閑話 やり直したはずの者の末路
どこで、間違えたのでしょうか……。
いえ、もしかしたら、最初からかもしれないわ……。
わたくしが思い込んでいただけで……。
都合の良いことだけを鵜呑みにして、周りを何も見ていなかったのよ。
夫となったコーンウェル伯爵は、わたくしに優しくしてくれることも、笑いかけてくれることもなかった。
いえ、ある意味、笑顔は向けられていたわ。嘲笑という笑みだったけれど。
コーンウェル伯爵がアンジェリカの伯父だと聞かされて、最初は疑ったわ。
でも、影のある彼の深い青の瞳と目元はアンドリュー様を思わせるほど似ていて、それを否定したくても、次に告げられた言葉によってかき消されてしまった。
それは、わたくしではない、ということなのよね……?だって、既にコーンウェル伯爵と結婚してしまっているのだもの。さすがに、それはない……のよね。
コーンウェル伯爵がアンジェリカの伯父だということも、婚約発表が行われる会にて公表されるのだと、そして、そのときにわたくしが醜態を晒さないように、先に教えたのだと言われました。
アンジェリカのことも敬称をつけて呼ぶように言われ、罪人なのにどうして、と思いましたが、コーンウェル伯爵に夢で罪人となっていたからといって、現実で貶めて良いわけがないだろうと叱られてしまったわ。
そして、コーンウェル伯爵から告げられた残酷な知らせ。
それは、わたくしが受けていた妃教育が、妃になるためのものではなかった、というのです。
教えられていた
そんなはずはありませんわ。
わたくしは、妃に相応しいと周囲に言われ続けていたのですから、重要な
ですから、わたくしは婚約発表の会にて、王家のどなたかに尋ねようと思いました。
ここで声を荒らげてわたくしの思いを主張すれば、コーンウェル伯爵は婚約発表の会には連れて行ってくれないかもしれないので、それまでは大人しくしていようと、今置かれている状況を受け入れたように振る舞いました。
コーンウェル伯爵にエスコートされて会場に足を踏み入れると、同じような年頃の令嬢たちから嘲るような視線を向けられました。
予知夢を見られると周囲からチヤホヤされていたことをあの令嬢たちは、いつも面白くなさそうに見ていましたから、今のわたくしが置かれている状況が嬉しくて仕方がないのでしょう。
婚約発表が行われ、あの場に立っていたのはわたくしなのに……と、その思いをひた隠しにして笑顔を貼り付けてコーンウェル伯爵の隣に控えていると、「その引きつった笑みをどうにかしろ。そんな顔をするくらいなら、無表情の方が何倍もマシだ」と言われました。
妃教育で培った淑女の微笑みを引きつった笑みだなんて酷すぎると、泣きたくなったわたくしは、足早にその場を離れて庭へと出ました。
静かに涙を拭っていると、誰かが近付いてきた足音がしました。
そちらに目を向けると、アルジャーノン様のお父様であるアッシュフィールド公爵様がおられました。
アルジャーノン様も今回の婚約発表にて婚約者が公表されたので、もしかしたら、アンドリュー様とのお話を持ってきてくれたのではないかと、静かに言葉を待ちました。
「気色の悪い子だね。僕に何を期待して、そのような喜色満面な顔をしているのか理解できないよ。君に言っておきたいことがあってね。随分と僕の娘を貶める発言をしているそうじゃないか。娘と面識はないだろう?予知夢で見たか知らないけど、うちの子は紛れもなく正真正銘、竜騎士の花嫁で、精霊王様のお妃様と契約を果たした素晴らしい娘だよ」
