一章 色なし姫の憂鬱②


    ***


「レイア様、陛下がお呼びです」

 午後の日差しのなか、静かにしゆうをしていたレイアをどこか慌てた様子の侍女が呼びにやってきた。

 とうとつすぎる呼び出しに、レイアはむなさわぎを感じつつ急いでたくを整える。

 儀式以外で呼び出されるなどはじめてではないだろうか。何かとんでもないことが起こったのかと不安になりながらろうに出れば、いく人もの侍女や騎士がひかえて待っていた。

 いつもならば冷たい視線とおざなりな態度で接してくるはずの彼らが、やけにていねいなことがさらにレイアの不安をあおる。

「姫様をお連れしました」

 通されたのはえつけんの間。玉座には国王とおうが並んで座っており、レイアを真っぐに見つめていた。

 両親からそろって視線を向けられることなど久しぶりで、レイアはとつに俯く。

「両陛下にごあいさつを」

「うむ」

 形式的な挨拶をし、他の王族が並ぶ末席に向かおうとすれば、そのままで、と呼び止められる。何故だろうと顔を上げ周囲を見回せば、アルトをはじめとした王族以外にも、国のじゆうちんたちや高名なじゆつたちが揃っており、その誰もがレイアに視線を向けている。

 まるでレイアが来るのを待っていたような雰囲気ではあったが、かんげいされているわけではないことをはだで感じ、心地ごこちの悪さに気分までもが悪くなってきた。

 そんな空気をかき消すように、レイアの目の前に一人の青年が立ち現れた。

 この国では見ることはないあざやかな赤毛とやわらかな緑色の瞳をした彼は、やはり少し変わったそうしよくしようぞくを身にまとっている。

 青年はやさしげなみをかべて一礼した。

「はじめまして、レイア様。私はククルードていこくに属する騎士、ハインハルトと申します」

「ククルード帝国の騎士様……?」

 この世界で一番大きな国、ククルード帝国。様々な民族がつどう軍事国家でもあり、おうとの戦いのせんじんを切る国。そして、レイアが憧れている勇者をしようかんした国。

 ぎこちないしやくでハインハルトにこたえながらレイアはまどいを隠しきれずにいた。自分がここに呼ばれた理由も、何故帝国の騎士が自分の名前を呼び、挨拶するのかも何もかも理解できない。

 そんなレイアにハインハルトはむなもとから小さな石を取り出した。

さつそくですがレイア様、この石を持ってみていただけませんか」

 ハインハルトの手のひらにせられたその石は、赤と黒が交じりあった不気味な光をうすとうめいまくで包んだような形状をしていた。レイアはそれが何かを知っていた。

「それはせきですか?」

「ええ。ご存知でしたか」

 魔石から目をはなせないままに、レイアは静かにうなずく。

 魔王がこの世界にもたらしたのはものによる争いだけではない。『しよう』と呼ばれるやみ属性のりよくから発せられるおそろしいけがれ。魔障は通常の回復魔法でははらうことができず、魔石で吸い上げてやわらげるのが精いっぱいだと聞いていた。

 王国はこの世界で唯一、その魔石にまった魔障を消す特別な技術を持っている。時間はかかるが、魔石から魔障を取り出し、再び利用できる状態にもどせるのだ。

 それが、王国が戦いに参加しないという態度をつらぬける理由だった。

 王国のげんそこね、魔石の再利用ができなくなれば戦いどころではなくなる。だからこそ、他国は王国に強い態度を取ることができないでいるのだ。

 まるでひとじちをとっているような王国のやり方が、レイアには理解できなかった。だが、周りのだれもそれを疑問には思っていない様子で、自分の方がおかしいのかと思うほどだった。

 王国の立場を支えている魔障を吸収した魔石を、色なしの自分に持たせて何をさせたいのかとこんわくしていると、それまで静観していた観衆の中から声があがる。

「ハインハルト殿どの。レイアは魔力を持たぬひめ。そんなものにさわらせてどうするつもりだ」

 とげとげしい声の主は、まゆり上げたアルトだ。ハインハルトをするどにらみつけている。

 その視線を受けたハインハルトは、ひるむどころかにこりと微笑ほほえむ。

「ちょっとした実験ですよ、アルト殿でん。国王陛下もりようしようされています」

「実験だと?」

 アルトとレイアはほぼ同時に父である国王に視線を向けた。レイアたち同様に美しい青いひとみをした国王は、感情のない瞳をレイアに向けている。

 国王が自らレイアに話しかけることはめったにない。かといって、王妃やほかの王子のように冷たくき放した態度を取ってくるわけでもなく、いつも冷静な態度で接してくる。父親というよりは従うべき国主であるという印象が強かったが、どこかで娘として愛してくれているかもしれないという期待もあった。

