一章 色なし姫の憂鬱①

「あなたは伝説の聖女だ」

 静かなその声が、空気にわたるようにひびく。たくさんの人々が集められた大きな広間はいつしゆんせいじやくに包まれたが、すぐさまざわめき立った。

「そんな。アレはりよくがない色なしひめだろう?」

「あのお荷物が、聖女だと? ありえぬ」

 どうように満ちたささやきが広がる中、聖女だと告げられた少女は信じられないといった顔で、目の前にいる赤毛のを見つめていた。

 小さなくちびるは細かくふるえ、どんな言葉をつむぐべきか考えあぐねているような不安がにじんでいる。

れただけでせきを一瞬でじようしたのが何よりのしようです。聖女でなければ不可能なせきだ。この国の方々ならよくおわかりのはずだ」

 そう言いながら周囲を見回す騎士の視線に、さきほどまでさわいでいた人々は気まずげに顔をそらし口をつぐんだ。ローブを羽織ったとしかさじゆつたちもかいそうに顔をゆがめている。

 騎士は静かに微笑ほほえみ、再び少女に向き直った。

「レイア様、どうか世界を救ってください」

 差し出された騎士の手を見つめ、少女──レイアはどうしてこんなことになったのか、と大きく目をまたたかせた。


    ***


 じゆうこうな両開きのとびらが内側からゆっくり開くと同時に、中にいた人々の視線が一気に集まってくるのを感じ、レイアはゆううつな気持ちをかくすように深く頭を下げた。

「レイア姫様のおなりでございます」

 てんじようの高い礼拝堂には、すでに王やおうをはじめとした王族がずらりと並んでいる。

 父である国王の表情は静かだったが、母である王妃はレイアと目が合う前にその顔をそらしてしまう。兄王子や姉姫たちもあからさまに顔をしかめ、わざとらしいため息をこぼしていた。

(そんなに私の存在が不愉快ならば、ほうっておいてくれればいいのに)

 悲しみに染まりかける表情を隠すように、レイアは顔をせながら自分の定位置である礼拝堂のかたすみへと向かう。そして、いのりをささげるために両手を組み、きつく目を閉じた。

 せいれいしんこうするこの世界にはほうを使える人間が多く生まれる。

 このリドアナ王国は、古い歴史をもつ魔法国家だ。世界中の魔法にかかわる研究のちゆうすうであり、ぼうだいな魔法に関する知識や、貴重な魔道具を多く保管している。それらを守るために、国全体がとくしゆな結界でおおわれている。

 悪意がある者やものしんにゆうはばむその結界は、王家だけに伝わる特別な魔法だった。

 国の至宝とも呼ばれる七色にきらめく結界は、高い魔力を持つ王族が定期的に魔力を注ぐことでされている。

 それゆえ、王国において王族は信仰の対象ですらあった。

 ただ一人の姫の存在を除いては。

 国王にうりふたつの青い瞳と、王妃そっくりな美しい金のかみ。十七歳をむかえたばかりのレイアは、どこからどう見ても王家の一員だというのに、そのふんほかの王族とはまるでちがっている。

 うれいを帯びた表情をかべながらきやしや身体からだを折りたたむようにして祈る姿は、今にもき消えてしまいそうだった。


 だれからも愛される末姫として生まれたレイアの運命が大きく変わったのは、七歳のころに行われた魔力測定のしきの日だった。

 リドアナ王国では七歳になると魔力量と属性を測定するしきたりがあり、レイアもそれに従い、ふたの兄であるアルトと共に儀式にのぞんでいた。

 魔力の属性と量を測るための大きなすいしようを持った魔術師に言われるがままに、レイアはそれに小さな手のひらを押し付けた。

 先に測定を終えたアルトは、水晶を美しい青色に光らせ氷属性を持つことが判明していた。

 自分は一体、どんな属性を持っているのかとレイアは期待に胸を高鳴らせていたが、レイアが触れても水晶は何の反応も示さない。

『どうして……?』

 あせりと不安にられたレイアが両手でそれに触れるが、光りもしなければ色も変わらない。

 周囲の空気がおんなものに変わっていくのを、幼いながらもレイアははだで感じていた。

 さっきまでは温かく自分を見守っていた両親の瞳に不安が混じり、他の大人たちから疑念と失望の視線が向けられる。

(そんな目で見ないで!)