「えっ……、なにを……」
「予知夢でそうだったからといって、現実でもそうだとは限らないと言ってるんだよ。先程の婚約発表の場でも、自分を律することも取り繕うことも出来ずして、何が妃に相応しいだ。妃教育を馬鹿にするのも大概にしてくれ。僕が王太子殿下の弟ということで、妻も妃教育を受けているんだよ。そんなみっともない醜態を晒すような生易しいものではないんだよ、妃教育というものは!」
アッシュフィールド公爵様に言われたことが辛くて悲しくて、唇を噛み締めると、「そうやってすぐに態度に出す時点で妃に相応しいどころか、貴族としての教育も満足に出来ていないじゃないか」と吐き捨てるように言われ、余計に悲しくなって涙が溢れてきました。
それでも、これだけはどうしてもお聞きしたいと、
わたくしが教えられた「西の噴水」は、本当に囮のために使われるものなのか、と。
「……避難経路?予知夢とやらでは避難経路だと、教えられたのか?本当に?何と言って教えられたのか、正確に言ってみろ」
「避難……する、ためのもの、だと。そう、教え……られた、のですが。違うの……?」
「僕は、正確に答えろと言ってるんだよ。話をちゃんと聞いてたか?避難経路だと、言われたのか、何と言われたのか、ちゃんと正確に答えろ!」
「っ……。ひ、避難するための逃走……?逃走経路だと、そう言っていました……」
「ハッ、やっぱりね。いいか、よく聞け。
忌々しいとばかりにわたくしを睨みつけるアッシュフィールド公爵様は、奥様のことを話されたときだけ、とても優しく愛おしいと言わんばかりの表情をされました。
わたくしは、そのような顔を向けられたことがないことに愕然といたしました。
今まで、どなたからも、そのようなお顔を向けられたことがなかったのです。
前の人生で
わたくしが、アンジェリカは罪人だと、彼女がいると戦争になるのだと、そう言って今の人生の彼女をありのまま見ることをしなかったのは、きっと羨ましかったからなのかもしれません。
前の人生で、城の図書館で読んだ竜騎士の花嫁を題材にした絵本。
自分の産んだ娘がなるかもしれないと、そう夢見ていたものにアンジェリカが5歳でなったと知って、わたくしは嫉妬したのね。
真の愛を捧げられたことに、それを捧げてくれる異性が既にいたことに、わたくしには、そんな人は現れなかったというのに、と……。
わたくしは、アンジェリカが竜騎士の花嫁となったことを受け入れたくなかったから、無意識にそれが嘘だと思い込もうとしたのかもしれないわ。
そして、降精霊祭にてアッシュフィールド公爵夫妻に愛されている彼女を見て更に嫉妬して……。
そうだったわ……。
わたくしが王妃に相応しいと、そう言ってくれていたのは、ジェレマイア殿下派と呼ばれる派閥の方々ばかりで、それに、妃教育を始めるときに言われたじゃないの。高位の貴族が周りにいても見劣りしないような立ち居振る舞いを身につけてもらいます、と。まずは、それが出来るようになってからです、と。どうして……、忘れていたのかしらね。
結局、何のためのやり直しだったのかしら……。
それならば、わたくしは何をするべきだったの?何のためにやり直したの?
神様に愛されているからやり直せたのだと、そう思っていたけれど、違うの?
