二章 召喚勇者と転生聖女①

人の手当てを!」

「こっちもたのむ!」

 次々に運び込まれてくる怪我を負った兵士たちの姿に、レイアは立ちすくむ。

 彼女が想像していた以上の現実がそこにはあった。


    ***


 ハインハルトとの面会から数日後には、レイアはその身を帝国に移していた。

 あわただしい日程かつ別れをしむ相手もいないこともあり、静かでさびしい旅立ちではあったが、新しい生活がはじまる期待に胸をふくらませていたレイアは平気だった。

 だが、レイアを待っていた帝国での暮らしは、想像とはあまりにちがっていた。

 着いて早々、あいさつもそこそこにあたえられた役目は、魔障を吸収した魔石のじよう。部屋に運び込まれた大量の魔石と、その中でうずまがまがしい魔障にレイアはおののく。これまでの戦いがどれほどこくであったか思い知らされるようで怖かったが、聖女としての役目なのだとレイアは魔石の浄化に向き合ったのだった。

 そうして、気がつけば一週間がっていた。

 魔石を浄化するばかりの日々に、レイアはこのままでいいのだろうかと思い始めていた。ほかに何かするべきことがあるのではないかというしようそうかんばかりがこみ上げる。

「これでは王国にいた時と同じね」

 役目があるだけましだと自分に言い聞かせても、気持ちはせない。場所が変わっただけで、閉じこもっているのは同じだった。

 それに、勇者との面会についても何も言われていない。

 勇者を支えてほしいと言われたのは、夢だったのだろうかとさえ思ってしまう。

「……はぁ」

 浄化が終わったとうめいの魔石を見つめながら、レイアは短いため息をいた。

 明日あしたこそは会えるだろうか。

 そんな淡い期待を持つのも、もうつかれてしまった。

 再びため息をこぼしそうになるのをこらえ、魔石の浄化を終えたことを知らせるため立ち上がる。

 外にひかえているじよたちに、魔術師を呼んでもらおうと考えながらとびらに手をかけたレイアは、その向こうから聞こえてきた声に手を止めた。

「王国のお姫様が聖女だったなんて、最悪だわ」

 最悪、というひどい言葉に心臓がこおりそうになる。

 彼女たちはレイアがすぐそばで話を聞いているなどとは夢にも思っていないのだろう。次々に不満や不信を口にしはじめた。

「ひどい国よね。結界だか何だか知らないけど、自分たちは安全だからと戦いに知らんぷりで。今は聖女をはいしゆつしたからと、さらにふんぞり返っているってうわさよ。ああ、腹が立つ。みんな苦しんでいるっていうのに」

 それ以上、聞いていられなくなってレイアは耳をふさぎ、扉からはなれ部屋の奥へともどった。

 レイアの世話をしてくれている帝国の侍女たちは、王国の侍女たちほどれいたんではなかったが、どこかかべがある態度だとレイアははだで感じていた。

 表向きは親切に接してくれているが、会話はいつも最低限で、護衛のや魔術師たちもそれは同様だった。

 必要だからと呼んでおいて何故なぜ、とレイアはなつとくできないおもいをかかえていたが、その理由をようやく理解できた。

 聖女が王国の王女であることが、彼らは許せないのだ。

 想像していなかったわけではない。

 自国だけを守る態度をつらぬく王国に、反感を持つ人は多いだろうとは思っていた。

 だがここまでとは考えていなかった。

 情けなさとずかしさにさいなまれながら、無気力に立ちすくむレイアの目に入ったのは、鏡に映る自分だった。

 顔色の悪いせた少女。自身のなさそうなおのれの姿がほとほといやになる。

「……」

 鏡に映る左手のこうが目に入り、レイアはまゆを寄せた。

 今は何ともないそこには、ある魔法の術式が刻まれている。それは秘密のろうえいを防ぐために作られた特別な制約魔法。

 魔法に関するぼうだいな英知を抱える王国は、その漏洩を何よりきらっていた。ゆえに、国を出る王族や魔術師たちには、その身にこの制約魔法をかける決まりがあった。魔力がないとはいえ王族である以上、レイアも例外ではなく、帝国に行くことが決まったその日のうちに魔法がかけられていた。

