第3話

「それは……アリバイ作りとか」

「アリバイだあ?」

 煙を吐き出すのに合わせて、高本の言葉を繰り返す安藤。車内の紫煙濃度が一挙に高まったように思えた。

「一体、どんなアリバイが成り立つと言うんだ? 聞かせてみろ」

「詳しくは分かりませんが、要するに、安藤さんは加納朱美を追っている訳で、この二週間、その加納に依頼人が全く近付かなかったのは、安藤さん自身が請け合うでしょう?」

「そりゃそうだ」

「だが、実際は依頼人が加納を殺害していたとしたら……これ以上のアリバイはありませんよ」

「馬鹿な。依頼人に加納を殺すチャンスはなかった」

「そこは、想像もつかないトリックが使われたと考えれば――」

「刑事がトリックなんて言葉、吐くんじゃねえよ」

 高本を小突いた安藤は、不機嫌そうに唇を曲げ、その隙間に押し込むようにして煙草をくわえた。

「偽アリバイを作った方法ってのを、ちゃんと示してみろ。そうしたら、ちっとはまともに取り合ってやらあ」

「すんません。休みを満足に取れなかった分、疲れてるようでして……、顔を出したがらない依頼人というのが、何故か気になってしまう……」

「考えすぎると、ますます休めんぞ。表に出たがらない依頼人なんぞ、別に珍しくもないさね。この仕事をやるようになって、ようく分かった。これまでに、いくらでもおったもんだ」

 これでこの話は終わりと宣言するかのごとく、安藤は短くなった煙草を、備え付けの吸殻入れに押しつけた。白い煙がねじれながら、昇っていく。

「加納朱美の家族の者は、どんな反応をしてんですか」

「娘が失踪状態なのを、まだ知らんはずだ。両親は、新潟の農村にいるそうだがな。俺は連絡してないし、連絡先も聞いておらん。依頼人もまだ言ってないような口ぶりだった」

「まさか、その新潟の実家にいる、なんてことはないでしょうねえ」

「だから、生田の別荘に入ったきり、出て来てねえんだ。何度も言わせるな」

「そこを何らかのトリ」

 自ら気付き、慌てて口を閉ざす高本。そんなかつての後輩を、安藤はじろりとにらんで、「鳥がどうしたって?」と言った。

 何も答えずにいる高本に、安藤は言葉を連ねた。

「おまえ、変わったんじゃねえか? 俺の知ってる高本は、もっと刑事らしい刑事だったぞ。それが今や、トリックトリック。推理小説にかぶれたか?」

「あ、いえ……実は、息子の影響でして」

 頭を掻きつつ、照れ笑いをする高本。

「たまに一家団欒を楽しめるときなんかは、当然、テレビをつけましてね。息子は小一なんですが、ご多分に漏れず、テレビアニメが好きで。それも、私立探偵の出て来る推理アニメが。観ないと学校で仲間外れにされかねないほどの人気番組で、毎週欠かさず観てるようです。俺もときどきそういうのを観てる訳ですから、だいぶ感化されちまったようです」

「はん、話が長い。子供がかわいいのは分かるが、だらだら喋るんじゃねえ」

 辟易した風に眉を寄せ、口はへの字の安藤。突然、その両眼を険しくした。

「生田の野郎、動いた」

「まじっすか?」

 安藤の見据える先に、高本も目を向ける。月はおろか、星も大して出ていない曇天の夜故、分かりにくい。しかし、人影だけは認視できた。別荘の勝手口近辺を、うろうろしている。生田当人に違いない。

 高本は一瞬だけ、時計に視線を飛ばす。

「時刻――案外早いな。午後七時五分」

「近所が飯食ってる隙にって寸法かもしれんな」

「大荷物でも持ってます? 俺からはよく見えなくて……」

「若いくせに、俺の方が視力がいいのか。だらしないな」

「こう暗くて距離があると、にっちもさっちもいきません」

「生田はたった今、庭の方に回った。ここからは見えねえ。だが、その裏手は森だ。入り込む道もないから、心配いらん」

「飛び出す準備、しときますかね」

「おお。――あ、こっちに出て来たな。どうするつもりだ」

 言葉の通り、生田が庭から表に回って、ごみ袋らしき物を手に、うつむき加減にぶらぶら歩いている。

「もしや、あの中に……?」

 高本は皆まで言わずにおき、安藤の思考を探るべく、運転席へと向いた。

 安藤はハンドルにかぶりつくようにして、少々離れた場所で展開される情景を凝視していたが、やがて首を捻った。

「あまりにも軽々と持っとる。最悪、切断した死体の一部が入っているとしても、ちょいと軽すぎるようだ。気に入らん」

「安藤さん、死体とは限りませんよ。もしかすると、加納朱美の私物をまとめて入れ、処分するつもりだとも考えられる」

「おおっ。そうだな」

 高本の言い方がまずかったのだろうか。落胆した風だった安藤は、突如元気になり、自ら車を飛び出していってしまった。この瞬間を逃すとチャンスはない、という思いが大胆な行動に走らせたに違いない。だが、冷静さを欠いた行動でもある。たとえば、単なる生活ごみを捨てに出ただけという可能性も、考慮に入れなければいけない。現役の頃なら、こんな無茶はしない人だったのに……高本は驚くと同時に、寂しさも感じていた。

 今から追いかけても間に合わないのは、分かっていた。高本はともかく車外に出て、「安藤さん!」と叫んだ。

 安藤は年齢の割に足が速く、すでに別荘の目前まで達していた。当然、生田も気付いたろう。高本が自動車の運転席側ドアを開け、ライトを灯すと、別荘とその前で立ち尽くす生田の姿を捕らえることができた。

「生田! 袋の中身を見せろ!」

 安藤の怒鳴り声が聞こえた。高本は狼狽気味に、あとを追った。安藤はすっかり現役時代に戻った気でいるようだが、一私人が現行犯相手でもなく、また決定的な証拠を見つけてもいないのに、あんな強制的に捜査しようとするなんて、許されない。トラブルの元だ。

 高本は、己の立場を心配しつつも、駆けつけた。

 生田の手から袋を奪った安藤が、腰を折り曲げ、中を漁っている。まだ乾燥しきっていない地面に転がり出たのは、紛れもなく生活ごみばかりだった。

「どういうことだ?」

 安藤は怒ったように吠え、野獣が得物に飛びかかる目つきで、生田をにらんだ。生田も負けずに、警戒する視線を差し向け、「どういうことだとは、こっちの台詞だ」と幾分迫力不足ながらも、言い返す。三秒ほどの静寂ができ、高本はそこへ割り込んだ。

「あ、すいません。私の叔父でして」

 身分は告げず、後頭部に片手をやったポーズで、生田にぺこぺこ頭を下げる。

「な、何だね、あなたは……」

「ちょっと、お耳を拝借できますか」

 安藤の動きに意識を向けながら、高本は生田に小声で嘘の説明を始めた。

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