「この飛竜ワイバーンの怯えよう、一体何が……」


 竜舎場を駆けながら、カイは上空を見上げ侵入者の姿を探す。

 空を舞う数多の飛竜。

 一見無秩序に見える動きの中から、カイは彼らが怯えている敵の方向を見出す。

 敵は学園アカデミーに隣接する森の方向から向かっていた。

 魔物か、他国からの差し金か。


「あるいは──」


 刹那、体を震わせる咆哮が響き渡る。

 紛うことなき飛竜の嘶き。

 そしては、木々の中から姿を現した。

 漆黒の鱗。

 細く筋肉質な体躯。

 角張った顎に湛えられた鋭牙。

 まみえる者全て獲物とばかりに恍惚の色に染まった紫色の瞳。

 その姿を、カイが間違えるわけもない。


堕落飛竜ディプレイブド・ワイバーン!!」


 紛うことなき、堕落飛竜ディプレイブド・ワイバーンがそこにいた。

 堕落飛竜とは精神汚染術式マインドポルーションによって体内の魔素構築ごと書き換えられ、術者の意のままに殺戮を行うように洗脳された飛竜だ。術式そのものが諸国家で禁忌とされている術式である以上、扱う術者は限られると考えていい。

 たとえば先日学園を襲った邪竜教団の軍師、ギルス・ジェージス。

 彼は多数の堕落飛竜を引き連れてこの学園を落とすべく襲撃してきたわけだが、その野望はカイやシュウ達により打ち砕かれた。残されていた堕落飛竜に関しても、シュウに拿捕されたギルス自身によって洗脳を解かれたはずである。

 カイは思案する。

 もしあの時、洗脳を解かれていない個体がいたのなら。

 もしあの時、ギルスの解術の作用範囲外──それこそ森の中などで、今まで隠れていた個体がいたとしたら。


「十中八九、その筋か」


 この堕落飛竜は、先の学園襲撃事件の残党なのだ。


(来い、フェーヴァ!)


 大きく息を吸い、カイは首から下げていた龍呼笛りゅうこてきを吹き鳴らす。

 本来なら背負うシュウは置いていくべきなのだが、容赦無い堕落飛竜が相手である以上放置するわけにもいかない。

 竜呼笛の音を捉えてか、紫黒の瞳がカイに向けられる。

 堕落飛竜の喉元が緩やかに発光し、あぎとが開く。

 一撃で人すら灰燼と帰す火球が、カイとシュウに向けて放たれた。

 表情を崩さず冷静に、カイは来た道を戻るように駆ける。

 それと同時、上空に防御魔法を展開。前回の戦闘の反省から、防壁には凍氷フロスト属性エンチャントを上乗せしておく。火球は直ぐさま魔方陣サークルに衝突し、けたたましい爆発音を響かせる。

 その下を縫うように、地面スレスレを飛ぶ蒼いモノがカイに接近していた。

 流麗と表するのが相応しい、細身の蒼竜。

 かけがえのない、カイの相棒。


「フェーヴァ!」


 竜呼笛の音を聞きつけて飛んできたフェーヴァに飛び乗り、カイは地を離れた。火球の爆発で視界が遮られているうちに、カイは堕落飛竜から距離を取るようにして上昇する。

 そして、カイは堕落飛竜と相見えた。

 通常の一対一ならば、理性を失った飛竜相手にカイが負けることはない。ただし、それはこちらにハンデが無い場合だ。カイは今、背に大きなハンデを背負っている。


「だぁ!」


 籠の中でシュウが元気に声をあげる。

 もしシュウが背に紐でがっちりと縛られていたのなら、カイに特段の憂慮は無かっただろう。しかし今のシュウは飛竜の卵運搬用の籠に放り込んであるだけであり、もし逆さにでも飛べば落としてしまう可能性があるのだ。急下降も然りである。

 それでも、シュウはこの状況でも泣く素振りも見せない。


「まったく、生まれながらの竜騎手ドラグナー様は頼もしいな!」


 皮肉に口の端を吊り上げ、カイはフェーヴァの手綱を引いた。

 弧を描くように、フェーヴァは堕落飛竜へと飛んで行く。


 “孤竜相対せば後のみ勝る”


 初等科で最初に教わる、竜騎手ドラグナーの基礎。

 孤竜──つまり騎手のいない飛竜は、前にしか攻撃できない。

 故に飛竜同士の戦いでは、よほどの実力差がない限り背後をとった者が勝利をおさめることになる。竜騎手ドラグナーを乗せた飛竜同士の戦いにおいても同様のことはいえるが、背後に攻撃を仕掛けられる竜騎手ドラグナーがいるぶん単独ほど大きな問題ではない。それでも戦闘を有利に進めるため、カイは後ろをとるべきだと判断した。

