第9話 心の筋トレのすゝめ

 これまで、私が出会った先生のお話が続いていましたよね。

 それもそこそこ面白いかと思ったのですが、4回続くと私も飽きるので笑、今回は他の話をしようと思います。



 第1話のりんごのお話、覚えていらっしゃいますか?

 あの中で、「マインドフルネス」についてチラッと触れました。今回はマインドフルネスを掘り下げてみようと思います。


 マインドフルネス、英語でmindfulnessと書きます。発音はマインドルネスではなく、インドフルネス、のようです。語源はパーリ語のsatiサティで、「気づき」という意味。パーリ語ってつまりどこの国の言語? ってなりそうですが、想像はつくのではないでしょうか。


 大体、アジア?


 そうです正解です。マインドフルネスというのは、仏教やヨガと関連しています。仏教の戒(やっちゃいけないこと)が概念として含まれているし、ヨガ×マインドフルネスのプログラムも多数存在します。

 このマインドフルネス、最近結構広まってきた感があります。というのも、瞑想と深く関連しているからです。


 最近、色々な有名企業のトップがこぞってこのマインドフルネス瞑想(※)を取り入れています。あぐらかいてりんみたいなのチーンって鳴らして、15分くらいじーっとしてるアレです。はたから見たら妙ですよね。ってかぶっちゃけ怪しすぎます。ドラマでもたまにこうした瞑想シーンがありますが(最近だとNHK『ドリームチーム』(主演・山口紗弥加さん)にありました)、あれは実際に瞑想を何度かしている私から見ると、何となく胡散臭さというか怪しさばかり感じ取ってしまいます。

 でもこういうのはきっと、アレでしょうね。その道に詳しい人から見ると、ドラマの描かれ方は大抵違うっていうアレ。医療ドラマは医療従事者から見たら色々おかしいらしいし、刑事ドラマもプロに言わせればツッコミどころ満載のようです。これらと同じ現象が、マインドフルネス界隈でも起きています。笑


 名だたる企業のトップ達は、瞑想によって何を得ているのでしょうか。

 それは、「目の前の出来事をありのままに受け取るスキル」です。

 瞑想ではただ目を瞑るのではなくて、呼吸に注意を向けています。でも人間なんて煩悩の塊ですから、ずっと呼吸に集中できるはずもなく、大体どこかで寄り道をします。


「あ、あの仕事まだやってないじゃん」とか、


「彼氏と今気まずいんだよね」とか、


「今日の夕飯何にしよう」とか。


 そうすると私達は遅かれ早かれ、「あれ、今呼吸から注意が逸れたな」ってことに気づきます。これがマインドフルネスの語源、satiなわけです。

 寄り道したことに気づいたら、寄り道を責めるのではありません。寄り道したって事実を置いたまま、そっと呼吸に意識を戻す。これが、マインドフルネス瞑想で行われていることです。


 よく言われるのは、「寄り道したことは悪くない」ということ。そして、「瞑想に正解はない」ということです。みんな感じ方は違うし、頭に浮かぶものも、体調も、呼吸の深さも違う。正解を求めだすと、みんなそこに自分を合わせようとします。正解があるということは、不正解があるということだから、「正解に行けなかった自分を責める」んです。そうした思考のサイクルがデフォルトになっていくと、抑うつ的な気分に陥りやすい。……とまぁ、こういうわけなのです。


 私が瞑想でイメージするのは、近所の優しいおばさん、といった所でしょうか。

 自分がまだ小学生で、通学路を決められていて、でもちょっぴり冒険したいからつい寄り道をしてしまう場面をイメージ。

 親なら、「もし何かあったら」って心配も頭を過ぎるから、つい「何やってるの! 寄り道なんてするんじゃない!」と言いたくなりますよね。これは、瞑想中に「何他のこと考えてるの、ダメダメ! 呼吸に戻れ!」と自分に命令してるようなものです。

 でも近所の優しいおばさんなら、「子どもだから仕方ないわね」って気持ちと、「でも心配だから常に見守っているよ」って気持ちがあると思います。だから寄り道しても、叱らない。「ママには内緒にしておくわ」とウィンクでもして見せて、「でも寄り道は程々にね」と、そっと私を通学路に戻してくれるのです。


 マインドフルネスの基本的な考えは、こんな感じです。基本的には受容し、事実と思考を区別して悲観的な思考の罠に嵌るのを避け、そうした思考をゆっくりと手放していきます。様々な出来事に好奇心を持って近づき、自分でコントロールできる力をつけよう、という考えが根幹にあると私は捉えています。


 多分、日本人は勤勉だから、きっとこう思いやすいでしょう。


「〜しなきゃ」「〜するべきだ」「自分はダメだ」等々。


 でもそれが自分を必要以上に苦しめると、だんだん事実と思考の区別がつきにくくなって、自分で自分の人生を歩いている感じがしなくなってきます。いわば、自動操縦の状態。何者かに運転席をジャックされてしまったというわけです。

 でもその時に「あれ、私なんかおかしいな」って“気づく”ことができれば、運転席を取り返そうと動くことができます。


 マインドフルネスは、そういう「」を簡単にするトレーニングの一種で、だから「心の筋トレ」とたまに呼ばれるんです。



 私がエッセイを書き始めたのも、モードの切り替えをしてみたから。


「あぁ執筆が進まん! 小説のイメージがわかん! でも続けたい。読んでもらいたい。書かなきゃ!」


 ってなっていたんです、最近の私は。他にもやることはたくさんあって、「あれもこれもやらなきゃあかん。辛いことばっかじゃん……コロナで気晴らしの外出もおちおちできないし……」ってなっていて、やる気さえも、見えない誰かに奪われたみたいになり、動けなくなってしまっていました。

 でもある晩、静かな部屋でふと思ったんです。


「私最近疲れてるな。好きだったはずの小説まで苦手になりそうなのはあかん。……いっそ書くジャンル変えてみようか!」と。


 ただただ心の赴くままに書きたいものを書くようにしてみたのです。


 それで、今に至ります。いずれはフィクション執筆に戻るけど、今楽しいのが大事。

 まぁ楽しさばかり求めても良くないので、バランスは必要ですが。


 私はマインドフルネスの回し者ではありません。本当です。笑 ただ学んでいるだけです。

 でもこの「心の筋トレ」、思ったより役立つので、ちょっとおすすめです。youtubeで調べると結構出てきます。皆さんもよろしければ是非。


※今回お話したのは、あくまで数あるマインドフルネス瞑想の一部です。

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