闇の軍勢本部のスパイ侵入疑惑
俺は早くもこの魔王の配下になってしまったことを後悔していた。
この魔王と名乗る女は、己の城に住まう者たちの3分の1を占める身元不確かな連中を事もなげに配下と称している。
これも王の器というやつなのだろうか。
いや、そんなはずはない。とにかく俺にはこの女の考えていることが理解できない。
「あの……、ヘレナ様。こいつら本当に貴方の配下なんですか……?」
「馬鹿を言うでない!我が屋敷、あっ違った。我が城に住まう者は皆、例外なく我が忠実な配下と決まっておろう!」
魔王陛下はそうやって胸を張り宣う。
この女は思考回路を高速化させるために大脳のシナプスの大規模なバイパス工事を行ったとでもいうのだろうか。
とにもかくにも、思考が浅すぎるし決断も早すぎる。
「この者たちはいつからいるのでしょうか?」
「思えば2年くらい前からは既にいた気がするのう。」
配下の管理が杜撰すぎる。
いた気がするで済ませていい問題ではない。
「恐れながら忠言を申し上げます。魔王陛下。」
「うむ。許可する。」
「この者たちは闇の軍勢本部に侵入した敵側のスパイの可能性がございます。少なくとも素性が明らかになるまでは拘束するべきかと。」
俺は仕事を引退した爺さんが庭に飾っている盆栽に足が生えたような連中を指してそう進言した。
この魔王城にスパイを送り込む意味がそもそも意味不明だが念のためだ。
魔王陛下はまるで、昔のSF長編映画で父の仇に驚愕の真実を突き付けられた希望の戦士のような表情をすると、ヒスピダとプルビアムに指示を出した。
「いかん!お主ら!彼奴らはスパイじゃ!速やかに拘束し地下牢に幽閉せよ!!」
「えーっと、抵抗するだろうからなるべく二人一組でかかるように。」
そうして、スパイ疑惑のかかった連中と元からいた連中との間で貧弱な戦闘が勃発し、スパイ疑惑連中は屋敷の地下牢に幽閉された。
かくして闇の軍勢の総戦力は3分の1の数を1日で減らし、総勢100名となった。
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闇の軍勢の戦力規模が限りなく0に等しいことを確認した俺はヘレナと共にまた食堂に戻ると、スパイの出自と今後の軍備拡張について話し合うことになった。
「妾はあの者たちに覚えがある。」
顎の前で手を組み、いかにもできる総司令官然とした姿勢で椅子に座る魔王陛下は真剣な眼差しで語りだした。
覚えがあるのならもっと早く気が付けたと思うのだが、なぜ自分の配下として当然のように受け入れていたのだろうか。
「覚えがあったんですね……。」
「うむ。あの者たちは恐らく大魔王の配下じゃ。」
上には上がある。とはよく言ったものである。
なんと魔王の上には大魔王という称号を冠する者がいるようだ。
魔王でこれなのだから、この世界の大魔王はもっと間の抜けた者に与えられる称号なのではないだろうか。
「その大魔王は何が目的なんです?」
「恐らく、妾の動向の監視であろうな。彼奴は妾のことを狙っておるのじゃ。卑劣にも我が屋敷の中にスパイを送り込むとは、彼奴の考えそうな手口よ。」
おい、屋敷って言ってるぞ。
喉まで言葉が出かかったが話が進まないので飲み込む。
「そうなると、スパイ行為がバレた以上、新たに刺客を送り込んでくるか直接攻め入ってくる可能性もありますね。」
「うむ。なればこそ、早急に軍備を拡張し戦に備える必要がある。まずはヒスピダとプルビアムを25体ずつ増やして失った穴を埋め合わせるのじゃ。」
魔王陛下は極めて真面目な顔をして方針を述べた。
あの小型の愛玩動物にすら引けを取る可能性がある魔物を増やしたところでいったい何の意味があるというのか。
野兎の群れに囲まれたところで適当にあしらって終わりだろう。
俺は魔王アジヌスの正気を疑う。
「ヘレナ様。憚りながら申し上げますが、あの魔物たちでは充分な戦力となりえません。」
「む。そうであるか?」
ヘレナは顔を上げると、目を丸くして首を傾げる。
その仕草に不意を打たれ、ほんの数舜だけ可愛らしいと思ってしまうが、雑念を振り払い話を続ける。
