、獰猛な土佐犬のような笑みを浮かべた警部を見た途端青ざめた。
「公務執行妨害だ!確保!!」
「ひぃっ!?」
警部はその大柄な体からは想像もできないほど俊敏な動きで瞬く間に距離を詰めると、勢いそのままに空気を投げるように大男を跳ね上げ取り押さえてしまった。
「イタッ!イテテッ!てめえざっけんなこっらー!下手な演技しやがって!ワザとコケた癖に卑怯だぞコンチキショー!!何が公務執行妨害だ!!」
喚き暴れる大男に難なく手錠をかけ、若い警官に任せると警部は懐から安煙草を取り出し咥え火をつけた。
いがらっぽい紫煙が宙を舞う。
「どんな理由だろうと、お前がうちの若いのに当たって転んだ事実は消えねぇ。文句は署で聞いてやる」
警部はそれだけ言うと警官と大男を連れ部屋の外へと向かった。
「警部」
寺城の声に警部は立ち止まり、嫌々振り向くと面倒くさそうな表情を見せた。
「なんだ。まだ、この男に用があるのか?」
寺城は興味無さそうにさらりと告げた。
「その男が管理している物件が幾つかあるはずだ。そのうちの一つ、そうだね轍からして西、そう遠くない所のやつさそこに――」
寺城が言いかけた途端、大男が今まで以上に大声を上げ暴れた。
「ざっけんなてめえ!!何適当な事ふかしてやがる糞ジャリがっ!!この阿婆擦れっ!くそっ!くっそっ!離せこnっーーーっっ!!」
暴れる大男を警部がこめかみを殴りつけ黙らせる。
「おい、何がある?」
寺城はパイプの灰を床に捨てるとそれを足で踏み消し、顎を上げ下から見下すように言った。
「阿片だよ」
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