「レイア、彼の言う通りにするのだ」

 きっとこのこうには意味があるのだと信じ、差し出された魔石をなおに受け取る。

 受け取ったそれはわずかに熱を帯びていて、小さいはずなのにずしりと重い。内側に閉じ込めた魔障は流動するかのようにうずいており、レイアはそのまがまがしさから目が離せなくなる。

「レイア様、その魔石にいのりを込めてみてください」

「祈り?」

 唐突に何を言うのだ、とレイアはハインハルトの意図がわからず首をかしげる。

「何でもいいのです。世界の平和でも、あなたの希望でも。祈りをささげてください」

「何でも……」

 そんなあいまいなものでいいのかと戸惑いながらも、レイアは魔石をにぎり込み、静かに祈った。

(この世界から、悲しみやどくが消えますように……)

 それはレイアの心からの願いだった。

 すると、まるでその祈りに呼応するように手のひらの中にあった魔石がふわりと光った。

「えっ!」

 おどろいてレイアが手のひらを開けば、さきほどまでは禍々しい色で満たされていた魔石が、くもり一つない透明になりせいじようかがやきを放っていた。

「なっ!」

 その変化にレイアだけではなく、アルトや国王、周囲の人々が驚きの声をあげざわめく。

「なんだ、どういうことなんだレイア」

 め寄ってくるアルトにレイアは震えながら首をる。

「わ、わかりません。私はただ、魔石に祈っただけで……」

 どうしてよいのかわからず、レイアは事のほつたんであるハインハルトに助けを求めるような視線を向けた。

「やはり」

 先程までの優しげな表情ではなく、しんけんな瞳がレイアを真っぐに見つめていた。

「あなたは伝説の聖女だ」

 彼が告げた言葉に周囲はそうぜんとなる。レイアも言われている言葉の意味がわからず、ただぼうぜんとハインハルトを見つめるばかりだ。

「祈っただけで魔石をいつしゆんじようしたのが何よりのしようです。聖女でなければ不可能なせきだ。この国の方々ならよくおわかりのはずだ」

 浄化という聞きなれない言葉にレイアが戸惑っていると、ハインハルトは真っ直ぐにレイアに手を差しべてくる。

「レイア様、どうか世界を救ってください」

 まったくもって意味がわからなかった。

 この行為が何故なぜ、世界を助けることにつながるのだろうかとレイアが固まっていると、誰かが二人の間に割って入ってきた。

「聖女? 世界を救う? そんなことできるわけがないだろう! 魔力がないのだぞ!」

 それはまたしてもアルトだった。ハインハルトを睨みつけ、いかりをかくそうともしない。

 そんな兄の背中を見つめながら、自分はどこまでも無力な存在だと決めつけられているのだと感じたレイアは、いつものようにうつむいて視線を落とす。

 そんなことはないとアルトを否定するだけの勇気も自信もレイアにはない。ただ、混乱だけがレイアの中に渦巻いていた。

「レイア様は魔力を持たないのではない。浄化という特別な力のせいで、ご自身の魔力さえ無効化してしまっているだけなのです」

 まるで幼い子どもに言い聞かせるようなハインハルトの口調に、アルトの表情が険しくなる。

「先程も言っていたが魔力の浄化などありえん……魔石の中に溜まった魔障を消すなど、お前が仕込んだだけではないのか! レイアにそんな力があるわけがないだろう!」

「……お聞きおよびとは思いますが、我が帝国は異世界から勇者様を召喚いたしました」

 その言葉に、アルトやレイアだけではなく周りの人々も息をむのがわかった。

 勇者。それは魔王をたおすために異世界から召喚される伝説のえいゆうだ。

 伝説は今まさに現実のものとなってレイアたちの耳にも届いている。

「勇者を召喚する際、せいれいは私たちに告げました。おうを倒す力は勇者が持ち、魔王によってけがされた世界をいやす力は聖女が持つと」

 幼いころに聞かされた魔王を倒す勇者の物語の中に、確かに聖女という存在がいたと、レイアはおぼろげなおくよみがえる。

 それは勇者を支え助ける存在。

「伝説やおとぎ話の中ではただの『聖女』として伝えられていましたが、我が国に伝わる古いぶんけんにはこう書かれていました。魔の力を退け、勇者を支える〈浄化の聖女〉だと」