 王国から持ち出せたのは必要最低限の荷物と、かくしごとのための魔法だけであるという事実に、鏡に映った自分の顔が泣きそうにゆがむ。

「……泣いてはよ」

 どんなにみじめだろうとも、帰るわけにはいかないとレイアは気持ちを切りえるように首をった。

 帰ったところで居場所はないのだ。ここでがんると決めたのは自分自身。

 ていこくの人たちから壁を感じる理由がわかった以上、なおのことこのままではいけない。

 聖女として役に立てることを証明したい。王国の姫ではなく、レイアとして見てほしい。そんな強い思いがレイアをき動かしていた。

 意を決して扉を開け、おどろいた表情を向けてくる侍女たちにハインハルトを呼んでほしいと告げる。

 この国でゆいいつの知り合いとも言える彼にたよるしかレイアには方法がなかった。

「他に何か、役目をですか……」

 すぐに呼び出しに応じてくれたハインハルトは、そのうつたえに困ったような表情をかべる。

「そんなにあせらずともせきの浄化だけで十分助かっていますよ」

「ですが。このままでは聖女として、何もできないのではないかと……」

 レイア自身、自分に何ができるのかなどはっきりとわかってはいない。

 それでも、帝国に呼ばれた以上は他にも何か役目があるはずではないのかと。レイアは油断すれば消えてしまいそうな勇気を振りしぼり訴え続けた。

 その必死さに折れるようにして、ハインハルトはそれならばと口を開いた。

「……魔石をかいさない浄化、ですか?」

「レイア様が魔障に直接れても、危険なく浄化ができるかをためさせてほしいのです」

 またとない話にレイアはひとみを輝かせ、にと前のめりになる。

 それに対し、ハインハルトは何故か表情をくもらせていた。

「今すぐということであれば、戦場に出向いていただかなければなりません」

 戦場というかたい言葉にレイアは息をむ。それはものと人が命をかけている場所。こわい、と本能的なきようが頭をもたげる。

「……構いません」

 だが、ここでひるんではこれまでと変わらないとレイアは真っぐに前を見つめた。

 これまで安全な場所にいたのだ。危険をおそれていては何も変わらない。

「私を、戦場に連れて行ってください」



 ハインハルトに連れられおとずれたのは、国境近くにある草原の野営地。

 帝国にこうげきけようとしてくるおうの軍勢を、直接むかつために作られた場所だった。

「こちらでしばらく待っていてください。せんきようかくにんしてきますので」

 付きいの侍女と二人で残されてレイアはたんに不安になるが、ここまできて弱音をけないと表情を引きめる。

 きっと役に立てるはずだと期待に胸をふくらませながら、用意されたに静かに座っていた。

 だが、その期待は直面した過酷な現実によりすぐにきんちようにすり替わることになる。

人だ。すぐに手当てを」

 ハインハルトが去ったのと入れ替わるように、次々に怪我を負った兵士が運び込まれはじめた。

 どこからかじゆつや医師などの救護担当らしい人々が現れ、彼らにけ寄り手当てをしている光景に、レイアはまどいを隠しきれないでいた。

「あ、あの……」

「ここは救護所もねているんです。ご安心ください。結界の中は安全ですから」

 戸惑うレイアに声をかけたのは付き添いの侍女であるアンジーだ。

 あの日、レイアに関する噂話にはくみしていなかった存在でもあり、行き先が戦場であるにもかかわらずレイアとの同行を唯一引き受けてくれた女性。

 ここに来る道中でもレイアのことをとてもづかってくれた。

 そのりんとしたふんは好感が持てるものだったが、他の侍女たち同様に自分をよく思っていないかもしれないと、レイアは話しかける勇気を持てずにいた。

 周囲をよく見てみれば、野営地の周囲は白い布で囲まれている。

 布の向こうから時折聞こえてくるけんそうと肌で感じる緊張感に心臓が痛いほどに脈打つ。

「あの向こうで、魔物と戦っているのですか?」

「そうです。ここは安全ですが、外は危険ですから、決して出歩かないでくださいね。あの布はかくしと結界を兼ねている仕切りなんです。あの向こうでは、皆が必死に戦っています」