 大人たちから向けられる冷たい視線が、とつじよとしてレイアの中にねむっていた一人の少女のおくを呼び覚ました。

 こことは違う別の世界。魔法も魔物もいない『日本』と呼ばれる場所で生きていた女の子。

 生まれた時から病弱で、生活のすべてをベッドの上で過ごす日々。

 彼女の母親も身体が弱く、産後間もなくくなっていた。父親は妻を亡くした悲しみから少女を遠ざけ、金を使い他人にかいをさせて近づきもしない。

 それなりにゆうふくであったがゆえに彼女の命はつなぎ止められていたが、財産がしいと考えていた親族たちは少女のことを『お荷物』だとし、いつも冷たい目で見ていた。

 彼女はむなしさと悲しみをかかえ、誰に見送られることなく短いしようがいを閉じた。

 もし生まれ変わることができるならば、健康な身体になって自由に生きたいと切に願っていた幼いたましいの記憶。

 膨大な情報を受け止めきれずレイアは意識を失った。そのまま高熱で数日間眠り続け、ようやく目を覚ましたレイアを待ち構えていたのはざんこくな現実だった。

『残念ながら姫様には魔力がございません』

 魔術師たちが導き出した結果を告げられた国王と王妃は言葉を失い、場の空気はこおった。

 両親や家族の瞳に滲む失望を感じたレイアは、青い瞳を泣き出しそうにうるませた。その視線に混じるあわれみときよぜつは前世でも何度も向けられたものだ。

 お荷物だと呼ばれた前世の記憶がレイアをつらぬいた。

 魔力のないレイアは結界魔法の維持に関わることができない。

 それどころか、魔法の研究と保管が根幹である王国で、その魔法を何一つ発動させられない王女の存在は、長く続く王家の歴史の中でちがいなくはじだった。

 アレは不運なけつかん品だ、と口さがない誰かがらした言葉はあっという間にしんとうした。

(前世と同じ、お荷物あつかいだなんていやよ!)

 記憶の混同がまだ続いていたレイアは、手のひらを返したように冷たい態度をとる周囲に焦り、少しでも気を引こうと前世の知識を口にした。

 馬がいなくとも動く乗り物や、遠くの景色を映し出せる小さなうすい板。

 だが、そんなとつぴようもない話を信じてもらえるわけはなく、それどころか「魔力がないことを知ったあの姫はおかしくなってしまった」などとかげぐちをたたかれるようになってしまった。

 事態を重く感じた王に「二度と前世などと口にするな」ときつく言い付けられ、絶望したレイアは前世について口にするのをやめた。

 存在を隠すかのように城の奥に部屋をあたえられどくに過ごすレイアは、いつのころからか水晶の色を変えられなかったことになぞらえ『魔力なしの色なし姫』や『王家のお荷物』と呼ばれるようになったのだ。


 めいかたきのせいで、げんえいきよう力もないレイアは国政に関わることも許されておらず、政略けつこんの道具にもならない。それゆえ役目を与えられることもなければ、社交のための場に呼ばれることもなかった。たとえ魔法を学んでも、魔力がなければただの知識でしかない。

 許されるのは部屋の中で静かに過ごすことだけ。

 こうして王国を守る結界を強化する儀式に呼ばれても、末席で形ばかりに祈ることしかできない。

 結界のかくとなる魔石が祈りによって集まった魔力と呼応するようにかがやきを増すが、レイアの心は暗くしずんだままだ。

 それでもレイアは祈らずにはいられなかった。どうか誰も傷つきませんように、と心からの祈りを込める。たとえりよく欠片かけらもない自分でも、誰かの幸せを祈ることはできるはずだからと。

