第2話 なんだかよくわからないけど、シュークリームとエクレアは正義。

 なのに退勤直前に、理不尽クレーム事案が勃発した。

 詳しい内容は、まあ、接客やってればありふれたことなので、いちいち話すことでもない。


「気にするなよ、斎藤ちゃん」

「そうよ」


 帰り際に、口々になぐさめられたのが、かえってつらくなった。


「でも、黙って出ていって、二度と来なけりゃいい話じゃないですか。こういう理不尽、どうしても慣れないな」


 社会に出て何年経っても、こんなことを言ってしまう。


「慣れることはないのよ」

「そうそう」


 店長は言った。


「慣れきったら、心が死んでしまう。

 怒るべきことに怒ることができる方が、人間、上等なんだから。あんなのほっておきゃいいの。それだけのことだよ」


 私は将来、自分の店が持てたら、と思っていたりするのだが、今日のような小さな出来事にこんなに反応してしまうようでは、先が思いやられるとも思うのだ。


 とりあえずあがりの時間だったので、店を出た。

 すっきりしないので、甘いものを買おうと、ベーカリーすみだがわに寄る。


「こんばんは。お疲れ様」


 スミダガワさんの奥さん、ミチルさんが店番をしていた。


「こんばんは」

「疲れた?」

「まあ、いろんなお客さんいるよね、ってやつです」

「ああ、」


 ミチルさんも結婚前はレストランの厨房に居たし、飲食の現場でどんなお客さんが来るのかはよくわかっている。


「まあ、これでも飲んで」


 イートインに置いてあるコーヒーサーバーから一杯出してくれた。


「なあに? 『ビー玉』って名前の店なのに、見苦しいハゲはカウンターに立つな、って怒鳴ったとか?」


 あ、いたいた、昔そういう人。そもそもハゲだから『ビー玉』って名前を店長自らつけたのが店名の由来なのに。


「オレンジピールクッキーのオレンジピールが苦すぎる、とか?」


 私も思い出したことを返すと、ふたりとも笑ってしまう。こちらは、すみだがわでの事例。


 笑ってしまうようなことなのに、店は対応に時間を取られ、言葉を尽くすよう求められて延々と詰められ、その間に対応途中だったはずの他のお客には遠慮されてしまう。時々こんなことが起こるのは仕方ないけれど……


「まあ、がんばろう」

「ね」


 シュークリームとエクレアを買った。


 こうしてモヤモヤした気持ちが少し晴れたところで、もうこれ以上、今日は何も起こらないと思っていたの。

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