第88話



 先ほどまでの戦いの喧騒が、嘘のように静まり返っている。

 まるでその場に誰もいないかのような錯覚を覚えるが、確かにそこには多くの人が佇んでいる。



 俺は目の前の女性に視線を向ける。

 騎士然とした鎧に身を包んだ彼女は、地に片膝を付き動けないでいた。



 一方ジューゴと言えば先ほどの攻撃がなんでもなかったように無傷立っていた。

 なぜこれほどまでにアスラがダメージを負ってしまったのかと言えば彼女が使った【ダブルエッジソード】のもう一つのデメリットが原因だった。



 彼女が使った【ダブルエッジソード】というスキルは、使用の際に相手に一定以上のダメージを与えられなかった場合、ペナルティとして最大体力の半分のダメージが使用者に与えられるのだ。



 ジューゴはあの瞬間彼女のダブルエッジソードを剣で受け流し、ダメージを最小限に抑えた。

 そして、一定以上のダメージを与えられなかったことにより、ペナルティが彼女に跳ね返ってきたのだった。



 そんな彼女に俺はゆっくりとした足取りで近づきおもむろに彼女の首筋に手にしている剣を突きつけ問いかける。



「どうする、このまま続ける? それとも降参する?」



 もはや誰が見ても勝敗は一目瞭然で聞くまでもない事だったが、ルール上相手が負けを認めるか死ぬかするまで試合が終わらないため確認事項として聞いているだけだった。



 だがアスラはその問いに答えない、否、答えたくないというのが正確だろうか。

 彼女にジューゴを打ち負かす手段はもう残されていないのだから。



「くっ、殺せ……」


「なに?」


「殺せと言ったんだ、わたしにお前をどうこうできる力はもう残っていない……」


「だから俺に殺されるというのか?」



 俺の問いかけにアスラは唇を噛みしめ、コクリと頷く。

 その顔は自分が犯した失態を自らの命で償うという覚悟を孕んでいた。



「お待ちください!」



 俺とアスラのやり取りをその場にいる全員が見守っていたが、突如としてある人物が俺の前へと平伏してきた。



「あんたは……」


「ディアバルド王国国王の妻アレクシア・ウェルシュ・ディアバルドにございます。失礼を承知ながら勇者様にぶしつけなお願いがございます」


「アレクシア様、お下がりください!!」



 目の前に現れた女性がこの国の女王だと知るや否や、あからさまに狼狽し悲鳴のような声をアスラが上げた。

 女王の突如の行動にその場にいた全員にどよめきや驚愕の声が上がっている。



「聞いてやる、言ってみろ」


「ありがとうございます。この者アスラ・ドゥム・ライオンハートは、ライオンハート家始まって以来最も武に才ある者として私が幼少の頃より世話係として日々研鑽を積んできました。その甲斐あって功績と力が認められ我が国で最も栄誉ある職、騎士団長の位を賜るほどになったのです。アスラ騎士団長はこの国にとってなくてはならない存在なのです。どうか、どうか、彼女の命だけはお助けいただきとうございます。代わりに私の命を差し出しますので、何卒……何卒お許しくださいませ!!」


「ア、アレクシア様、何を言ってらっしゃるのですか!? 私の命など取るに足らないもの、そんな者のためにあなたが命を懸ける必要がどこにありましょうか!!」


「……やれやれ、お前は自分の存在価値について何も分かっていないようだな」


「……どういう事だ?」



 俺は彼女の問いかけにあからさまに呆れた態度でため息をつくと、懇切丁寧に説明してやった。



「お前は騎士団長という位が何を意味するのか考えたことはあるか? 騎士団長とはその名の通り国の騎士の中で最も強く最も気高く、そして国の絶対的守護神という立場にある者の総称だ。一国に仕える騎士団長の敗北は国にとっても敗北を意味するほどに重い。だがそれと同時に先の事を見越して、例え自分の部下が死地で戦っていても騎士団長は生き残らなければならない。場合によっては力持つ騎士団長は王族の命よりも優先される。女王は自分の命とお前の命を天秤に掛けた結果、お前の命の方が重いと判断し自らの命と引き換えにお前の命を助けようとしているんだ。ここで騎士団長であるお前を失えばこの国の損失は計り知れない、だったら自分の命を犠牲にして彼女の命はなんとか……ってところだろう」


「「……っ」」



 アスラとアレクシアの二人ともが驚愕の顔を浮かべていた。

 最も二人の驚愕は別の意味を持っていた。



 アスラは女王であるアレクシアが、そこまで考えて自分を助けようとしてくれていたのかという感情と同時に、ジューゴが説明した内容で改めて騎士団長という職の重さを理解した事に対するものであった。



 一方アレクシアの驚愕は、自分の思惑が全て今目の前にいる男に筒抜けだったことに対するものだ。



 ジューゴが説明した通り、彼女の目的は自らの命を犠牲にしアスラを助けることだったが、まさか自分の思惑を見抜いた上、彼が騎士団長という職がどういう意味を持っているのか理解していることに驚きと感心の感情を抱いたのだ。