前の人生は、最初は夢かと思うほど幸せな日々だったけれど、最後は何のために生きているのか分からなかった。
やり直せた今、みんな、みんな、幸せそうにしている。わたくしを除いて……。
絶望感が襲いかかって来る中、アッシュフィールド公爵様は何事かを告げて去って行かれましたが、それに反応することが出来ず、ただ、ただ、茫然と見送るしか出来なかったわたくしをそばに控えていた付き人が無理矢理、身体を押さえつけてきました。
あまりの痛さに呻き声をあげると、「公爵閣下に無礼ですよ。形だけでも礼を取ってください。本当に手がかかる」と忌々しそうに言われました。
そうして付き人から、「旦那様から、あなたが醜態を晒すようであれば、先に連れ帰っていろと言付かっておりますので、戻りますよ」と、引きずられるようにして引き車まで連れて行かれ、邸へと帰らされてしまいました。
あてがわれている部屋で絶望感に打ちひしがれていると、旦那様が呼んでいると、コーンウェル伯爵の執務室へと連れて行かれたのですが、コーンウェル伯爵はわたくしを視界に入れた途端、「まだ着替えていなかったのか!?帰宅してからどれだけの時間が経っていると思っているんだ!!ドレスを管理する者のことも考えられんのか、貴様は!!」と怒鳴れてしまった。
そういえば、シワになったドレスをキレイにするのは大変で、とても時間のかかる作業なのだと聞いたことがあるわ。
わたくしの実家にはドレスを管理する専任の者がおらず、上位の貴族へ侍女やメイドとして入るためにも自分で出来るようにならなければいけないのだと、お母様が言っていたわ。お嫁に行けるか分からないのだから、ドレスの管理をできるようになっていなければと、10歳を過ぎたら教えると言われていたけれど、もうそんな必要もないのね。
そんなどうでも良いことを考えていると、コーンウェル伯爵から信じられないことを言われ、耳を疑いました。
「今……、なんと……?」
「はぁ……、お前と何度も話なんぞしたくもないっ。部屋に戻って側仕えに聞け!」
アンジェリカの産んだ子がこのコーンウェル伯爵家を継ぐと聞かされて茫然とするわたくしは、追い立てられるようにして執務室をあとにし、部屋へ戻ると側仕えから「本当に聞いておられなかったのですか?」と、蔑むような視線を向けられたのですが、どうしてわたくしがこんな目に遭わなければいけないのでしょう……。
「わたくしが……、何をしたというの……?なぜ、このような目に遭わなければ……、酷いわ」
「酷いのは、あなた様の頭の中ですよ。予知夢で見たからと竜騎士の花嫁様を罪人扱いし、あまつさえ呼び捨てにし、王子様方の御名前を略されて呼ばれたとか。神経を疑いますね。それと、何をしたと仰られましたが、大変なことを仕出かしたことをご存知ないのですか?」
「大変なこと、ですって?わたくしは、そのようなことはしておりませんわ。起こる難から民を救いはしましたが、大変なことなど……」
「それですよ、それ!予知夢で見たのか知りませんが、事前に起こることを周りに教えて感謝され、いい気になっていましたよねぇ?ですが、起こるはずだった難は人為的に起こされる予定のもので、自然発生ではなかったんですよ。この意味、分かりますぅ?そして、あなた様が教えた相手とは、国王陛下と王妃殿下が勢力を削ごうとしていた自称第一王子殿下派なのですよ!綿密に計算し、何年もかけてご苦労を重ね進めていた計画が、あなた様のせいで台無しですよ!」
「そん……なっ!?あれが人為的なものだったというの!?民のことを何も考えていないわ、酷いっ!!」
「ふんっ、酷いのは、あなた様の頭の中だと申し上げておりますよね?その予知夢とやらで人的被害があったのですか?そのあとの対応は?」
確かに前の人生で起きた災害は大規模なものではありませんでしたし、周辺の領主たちが支援したのでそれほど困窮する事態にはならなかったと聞き及んでおりましたが、それでも、起こらないならその方が良いに決まってるわ。
「小さな災害を起こすことで、周辺の領主、つまり第二王子殿下派の貴族たちが支援して、自称第一王子殿下派の首根っこを押え付ける計画だったのですよ。きちんと民に被害が行かないよう計算されたもので、それをあなた様が台無しにしたのですよ。でも、まあ、竜騎士の花嫁様が精霊王様のお妃様と契約なされたことで、自称第一王子殿下派は手を出してくることは出来なくなりましたけれどね」