 しかし、相手も並の飛竜ではない。カイの意図に気付くやいなや、堕落飛竜はほぼ直角に旋回する。すぐさまカイも手綱を引き、振り切られないよう追従する。

 フェーヴァを操りながら、カイは攻撃のタイミングを図る。


(まだだ、もう少し距離を詰めねば確実に当たらん)


 カイの魔素量は乏しい。

 普段のカイは多くの竜騎手ドラグナーと同様、月の光を魔素に変換し蓄積する性質を持つ月光石を填めたガントレットから魔力を引き出すことで魔法を行使している。しかしカイのガントレットは自室に置きっぱなしであり、手綱を握るのは素手だ。

 確かに人間も、体内に少なからず魔素を蓄積している。

 とはいえ、それも無尽蔵というわけにはいかない。戦闘において月光石を必要としないのはアリシアのような優れた血族の者であるか、シュウのような突然変異的に魔素多量蓄積体質を獲得した、ごくごく一部の人間だけである。本来ならば、カイもアリシアと同様に魔素多量蓄積体質を譲り受けていたはずだった。

 しかし、現実はあまりに非情だった。母親の急病による早産の結果、カイは魔素多量蓄積体質を受け継ぐことができず、母もまたカイを生んですぐ天に召した。俊秀である兄と比較されることも相まって、周囲の貴族だけでなく親族からですら落ちこぼれの烙印を押される忌み嫌われた存在。それこそがカイ・ヴァールなのだ。

 運命のいたずらで、才能を手に入れたシュウ。

 運命のいたずらで、才能を受け継げなかったカイ。

 だからこそカイは、シュウに対し憎悪を抱かずにはいられなかった。


 それは本来、自分が譲り受けるはずだったモノなのではないか──。


 もちろん二人の間に因果はなく、ただの八つ当たりでしかない。それでもシュウの姿に、カイは自分の幻影を見出さずにはいられなかった。もしも自分が生まれていたのなら、その場所にいたのは自分だっただろうと信じて疑わなかった。


(それも全て、馬鹿馬鹿しい妄想だったわけだ)


 確かに、運命は生まれを決めるかもしれない。

 しかし運命ですら人を縛る鎖となりえないことを、今のカイは知っている。

 だからこそカイも、運命に抗うことを決めた。

 必死に足掻き、歩みを止めなかった。

 気高いだけでは何も変えられない。泥臭くて上等だ。

 己が全てを振り絞ったその先にこそ、翼があるのだから。


「──狙うは、ただ一撃」


 堕落飛竜を仕留めるだけの攻撃魔法は、カイの残る魔素量では一度しか使えない。

 ゆえにカイの決めた作戦も単純明快だった。


 全力の一撃を、確実に命中させる。


「クルルァ!!」


 それに呼応するフェーヴァのやる気は申し分ない。

 近頃の療養で溜まりに溜まった欲求不満に鱗を震わせ、自らに傷を付けた相手を機敏に追従する。カイもまた堕落飛竜の旋回する際の挙動やテンポを逐一観察し、行動の予測精度を上げていく。


(次の次だ、そこで決める)


 手綱を握る右手にカイは意識を集中する。

 全身に散在する魔力を、焦らず、それでいて迅速に集める。

 堕落飛竜がターンする。一瞬見えた堕落飛竜の顎に、紫炎が蓄えられていたのをカイは見逃さない。

 カイの読みが正しければ、相手は次に旋回した瞬間に攻撃を仕掛けてくる。それを躱し、カウンターを決めてやれば堕落飛竜を倒すことができる。

 魔素の集積したカイの右手が淡い燐光を放ち始める。

 二頭と一人の風が、高く高く昇っていく。

 堕落飛竜が陽光に隠れようとしているのは明らかだった。直線で追えば敵の術中に嵌まることになる。カイが手綱で誘導するまでもなく、フェーヴァは弧を描くように回り込む。

 そうしてフェーヴァとの距離が生まれたのを確認して、堕落飛竜はくるりと頭をカイ達に向けた。


「グルルルルアアアアア!!!!!」


 刹那、紫炎が爆ぜて火球が吐き出される。


「いくぞフェーヴァ!」


 カイが手綱を押すと同時、フェーヴァが果敢に飛び込んでいく。

 ギリギリまで引き寄せてから、フェーヴァは火球を腹を掠めるほどの紙一重で躱した。カイの頬を熱風が過ぎていき、伸びた銀髪を激しく靡かせる。

 もう敵は目の前だった。

 カイが右手をかざす。

 掌に浮遊するのは、爆飛楔エクスプロードウェッジ。槍の先端に生成したものを突き刺し爆発させる近接用武装魔法・爆裂楔ラッシュウェッジを射出魔法と併用することで射程距離を伸ばした応用魔法である。

