第89話



 やってしまった。今のこの状況を一言で表すならそれに尽きる。

 満身創痍の女性が地に伏しこちらを見上げているが、それは以前の彼女の姿とは明らかに異なる。



 長く艶やかな赤い髪は彼女の女性としての魅力を大いに引き出してくれていたであろうものだったはずだ。

 だが俺はそれを奪ってしまった。“髪は女の命である”という言葉に偽りはなかったようだ。



 だから、今の俺の心の中の声はと言えば――。



(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、こうするしかなかったんです! この状況を誰一人の死者を出さずに収めるためにはあなたの髪を切る必要があったんです! それにいくら殺せと言われても、「はいそうですか」って殺せるわけないじゃないですか! でもどんな理由があっても女性にとって大切なものを奪ってしまったことに変わりはない。だからごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!)



 まるで早口言葉のように心の中でまくし立てる。

 どれほど言い訳したところで、結果は変わらない。どんな事情や理由があるにせよ彼女にとって女性にとって大切なものを奪ったのだから。



 くそ、罪悪感が半端ない。俺が心の痛まない冷たい人間であればこのような感情を抱くことはないだろうが、そこまで残酷な人間ではないのだ。

 だがいつまでもこうしてるわけにはいかない、何とか彼女に言わなければ……。



「アスラ・ドゥム・ライオンハート、お前の命は確かにこのジューゴ・フォレストがもらい受けた。これはお前に返すぞ」


「勇者殿……」



 俺はアスラの目の前に彼女から切り取った髪を差し出すと、それを受け取るように促す。

 最初は戸惑っていた彼女だったが、少しためらいがちに自分の髪の毛だったものを受け取った。



「ごめんな、こんなことになってしまって……でも君はもっと自分の事を大切にした方がいい。君がいなくなって悲しむ人がいることを忘れちゃダメだ……君の命は君一人だけのものではないんだからさ」


「……っ!?」



 俺は彼女の耳元で彼女にしか聞こえない声でそう呟いた。

 そして、何事もなかったかのように立ち上がると、今度はその場にいる人間に聞こえるように言い放つ。



「確かに返したぞ。それとこれから自分の命を軽率に扱おうとするな。お前の命はお前だけのものではない。この国の民や同じ騎士の仲間、そして自ら忠誠を誓った王族のものでもあるのだ。自分の独りよがりでどうこうできると思うな」



 そう伝えた俺は彼女の元から歩き出した。

 できればこの先も彼女には生きていてもらいたいからな。騎士団長という理由もあるけど、女の子が死んでいくところなんてあんまり見たくないし……。



(やっぱり、めっちゃ見てるな……流石に気障な態度に呆れられたかな?)



 この時ジューゴは気付かなかった。アスラが向けていた視線に熱が込められていたことを……。









「国王、そういうことでこの場を収めるために御前試合の勝敗を宣言してもらいたいんだが?」


「そういうわけにもいかぬのだ勇者殿」


「何度も同じことを言わせないでくれるか国王よ? 俺は勇者ではない、どこにでもいるただの冒険者だ」



 この場にプレイヤーがいたら、全力でツッコミが返ってくる物言いだったが残念ながらこの場にプレイヤーはいないため、ジューゴの言葉に反論するものはいないかと思われたが、どうやら違っていた。



「我が国最強の騎士を打ち倒してしまう者を、どこにでもいるただの冒険者だとは言えないと思うのだが?」


「……そんなことはどうでもいい、なぜ宣言できないんだ?」


「簡単だ。決着がまだついていないからだ。この御前試合の決着は相手が負けを認めるか死ぬかするまで戦うというもの。アスラ騎士団長は負けを認めていないし、死んでもいない。よってこの試合を終わらせることはできぬ」


「なんだ気付いていなかったのか、それでよく国王が務まるものだな」


「きっ貴様ぁー! まだ陛下を愚弄するというのか!!」


「だまれ宰相、今大事な話をしているのだ!」


「し、しかし陛下」


「そうだこのはg……コホン、頭のお寂しい宰相は黙ってろ。話がこじれる」


「ぐぬぬぬぬ」



 二人から非難の言葉を向けられたことに悔しい顔を浮かべながらも、自らの主の命令でもあるため宰相は押し黙った。

 宰相が黙ったことを確認すると、俺はこの状況を理解していない国王に向けて説明を始める。



「彼女が自分の切り札である【ダブルエッジソード】を使い、逆に満身創痍の状態に追い込まれた時俺は彼女に問いかけた。“このまま続けるか、それとも降参するか”と、それは覚えてるな?」



