最終話 サンカーミュテル神は、今日も見ている

 この世界を複製してから、どれだけの年月が経っただろうか。

たった2つの異なる世界の魂を放り込んだだけで、こうも世界が変わるとは思いもしなかった。


 世界に生まれ落ちたものには、あらかじめ決められた役割がある。

きこりにも商人にも、奴隷にだって役割はあるんだよ。


 だが、その役割という名の運命は変えることができる。

並大抵のことでは変えられないが、ちょっとした切っ掛けでいとも簡単に変わることだってあるのだから面白い。


 あの愚かな……、いや、やり直した魂には、ただひたすらに癒しを施す、というものが組み込まれており、ご褒美には、王子との愛し愛される幸せな結婚が待っていた。

 高位の癒しの精霊と契約したことで、第二王子の婚約者となり、そこから王妃が後援している治療院で癒しを施すことになる。

そうして、下位貴族という貴族としては少ない魔力で必死に癒しを施す彼女に、王子が心をうたれ、愛しく思うようになるのだ。


 だが、あのやり直した魂は、褒美を先に取ろうとした。

ひたすら癒しを施す役割を果たしていれば、自ずと妃という立場と王子の愛を得ることが出来ていたのに、周りの「王妃に相応しい」という心にもない声に惑わされ、それに固執してしまった。


 やり直した先でもそうだ。

治療院での奉仕活動をあのまま受け入れて、真面目に頑張っていれば、視察に訪れた王子に見初められたのだ。

 国王からの指示によって治療院での奉仕活動が決まったにもかかわらず、それを拒否するような言動を取り、あまつさえ王子の名を許可もなく勝手に略して呼ぶ娘に危機感を覚えた父親は、家を守るために早々に縁を切ることにした。

あのまま素直に治療院へ行っていれば、監視のために嫁がされることはなかっただろうに。


 コーンウェル伯爵と結婚していても、まだ王子との縁は切れていなかったのだから、自身の置かれた状況を嘆くのではなく、与えられた使命を果たしていれば、王子に見初められて、妃にはなれなかっただろうが、愛し愛される立場を手に入れられたのだ。

未成年で純潔を保っていたことを考慮すれば、側室になることは可能であったし、子をもうけることもできた。

 まあ、下位貴族の出身では、生まれた子を王位につけることは無理だっただろうがな。


 もととなった世界のアンジェリカは、拷問の末、はりつけとなったが、彼女がしたことは切っ掛けに過ぎず、いずれ戦争にはなっていたのだからと、アンジェリカ本人ではなく、薬品で髪を脱色し、目を潰した罪人を使う予定でいた。

しかし、それでは示しがつかないとして、父親であるアッシュフィールド公爵がそれを断り、刑が執行されたのだが、あまり痛みを感じないようにとアンジェリカの感覚は薬で鈍らせてあった。


 甘やかしてしまった自分たちにも責任があるとして、国王の側室は最奥の離宮に入り、私財の全てを戦争で傷ついた人たちへと施し、二度と表舞台に立つことはなく、アッシュフィールド公爵夫人は、前線に立った。

戦となれば狙われるのは、最終的に王族である。そのため、王太子の弟である夫と王位継承権を持つ息子アルジャーノンが逃げる時間を稼ぐために、鬼神ハンフリーと共に前線に立ったのだ。


 そのことでアッシュフィールド公爵夫人ディアナローズは、片目と片腕を失ったが、生きて夫の元へと帰還し、夫であるアッシュフィールド公爵は、「君が失った分、僕が強く……、強く君を抱きしめるよ」と言って、自分のもとへと帰ってきた勲章をズラリとぶら下げたディアナローズをきつく抱きしめたが、その傍らに鬼神ハンフリーの姿は、なかった。


 鬼神ハンフリーは、アッシュフィールド公爵夫人を生きて帰すために無茶をした結果、戦場にて散っていった。

その壮絶な戦いぶりは敵の戦意を削ぐほどで、それに乗じて戦線を押し返し、相手を撤退させるまでに至ったが、先陣を切って攻め込んでいたハンフリーは、その勢いのまま駆け抜け、命の炎を燃やし尽くした。