 しんけんな顔で説明してくれるアンジーにレイアは息を吞みながら、白い布を見つめた。

 戸惑うレイアの態度とは真逆にアンジーは落ち着いた様子だった。うれいを帯びた瞳で布の向こうを見つめている。

 帝国に暮らす彼女は、きっと戦いの厳しさをすでに知っているのだろう。

 この戦いがどれだけ長くこくなものなのかをはじめて理解した気がした。

 聖女として、何かしら戦いにかかわることは想像していたが、こんなに早く、こんなに間近まで来ることになるなんて。

 これまで自分とはえんどおかった「魔物との戦い」がこの布を一枚へだてた先で行われているという事実に今さらながらぶるいする。

「……では、勇者様も、ここに?」

「ええ、おられますよ。と、うわさをすれば……」

「え?」

 アンジーの視線を追えば、ハインハルトがこちらに歩いてくるのが見えた。

 その後ろに続く人物の姿に、レイアは青い瞳をこれでもかというほどに見開く。

 そこに立っていたのはつややかなくろかみに黒い瞳をした青年だった。

 横にハインハルトがいるせいで少年のようにも見える顔立ちをしているが、聞いた話によれば彼は十八歳と、レイアより一つ年上だったはずだ。引き締まった長身と少し日焼けしたはだこしには長いけんを下げていた。

 少し長いまえがみの奥から、どこか険しさの混じる視線がレイアに向けられている。

「レイア様。おそくなりましたがお連れしました。彼が、勇者カズヤ殿どのです」

「どうも」

 カズヤ。そのひびきの心地ここちよさに眩暈めまいがしそうだった。

(ああ、日本人だ)

 レイアはまぶたが熱くなり、全身が感動でわななくのを感じながらカズヤを真っ直ぐに見つめる。

 幼いころよみがえった前世のおく。その中でレイアも彼と同じ日本人だった。

 よい思い出など一つもない前世だというのに、目の前にその名残なごりを見つけた途端、きようしゆうめいた気持ちがこみ上げてきた。なつかしさと、前世での悲しい過去が混ざり合って胸をく。

 目の前で見る彼は、本当に勇者なのかとたずねたくなるほどにつうの青年だった。体格や雰囲気だけならばハインハルトの方が世の中の人たちがイメージする勇者に近いのかもしれない。

 だがカズヤの持つ力は外見からわかるものではないのだったと、レイアは教えられた勇者の力について思い返す。

 しようかんされた勇者はせいれいの加護を受けることで身体からだを強化されるだけではなく、魔物に対しての強い攻撃力を備える。

 そしてその場にいるだけで、魔物たちが魔王からあたえられたやみりよくを無効化することができる能力をもその身に宿しているのだ。カズヤがその場にいるだけで、いつぱんの兵士たちの剣でも魔物をたおせるようになるほどの特別な存在。