「ええ。残念ですが彼らは戦闘に不向きな種族と思われます。他の種類の魔物はお創りになれないのでしょうか?」
「無論、創れるぞ!妾は魔の真髄を極めた大魔導士であるからな!!」
信じられないことに魔の真髄を極めたらしい大魔導士ヘレナが誇らしげに胸を張る。
「どういったものをお創りになれるのですか?」
「イメージが出来れば何でもじゃ!今回はウィルマーの案を採用してやらんでもないぞ!」
何でも創れるのなら何故あんな無害な連中を魔物と称してまで100体も増やしたのか。しかもこいつは億を超える数を野に解き放ちやがったという。
一見すると、怪しげな研究所から逃げ出した検体の生物災害規模の惨事だ。
俺は理解に苦しんだが、俺の案が通るというのであればここは喜んで提案させてもらおう。
「ありがとうございます。ヘレナ様、確認しておきたいのですが、大魔王の使い魔は全てあのような植物なのでしょうか?」
「うむ。彼奴は妾と同じダークエルフの一族の中でも典型的な植物魔法使いよ。」
どうやら大魔王とヘレナは知己の仲らしい。
植物が相手なら除草剤を散布できる魔物を創ってもらうのが一番、効率が良さそうだが恐らく、イメージという所で頓挫するだろう。
俺も科学者じゃないのだから除草剤の成分なんざ知らない。
しかも、仮に創れたところで魔物に効くかも判らないし応用性にも著しく欠ける。
それならヘレナにも伝わって俺にも理解できるものを創ればよい。
俺はヘレナに自分のイメージを伝えると、早速、魔物召喚の儀が執り行われることになった。
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召喚の儀は玉座の間――これも名ばかりで実際は奥の壁に沿って椅子がポツンと置いてあるだけの広間であり、闇の軍勢の資金不足などが伺える――で行うのが闇の軍勢のしきたりらしく、俺たちは今そこにいた。
「ほ、ほれ……。お、お前の血を少し寄越すのじゃ……。な、何。妾が麗しいからといって、は、恥ずかしがることはないぞ……。」
威厳ある魔王陛下はそう言って俺に手を差し出すように指示する。
イメージから魔物を創造する際は具体化しやすいように、発案者の血液が必要とのことだった。
俺は遠慮なく陛下の手を取ると、陛下は「うひゃあ」といった情けない鳴き声を上げた。
「これでいいですかね?」
「う、うむ。では、は、始める。」
ヘレナは身の丈ほどもある大きな杖を中空から取り出すと、杖の石突を床に突いた。
すると、石突の先から赤い線の幾何学模様が広がり、イルミネーションのように輝きを放ちながら回転する。
『姿なき忠義の者よ 我 、魔導の深淵を極めし闇の一族が命ずる 与えるは我が紅血と我が朋友の血潮 脈打つ身躯を形作り、我が前に顕現せよ』
俺は初めてヘレナが本格的に魔法を使う姿を目にした。
先程までの平和ボケしたような顔から一転、表情を引き締めて呪文を唱えるヘレナの横顔は凛としていて、引き込まれるような美しさがあった。
ヘレナの詠唱に呼応し、俺の身体から力が抜けていくような感覚があると、幾何学模様の輝きが増し、目の前の床から2つの小さな光の球が立ち昇った。
青色と赤色に発光する2色の光の球は俺とヘレナの目線の高さまで浮遊すると形を成していく。
やがて、床に描かれた幾何学模様が消えると2体の魔物がその姿を現した。
「完成じゃ!」
「……これで、完成なのですか……。」
おい、嘘だろと目を擦る。
だが、俺の望みとは裏腹に見える景色は少しも変わらなかった。
「お前らの名前は今日からカチカチとメラメラじゃ!二人とも愛い奴じゃのぅ!はぁ~、かわゆいのぅ!!!」
ヘレナが召喚した魔物を両手で掴み、頬ずりをしている。
水色のトカゲと赤色のひよこのような生物がその手の中にいた。
大業な儀式により召喚された魔物はどちらも手のひらサイズの愛玩動物だった。
ひよこのピヨピヨという気の抜けるような鳴き声が魔王城の玉座の間に響き渡る。
「なんかちげぇ……。」
俺はそう呟くと、自己嫌悪に陥った。
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