 長く続いた戦争は、20歳となった第二王子マクシミリアンが大精霊のひとつと契約を結んだことで、終わりを告げた。

王族の豊富な魔力量と大精霊が使える広域殲滅魔法を恐れての結果である。


 戦後の処理もあらかた終わり、アルジャーノンに嫡男が誕生したことで、アンドリューは母親の実家であるコーンウェル伯爵家へと養子に入って結婚した。

妻とは政略結婚であり、互いに歩み寄ることもなく、義務的な関係しか築けなかったのだが、それは、アンドリューに愛人がいたことにも原因はある。


 邸に雇い入れたメイドのルミナと愛人関係となり、そのルミナにこぢんまりとした可愛らしい家を与え、そのうちアンドリューもそこで暮らし始めたのだ。

邸へ帰らないアンドリューと妻との間に子が出来ないのは仕方がないが、愛人のルミナとの間にも子は出来なかったため、コーンウェル伯爵家は、アンドリューの代で終わりを迎えることになった。


 もとは暗部の仕事をしていたコーンウェル伯爵家であったが、その仕事はウルフスタン伯爵家へと移っており、アンドリューが養子に入ったときには、何の仕事もなかったため、アンドリューの生活費はコーンウェル伯爵家の貯蓄とアッシュフィールド公爵家から分け与えられた財産のみであった。

贅沢をしなければ苦もなく生活できるだけの資産はあったため、アンドリューは邸へ帰ることもなく、仕事をすることもなく、愛人のルミナと共にこぢんまりとした家で庭いじりをして穏やかな人生を送った。


 アンジェリカは、周りが見えておらず、誰とも縁を結べなかった。

異母兄であるアルジャーノンの後ろにいつも控えていたクリフォードの視線に気づくこともなく、誰にも愛されないと、心の奥底で叫んでいた彼女の周りには、愛が溢れていたのに。とても、そう、とても大きい愛が。逆に大き過ぎて見えなかったのかもしれないが。


 クリフォードは、アンジェリカが刑に処される前に髪を一房切って貰い、それをいつも懐へと忍ばせて大事にしており、一人でいるときはそれを撫でては、アンジェリカを思い出していた。

それをたまたま見かけてしまったアルジャーノンは、その行動をちょっと気持ち悪いと思っていたが、口や態度には出さなかった。

 

 代理母生まれとはいえ、公爵家令嬢であったアンジェリカと婚姻を結ぶには、クリフォードの地位は足りなかった。

他国の王家へ側室として輿入れさせる予定になっていたアンジェリカを手にするには、他国の王家との縁よりも自身との婚姻の方が有益であると示さなければならなかったからである。


 その有益性を示すことが出来ず、アルジャーノンの側近として控えているしかなかったクリフォードは、生涯にわたってアルジャーノンに尽くしたが、結婚することはなかった。


 もととなった世界では、未だに獣人は魔法が使えないままである。

しかし、魔法は放てなくとも魔道具は使えるため、その魔道具を使った兵器を戦争に用いたのだが、道具というものは使えば消耗し、いずれは使い物にならなくなる。


 ティグルム王国国王のアーヴァインは、己の身体能力のみで戦場に出ており、魔道具は防御主体で非戦闘員に配っていたため、戦後の立て直しは獣人が住まう国の中では一番早かった。

生涯を奴隷の解放に捧げたアーヴァインは、本人の咎や責で奴隷になったのではなく、理不尽に狩られて奴隷になったものがいなくなることに苦心したが、時が経つにつれて、その対象が獣人だけではなく、全ての人に対して向けられることになったため、ティグルム王国は、世界で一番安全だとまで言われるようになった。