 ざわめきが一層大きくなり、ハインハルトを見ていた周囲の視線が再びレイアに集中する。

「私が、その浄化の聖女、だと?」

「そうです。このせきが吸い上げたのは、魔王の軍勢と戦い傷を負った兵士たちの魔障。この国に預けたとしても取り除くのに数ヶ月は要するものだ。しかし、あなたはほんの一瞬でそれを消してしまった。それを浄化と呼ばず、なんと呼べばよいのでしょう」

 手のひらであわく光る魔石にレイアは視線を落とす。

 きとおったそれのつるりとした表面に、戸惑いの表情をかべる自分自身が映っていた。

「どうか我が国に来てこの戦いに協力してください」

 再び差し出されたハインハルトの手に、レイアの心が大きくさぶられる。

(私が聖女?)

 前世でも今世でもお荷物と呼ばれ続け、誰の役にも立てぬまましようがいを終えると思っていた自分に降っていたような、とつぜんの宣告。

 信じられないという思いと、そんなたいを背負うことができるのかというきようで身がすくむ。

(でも、それが本当なら、勇者様と同じように誰かのために役立てるかもしれない……)

 世界を救ってほしいと、特別な力があると言われた喜びがそれを上回っていく。

「何を言っている!」

 レイアが返事をするよりも先にまたもアルトが声をあららげた。

 ハインハルトの手を取ろうと伸ばされたうでを遮るようにつかみ、レイアの身体からだを引き寄せる。

ていこく殿どの、我が国の王族をたぶらかすのはやめていただきたい」

「いいえ。私たちは本気です。これまでずっと探していたのです。先程も言いましたが、魔石から一瞬で魔障を取りはらってしまえるのは浄化の聖女ただお一人。彼女の力が必要なのです」

「信用できるか! レイア、よく考えろ。たとえそんな力があったとして、魔法も使えないお前がこの国を出てどうやって身を守る!」

「聖女様は私たちが責任を持ってお守りしますよアルト殿下。それに、私はレイア様に聞いているのです。殿下が口をはさむことではない。これは国と国とのこうしようでもあるのですよ」

「っ…! 父上、まことですか!」

 アルトが怒りに任せた勢いのまま国王に視線を向ける。

 国王はげつこうするアルトやまどうレイアを見つめながらも表情を変える様子はない。

「その通りだ。帝国はかねてより我が国に戦いへの協力を要求してきていた。だが我々が差し出せるものは少ない。王族であるレイアが聖女であり、戦いに役立つというのならば、勇者のもとへ行かせるのは当然であろう」

 ほうの技術やじゆつを国から出すことはできなくても、お荷物であるひめならば躊躇ためらいなく差し出すことができると、暗に告げられたのだ。

 無能な姫ひとりの身で済むならばという、国主としてのれいてつな判断。

「父上!」

 アルトもそれに気がついたのだろう。父に、国王に向けるものとは思えないほどするどい視線を玉座に向ける。だが、国王の表情は変わることはなく、青いひとみが静かにレイアをえていた。

「レイア、お前はどうしたい」

 静かなその問いかけに何と返事をすればよいのかわからず、ただ国王の顔を見つめ返した。

 それは父親としての言葉ではなかった。王が臣下に向ける言葉だ。

 親子の情をどこかで期待していた自分があわれで情けないと感じるほどの冷静さ。

 だが、はじめて人から必要とされた喜びがレイアを支えた。

「私、行きます。帝国へ」

 アルトは横でまだ何かを叫んでいたが、レイアはそれを無視するように一歩前へと進む。

 聖女であることや、世界を救うなどという、大儀すぎるかたきはこわかった。

 だがそれ以上に、居場所があるかもしれないという期待にレイアは胸を高鳴らせていた。

「感謝します聖女様。我が帝国は心よりあなたをかんげいいたします。どうか勇者を支え、この世界を救ってください」

 うやうやしく頭を上げるハインハルトが口にした勇者という言葉にレイアは瞳をかがやかせる。

 ずっとあこがれていた相手。いつか会いたいと願っていた人。

 自分が聖女であるならば、あの物語のように、勇者を支える特別な存在になれる。

 冷え切った身体に温かな血が通っていくような喜びを感じながら、レイアは小さな手を組み合わせたのだった。

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