 だが、それ以上にレイアにとってカズヤは特別だった。

「はじめまして勇者様、私はレイアと申します」

 勇者様、と呼べた喜びに胸がまり、自然とほおがゆるむ。ずっとあこがれていたことやかつやくを聞いては尊敬していたことを告げようと、レイアはカズヤに一歩近づいた。

「王国のおひめさまだったね……そうか、こんなところまで大変だな」

 だが、カズヤの口から出た言葉はかんげいなどではなかった。

 レイアに向けられていた黒い瞳は、すぐに興味を失くしたようにそらされる。

 想像とは全くちがれいたんと思える態度にレイアは言葉を失う。

「カズヤ、聖女様に対して失礼だぞ」

「……」

 たしなめるようにハインハルトが声をかけてもカズヤは視線をもどそうとしない。

 その冷めた横顔を見ていられなくて、レイアも視線をそらした。何かの間違いではないか。悪い夢なのではないかという混乱で、視界がれる。

「レイア様、申し訳ありません。勇者様は戦いで少しつかれているようで」

「現状を知ってもらうならもう十分だろう? 早くじようとやらを試して、城に戻ってもらってくれ。ここは戦場なんだ」

「!」

 気遣うハインハルトの言葉を否定するように、じやだと暗に告げているようなカズヤの言葉にレイアは息を吞んだ。

 悲しみとおどろきで身体が冷えてふるえそうだったが、どうようを表に出してはいけないと自分に言い聞かせ手のひらを強くにぎりしめてそれをえる。

「カズヤ」

 ハインハルトがカズヤをとがめるように名前を呼ぶが、返答はない。彼がどんな顔をしているのか確かめる勇気すらないレイアはくちびるを引き結んだまま、固まっていた。

 れた会話に気まずさだけが辺りを包む。

 ハインハルトが深いため息をき、まったく、と小声であきれたようにつぶやくのが聞こえた。

「……レイア様。このまま少し待っていてください。兵士の浄化については怪我の手当てが終わりだいお願いするかと思います」

 それだけ言うと、ハインハルトはカズヤを引っ張るようにして結界の外へ続く出入り口へと歩いていってしまった。

 その場から二人がはなれたことでようやく顔を上げることができたレイアは、去っていくカズヤの背中をうるんだ視界で見つめることしかできなかった。

 勇者に会うことさえできれば何かが変わると信じていた自分のようさに気がついて、ずかしかった。もろをあげて受け入れてもらえるとは思っていなかったが、勇者と聖女なのだから、顔を合わせればわかり合えると勝手に思い込んでいた。前世と彼のいた世界が同じだと気がついて、これは運命だとさえ思ったのに。

 カズヤの態度からは、明確ではないにしろレイアへのきよぜつしか感じられなかった。

 この場にレイアがいることが理解できないとでも言いたげな視線と言葉を思い出すだけで、身体がこわる。

 せっかく会えたのにどうして、と口にしたくなったが、そんな独りよがりの感傷をぶつける筋合いがないことくらいはわかってはいた。

 彼にしてみればレイアはとつぜん現れた見知らぬ存在でしかない。突然聖女だと言われてすぐに受け入れてもらおうという方が間違っている。それに、ていこくの人々同様、カズヤが王国によくない感情を持っていたとしたらなおさらだろう。

 アンジーが気遣わしげな視線を向けてくるのを感じたが、レイアはしずんだ表情のまま何も言えないでいた。

 相変わらず白い布の向こうからは様々な音が聞こえてくるが、レイアには何も見えない。この中にいれば安全という言葉はうそではないのだろう。

 たった一枚の布を隔てた向こう側では戦っている人がいるのに、自分は守られた場所にいる。王国にいたころと何が変わったのだろうか、とレイアは唇をんだ。

 おぼつかない足取りで用意されていたに戻ろうとしたレイアを止めたのは、悲痛なうめき声だった。

 運びこまれている人が増えていた。兵士たちの苦しむ声と血のにおいがじゆうまんしはじめている。衛生兵やじゆつたちが、傷ついた兵士たちを手当てして回っている。だが、苦しそうな声が収まる気配はない。

 彼らの傷はものによるものであり、痛々しいその傷には黒いきりじようしようが張り付いていた。魔障にけがされた傷は回復ほうではふさがらず、回復もひどゆるやかで身体をむしばむ。

 呻く彼らに魔障を吸収するための魔石が与えられているのが目に入ったが、その吸収速度は驚くほどに遅かった。

「……ひどい」

 自分が浄化した魔石もあの中にあるのだろうかとレイアは目が離せなくなる。

 魔石の浄化で少しは役に立った気になっていたが、あんなものは焼け石に水でしかなかったのだと思い知らされてしまった。

だいじようですか? 彼等の手当てが終わるまでは奥でお休みいただいてもいいのですよ?」

「いいえ」

 はいりよを断ったレイアにアンジーが意外そうな顔をした。

 てっきり怪我人の血や苦しむ声におびえているとでも思ったのだろう。

 レイアはこの光景に動揺はしていたが、きようは感じていなかった。こみ上げてくるのは、彼らに対する申し訳なさと共感。手当てを受けても塞がらぬ傷を押さえ、痛みをこらえる兵士たちの姿を見つめながらまゆを寄せる。