 もととなった世界が落ち着いたので、しばらくは放っておいても大丈夫だろう。

というか、複製した方の世界から目を離せない。楽し過ぎて。



 複製された世界では、ハンフリーがベッドで穏やかに眠るように逝った。

その彼の指を幼い小さな手が握り込んでいたのだが、片方の手には、アンジーがクリフォードとの間にもうけた男の子が、もう片方の手にはアルジャーノンが妻ジョゼフィーヌとの間にもうけた男の子と女の子が指を握っていた。


 アンジーは、出産の際に命の危機に瀕したが、契約していた精霊王の妃がそばにいたことで難を逃れた。

寿命ではないのだが、命の危険はあった。それは、もととなった世界のアンジェリカがはりつけにされたのと同じ日であった。


 アンドリューは、マダムのペットになっていたが、そのマダムが亡くなった後にルミナという名の女性と結婚して、幸せな家庭を築いた。

ルミナはマダムの家でメイドをしていた下位貴族の女性で、魔力があまり高くなかったことと、精霊と契約を果たせなかったことから、貴族との婚姻は無理だろうと、メイドとして働いていたのだ。


 アンドリューは結婚する頃には歪んだ性格も落ち着き、憑き物が取れたように穏やかになっていたが、貴族としての能力は皆無であったため、アッシュフィールド公爵家にもコーンウェル伯爵家にも行くことはなく、マダムの実家から誘われて妻のルミナと共に移り、そこで庭師となった。

子をもうけることは出来なくなっていたが、それでも愛する妻と共に温かく穏やかな人生を送っている。


 縁もあらかじめ組み込まれているが、それを結ぶか、広げていくかは、本人次第だ。


 そして、複製された世界のクリフォードは、アンジーから髪を一房貰っているのだが、それを自身で綺麗に編み込んで紐状にし、ネックレスのように首から下げている。

婿入りした夫に妻が浮気防止につけさせることは稀にあるのだが、それを自ら望んで嬉々としてつける者は、滅多にいない。


 その様子をニマニマしながら見ていると、魂の管理者ミータヘルマが疲れた様子で声をかけてきた。


 「また、覗いているのですか。サンカーミュテルも飽きませんね」

「ああ、ミータヘルマ。飽きないねぇ。いやー、面白い。ハンフリーが亡くなって、ありったけの水分を放出したんじゃってほど泣くアンジーを嫉妬で燃えるクリフが昼夜を問わずの営みでベッドの住人にしちゃったよ。ああ、安心して良いよ。行為そのものは覗いてないから」

「はぁ……。戻ってきた魂が輪廻へと還り、即座に戻ってしまいましたよ。あなた、何かしませんでした?あれでは、洗浄が不十分で、記憶が残ってしまうのですが」

「いやいや、何故に私のせいだと思う!?私は、何もしていないよ!!……え?何の魂がどこに行ったの?」

「鬼神ハンフリーであった魂が、アンジーのお腹に宿りましたよ。記憶が残っていれば、周りが気付くでしょうし、そうなればアンジーは大歓喜でしょうね。もちろんアルジャーノンも。もしかしたら、自身の子と婚姻させるかもしれませんね」

「ぶはっ!!あはははは!!アンジー、どれだけハンフリー好きなんだよ!!」

「まあ、これでクリフォードがハンフリーに嫉妬することはないでしょう。何せ女の子として生まれるようですからね」

「え?」

「鬼神ハンフリーとしての知識を持った女の子の誕生です」


 ものすごくいい笑顔で言い放ったミータヘルマは、表情を真剣なものに変えると、とある報告をしてきた。


 自身の愚かさが招いた結果ではあるか、魔神の世界に侵攻したあの愚かな女神が消滅した。


 自分が管理している世界の資源が枯渇してきたからと、魔神が持つ世界の一つへと道を繋げて、侵攻を開始して、資源を奪おうとしたのだが、愚かな女神が世界を1個しか持っていなかったのに比べて、魔神はいくつも持っている。

つまり、その分、力は及ばない。いくつもあるのだから、1個くらいはいいだろう、1個くらい資源が減っていても分からないだろうと、安易な考えで及んだ愚行だが、魔神はいくつも持っているかもしれないが、その世界に住むもの達には、その世界しかないのだ。


