番外編 愛を手にしたアンジェリカ

 物心ついた時からアンジェリカの心にあったのは、寂しいという気持ちだった。


 周りにいるのは使用人ばかりで、そばにいた家族は双子の兄であるアンドリューだけであった。

しかし、その兄も幼い頃に引き離されてしまった。


 ある時、置いてあった花瓶をアンジェリカが倒して壊してしまい、メイドが慌ててやって来て、アンジェリカに怪我がないか確認し、怪我がないと分かると安堵の息をもらした。

そのあとも、何人もの使用人が駆けつけて来て、割れた破片が衣服についているかもしれないと、普段よりも更に丁寧に接したことが、自分がとても大切にされているのだと、アンジェリカには思えた。


 わざとではなく、たまたま倒してしまっただけであったが、そのことがアンジェリカを歪ませていってしまった。


 "何かを壊すと、みんな集まって来て、わたくしを構ってくれる"


 アンジェリカが癇癪を起こす切っ掛けとなった出来事であった。


 癇癪を起こす切っ掛けなど、幼かった頃の出来事なので忘れており、気に入らないことがあると、癇癪を起こすことが当たり前となっていたアンジェリカ。

そんな彼女を叱る者は、そばにはおらず、報告を受けた父親であるアッシュフィールド公爵は、「まともな嫁ぎ先を用意していらないのならば、そのままでいるが良い。少しでも、まともな所へ嫁ぎたいなら、それらしくしていろ!」と、何がいけないのか、きちんと叱ることもせずに、言いたいことだけを言って去って行く始末。


 アッシュフィールド公爵は、第二王子として生まれ、父親である国王にはなかなか会えず、側室であった母親も忙しくしており、そちらにも頻繁には会えなかった。

側室生まれということもあって、王妃から生まれた王太子である兄とは明確な線引きがされており、それを当然のこととして思えるように教育がされていた。


 親がそばにいられないことが当たり前で、使用人と教師に囲まれた生活が普通であったアッシュフィールド公爵であったが、彼はバートレット侯爵家令嬢のディアナローズと婚約したことで、人を愛することを知った。

しかし、その愛情が向けられたのは、妻と嫡男にだけで、代理母から生まれた双子には与えられなかった。


 生まれた立場に明確な線引きがされるのは当然のことだと、そう教えられてきたアッシュフィールド公爵にとって、その扱いが当然のことで、普通であったのだ。


 そんな環境でアンジェリカがまともに育つはずもなく、アッシュフィールド公爵夫人は、何とかしようと姑である国王の側室に相談したが、代理母生まれのアンジェリカに関わるには、二人の立場では難しかった。


 そばに居られないのであれば、少しでも愛情を形にしようと、何でも買い与えてしまったことも、アンジェリカを歪ませていってしまうことに拍車をかけていた。

そのことに気付いたのは、もうどうすることも出来ないところまで来てからであった。


 ワガママを聞いてやるのではなく、何でも買い与えてやるのではなく、ただ、その腕で抱きしめてやれば良いだけであったのに。



 

 アッシュフィールド公爵がアンジェリカを処刑すると、その意見を変えないため、彼女の祖父でもある国王は、はりつけになっているアンジェリカを刑が執行される前夜に、暗部に指示を出して秘密裏に回収し、替え玉に使う予定であった犯罪者と入れ替えさせた。

そのことを国王は、誰にも知らせることなく実行し、保護したあとも知らせなかった。


 感覚を鈍らせて痛みを感じにくくしてあったとはいえ、拷問によって酷い怪我をしていたアンジェリカを誰にも分からないように囲ったのは、アンジェリカの産みの母親であった。

世界を旅していた彼女は、大戦中ということもあり帰国しており、それを知った暗部から国王へと情報が行き、アンジェリカの保護を依頼されたのだ。


 アンジェリカの母親は、拷問によってズタボロになった娘に回復薬を何度も飲ませ、身体にも塗り薬を使い、懸命に治療を施したが、深い傷は跡が残ってしまい、身体にも少し障害が残った。

