第2話

「多分、インターネットで事足れりとしてるんでしょうね。原稿だって、メールかファックスで送ればいい訳だし」

「ああ、くそっ。そのインターネットとかメールとかいうのを聞くと、じんましんが出る気がする」

 言いながら、安藤は実際に首筋をぼりぼり掻く。高本は息をつき、「すみません」と謝っておいた。

「かまわん。何となく、いらいらするだけだ」

「携帯電話は使いこなされているのに、コンピュータの方はだめですか」

「携帯電話は、刑事やってるときに何遍か持たされたからな。嫌でも慣れちまったよ。必要が生じれば、俺だってパソコンぐらい、使えると思うんだが……。話が逸れたな。俺が見張り始めてからこっち、郵便屋以外の訪問者はない。確かに、俺も不眠不休という訳にはいかんから、知らない内に来た可能性は否定しきれないが、見ろ、周りを」

 窓外を親指で示す安藤。高本は一瞥をくれたあと、先輩の顔に視線を戻した。

「ぬかるんでるだろ」

「はあ」

「降ったり止んだりした雨のおかげで、ここいらはずーっと、泥遊び状態なんだ。お日さんが長くは顔を出さないから、ちっとも乾かない」

「何者かが行き来すれば、足跡なりタイヤ痕なりが、地面に残るはずだと?」

「そうだ。俺や生田自身の足跡、郵便屋のバイクの他には、目立つ痕跡はなかった。実質的に、誰も来ていないと見て問題なかろう」

「宅配や何かの料金徴収も来なかったと。要するに、出入りしたのは、生田本人と加納朱美という女だけなんですね。それで、女の姿が消えた……怪しむに足る状況ではありますね」

「だが、それだけだ。踏み込むほどの証拠がない」

「電話してみればどうです? 安藤さんに依頼した人なら、生田の電話番号を知ってるでしょう。そして、加納の友人だとか何だか名乗って、彼女を電話口に出してくれと頼む」

「なるほどな。だが、加納の知り合いと名乗るのは、どうかな。警戒させるかもしれん。何故、加納のことを知っているのだ?となる」

「しかし、そうでもしないと、加納朱美を出してくれという口実が」

「いきなり加納の名をぶつけるのは、いかにもまずい。踏み込むのと変わらん」

「では、どうします? この程度の情況証拠じゃ、俺が戻って報告しても、動きやしませんよ。安藤さんに言っても、釈迦に説法になってしまいますがね」

「おまえ、宅配屋に化けて、探ってくれんか」

 唐突な話に面食らった高本だが、意図はすぐに飲み込めた。

(なるほど、宅配便を装えば、加納朱美の名を出しても、高本自身が怪しまれる心配はほとんどない。宛名に加納と記してあるのだと示せば、生田も――彼にやましいところがあるとして――訝しみこそすれ、目の前の配達員を疑いはしまい。それどころか、揺さぶりを掛けられる。なかなか、まっとうな手段だ)

「かまいませんが、このなりで行く訳にいきません。色々と準備が必要です」

 高本は自らのコート姿を眺め下ろし、言った。

「配達員のユニフォームなら、何とか借り出せると思いますが……そうしたって、実行できるのは明日以降になりますね」

「かまわん。やってくれるな?」

「いや、それならですね。我々が生田の別荘宛に、何でもいいから宅配便で送り付けた方が、手っ取り早くありませんか? あっ、別に宅配じゃなく、郵便でもかまわないか。近くに郵便局か、宅配を扱う店ぐらい、あるでしょう。とにかく、本職に届けさせて、そのときの反応をこっそり窺うんですよ」

「……それもそうだな」

 自嘲気味に苦笑いを浮かべると、安藤は自らの額を叩いた。


「はい? もしもし」

「俺だ。安藤だ」

「ああ、首尾はどうなってます? 昨日の今日で、もう届けられましたか?」

「奴さん、怪訝な顔をしながらも、受け取った。それで、どうしても気になったもんだから、配達員のにいちゃんをつかまえて、話を聞いたんだ」

「え? そんなことして大丈夫ですか」

「生田の別荘からだいぶ離れてたんで心配ない。生田は『これと同じ名前の女性なら知り合いにいる。一応、預かっておこう』と言って、受け取ったらしい」

「ははーん、微妙な言い回しだなあ。少なくとも、加納朱美と面識があることは、認めたと言えますね」

「まあな。前進には違いない。しかし、俺も二週間ここにいて、目立ち始めたような気がする。そろそろ、次の手を打たんといかん。家宅捜査をできんか」

「生田が女を殺害したと匂わせる何かがあればできますが、現状では……」

「ならば……。生田が郵便に動揺して、今晩――真夜中辺り、行動を起こすかもしれない。それを挙動不審として捕らえてくれ」

「うーん。確実性がありませんが、俺もどうにか暇だから、行けなくはないですよ。安藤さん、俺も今や家族持ちなんで。手柄の他にも、何か埋め合わせを」

「分かった分かった。それについちゃあ、考えておく。とにかく来てくれ。なるべく早くだぞ。それに、目立たぬようにだ」

「昨日と同じようにしますよ。任せておいてください」


「ここに来るまでの間、考えていたんですが」

 安藤の車に乗り込むと、高本は差し入れの買い物袋を渡してから、意見を述べ始めた。自らも熱い缶コーヒーを一本、手の平で転がす。

「依頼人に報告ついでに頼んで、あの別荘に乗り込んでもらえないんですか。そうすれば、中の様子が多少分かる」

「依頼人は、顔を出すのを嫌っているんだ。ここだけの話だが、誇り高いというか見栄っ張りな男でな。加納の浮気相手に嫉妬したことは言うまでもなく、女の行動に疑惑を向けたことさえ、表面に出したくないようだ。まあ、その心情は理解できるが、ひょっとしたら女が殺されたかもしれないという状況で、まだ自分の姿勢を取り繕うのは、いただけねえな」

 依頼された意識が薄れつつあるのか、安藤はため息混じりに言い、首をすくめた。缶コーヒーの口から立ち昇る湯気が、外の闇をバックに白く映える。

「ぼちぼち、天候が回復に向かうようですね。天気予報で言ってましたよ」

「そうだな。今夜か、遅くとも明日中に動いてもらわんと、見張りを続けるのがいよいよ厳しくなる」

「……依頼人は、加納朱美が死んだんだとしたら、悲しむんですかね」

「表情には出さないだろう」

「いえ、俺が言いたいのは、もっと積極的な意味でして。依頼人はとうの昔に加納朱美の浮気に気付いており、殺意を持っていたとは考えられませんかね」

「ほほう、随分、突飛な考えだな。なら、加納朱美が死んだとしたら、それは生田ではなく、依頼人の仕業と言いたいんだな」

 火を着けた煙草を摘んだまま、指差してくる安藤。灰皿は、先ほど空けたばかりの缶コーヒーだ。高本は即答した。

「そうなります」

「ふん。仮にそうだとしても、妙なことがたくさん出て来るぞ。特に、元刑事の俺に尾行を頼んできたのは、おかしくねえか」

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