幼児化したシュウ・ディンカーをカイ・ヴァールが世話したりするSS
緒賀けゐす
本文
1
「大変だ! シュウ君が……シュウ君が子供になってしまった!」
そう叫んだのは
マギラが偶然生み出した、効果不明の薬品。
ポーションと間違えてうっかり誤飲した、成り行きの被検体──シュウ・ディンカーは、その姿を幼きものへと変えていた。
齢でいえば二歳程度だろうか。整った顔立ちはすっかり輪郭を丸くし、癖っ毛気味の頭髪をさらに跳ねさせ、赤茶色の瞳をきらきらと潤ませている。
「この薬は飲んだ者を幼児化させてしまうのか……! よし、この薬の名は〈
ああ、私ったらなんて天才!
ろく洗っていない薬品臭い白衣をドレスのように靡かせ、マギラはくるくると回る。回りながら、さらに思考を巡らせる。
作用機序はどうなっている? 単純に身体構成魔素の構造変化作用か? それともまさか、時間順行魔素代謝の指向反転? だとしたらこれはとんでもない発見だぞ……!?
「だぁ?」
「あぁごめん、ちょっと今考えてる最中だから後にしてく、れ――」
床に尻を着いて座るシュウに目を向け、マギラは回転と共に考察を止めた。薬の解明よりもまず対応しなければならない問題に気が付いたのである。
「この薬、効果はどのくらい持続するんだ?」
* * *
男子寮の自室で読書をしていたカイ・ヴァールの自室へ、マギラはノックの返事も待たずに入り込んだ。もちろん、幼児化したシュウを抱えて。裁断前の包帯用布地でくるまれたシュウを見た瞬間に面倒事であることを察したカイは目を細め、薄く潤った唇を真一文字に結んだ。
かくかくしかじか。
マギラが状況を説明する。
話の進行に合わせ、カイの表情はより険しいものとなる。
「……というわけだ、元に戻るまでシュウ君の面倒を見てやってくれないか」
「断る」
当然、カイは否を突きつけた。
「なぜ俺が面倒を見なければならないんだ。普段からこいつに付きまとってる、あの女どもに任せればいいだろ」
「いやまぁ、そうかもしれないんだけどねカイ君。後が怖いじゃないか」
「後?」
「例えばほら、このチビシュウ君をアリシア嬢に預けるとする」
「ふむ」
「アリシア嬢は熱心に面倒を見てくれるに違いない。他の面々も同様だろう。しかしだよ、頼まなかった他の女性陣から、私は何て言われる?」
「……そういうことか」
これは、「幼くなったシュウをお世話する」という、彼女達にとって今後訪れるかどうかも分からないチャンスなのだ。カイに理解できるものではないが、彼女達のシュウへの惚れ様を知っている以上、そうなのだと言われれば頷くばかりである。
もしそんな機会が、他人に取られてしまったと知った時。彼女達は自分を選ばなかった者を――マギラ・アズキリカを――果たして無事で済ますだろうか。
少なくとも、竜の餌にされかけることは免れまい。
「とはいえ、俺に世話を任せたところで非難が減るように思えんが」
「いやぁ、男女の差は大きいよカイ君。少なくとも他の女に取られるよりは同性のカイ君が面倒を見るほうが平等性が保たれる。カイ君にとっても滅多に無い、貸しを作れるチャンスだと私は思うんだけどなぁ」
利を説くマギカに、カイは「くだらない」と吐き捨てる。
「俺がコイツから欲しいものはただ一つ、勝利だ。貸しを作ったから後で返せなどという、生温く気持ちの悪い関係ではない。断固、お断りだ」
「暑苦しいなぁ……友情はいいけど、それが相棒の命の恩人に対する誠実な態度だと言うのかい?」
「ぐっ」
マギラの言葉に、カイは苦虫を噛み潰したような表情となる。
ようやっとほとぼりの冷めた、邪竜教団を元凶とする
学園でも一目置かれる魔法と操竜技術をもって、カイは敵を圧倒した。しかし終盤、一瞬の隙を突かれ相棒の
フェーヴァが現在後遺症もなく再び空を飛べているのは、知識と腕だけは確かな
不本意ながら、カイは頼みを引き受けるしかなかった。
「君が来るまでに色々調べてみたけど、恐らく薬効成分が全て分解されればシュウ君も元に戻るはずだ。一応解毒薬は作っておくが、そのままでも長引いて二日というところだろう」
「……だぁ?」
シュウが首を傾げる。
小さな手に指を握らせ、マギラは笑う。
「うんうんそうだよ、このお兄さんと仲良くしてるんだ。いいね?」
一見すれば微笑ましい光景に、カイは深くため息をこぼした。
* * *
「ねぇ見て、カイ様が……」
「誰の子……? まさか、カイ様の隠し子とか!?」