元は美しかったであろう金色の髪は、色が抜けて白くパサついてしまっていた。


 意識がはっきりしたアンジェリカは、視界の先にある板張りの天井を見て、「天井が床になってる……」と混乱した。

彼女の生活空間に板張りの天井がなかったため、板張りの天井が床で、自分が寝ている場所が天井なのだと錯覚を起こして混乱してしまったのだ。


 「天井が床って、おかしなことを言う子ね」

「……?だれ?」

「あなたの母親よ」

「はは……おや?わたくしに、お母様はいないわ」

「母親がいなきゃ生まれないでしょう?果実から生まれたりなんてしていないわよ?」

「……いたの。わたくしに、お母様が……」

「そうよ。……二度と会うことは許されなかったけれど、国王陛下から命じられれば、公爵との契約だって破れるわ。といっても、公爵は知らないみたいだけれどね」

「国王陛下が……」


 アンジェリカの母親は、怪我の状態と、障害が残ったことをアンジェリカに説明し、体力が回復したら一緒に国を出ると言った。

処刑されたはずのアンジェリカをこの国には置いておけない、と。


 しかし、アンジェリカは首を横に振った。


 もう、生きていたくはない、と。


 「……生きていたくないって、そんなことは寿命が来てから言いなさい」

「…………うん?」

「死んでおけば良かった、なんてことは、寿命が来てからにしなさいって言ってるのよ。生きていて良かったと思える日が来るかもしれないじゃない」

「…………。来ないわ……、そんな日……」

「そんなこと寿命が来てからでなければ分からないでしょう?諦めなさい。一緒に行くわよ」

「……ふふ。死ぬことを諦めるの?変なことを言うのね……」

「そうよ。変で結構よ」


 体力が回復したアンジェリカを連れて、彼女の母親が向かったのは、大戦の影響を受けなかった遠く離れたところにある国だった。

農業を中心とした小さな国であったが、アンジェリカの母親がしばらく滞在したことがあったため、それを頼りに移り住むことにしたのだ。


 この小さな国に移り住む頃には、アンジェリカも自分のことは自分で出来るようになっていたし、家事もできるようになっていた。

貴族として刺繍の技術を身につけており、それを活かして旅費の足しにもしていたため、移り住んでからもそれで生活費を稼いだ。


 アンジェリカが独り立ちできるようになっても、彼女の母親は一緒に住んでいた。

穴だらけで空っぽの器に少しでも愛情が貯まればと、何気ない会話をして、一緒に買い物に行き、たまにアンジェリカを抱きしめて眠った。

小さい頃にしてあげたかったこと、されたかったことを埋めるようにして、二人は母子の時間を過ごした。


 そんな、ある日。

二人のもとへ、くたびれた中年の男性が訪ねて来た。


 アンジェリカはその男性が誰か分からなかったが、アンジェリカの母親は分かった。


 「兄上様!?どうしてここに……」

「爵位をアンドリューに渡して来た。この場所は、陛下が教えてくださったよ」

「そうでしたか……。ああ、玄関先で話すことでもなかったわね。兄上様、どうぞ入ってください」

「ありがとう、お邪魔させてもらうよ」


 訪ねて来たのはコーンウェル元伯爵であった。

アッシュフィールド公爵家嫡男のアルジャーノンに男子が生まれたのを機に、スペアの役割を終えたアンドリューへ、爵位と財産を譲り渡し、遠路はるばるここへとやって来たのだ。