 俺の問いかけに宰相も国王も頷く、それを確認してからさらに説明を続ける。



「その問いに対して彼女は「くっ、殺せ」と言ってきた。そして俺がその言葉を受け再び問いかけると彼女はこう言ったんだ。“殺せと言ったんだ、わたしにお前をどうこうできる力はもう残っていない”とな」


「「あっ!」」


「ようやく気付いたようだな」


「つまりアスラ騎士団長が言った言葉「わたしにお前をどうこうできる力は残っていない」という言葉が負けを認めることだと言いたいわけだな」


「そういうことだ。その時点で俺と彼女の御前試合の勝敗は決していたんだ。理解できたのなら、早いとここの茶番を終わらせて詳しい話を聞かせてくれ」



 というような運びとなり、国王の宣言でこの御前試合という名の茶番劇は俺の圧勝という形で幕を閉じた。

 その後、試合を見ていた貴族連中から口々に「勇者勇者」という言葉が飛び交っていたが、面倒臭いので全て黙殺した。



 庭園を後にする際、王女がこちらを睨みつけていたが、謁見の間にいた時のようなあからさまな敵意ではなく興味津々といった風な視線に変わっていた気がした。








 それから御前試合はお開きとなり、詳しい話は国王と二人で話すこととなった。

 国王が普段執務で使用する部屋に通された俺は彼が部屋に備え付けられたソファーに座るのを見計らい片膝を付く。



 国王の気配から驚愕と困惑の色が窺えたが、そのまま気にせず話し出す。



「今までの数々の無礼な行い、誠に申し訳ございませんでした。こちらにも事情というものがあり、あのような態度を取ってしまった事お詫び申し上げます」


「何を言われる。いきなり無理に連れて来られれば誰だってあのような思いを抱くものだ」


「国王陛下様の広いお心に感謝いたします」


「貴殿にそのような態度を取られるのはむず痒い、できれば今まで通りの態度を取ってくれないか?」


「いえそのようなわけには参りません!! この国の最高権力者であらせられる国王陛下様にあのような態度を取ることなどあってらならぬのです!!」


「……ジューゴ殿、今の状況を楽しんでいるようだな」


「はて? なんのことやら……」



 俺は顔にニヤケ顔を張り付けながら、平伏した状態で国王を見やる。

 そこには呆れた表情を顔に張り付ける国王の姿があり、実に対照的な二人と言えた。



「そのようなにやけた顔を顔に張り付けた状態では説得力がないのではないか? 勇者殿?」


「おやおや国王陛下様の方こそニヤケ顔で勇者殿と呼ぶのはやめていただきたい」



 そう言いながらお互いに声を出して笑い合う。

 お互いにわだかまりもなくなり、国王とも少し距離が縮んだ気がする。

 それから謁見の間で出来なかった詳細な話をするといろいろな情報が得られた。



 まず【ベロナ大空洞】に発生したゴブリンを放っておいた場合どうなるのかという疑問だ。

 二万という大群ではあるものの、すぐ近場に発生しているわけでもなく距離自体数十キロ離れている。



 であればそのまま何もしなくてもいいのではと考えたのだが、どうやらそういう訳にもいかないらしい。

 以前モンスターが大発生した時は先代国王も俺が考えたように放っておいたらしいのだが、モンスターの発生を確認してから約三か月後に何の前触れもなく突如として大挙して襲ってきたそうだ。



 今回のゴブリンは発生を確認してから一か月ほど経過しているため、前回の行動パターンに照らし合わせれば二か月後に襲ってくるという事になる。



「国王、その二ヶ月というのはNPCの尺度で測ったものなのか?」


「うん? どういう意味だ? 二ヶ月は二ヶ月ではないのか?」


「例えばこの世界で朝昼晩が過ぎれば一日が経過すると思うが、我々冒険者にとっての一日はこの世界にとっての四日を意味するんだ。だから冒険者である俺とこの世界の住人である国王とでは時間の経過に齟齬が生じている可能性がある」


「なるほど、であれば私が言った一日はこの世界での一日ということになるな」


「そうか……ならあまり時間は残されていないかもしれないな」



 改めて説明すると、この世界の朝昼晩の時間帯は二時間で変わっていく仕様となっている。

 つまりここでの一日は現実世界での六時間となり現実世界での一日はこの世界での四日ということになるのだ。



 だからこの世界の住人にとっての二ヶ月は我々プレイヤーにとって大体二週間となっている。

 ……ってかまた二週間かよ。このゲームを始めてから二週間に一度の割合で面倒事に巻き込まれているのは俺の気のせいなのだろうか?



