なくした物を取り戻すため

小石原淳

第1話

 車中、暖房を切ったままでいるには、少々厳しい季節になった。その上、ここのところぐずついた天候が続いている。

「絶対に、あいつが殺したに違いないんだ」

 低く、枯れ気味の声で力説する安藤伴兵衛あんどうばんべえに、高本善一たかもとぜんいちはどう返事しようか、迷った。火を着けてからあまり経っていない煙草を、窮屈な吸殻入れに押し込む。それを機に、高本は口を開いた。

「安藤さん、話を整理してみましょう」

「これ以上、整理のしようがあるかい。生田いくた加納かのうを殺った。それだけだ」

「まあまあ。まず……安藤さんが、加納朱美あけみを尾行していた。仕事で」

「そうだ」

「誰からのどんな依頼で尾けていたのか、教えてくれませんか」

「残念だが、そりゃあ無理だ。探偵には守秘義務ってのがある。昔ならいざ知らず、今、おまえに話す訳にいかない」

「安藤さんは警察の力が借りたくて、俺を呼びつけたんでしょう? だったら教えてくださいよ」

「力が借りたいと言うよりも、おまえに手柄を立てさせてやろうと思ったからさ。俺がその気になれば一人で捕まえて、警察に突き出してるよ」

 後半に関しては、刑事時代の安藤の実力を知っているせいもあって、高本は素直にうなずいておいた。ただ、それまでの話は簡単に受け入れられない。

「誰の手柄にするかなんて、どうでもいいじゃないですか。本当に殺しが行われたなら、一刻も早く逮捕して……。そのために、状況を掴まないといけない。安藤さんから話してくださいよ」

「依頼人の名は、口が裂けても言えん」

「じゃあ、依頼内容だけでも」

 かつての部下に食い下がられると、安藤は意外とあっさり、話し始めた。

「何も特別なことはない。加納朱美の浮気調査だ」

「……加納は既婚者ですか。それとも未婚?」

「馬鹿。そこまで話したら、依頼人が誰なのか想像できちまうじゃねえか。出血サービスで話してやったのに、調子に乗るなよ」

「はあ、そうですね。で、生田ってのが、浮気相手なんですか」

「多分な」

 珍しく、歯切れの悪い安藤を目の当たりにし、高本は眉間にしわを作った。

「多分とは?」

「確証が得られる前に、加納の姿が見えなくなっちまった。生田の別荘に入ったきり、出て来ない」

「それで、殺されたんじゃないかと、疑ってるんですね」

「さっきから、そう言ってるだろう」

「加納があの別荘に」

 と、顎を振って、二階建てで灰色がかった外壁を持つ別荘を示す高本。気付かれないように、かなり距離を置いて車の中から観察している。

「入って、今日で何日目になります?」

「明日で二週間。十日目でおまえさんに連絡し、今日やっと来てくれた訳さね」

「いきなり来いと言われても、すぐには動けませんよ。しかも食い物と煙草も持って来いだなんて。それよりも、えーっと、つまり今日で十三日目ですか。十三日間、全然見かけないんですね?」

「そうだ。この場を離れる訳にいかんから、さすがの俺も腹が減った。食料を十日分しか積んでなかったんだ。携帯便所ならまだ余ってるんだが」

「準備がいいことで。しかし、ここ、いくら茂み越しとはいえ、ずっと車を停めていたら、気付かれて、怪しまれるんじゃないですか」

「見つかっても、隠居老人がキャンプ三昧の日々を送っているように見せかけられるさ。まあ、無論、たまに移動してる。幸い、別荘までは一本道だから、見張るための場所取りには事欠かない」

「食料で思い付いたんですが、生田だって、当然、食べ物を買い込んで来るんでしょう? 量はどうです? 二人分あったのなら、加納朱美は健在だと……」

「それについちゃあ、何度か尾行して調べた。二日三日と経っても加納が出て来ないから、怪しいと思ってな、徒歩で外出した生田のあとを尾けたんだ。少し下ったところに、スーパーがある。行き先はそこだった。握り鮨に缶詰、パンや即席麺、丼物のレトルトパック、飲み物は酒とコーヒーを買っていった。保存の利く物は割にたくさん買っていったが、握りは一人前だった」

「うーん……失礼ですが、安藤さんの気付かない内に、帰ったんでは」

「それはない。俺が車で来たのは、加納も自分の車を転がしてきたからなんだ」

「じゃあ、どこかに加納朱美の車があるんですね? ここからは見えませんが」

「ああ。ちょうどこの裏側だ。すまんな、言うのを忘れてた」

「いえ」

 高本は意外の念に囚われた。安藤が謝るのを初めて見たのだ。警察職を退き、“探偵業”に打ち込むになった現在、だいぶ丸くなったのかなと想像する。

「ついでに聞きますが、生田自身は、車を持ってるんですかね」

「いや、奴は持ってない。免許証さえないんだ。というのは……」

 しばし口ごもる安藤。高本は黙って待った。

「……依頼人に電話で報告をしたら、依頼人も生田のことを知っていた。生田は自然に優しくありたいとうそぶいて、免許証を持たない主義だとよ。そう言いながら、必要が生じたときはタクシーをばんばん利用してるらしいがな」

「生田って男は、何者なんです? 職業は……」

「放送作家とかいう仕事らしい。俺は知らないんだが、結構有名な奴だそうだ」

「放送作家で有名ってことは、売れっ子、つまりは金持ちなんでしょうね。別荘を持っているくらいだし」

「よく分からん。ここを本宅にしてるように見えるね。依頼人の話じゃあ、生田は都心からちょっと離れた土地に、立派なマンションの部屋を持っているそうだ。こっちの別荘は、執筆に集中するために使うとか何とか言っとったな」

「依頼人てのは、テレビ局の関係者ですね」

「おい、詮索するなよ」

「独り言です、聞き流してください。さあてと、ここからは独り言じゃないんですが、車の故障とは考えられませんか」

「故障だあ?」

「加納は車が故障し、修理工を呼んだが、すぐには直りそうにない。浮気相手の家にずっといられるはずもなく、車を置いたまま、タクシーで帰った」

「なるほどな。だが、タクシーどころか、まともな車がここに入り込んだのを、このおよそ二週間、見ておらん」

「そうですか……。あ、まともな車は入り込んでないってことは、まともじゃない車が来たとでも?」

「まともじゃねえってのは言い過ぎだが、郵便屋がバイクで、日に何度か来た。新聞の方はとんと姿を見ないから、恐らく取ってないんだろう。最近の作家ってのは、新聞も読まんのだな」

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