 「元気そうで良かったよ」

「ええ、何とかやってるわ。アンジェリカの刺繍した物も高く売れているのよ。かなり助かってるわ」

「そうか。よかった……」

「兄上様は?もしかして、あちらに戻るつもりなかったりするの?」

「ああ。……あまり、良い思い出もないからね」

「それは……、まあ、そうかもしれないけれど……」

「ここに来るまで見てきたが、穏やかな良い国だね。どこか静かな場所で家でも借りて暮らすよ」

「うーん、ねぇ、アンジェリカ。兄上様と一緒は、嫌?」

「えっと……、特に嫌っていうことはないけれど……」

「そう。じゃあ、兄上様、一緒に暮らしましょう。無理だったら、その時にまた考えれば良いのだから。ね?そうしましょう」


 こうしてコーンウェル元伯爵がアンジェリカとその母親との生活に加わった。

アンジェリカの母親が精霊と契約しているとはいえ、やはり男手のある生活は何かと楽であったことと、血縁ということもあってか、次第に違和感なく家族となれた。


 コーンウェル元伯爵は、小さな学問所を開くことにしたが、授業料はお金ではなく農作物での支払いも可能とし、生徒の年齢も性別も問わない、学びたい者が通えば良いとした。

生活に困らないだけのお金は持って来ていたため、ほんの暇つぶしに始めたからであった。


 そして、そこの生徒として通っていた女性からの猛アプローチに陥落し、結婚し、やがて子供が生まれた。


 アンジェリカとその母親は、子供を産めなくされているので、新たな家族が増えることを二人は喜んだ。


 アンジェリカの母親も、以前この国に滞在していたときに恋仲になった男性と結婚した。


 農業が盛んな国であるため、子を産めない女性との結婚を周囲から認めてもらえず、アンジェリカの母親が黙って国を出て行ったことで、別れることになってしまったのだが、もう子を産めない年齢になっているのだから構わないだろうと、アンジェリカの母親がこの国にいることを知った元恋人が押しかけて来たのだ。


 母親と伯父が結婚したが、アンジェリカは寂しいとは思わなかった。

伯父であるコーンウェル元伯爵と結婚した女性が次々に子を産むため、その世話に走り回り、賑やかな毎日を過ごしていたからであった。


 アンジェリカは、母親から「産んでから後悔した」と、泣かれたことがあった。


 断れない相手からの招待であれば、参加しないわけにもいかず、仕方がなく茶会や夜会に参加すれば、どこにいても遠巻きにされ、ヒソヒソと噂話をされた。

そのことに嫌気がさしていたアンジェリカの母親は、兄から公爵と契約し、代理母となってくれないかと頼まれたのを受け入れ、その謝礼金で国を出て行くことを決めた。


 しかし、痛みに耐え、やっと産んだ我が子を腕に抱いたとき、この子たちを置いて出て行かなければならないことに身を裂かれる思いをしたと言った。

どうして産んだ子を置いて行けるなどと安易に考えてしまったのか、もう後悔しても遅かった。


 契約してしまっていたため、泣く泣く手放すしかなく、それでも少しでもそばにいたいと、半年間一緒にいたが、これ以上はダメだと言われ、公爵家別邸を出たその足で国を出たのだ。

子供には二度と会わないと約束していたが、国内にいれば、偶然どこかで一目会えるかもしれないと期待してしまうため、それで国を出たのだと。


 アンジェリカは、母親からその話を聞き、伯父の子である従姉妹の小さい手を撫でると、きゅ……と握られ、その温かさを知って、涙が止まらなくなった。


 あの大戦で、どれだけの命が散ったのだろうか、と。


 しかし、伯父であるコーンウェル元伯爵は、アンジェリカがしたことは、きっかけに過ぎず、あの大戦の責任がアンジェリカだけにあるわけではないと、慰めた。


 伯父に慰められても、アンジェリカの中にある後悔が軽くなることはなかった。

自分のせいでグロリアーナ王女が酷いことになってしまったのだから、やはり自分だけ遠く離れたこの国で、笑って過ごすことなど出来ないと言い出したのだ。


 そこでコーンウェル元伯爵は、言わずにいたことを口にした。

暗部としての仕事はウルフスタン伯爵家に移行していたとはいえ、彼も祖父から仕事のやり方を教えられていたため、情報の収集は怠っていなかったのだ。


 グロリアーナ王女が輿入れする予定であったハーヴェンタース王国が、開戦の理由をでっち上げるために、グロリアーナ王女が輿入れしてから、彼女の不貞を捏造しようとしていたことをアンジェリカに伝えた。