 これもまた、シュウから学び得たものだった。

 シュウが《地母竜の護り手》ニンフルサグ家令嬢・キシャルに頼み込まれて仮婿役として付き添い、そして当然のようにカイも巻き込まれた鎮震祭の一件。荒ぶる地母竜・ガイアスとの戦闘の最中、シュウが咄嗟の判断で繰り出したキシャルとの連携極魔法・爆飛竜槍エクスプロードドラゴニックスピアこそが爆飛楔エクスプロードウェッジの原型である。地母竜を怯ませた本家と比べればあまりに頼りない技だが、それでもこの魔法こそカイが自身で磨き上げてきた渾身の一撃であり、堕落飛竜を射落とすことのできる一閃だった。

 燐光を見て、狂喜に溺れていた堕落飛竜の顔が強張る。

 爆飛楔エクスプロードウェッジの狙いが定まる。

 勝敗は決した。

 カイがそう思ったときだった。


 ぶつっ。


「っ――」


 何かの切れる音。

 同時に、右肩に掛かっていた重みが消えていく。


「だぁ?」


 それはシュウを入れていた背負い籠の肩紐が、空中戦の衝撃についぞ限界を迎えた音だった。

 驚きから狙いがずれ、放った爆飛楔エクスプロードウェッジが堕落飛竜を掠めて地上へ飛んでいく。


「っ、しまっ――」

 

 カイがリアクションを取る間もなく、堕落飛竜が足の爪を立て襲いかかる。フェーヴァの緊急回避にカイも大きく揺さぶられる。

 その勢いで籠の中に収まっていたシュウは宙に投げ出された。


「だぁー!」

「シュウ!」


 落下していくシュウを捕まえるため、カイは手綱を引いて旋回する。それは堕落飛竜に背後を取らせるということでもあった。

 身を包んでいた布地が飛び、まさしく生まれたままの姿になったシュウが落ちてゆく。背後から迫り来る強烈な殺気に気を配りながらも、カイとフェーヴァは真っ直ぐにシュウを掴むべく降下する。


(くそ、このままでは)


 焦燥する心を抑えながら、カイは次の一手を考える。

 まず最優先はシュウだ。今の速度で追えば、地上に落ちる前には捕まえることができるだろう。しかしその間、背後を無防備に晒すことになる。かといって火球のような攻撃を避ければ、それがシュウに当たる危険性も高い。防御魔法で防ごうにも先の爆飛楔エクスプロードウェッジでカイの魔素は底をついた。ならばシュウに当たらないよう軌道をずらしながら飛行すれば、いやそれでは地上までにシュウに追いつけない――。

 結局このまま、シュウを庇って飛ぶ他にない。

 シュウとの距離が縮まる。

 反比例して、背後からの威圧感は大きくなっていく。

 またフェーヴァに怪我をさせることになるのか。

 いや、あの威力では俺もろとも……。


(少なくともアイツだけは――)


 シュウだけは、助けてやらねば。


「すまない、フェーヴァ」


 地上が近付きシュウが一翼ほどの距離にまで来たところで、カイは手綱を離し、フェーヴァの背から離れた。


「クルァ!」


 フェーヴァの驚く声に振り向く余裕もない。

 飛びつくように、カイはシュウを抱き掴んだ。


「だぁ!」


 こんな状況だというのに、シュウはいつもと変わらぬ純真無垢な瞳を輝かせている。

 一族から烙印を押されているカイとは違い、シュウはこれからの王国竜騎手団を牽引していくべき存在で、必要とされる未来がある。

 その未来を守ることができるのならば、俺のこれまでにも……そして今にも、きっと意味があるのかもしれない。

 地に落ちるまで、あと数秒もない。


「さらばだ、シュウ」


 我が好敵手ライバルよ。


 カイはシュウの頭を胸に抱きかかえた。

 フェーヴァは追ってきていない。シュウの意図を汲んで、堕落飛竜の注意を引きつけてくれているのだろう。その証拠にこちらに殺気が――。


「――な」


 跳んだ反動で体が反転し、不意に見えた空。

 そこにはまだフェーヴァも、堕落飛竜もいた。

 しかし、事態はカイの予想とは大きく異なっていた。

 堕落飛龍に向かって放たれた白亜の熱線が、その片翼を焦がしていたのだ。


(あれは!)