「そんな……、知らな……、わたくしは知らなかったんだもの!」
「知らなければ何をしても良いと?まあ、何を言ったところであなた様の待遇は変わりませんけれどね。民のためにその癒しの力を存分に使われることです。このコーンウェル伯爵家は、竜騎士の花嫁様がお産みになられたお子様が継がれますので、何の心配もいりませんよ」
「アンジェリカの子が継ぐのなら、どうしてわたくしはここへ嫁がされたのですか!?わたくしを家へ帰して!!結婚していなければ、わたくしが妃となっていたのに……っ」
「……そんなに、ここでの生活が嫌ですか?そんなに、家へ戻りたいのですか?」
「ええ、お願いよ、家に帰して……」
わたくしの切なる願いに、側仕えは帰宅の準備をしてくれました。
コーンウェル伯爵家で用意されたものは持ち出せず、実家から持ってきたものだけを詰め込まれてしまいましたが、妃になればあの程度の品はすぐに手に入るので惜しくもありません。
そうして、家へと帰ってきたわたくしを家族は青ざめた表情で見つめてきましたが、そうよね。嫁いだ10歳の娘が何の連絡もなしに帰ってきたのですから、余程酷い目にあったと分かるはずだもの。
「うちの娘は……、な、何か、粗相を……?」
「粗相も何も、何度言っても竜騎士の花嫁様を呼び捨てにされますし、未だに自身が妃になれると思っているようです。そして、コーンウェル伯爵家にはいたくないから帰してくれ、と」
「あぁ……、なんてこと……。わたくしの育て方が間違っていたのだわ。何がいけなかったの……?」
「お前のせいではない。予知夢とやらで周りが見えなくなっているアレ自身がいけないのだ。お前は、よくやってくれている。心配せずとも、良い妻であり、良き母だと私は思っているよ」
お母様が震える手を握りしめて涙を堪え、それをお父様が優しく慰めてあげているけれど、わたくしにはそんなふうに優しくしてくれたことなどなかったのに……。
それに、アレって、わたくしのことよね……?どうして、そのような言い方をするの?酷いわ。
コーンウェル伯爵がわたくしの側仕えにと寄越した女性が、「こちらが離縁状になります。サインをいただければ、あとの手続きはこちらでしておきます」と言い、父がサインをしたら、さっさと帰ってしまった。
そして、翌日、わたくしは質素な服に着替えさせられて神殿へと連れて行かれ、そこで名を捨てさせられました。
これからは神に仕える身として神官となり、神殿で生活をしなければならず、王妃殿下が後援されている治療院にて無償で癒しを施すのだと言われたのです。
治療院での奉仕活動が終わると神殿の迎えが来て、そちらへ帰ることになるのですが、身の回りの品は寄付から購入されるため最低限しか用意してもらえず、食事なども寄付で賄っているためとても質素で、甘いものはたまに寄付される中にあるそうですが、それも全員で分けるため、ほんの一欠片でも口に出来れば良い方だと言われました。
無償でひたすら癒しを施すだけの日々。
これでは、やり直す前の人生とそれほど変わらないわ……。
それならば、何故わたくしはやり直しているの?
こんなことになるくらいならば、コーンウェル伯爵家にいれば良かった。
そうすれば毎日甘いものを食べることも、綺麗で可愛らしい装いで着飾ることも出来たのに。今頃は、優雅にお茶の時間を楽しんでいられたのに……、どうしてっ!!
家に戻りたいと言うと食事を抜かれるの。
神様に仕える栄誉をいただいているのに、俗世に戻りたいとは何事か、と。そのようなことを口にする者に、神様からのいただきものを施してやる必要はない、と。
何度も家に帰してと言うわたくしには、僅かな甘いものでさえも与えられなくなってしまったわ。
周囲からのご好意によって生かされているのに、それへの感謝もなく、不満しか口にしない者には生きるために必要ではない甘味など与える必要はない、と。
お願いよ……、神様……。
今度は、今度こそ、間違えたりしないから。
わたくしに機会を……。
お願いします、癒しを施すだけの日々なんて、無理よ。
お願い、やり直させて……。
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