アンジェリカが何もしなくても大戦は起きていたし、グロリアーナ王女がハーヴェンタース王国でどのような目に遭ったか分からない、と。


 不貞を捏造されるよりも、悲観して自害を選んだ方がマシだっただろうとアンジェリカに言うと、彼女はあんぐりと口を開けた。


 「その情報を掴んだのは、アンジェリカの処刑が決まってしまった後だったんだ。すまなかったな……」

「い、いえ。ですが、国民の感情を抑えるためにも、明確な何かが必要だったと聞かされましたから、わたくしのことは良いのです。それだけのことをしたと思っていますから。でも、グロリアーナ王女様は……」

「そのことを知って、リハビリを頑張っているそうだよ。悲観してこのようなことをしたのは、弱い自分のせいだから、アンジェリカのせいじゃないと、そう仰せになられていたそうだ。このことをこちらに来てすぐアンジェリカに伝えようかとも思ったんだが、思い出さないでいるのなら、そうの方が良いと判断して、今になってしまった。……すまない」


 謝る伯父に何とか頭を上げさせたアンジェリカは、「わたくしも、幸せになれる道を探してみます」と、泣き笑いの顔で言った。


 その後アンジェリカは、結婚することなく、たくさんの子を育てた。

叱ることも大切なのだと、母から受けた愛情を惜しみなく子供たちへ与えた。


 伯父夫婦には次々に子が生まれるため、人手が足りず、乳母やメイドを雇っているうちに、「人手があるのなら、うちの子もお願い」と余所の子が預けられていくことになり、そのうち託児所となった。

しかし、預けていって迎えに来ない親が出てきてしまったことから、託児所から孤児院も併設することになり、アンジェリカはその孤児院の院長をすることになったのだ。


 農業が盛んなことから子は労働力になると、子だくさんな家が多いのだが、全ての家が生まれた子の面倒を見られるということもなく、孤児院があるのならと、そこへ託す親もそれなりにいた。


 しかし、託して育ったら労働力として引き取ろうとしていた親は、あてが外れることになる。

アンジェリカたちによって孤児院の子供たちは、読み書き、計算、礼儀作法を教えられ、そういったことが出来れば就ける仕事を選んだため、農家に戻ることはなかったのだ。


 託したからと放置せずに、頻繁に会いに来ていた親の元へと戻った子もいるが、戻るよりも稼いで仕送りをすることを選んだ子もいた。


 冬場は北の大地ほど厳しいということもないが、それでも採れる農作物は減るので、アンジェリカの母親は、保存食を作ることにした。

孤児院の子供が増えたこともあって、冬を越すための食料が足りなくなるかもしれないと思ったからだ。


 アンジェリカの母親は、用意してある樽の数々を指さし、葉物野菜を塩漬けに、根野菜を酢漬けに、ジャムや干し果物も作ると言い、それを聞いたアンジェリカは目を丸くした。


 「お母さん、そんなに作れるかしら?」

「大丈夫よ。精霊に頼んでザバっと洗ってもらって、ザクっと刻んでもらうだけだもの。でも、樽に入れながら塩や酢を入れるのは、私とアンジェリカの仕事よ」

「えっ、精霊に頼むのですか?」

「そうよ。こんな大量の野菜を人の手で洗って刻んでいては、いつまで経っても終わらないじゃない」

「そ、そうですか。えっと、分量とかは?計量道具を持って来なくては……」

「あら、大丈夫よ、アンジェリカ。慣れてるから目分量でイケるわよ。そこは任せなさい」

「目分量なの!?……お母さん、すごい」


 こうしてアンジェリカは、母親と共に毎年、保存食を作ることになった。

大変な作業であったが、それがまた楽しくもあったのだ。


 そのうち数年も経てば、子供たちも手伝ってくれるようになり、ワイワイと騒がしく保存食を作るのが恒例となった。


 子供たちの笑い声や、たまに混ざる子供同士のケンカや、その結果の泣き声など、騒がしい日々をアンジェリカは過ごしていく。


 アンジェリカは、毎日祈りを捧げた。

皆が幸せでありますように、と。

 

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