 カイの引き延ばされた意識に、遅れて轟音と咆哮が届く。

 その火をカイは知っていた。何度も目にしてきた火だった。

 理解すると同時、あと数瞬で地面に叩き付けられるというタイミングで、カイはシュウごと胴体を鷲掴みにされた。


「あいぃう!」


 シュウが拙い滑舌で、その名を呼ぶ。


「グルルルァ!」


 アィーヴ――“竜と共に生まれし子”シュウ・ディンカーの片割れが、相棒の危機に駆けつけたのだ。


「……ははっ」


 死を覚悟したばかりだというのに、カイは笑わずにはいられなかった。

 竜呼笛で呼ばずとも相棒の危機を察して勝手にやってくるような飛竜が、はたしてこの世界に何頭いるのだろうか。しかも、シュウは赤子に姿を変えているのだ。

 やはり、コイツらにはまだまだ敵わない。


「それでこそ、我が好敵手ライバル―――!!!!」


 消えかけていたカイの闘志が再度燃えさかる。

 アィーヴは器用にカイの服を口で咥え、ひょいと背に放り投げる。カイもアィーヴの心を読み、手綱を掴んだ。


「あう」


 シュウもまたアィーヴの手綱を掴む。その手はしっかりとしており、何があろうとも離しそうにはない。カイは制服のブレザーを丸裸のシュウに着せてやる。


「いくぞ、シュウ、アィーヴ!」

「だぁ!」

「グルルァ!」


 大きく翼をはためかせ、アィーヴは上昇する。

 空中では再び制空権を取り戻そうとする堕落飛竜に対し、フェーヴァが牽制の攻撃を仕掛けていた。


「グルルァ!!!!」


 アィーヴが再び熱線を吐く。

 しかし一度見た攻撃ゆえか、堕落飛竜は難なくそれを躱した。


「さすがにもう通用しないかっ」


 もとよりアィーヴの熱線は、威力こそ凄まじいが予備動作が分かりやすいうえに軌道も直線で短時間のため、初見か相手の動きが緩慢な場合にのみ有効なものである。竜騎手ドラグナーが騎乗していないぶん身軽な堕落飛竜相手に二回目は通用しない。火炎袋の退化した蒼竜種であるフェーヴァに関しても、威嚇用に炎を口に蓄えるのが精一杯なのだからとても空中戦では武器にならない。


「くそっ、ここでまた決定打が」

「だぁ」


 シュウがカイの服の胸元を引っ張る。


「すまない、今考えてるんだ」

「だぁ!」

「あぁもうだからだな――」


 しつこい引っ張りに視線を下ろす。

 シュウの体が、仄かに白い光を帯びていた。


「これは、まさか魔素……!?」


 幼子になろうとも、その力を保持しているというのか……!?

 手を伸ばすと、シュウはカイの手を掴んだ。

 瞬間、カイの体が灼けるように熱くなる。


「くっ」


 それは今までカイが体験したことのない、魔素の奔流だった。血管を、神経を通って身体の隅々にまで魔素が流れ込む。一瞬にしてカイの全身が魔素に満たされても、シュウの目映さは一切弱くなっていない。


「まったく、馬鹿げている」


 苦笑――それから真一文字に唇を結び、カイは顔を上げる。

 再び右手に体内の魔素を集中させる。

 先程の水色から白色に変化した爆飛楔エクスプロードウェッジが、一つ、二つ、三つ……カイを包み込むように連なっていく。

 せっかくの機会だ、好き放題やらせてもらおう。

 カイの周囲に合計五十の楔が生成されるまで、十秒もかからなかった。

 その間もアィーヴが熱線を放ち、フェーヴァが牽制して堕落飛竜の動きを制御する。


 フェーヴァが離れ、アィーヴが真上に来たその瞬間を、カイは見逃さなかった。


爆飛楔エクスプロードウェッジレイン!!!!」


 爆殺の雨が拡散し堕落飛竜に降り注ぐ。

 最初こそ懸命に躱していた堕落飛竜であったが、避け切るには至らず五本を受け、そのまま竜舎場の枯れ草へと落下していった。

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