(……あんな記憶でも役に立つのね)

 前世でレイアは病院や薬にたより切って生きていた。無理をすればすぐに熱を出し、歩けば転んで大怪我をした。怪我や病による苦しみは日常だった。

 泣いてもわめいてもどうにもならないつらさにもだえた前世の自分と彼らが重なる。

 助けたい。き上がった気持ちが、考えるよりも先に口に出ていた。

「彼らのもとに行かせてください」

「ええ?」

 レイアのとうとつな言葉にアンジーは驚いた声をあげる。護衛をしていたたちも同様に、狼狽うろたえた表情でレイアをぎようしていた。

「手当てと魔障の浄化をいつしよにすれば手間も省けます。一刻も早く彼らを楽にしてあげなければ」

「しかし、あそこは血とどろずいぶんひどいありさまです。聖女様を行かせるなんて、とても」

「いいえ、やらせてください」

 アンジーや騎士たちが止めるのも聞かず、レイアは兵士たちの方へ向かった。

 護衛たちがしたように、運ばれてくる怪我人たちは酷いありさまだ。近づくと血の臭いが一層くなる。奮い立てた気持ちが揺らぎそうになるほどにせいさんな光景。

 ひるみそうになる気持ちを押し込め、一番近くにいた怪我人にけ寄った。

 痛みに顔をゆがめる兵士のうでには包帯が巻かれていたが、黒い魔障がそのすきかられ出て揺らめいている。

「大丈夫ですか」

「え、あ、えええ!?」

 兵士は突然目の前に現れたレイアに動揺したのか、痛みを忘れたようにぽかんとした表情になった。

 あざやかな血に染まる包帯にレイアは息をむ。魔障の恐ろしさをの当たりにしたことで脈が速まるのを感じながら、レイアはおそる恐る兵士の腕に指をわせた。

「っ……!!」

「ご、ごめんなさい!」

 痛みをうつたえる声に思わず手が下がりかけるが、それではだと極力やさしく包帯の上から手のひらを押しあてる。兵士もレイアのしんけんな表情に気がついたのか、今度は呻き声をあげずに身体からだかたくして耐えてくれている。

(大丈夫、やれるわ)

 包帯越しに傷のかんしよくを手のひらに感じながら、レイアはそこに気持ちを集中させる。魔石の浄化をする時のように、少しでもこの苦痛がやわらぐようにといのりを込めた。

 すると、れている部分がふわりと光り輝き、包帯をよごしていた血の広がりがぴたりと止まる。

 痛みに顔を歪めていた兵士が目を丸くし、レイアと自分の腕をこうに見つめた。

「あれ、痛みが?」

 レイアが手を離すと同時に、兵士は自分の腕に巻かれた包帯をむしり取るようにほどいた。

 痛々しいきずあとはまだ残っていたが、傷の周りにからみついていたきりのような魔障はすっかりと消えている。

「消えてる!」

 兵士があげたおどろきの声に、周囲が時を止めたように静まり返る。

 そして「あれが聖女様か」「本当に来ていたのか」とだれかが呟き、ざわめきと様々な感情の入り混じった視線がレイアに向けられる。

 レイアは大きく息を吐き出す。無事にじようが成功したことに喜びよりもあんまさっていた。血にまみれた手は、きんちようでまだふるえていた。

 レイアは魔障が消えた傷をほうけたように見つめている兵士に微笑ほほえみかけた。

ほかには?」

「だ、大丈夫です!」

「よかった」

 何故なぜか固まってしまった兵士の傷をレイアはかくにんする。

 魔障が消えたえいきようかすでに出血は止まっていたが手当ては必要な状態だ。そばにあった救護道具でレイアが手当てをしようとすると、ようやく我に返った兵士はあわててそれを止め、自分でできるからと狼狽えた声をあげ、後ずさってしまう。

