第5話 静止した時間の中で
誰だ、小説は閲覧数が多いなんてガセ情報を流したのは?
誰だ?SNSを活用すれば瞬く間にPV数が増え、若者や女子高生の注目の的なんて言ったのは?
アンチコメントの心配さえしたぞ、私は。
適当な数値で、のどかに賑わうぐらいが良いよねなんて夢想していた健気な私の純情を返せ。
あぁ嫌だ。夢見ていた時は楽しかったなぁ。もしタイムスリップ出来るなら、ウキウキで過ごしていたあの頃の、自分の背後に瞬間移動してこう呟いてやりたいね。
「そんな心配せずともよい。どうせ杞憂に終わるのだから」
ってね。はぁ、嫌だね。私はもう疲れたよ。
私が世間に興味を持たない以上に、世間は私に興味がない。
こんな事、頼めた義理なんてありゃせんが、少しは私に興味持て、世間。
とまぁ、再び愚痴で始まった訳だが、愚痴は女子の特権だろうから、少しは許しておくれ。もう少ししたら、自力で立ち直るから。
それにしてもまぁ……なんぞ、これ。かすりもせんぞ。
小説も読まれない、SNSに至っては再生0ときたもんだ、ふざけろ!
なんだ、エロを前面に出さないと伸びない法則でもあるんか、ネット社会は?
『温泉行ってみた』とか『○○の恰好で何々してみた』とか、同性の私からしたら「だからなんだ?一人でやっとれや」で済む話が、世間的にチヤホヤされるのだから、極めて業腹である。
あぁん!?私も『終末☆貧乳☆少女が全裸で演奏してみた!』とかやるか?
そこまでして再生数0だったら、もはや今生に未練などないから、その日のうちに即身仏になる自信があるよ。やらないけどね。
さて困った。活動開始してまだ二か月ちょっと、早々にして万策尽きた。
自力で再生数を上げる地道な作戦もない訳ではないが、それをやったら終わりな気もする。
プライドだけは――プライドだけは捨ててはいかん。
腐っても、私は誇り高き日本人だ。恥ずべき生を歩んで外道に堕ちるぐらいなら、正道を以て矜持を守る方が良い!
……という訳で、ひとまずアップした動画の確認でもするか。
えぇ?再生数を稼ごうとしてないかだって?
してないよ、そんなセコイ真似。ほら私、誇り高き日本人じゃん。
あくまで、自分の作品の至らない部分を客観的に見つめようっていう殊勝な心掛けに端を発した行動であって、これは不正でもなんでもない。
これに難癖をつけるのは、転進を撤退と言い張るぐらい悪趣味だぞ。
とはいえ、私の完璧な作曲に問題があるとは思えん。
寧ろ、奴の小説が足を引っ張っている疑惑さえ内心浮上しているぐらいだが、まぁ巻き込んだ手前、奴の事は好き勝手に放置しておく事としよう。
何かの間違いでヒットしたらおこぼれに預かるぐらいの、寛容な気持ちでいるのが心の毒ともならずに良かろう。
作曲は完璧、小説は論外、それじゃあなんだ?ふうむ、袋小路だ。
物事、行き詰った時は視野を広くするのも一手だから、流行りの曲でも聞いてみたが、畢竟私の作品が劣っているとは全く思えん。
寧ろ、ハンデに片手で演奏してやろうかってぐらいの奴もチラホラいるぞ、自惚れでもなんでもなくな!
いやはや納得いかん。私が時代の先を行き過ぎているのか?
立ち止まっている場合ではないと、余生を気にしてブッチギリ過ぎてしまったのか、世間の感性を?
それなら納得も出来るというものだ。
作曲家とは芸術家である。
いつの時代だって、芸術家は常に時代の最先端を行く者だ。
であれば、私の作品が先を行き過ぎて世間の共感を得難いというのも十分理解できる。
なーんだ、私が凄すぎたのか、納得々々。
……本当にこれでいいのか、私よ。
よくないから悩んでいる訳だがね、現実を直視するのはいつだって勇気がいる事だよね。
でも二の足を踏んでいる場合ではいから、勇気も過ぎれば蛮勇と言われようとも解決の糸口を探す為、再度自身と対話していくしかない。
何かが足りないのであろう。それは朧気ながら感じている。
不透明で、粘着質で、その癖正体を掴もうとすると機敏に反応して逃げ出すような気持ち悪さ。
何だろうか。
喉の奥に答えは出かかっている筈なのに、最後の最後で吐き出しきれない気持ち悪さが、それから三日三晩続いた。
体力的にも問題のある私には、悩みを抱えて生きるのは過度なストレスであったらしく、余計に容体も悪化した。
だが、体調の悪化などは然るべき反応であって、運命の日が正しく近づいただけの事を今更嘆くのおかしい。
作曲は中々に失敗続きであったが、死に際する精神の素養については備えてきたつもりだ。
死の哲学とは、死に臨むべき人間の修める学問であり、死に向かう事を終着とする以上、日頃から死を迎える準備をしているのである。
そんな人間が、愈々死の間際に瀕したからと動ずるような醜態を曝すだろうか?
曝す筈がない。
成功したいと願った事が成功したとして、その成功に対して落胆する人間がいないように、日々死を迎える覚悟を持った人間が、死に際に嘆くなどないのである。
であれば、死の恐怖をも超越した私にして、いったい作曲の何を恐れる事があろうか。
万物の理に従って消えゆく定めであるならば、私のエゴと嘲笑されようとも何ら恐れる事はない筈であった。
芸術の恐怖は、時として人を縛る鎖となる。
自分の作品が、自分の作品でなくなるような錯綜感。
生まれ育てた我が子が手元から離れるような感傷。
時に、恐怖は人の肉体にも影響を及ぼす。
だが幸い、恐怖は私の肉体を蝕む事はなかった。
反抗期のように離れた我が子、悩み、巡り、澱み。
時間をかけて、ついぞ我が元へ帰る刹那、盲に塞がった眼前を、夥しい光量でもって照らす。
瞬断された芸術の恐怖は、我が身の急所を差し出したのだ。
死に際の作品――そう、遺作を私は作っているのにかかわらず、その内情たるや軽薄そのもの、聴き手の趣味に迎合し――ともすると、媚を売るかの醜態をさらしている訳である。
死ぬと決めた人間が、今更他人の顔色を窺っているのだとしたら、甚だ滑稽哀れな、誰も笑わぬ喜劇であろう。
仏作って魂入れずの例え通り、私の作品が、遺作という執念を感じさせずに世間の無関心に晒されるのも、基を正せば脆弱な心に起因するに過ぎない。
なんという事であろう。死をも超克したと嘯いていたが、なんて事はない。
恐怖そのものから目を逸らす弱性から、私はなんの進歩もしていなかった訳である。
結局、私の人生は最初から最後まで一人相撲だった。
だが救済の手が、最後の最後に差し伸べられた。
愚人己の愚を知りて、即ち賢者となれたのだ。
良かった、私は私を嫌いにならず、死ぬ事が出来そうだ。
愚者の烙印を押されて死ぬのは恥である。
聖賢の祝福をもって、私の魂は極楽浄土へと渡りたい。
さぁ、これが今生で最後の大一番となるだろう。
響け、私の曲よ。轟け、私の歌よ。死者本人による葬送曲を。
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