「まあ言ってもまだ時間はある。焦らず準備すればなんとかなるとは思うがな……ところでこの国の兵力、というかゴブリンとの戦いで用意できる兵の数はどれくらいなんだ?」


「我が国の国力を持ってしても精々六千弱といった所だな」


「それがこの国の全兵力なのか?」


「いやそうではなくゴブリンの進行を阻むために割ける限界数というのが正直なところだ。実際の兵力は一万程だろう」


「なるほど」



 仮に王都や他の街にゴブリンが襲来した時にそれを撃退するための兵力が必要になってくる。

 そのため街や城を守るための兵士をある程度残しておく必要があるということか。



 となってくると、国の兵士に頼らず冒険者で討伐するための連合軍を作るべきだな。

 そこについては誰かできる奴に丸投げすることでなんとかなるだろう。

 あるいは冒険者だけで殲滅するのも手か、全員でないにしろ三十万もプレイヤーがいるんだから。



「もう一つ確認だが、ゴブリンの総数が二万ということだが、これは現時点での総数なのかそれとも最終的な総数なのかわかるか?」


「我々が今確認しただけで二万ということになるだろうな。二か月後ではどれだけ増えているかわからん」


「マジかよ。じゃあ最悪十万っていう馬鹿げた数に膨れ上がる可能性もあるってことか」


「ちなみに前回の大災害によるモンスターの侵攻の総数は七万だったそうだ」


「ななっ……おい国王、聞かなかったことにして帰ってもいいか?」



 七万とかふざけるにもほどがあんだろ! どこの大合戦だ!?

 こりゃ間違いなく冒険者で何とかしないとこの国完全に終わっちまうぞ。



「それで? 冒険者ギルドにはこのことを伝えたんだよな?」


「……まだだ」


「おいおい、そんな大群が国に攻めてくるのに依頼を出さない気だったのかよ?」


「それは……」



 俺の当然のツッコミに言いよどむ国王を見て、すぐにピンときたためそれを口にする。



「まさか国の一大事なのにもかかわらず、ちっぽけなメンツのために冒険者ギルドに要請してないとかじゃないだろうな?」


「うっ……」



 やはり図星か、そういうプライドが何の意味も持たないって事がわからんのかね。

 俺は少し強めの語気で国王に語り掛ける。



「国王よ、国の責任って言うのがどれだけ重いかとか、国を統治する人間の悩みとかはわからんけどな、それはこの国の民の命を犠牲にしてまで守るべきもんなのか?」


「……」


「国とギルドの間に確執があるのかもしれない、非常時でなければそのプライドを優先しても構わないだろう。だが物事には何よりも優先すべき大事なものっていうのがあるんじゃないのか?」



 ジューゴの言葉に国王は返す言葉もなかった。

 それは彼がどこか頭の中で理解していながらも、行動に移せなかったという彼自身の弱さからくるものだったからだ。



 確かに一つの国を預かる立場である身として、なんの拘りも自尊心も持たない者が国を治めていくことは難しい。だからと言って国存続の危機が迫ったこの状況でも、同じように動くべきではないということくらいまともな思考を持つ者なら理解できることであった。



 だが国王である彼は自分のプライドを優先してしまっていた。しかも、それが最良の選択でないことも理解した上でだ。

 だからこそ、ジューゴの問いかけに反論することができなかったのだ。



「今からでも遅くない、冒険者ギルドに事情を話して緊急の依頼を要請すべきだ。どの道俺がギルドに報告するんだ。遅かれ早かれこの国で起きてることは、いずれギルドにも伝わる。その前に国から伝えるべきだ。国王、これは最後のチャンスだ」



 国の一大事にメンツに拘って自滅するか、民の安全を第一に考え恥や外聞を捨て行動するか、この瞬間この国の国王としての技量と器が問われている瞬間だった。



「わかった、ギルドに緊急依頼の申請を行う」


「それでいい、それが最良だ。まだ時間は残されているんだ。それまでにできる限り準備をしていこう」



 その後、今後の事について話し合い気付けば時間が過ぎていたので、一度ログアウトすることにした。

 また新たな問題が浮上してきたが、やるしかない。まったくどうしてこういつもいつもこうなるんだろう……。

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