第4話 ジェンダー概念は必要?

 最近、ちょっと社会学的な内容になっちゃってすみません。笑 次回以降は軽い話をするつもりです。


 数年前から、ジェンダージェンダー言われるようになりましたよね。虹色の旗振って行進する人々を見たり、LGBTQなんて言葉が生まれたり。セクハラに端を発して、こういう動きが出てきたような気がしています(ここは曖昧です。間違ったこと言ってたらごめんなさい)。

 私の学校でも、「gentlemen」「ladies」に加え、「all genders」というお手洗いができました。過去にも多目的のお手洗いはあったのですが、ドアに表示されるマークが、車椅子、子ども連れ、ペースメーカーなどの従来のピクトグラム(人の簡易的なイラスト)だけだった所に、虹色のマークが追加されました。


 LGBTQの概念については、色々言われています。

 彼らはこの言葉と共に生まれた存在だとか、いやいや、前からいたんだけど、言葉の広がりによって市民権を得たんだよ、とか。

 私は後者かな? と思っていますが、ある日、友人がさらりとこんなことを言いました。


「人間ってさ、みんなバイだと思うんだよね」


 バイというのはバイセクシャル、つまり両性愛者(男女の両方に性的指向があること)を指します。

 この発言は、もしかしたら当事者や研究者の方には眉をひそめられてしまうかもしれません。でも私はちょっと納得が行きました。


 性的指向と言えるかは分からないけれど、確かに両方の性に対して魅力を感じることは、よくあるよなって。

 先ほどの彼女のセリフには、きっとこんな言葉が隠れていたはずです。


「人間ってさ、みんなバイだと思うんだよね(だから、特定の人を色目で見る必要はないんじゃない?)」


 自分の性的指向は誰に話す必要もないし、LGBTQを特性とか、その人を形作るものとして見るのも、何か違う気がします。

 だって、あなたはあなただもん。別に「ゲイのあなた」「レズビアンのあなた」なんて肩書き、いらないじゃないですか。

 でもあまりに認められず、疎外されまくってきたから、パレードなどで仕方なくカミングアウトして、生きる場所を得ようとしているに過ぎないんじゃないかと思う時があります。つまりそれは、私達が彼らに場所を一切与えてこなかったことと同義。


 私は、性的指向というわけじゃありませんが、両性に魅力を抱きます。

 それとこれとは全然違う! なんて言われそうだけど、書きます。


 自分好みの男性だって、自分好みの女性だっていますよ。

 ただそれは、“憧れ”としてですが。


 私は声の高い男性、声の低い女性好きです。

 髪の長い男性、髪の短い女性好きです。

 ギラギラアイシャドウにネイルの男性、ナチュラルメイクの女性好きです。


 芸能人に関して言えることですが、私は中性的な人がめっちゃ好きです。

 好きな人なら、男性だろうが女性だろうがファンになります。同程度にハマります。


 これを聞いて、「マジかよ引くなぁ」なんて思う人もいるかも。

 でも、これが私なので。女性アイドルに肩入れした私を母は疎んじましたが、これが私です。


 というか、歌舞伎はどうですか? 宝塚はどうですか?


 歌舞伎は女性役だって、男性が女形を演じるじゃないですか。

 宝塚は男性役だって、女性が男性を演じるじゃないですか。

 あれは役だからいいんだ、ってのは違う気がするんです。


 歌舞伎は家元の方はまだしも、弟子入りしてその世界に飛び込んで女形をしている人いますよね。

 宝塚は、自分で男性役を希望して受験しますよね。


 でも彼らが性的指向について尋ねられたことは、恐らくないんじゃないかと思います。「あなたは女形やってますけど、女性になりたいんですか?」とか、「男性役を志望したのは、ご自分の性別に違和感があるからですか?」なんて不躾なインタビューはしないでしょう。

 もし、もしですよ? これは私の個人的な意見なので誤解しないで欲しいのですが、女形を務める方や、男役のタカラジェンヌがLGBTQの当事者だとしたら、やはり彼らは、舞台以外の世界で生きるLGBTQの方々同様、差別されるんでしょうか?


 ——多分、されないんじゃないかな?


 きっと、「それがキャリアに生かされている。あなたらしくて素晴らしい」なんて言われるんじゃないかな。


 本当に、歌舞伎役者やタカラジェンヌに当事者がいるかなんて分かりません。私にはタカラジェンヌの知り合いが2人いますが、どちらも娘役なので。


 ちょっと結論が見えにくくなっちゃったんですが笑、言いたいことはこれです。


 もしなら、肩書きの強調やアイデンティティのカミングアウトなんて必要ないんじゃない?


 ってことが、言いたかったわけです。


 まぁ、私達が人のことを知る手がかりって、どうしても帰属情報とかになりがちだし、そっちの方が手っ取り早いので、「あなた」として認めるってかなり難しいとは思いますが……。

 それに、経歴は実際に社会で指標としても用いられますし。

 でも性的指向は社会の指標にはならんだろ。あなたゲイならこっちのルートですね、とか言われる社会は鳥肌モノですよ。そもそも異性愛者ヘテロセクシャルが正規ルートだなんて、誰が決めたの?


 だから私は、LGBTQなんて括りが意味をなさないような、そんな世界になればいいよねーって思ってます。わざわざ浮き彫りにすることないじゃない? みたいな。みんな同じ人間なんだもの。人種だって、その括りが意味を成すのは多分、医学分野だけです。コロナは何系がかかりやすいとか、このワクチンは何系には不向きとかね。


 脈絡ない感じの流れでごめんなさいね。

 でもこれが、私が伝えたかったことです。少しでも伝わるといいなぁ。


 今度は肩の力抜いて読めるテーマで書いてみたいと思います。

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