「そんな!? カイ様に、カイ様に限ってそんなことありえないわよ!?」
「……」
学園講義棟、廊下。
布にくるんだシュウを抱えて歩くカイに、生徒達の視線が突き刺さる。
元より、眉目秀麗で優等な成績を修めるカイだ。ただ歩いているだけでも周囲の目は引くし、羨望の眼差しで見つめる女子生徒も少なくない。
そんなカイが突如として幼児を抱いて現われたのだから、注目を集めない方が無理な話だ。
とても、居心地が悪い。
講義棟を訪れたのが間違いだったか。
後悔し、項垂れる。
「だぁ?」
そんなカイを、シュウは不思議そうに見つめていた。
「まったく……それもこれも、お前が確認もせず薬を飲むからだ」
相手を疑わなず、見境なく手を伸ばすシュウの行動に、カイは何度も振り回されてきた。悪意ある者の口車に乗ったところを横から助けたり、首を突っ込んだ面倒事の解決に手伝わされたりした回数はもはや数えてすらいない。
どうしてお前は、毎回俺がいるときに面倒事に関わるんだ。
実際に尋ねてみたこともある。
シュウはきょとんとした顔をし、それから少しばかり思案してこう答えた。
『最悪カイを巻き込みさえすれば、大抵の物事は解決するからな!』
頭頂部にげんこつを喰らわせ、『お前の保護者になった覚えはない!』と返したことをカイはよく覚えている。だからこそ、この状況に頭を抱えたくなるのだ。
「これでは名実ともに保護者ではないか……」
「だぁ!」
「痛っ、こら、頬をひねるな!」
幼児と戯れるカイを遠巻きに見つめる女子生徒の集いから、「羨ましい」や「私も頬をつねりたい……」、「あの子は私とカイ様の子、あの子は私とカイ様の子……!」などといった囁き声が漏れ聞こえる。
その向こうから、一人の少女が廊下を歩み進んできていた。
「あら? カイ?」
気品の中に隠しきれぬ高飛車さが含まれた声音にカイが振り向く。そこには予想通りの――そして今、最も遭遇したくなかった人物のひとりが立っていた。
腰まで伸びた滑らかな金髪。翡翠色の瞳。
制服の胸ポケットの上に光る、
「アシリア、貴様なぜここに……!?」
「なぜって、授業だからに決まってるでしょ?」
怪訝な表情でプラーミア家令嬢、アシリア・イグニス・プラーミアは首を傾げた。カイが心の中で呼ぶところの、シュウに惚れてる女その一、である。
「あら、その子は一体?」
「ぎくっ」
反射的にシュウを隠すために背を向けるカイ。
その動きが気になり、アリシアはカイの正面に回り込もうとしてくる。それに合わせてカイもまたくるりと回り、アリシアがまた回り込むために移動して……。
そんな不毛な回転運動を五周ばかり行ったところで、アリシアは「あぁ、もう!」とカイの肩を掴み、正面を向けさせた。王国きっての名家の令嬢とはいえ、一流の
「じー」
まじまじと、アリシアはカイに抱かれたシュウを観察する。
最初は真面目そうな表情で見ていたアリシアの表情が、段々と綻んでいくのをカイは目の当たりにした。
「だぁ?」
「何でしょう……このくりくりの髪の毛といい純真無垢な瞳といい、何だかとても愛おしくてたまらなくなってきます……か、かわいい……!」
目を爛々と輝かせ、アリシアはシュウへさらに顔を近付ける。
そりゃお前の惚れてる男だからな、というツッコミをどうにか喉で留め、カイはこうした非常事態のために考えていた嘘の事情を話す。
「し、知り合いの子でな。少しばかりお守りを任されたのだ」
「そうなんですね……少し抱っこしても?」
「そ、それは――」
カイがシュウのお守りをしているのは、アリシアを含む、シュウを囲んでいる女子生徒達の誰かだけに幼児化シュウを独占させないためである。いっそのことこのままアシリアに任せてしまうのも手なのだが、それでは義理のあるマギラを裏切ることになる。ヴァール家の名に泥を塗ることだけは避けなければならない。
くそっ、どうすればどうすればどうすれば――。
「し、失礼する!」
「えっ!? ちょっと、カイ!?」
気が付けばカイはアリシアの手を振り払い、来た方向へ廊下を駆け出していた。抱かれたシュウは、「キャッキャ」とその動きに喜んで笑う。
「変なカイでしたわ……しかしあの子供、どこかで見たような……」
走り去るカイの背中を、アリシアは不思議そうに見送った。
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