「女王の気持ちも理解できなくはないが、その願いは聞き届けられない。なんの落ち度もない人間を手に掛けるほど、俺は人としてそこまで落ちぶれちゃいない。そこの衛兵! 女王を連れて下がれ」



 俺は近くにいた衛兵に女王を連れて行くよう指示を出し、彼らも渋々それに従った。

 自分の願いが聞き届けられなかったことで、アスラの命が風前の灯火と理解し、ここで初めて声を荒げた。



「お待ちください勇者様、何卒、何卒、アスラの命をお助けください!!」


「……」



 ジューゴはその答えとして沈黙で返した。

 それだけでアレクシアは理解してしまった。

 彼が自分の言葉に沈黙で返したのは、単に自分の言葉を無視したのではなく、その願いを聞き届けることができないからだと。



 周りの貴族たちもなんとかこの状況を打破しようと考えているが、今はまだ御前試合の最中であり勝敗は負けを認めるか死ぬかするまで戦うという内容であるため下手に手出しができないでいた。



「というわけでアスラ、当初のお前の望み通りその命もらい受けるが覚悟はいいか?」


「あ、ああ問題ない、一思いにやってくれ」



 自分の思慮のなさに腹を立てたが、御前試合に負けた責任を取らなければならない。

 どの道試合に負けたことで処刑される身であれば己を負かした相手の手に掛かって死んだ方がまだマシだとアスラは思った。



「アスラぁぁぁぁぁぁああああああ!!」



 アレクシアの叫び声が庭園に木霊する。

 その声にアスラは視線を向け、すべてを悟り切った顔でにこやかに微笑む。



「アレクシアお姉様、おさらばにございます。あなたと過ごした日々とても良きものにございました」


「何を言っているの!? まだこれからじゃない! 一緒にこの国を守っていくって、死ぬときは一緒だって約束したじゃない!!」



 周りの目も気にせずまるで少女に立ち戻ってしまったように泣きじゃくりながら、思いの丈をアスラにぶつける。

 幼少の頃より共に過ごした日々がアレクシアの頭の中で走馬灯のように流れていく。



 好きな男性のタイプを話し合ったり、何の他愛のない雑談をしたり、散歩したり、共に過ごした穏やかな日々が頭に浮かんでくる。



「そろそろいいか?」


「ああすまない、やってくれ」



 そう言うと彼女はゆっくりと目を閉じ、頭を垂れた。

 綺麗な赤い髪の間から姿を見せたうなじはどこか妖艶さを帯びており、とても死ぬ間際の人間とは思えないほどだ。



 俺は彼女の髪を後ろからまとめて掴み上げ、うなじをさらに露出させ抜き放っていた剣を振り被る。



「では、アスラ・ドゥム・ライオンハート。その命もらい受ける!!」


「……っ」



 そう宣言した俺は振りかぶった剣をそのままの勢いで彼女の首元目掛け振り抜いた。



 ――ズバッ。



 何かが剣で断ち切られる音が響き渡り、その場にいる全員が顔を背けた。

 その音が意味するものを考えればとてもではないが、まともに見ることはできないからだ。



(これが首を斬られるという感覚なんだろうか、やっぱり痛いな)



 首を斬られた当の本人の感想と言えばそんな軽い感じのものだ。

 何かがぷつぷつと切り離されていく感覚を覚え、それを感じる度にチクチクとした痛みが襲ってくる。



(きっと首の皮膚が千切れていってるんだろうなー、考えただけで痛そうだ)



 どこか他人事の様な感想に内心で呆れていたが、しばらく経っても意識が遠のいていく感覚がないことに違和感を覚え始めた時声を掛けられた。



「いつまでそうしているつもりだ目を開けろ」


「んっ、んー」



 暗闇で包まれていた視界に突如光が差し込む。

 目を瞑っていたことで飛び込んで来た光に顔を顰めながらも、徐々に視界がはっきりと目に映し出される。



 そこには先ほどと何も変わらない光景が広がっており、驚いた表情を浮かべる者や顔を手で覆い隠し惨状を見ないようにする者たちがいた。



(確か私は首を斬られたはずだが……)



 そう思い手を首に持っていくとちゃんと体と繋がっておりどこにも異常はない。



(ではあの時感じた痛みはなんだったんだ?)



 そう思った瞬間ジューゴがこの場にいる全員に聞こえるよう大きな声で宣言する。



「この場にいる全ての者よ、聞け! 我が祖国ではこういう言葉が存在する。“髪は女の命である”と……俺はアスラの命をもらい受けると言った。確かに彼女の命、もらい受けた。これをもってアスラに対する罰は以上とする!」


「え……」



 そう彼の言葉を聞いたアスラは自分の後頭部に手をやる。

 するとそこにあったはずの髪が無くなっており、心なしか頭も軽くなっていた。



 そして、そこで初めて彼女は理解したのだ。

 彼が斬ったものは自分の首ではなく、髪だったことに……。 

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