「では、そちらの方も、傷を見せてください」

 立ち上がったレイアは、まだりようが終わっておらず生々しい傷跡をしゆつさせて血と土に汚れている兵士たちに躊躇ためらいなく近づく。

 だが、彼らは先程の兵士同様、恐れ多いとばかりに怪我をかくごしだ。

「聖女様、お待ちください」

 アンジーや護衛の騎士たちがあわてて駆け寄ってきて止めようとするが、レイアはそれを聞かずに、横たわり動けずにいる兵士の傍にひざをついた。

「触れますね」

 先程の兵士以上に傷だらけの身体には、傷だけではなく魔障があちこちに広がっていた。魔物の返り血にも魔障がふくまれると聞く。生身の身体に血を浴びてしまったのであろう兵士は、魔障に体力をうばわれ青白い顔でぐったりとしている。

 レイアは兵士の身体をづかうようにそっと触れた。

 先程と同じように回復を願って祈りをささげれば、兵士の全身がふわりと光り、こびりついていた魔障があとかたもなくしようめつする。魔障が消えたことでその顔に血の気がもどり、あらかった呼吸も落ち着いていく。意識のこんだくは続いているようで自分が誰に何をされたのか気がついていない様子だ。

 それでも、助けられたことはわかったのだろう、くちびるを動かしかすれた声をあげる。

「うう……ありがとう……」

 無意識であろうその言葉にレイアは息を吞んだ。

 人から感謝されたことなどはじめてだった。自分にしかできない力で誰かの役に立てたという事実が、身体にみ渡っていく。

「聖女様……」

 おずおずと呼びかけてくる声にハッとしてレイアは顔を上げる。

 先程の恐れ混じりの表情から一変し、周囲の兵士たちが期待と希望のこもった視線をレイアに向けていた。必要とされている。そんな実感がレイアの心にあふれた。

みなさんの傷も、どうか私に浄化をさせてください」

 それからレイアはひと時も休むことなく、傷ついた兵士たちの傷の浄化と手当てをし続けた。

 レイアが王国の王女だと気がつきあからさまにけいかいの表情をかべる者もいたが、いざ浄化をされると、その効果に驚き二の句がげなくなっていた。

「すごい……これが浄化の力なのですね。これならば、魔障による苦しみにとらわれた兵士たちも助かるにちがいありません」

 かんたんの声をこぼしたのは回復を担当しているじゆつだ。その横では医師たちも大きくうなずいている。

 ひとしきり浄化を終え、地面に座り込んでいたレイアは、その言葉に含まれる『囚われた』という一言にまゆを寄せた。

「他にも苦しんでいる方がいるのですか?」

「ええ。最近は質のいいせききてきて、魔障を吸いとるのに時間がかかるのです。しんりようじよにはひどい魔障のせいで動けない者もたくさんいますよ」

「そんな……」

 この場にいる人たちの浄化ができたことで安心しかけていたレイアだったが、魔術師が語る現実に身体を震わせる。戦いからはなれても苦しんでいる人がたくさんいる。それは痛々しいこの光景がこれまで何度もり返されてきたということだ。

 どうしてもっと早く協力できなかったのだろうと、自分の甲斐がいなさで胸が苦しくなった。

 自分は本当に何も知らなかったのだと、レイアはずかしくなる。王国という守られた場所で、のうのうと過ごしていた自分。人々がこんなに苦しんでいるなんて想像もしていなかった。

 王国の人間というだけで、白い目で見られるのも仕方がないことだったのだ。

「聖女様、この者も」

「はい」

 再び人たちが運ばれてくる。戦いはまだ終わってはいないのだ。レイアはしずみかけていた気持ちを押し殺すようにして早足でそちらへ向かう。どんなにやんでも、今の自分にできることは浄化だけだと必死だった。

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