「はぁ、はぁ……ここなら大丈夫だろう」


 講義棟を飛び出したカイは、そのまま走り続け竜舎場に辿り着いていた。

 すでに授業は始まっており、生徒の姿はない。カイ自身は授業をサボってしまうことになるが、シュウを抱えていてはどうせまともに受けられなかっただろう。

 ふぅ、と息をつく。


「ここまで来たなら、フェーヴァの様子を見に行くか……」


 学園アカデミーで最も広い敷地の充てがわれた竜舎場のうち、療養明けのフェーヴァがいる竜舎は講義棟から最も遠い所にある。日に一度は必ず顔を出す場所ではあるが、その遠さにはカイも辟易していた。


「ま、息を整えるのにはちょうどいい」


 シュウを抱きかかえ、カイは竜舎の間を歩く。

 すると通りがかった竜舎の中に、卵運搬用の背負い籠を見つけた。


「ふむ」


 カイは近づき、籠を拝借することにした。

 シュウを中に入れ、背負って立ち上がる。

 重いことは重いが、抱きかかえたままよりはずっとマシだった。


「腕が疲れた。これで我慢しろ」

「だぁ」


 シュウを背負い、カイは道を歩く。

 竜舎の多くは空いていた。演習でその場を空けているのだろう。そうでない飛竜も頭上で仲間と戯れる姿が陽光の中にシルエットとして浮かぶ。竜舎の餌で足りず森にまで狩りに出掛けている個体や、日光浴に向いた岩場に向かった個体もいるのだろう。残る飛竜は管理職員から肉を貰っていたり、敷かれた枯草の上で気持ちよさそうに寝そべって休息を謳歌するなどしている。

 どこからか聞こえてくる竜の嘶きを聞きながら、カイは歩く。

 平和だ、とカイは思った。

 何せカイが学園アカデミーに入学してからというもの、平穏と呼べる日々が長く続いた試しがないのである。王国きっての竜騎手ドラグナー育成機関である学園の存在はそのまま未来の王国の軍事力に直結するわけであり、近隣各国からの魔の手は日常茶飯事。それを退けながら切磋琢磨することこそが、ある意味で学園の生徒達の日常であり、訓練過程なのだ。当然といえば当然だろう。

 ただしカイはいつも、騒動の中心近くにいた。

 全ての原因は言わずもがな、背の籠に入った男だ。

 シュウ・ディンカー。

 “竜と共に生まれし子”として周囲の注目を集め、涸れることの知らない才能の泉を持った、生まれながらの竜騎手ドラグナー。入学早々プラーミア家令嬢アリシアを騎竜戦で打ち破り、その後も躍進と活躍を続ける、期待の星。

 しかしそのような付属する物語に、カイは一切の興味が無い。

 カイが見据えるのは、ただ二つ。

 竜騎手ドラグナーとしての、シュウの才能と実力。

 そして彼を打ち倒すために必要な、己の鍛錬。


 入学当初、カイの世界は複雑だった。


 ヴァール家の名を背負っている以上生じる責務。

 才能の無い自分を飾るための知識や振る舞い。

 長男ではないとはいえ、カイにとっての学園アカデミーは立派な社会であり、気を抜いてはならない場所だった。竜騎手ドラグナーとしての技術を叩き込みながら、貴族としての教養を深める場所であった。

 そんなカイの世界を背の男は――シュウ・ディンカーは、易々と打ち砕いてしまった。世界はもっと単純であると、カイに教えてくれたのだ。


『俺はなってやる、世界最強の旗騎士バナレットに!』


 初めて敗北を喫したあの日。

 曇りの無い、自らの未来を疑わぬ澄み切った瞳を見たあの時。


 ならば俺は――俺は、コイツを、超える。


 カイもまた、そう誓ったのだ。

 

「――だというのに、お前はいつもいつも」


 周囲に人が見当たらないことに油断してか、カイは心情そのままに言葉を吐き出してしまう。ああそうだ、全部言ってやろうではないか。何だって今のシュウは、ろくに反論も言い返せないのだ。


「最強を目指すのであれば、もっと真面目に鍛錬したらどうだ? 女共と戯れたり居眠りこいたりしているばかりで、ろくに魔法の講義も受けていないではないか」


 それでもシュウは、魔素量の貧弱なカイでは到底使えないような魔法を使ってみせる。


「操竜訓練もだ。いつもアィーヴとじゃれ合うだけで、技術らしい技術を覚えようとしないではないか」


 それでもシュウとアィーヴは、学園アカデミーの誰よりも、どんな飛竜ワイバーンよりも過激に、自由自在に、美しく空を飛んでみせる。


「誰にでも優しい? ほざけ、何も考えず他人を信じ切っているだけだろう。そんないつ誰に足下を掬われるかも分からぬ人間が、最強の竜騎手ドラグナーになぞなれるものか」


 だからこそシュウは、敵の心すらも救ってみせ――。


『何言ってんだ、友達だろ、俺ら』


 カイ相手にも、友人として手を伸ばすのだ。


「だから、大嫌いなんだ」


 だからこそ、憧れるのだ。



「「「グルアアアアアア!!!」」」

「っ――!?」



 身体を震わせたそれが飛竜の咆哮であることにカイが気付くまで、僅かな遅れがあった。

 上空を見上げる。戯れに飛んでいた学園の飛竜達は秩序を乱して散り散りに空を舞い、怯えるような声で鳴いている。そのような反応が示すものなど、カイには考えるまでもなかった。学園の平和を乱そうとする者が、敷地内へ侵入してきたのである。


「くそっ、こんな時にっ!」


 ここまで逃げてきたように、カイはまた走り出す。

 向かう先はもちろん、相棒・フェーヴァのいる最奥の竜舎だった。

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