ブルームーンの底に

絵空こそら

ブルームーン

 いつか大きなしっぺ返しが来るだろうなとは思っていた。


 乞われて5回付き合って、その5回とも自分から振った。もちろん丁重かつ穏便に、なるべく傷つけないように。彼らのことが嫌いなわけではなかった。どちらかというと好きな方。そういう軽い気持ちで付き合っちゃったのが悪いんだと思う。


 どんなに言葉を選んでも、彼らは一様に悲しい顔をした。そしてその表情に私は感情を一ミリも動かされなかった。これはやばい。私はサイコパスかなんかなのだろうか。あまりにも道徳的に、不足している。



「振られたんだって?」


 海松がチャームポイントのしゃがれ声で言った。


 私はグラスをあおって、ごくんと飲み干す勢いで頷く。


 海松はにやりと笑う。


「ざまみろだわ」


「うん。その通り」


「何よ、張り合いのない。言い返してきたら、こてんぱんにしてやるつもりで来たのに」


「ひどいね。そんなつもりで、LINEに応じたの」


「マア〜どの口が言うんだか!」


 海松はきっ、と冗談っぽく私を睨んで、すぐに口元を緩めた。


「でもま、ちょっと嬉しいのよね。これであたしたちがどんだけ傷ついたかわかったかしら?」


「うん」


 海松は元元彼だ。10歳上で、オネエに見えるけどバイセクシャル。テンションが高いわりに、根が落ち着いているから話していると安心する。それを言うと「それって年寄りっぽいってこと?」と怒られたけど。今は彼にも新しい彼氏がいる。も、というのはおかしいか。私にはいないんだから。


「夜乃の好きな人はどんな人だったの?」


 私は言葉を探してみる。海松と同じ感じ、おしゃべり上手で明るい人。ただ、曖昧な態度を叱られたり、かと思えば細かいことに気付いて褒めてくれたり。


 私の顔より大きい手をしてるということを発見して、そのまま頭を撫でてくれないかと思ったり。お疲れ様、と言われた時、背中を見送りながら一緒に退勤したくなっちゃったり。


 海松は眩しそうな表情で言う。


「恋ねえ」


 恋、ねえ。付き合っていた時、海松もこういう気持ちになったのかな。「そりゃそうよ」と彼は言う。


「夜通しお喋りしたかったし、できることなら一日中触れていたかったわ。もっとも、あんたはドライだったけどね」


 彼は頬杖をついて目を閉じた。その睫毛が縁どる輪郭を、私は知ってる。



「ごめん」


 と言われた時、平気だと思った。もしかしてOKかもしれないという思いと、多分だめだろうという気持ちを半分ずつ用意していた。だから大丈夫。


「大事な奴がいるんだ」


 私の目を真っすぐ見る強い瞳に思わず眩眩した。少しも揺らぎそうにない。よく半分でも「OKかもしれない」なんて期待したもんだ。まるっきりゼロじゃないか。


 平気平気。足取りは確か。いつも通りに生きてる。


 それなのに目がばっちり開いたまま朝を迎えて、コーヒーを買ったばかりのカーペットに零して、定期の代わりに耳鼻科の診察券を改札に押し付けて。


 ようやく辿り着いた職場で「おはようございます」と声をかけて、振り返った彼が安堵したような顔で挨拶を返した時、ばこんと槌が振り下ろされた。その下に何があったかっていうと、鑿と亀裂の入った心。面白いくらいに真っ二つ。膝から力が抜けて、その場にへたりこんだ。恋ってこんなに身体に作用するの。こわ。



「まあま、男なんて星の数ほどいるしね」


 お決まりの慰め文句を海松は言う。私は力なく首を振った。


「違うよ。あの星がよかったの」


 あの星だけが眩しかったの。


「クリスマスの子供みたいなこと言って」


 でもわかるわよ。海松はそう笑って、フローズンマルガリータのグラスを持ち上げる。


「ほら、可愛いがきんちょが恋を知った記念に、乾杯しましょ」


「献杯じゃないの」


「乾杯よ。今日がスタートだもの」


 私はのろのろ、彼と同じ高さまでグラスを持ち上げた。キン、と軽い音が鳴る。薄明るいライトの下で、青く透き通った氷が揺れている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブルームーンの底に 絵空こそら @hiidurutokorono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