 他の星から優秀な子供を拉致して魔神が持つ世界の一つを手に入れようとしたのだろうが、その子供たちは優秀過ぎた。


 前世のアンジーが、買ってきた品を道路にぶちまけた際に声をかけてきた少女は、全国模試とやらで他の追随を許さず常に一位の座に君臨しており、普段は、暇潰しにアプリゲームというものを作って・・・遊んでいた。


 あのとき一緒にいた他の少年少女たちも似たり寄ったりで、彼ら彼女らの話す内容は専門家でもなければ分からないこともしばしであったようだ。


 そんな子供たちは、いくら神の域にいるとはいえ愚かな女神程度であれば、その考えを推察したり迷宮からの侵攻の原因を探ったりすることなど可能であったらしく、魔界からの侵攻が実は、侵攻なのではなく応戦や反撃であったことに気づいた。

そこからは速かった。魔界に住むもの達の言語を早々に理解した少女によって、自分たちが異世界から召喚されたことなど、こちらの現状を魔界のもの達に話し、打倒女神を掲げて、魔神の協力のもと打ち倒してしまった。


 ゆるやかに2つの世界は融合を始めているが、今はまだ迷宮を介してしか行き来できていない。

それでも、利に聡い商人たちは迷宮へと資源や魔界の品を求めて通い、魔界との架け橋になりつつあるという。


 「どうやら魔神が、あの少女を気に入ってしまったようでしてね。融合しつつある世界を彼女に与えるそうですよ。羽虫を始末したご褒美としてね」

「羽虫……。まあ、魔神からすれば、その程度だったんだろうね。つまり、遊んでいたのか」

「そういうことです。お気に入りを見つけて、お片付けに入ったと見ていいでしょうね」


 愚かな女神……、いや、今となっては憐れな女神か。

あの女神が世界を得られたのも魔神が関わっていた。


 元はと言えば、魔神が管理していた世界の一つを女神に覚られないようにして与えていたのだ。

大きく育ってから奪うために。


 そして、また魔神は世界を一つ、お気に入りに与えた。

優秀であれば優秀であるほど、その者が増長して、周りが見えなくなり、自滅していく様を見ることを楽しんでいる。


 関わりたくないから、他の神々も静観しているのだ。

触らぬ神に祟りなし、と。


 「ちょっと。何で、腕をさすっているのかな?ミータヘルマ君?」

「いえ、あまりにも寒かったものですから」

「うぐっ……。うまいこと言ったつもりだったんだけどなぁ。あっ!ちょっと見ない間に、どうなってるの!?アンジーの孫娘が女王になってるよ!!?」


 過去をうつす水鏡でミータヘルマが見たところによると、クリスタルラビリンス王国が同盟を結んでいた先、アンジーから言えば、曾祖母にあたる先代王妃の実家が王位を巡って、血で血を洗う争いに発展。

結局、誰も残らず、一番濃い血筋がクリスタルラビリンス王国王家の面々になってしまった、と。


 「母親は鬼神ハンフリーの知識と魂を持ったアンジーの娘で、父親はアルジャーノンの息子か」

「ついでに言いますと、女王となった彼女の魂は、愚かな女神が管轄していた世界の魂ではありますが、滅びた帝国の初代皇帝です。記憶はもちろんありませんけれど」

「うわぁ……。ははっ、益々この世界から目が離せないな。面白いことになりそうだ」

「さて、どうなるでしょうね。何せ、どこがどうなったのか、アンジーの噛み癖が移っているようですし」

「は?」


 アルジャーノン譲りの美貌、初代皇帝として生きた魂を持つことによる覇気、そして、口を開くと噛むので寡黙。

冷たい無表情の女王が、実は噛み癖ありの、小動物系だった?


 これは、アンジーが天寿をまっとうしても楽しいことが続きそうだね。

これだから、人の営みは面白いのさ。神の思いもよらないことが起きるのだから。



 ― おしまい ―

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