 儀式が終われば、王族は自分たちの役目を果たすために早足に礼拝堂から去っていく。

 静かになった礼拝堂で、レイアは一人そうを始めた。せめて少しでも役に立ちたいという気持ちからの行動ではあったが、じよや護衛のたちの視線は冷たい。

「また余計なことをしているわ……」

「好きにさせておけばいいだろう。色なしひめだって気分てんかんくらいしたいのさ。それよりも聞いたか、勇者がまたおうの軍勢を一つつぶしたらしい」

「ああ、あの話ね。すごいけどおそろしいわ。魔王をたおすために異世界からしようかんされた勇者ってやつでしょう? 外は大変よね」

「まったくだ。我が国のように結界がないというのは不便だな」

「本当。平和な国に生まれてよかったわ」

 自分たちに与えられたあんねいが当然だと疑う様子がない彼らの態度に、レイアはいたたまれなくなる。

(なんて身勝手な考えなの。外ではたくさんの人たちが苦しんでいるというのに)

 魔王と呼ばれるきようが現れたのは数年前だ。突如として魔物が人の暮らす場所に大量に現れ、次々と暴れ始めたのだ。

 けものきよじんの姿をしている魔物そのものは昔から存在していたが、かかわり方をちがえなければ人に危害を加えることはなかった。

 だが、数百年に一度誕生する、魔王と呼ばれる膨大なやみ属性の魔力を持つ、魔物をべる存在が現れたせいで、大人しいはずの魔物までもが激しいこうげき性を持ち、人間を好んでおそうようになった。各国は兵士を集め、魔物と戦い続けていると聞く。

 それにもかかわらず王国は結界の効果により平和な暮らしを維持していた。

 他の国で起こる出来事をまるで他人ひとごとのように話題にするだけ。この国は安全だと、国民の誰もがそれをほこりに思い、自分たちの安寧を疑ってすらいない。

 各国から戦いへの参戦を要求されることも少なくはなかったが、王国はそれをかたくなにこばんでいた。戦いに直接参加せずとも、魔法技術の提供をしてほしいというたんがんにすら応じず、まるで他人事の態度を貫いている。そしてそれが許されるだけの理由も王国にはあった。

(どうして協力しないのかしら)

 どんな事情があろうとも同じ世界に暮らす同じ人間なのに、何故なぜ助け合わないのかとレイアは不思議だった。

 前世の世界も、すべての国々が手を取り合っていたというわけではなかったが、それでも協力することで色々なことを乗りえていたように思う。

 危機的じようきようであるからこそ、手を取り合うべきではないのかと声をあげたい思いは強かったが、立場のないレイアにはそんな意見を口にする機会すらない。

しんくさい顔だな」

 まるで思考を打ち切るようにけられた声に、レイアは顔を上げる。

「またせたのではないか。魔力だけではなく身体までなくなるぞ」

「……申し訳ございません、お兄様」

 とげとげしい物言いをするのは、ふたの兄であるアルトだった。

 いつからそこにいたのか、レイアにそっくりな青いひとみを細めいらたしげに顔をゆがめている。双子なので顔つきはよく似ているが、ふんは全く違う。王子としてだけではなく騎士としてもおのれきたえているアルトはレイアより背も高く身体つきもしっかりしている。兄妹きようだいとはわかっても、双子であると信じる者は少ないだろう。

だれが謝れと言った。王族たるもの、そう簡単に謝罪を口にするな」

 申し訳ありません、と反射的に答えそうになりレイアはあわてて口を閉じる。謝罪以外に何を口にしたらいいのかわからず、うつむいてただでさえきやしやな身体を小さく縮めた。

「お前はどうしてそう暗いんだ。そんな顔を見せられればこっちまで息がつまる」

 レイアは心中で深いため息をく。父母をはじめとするほかの王族がレイアに関わろうとしないなか、アルトだけは事あるごとにっかかってくる。

 魔力測定のしきまでは、双子であったこともありアルトとレイアは仲が良く、アルトはいつもレイアを守るように小さな手を引き、レイアもアルトをしたっていた。

 だが、ぼうだいな魔力を持つアルトと、欠片も魔力を持たないレイアは、あの日を境に共に過ごすことを許されなくなった。アルトは王族に相応ふさわしい教育と役割を与えられたが、レイアはまるでかくされるように人前に出ることを許されない生活を続けていた。

 成長したアルトは強大な魔力で氷属性のほうあやつることから、『青の王子』として熱い支持を集めている。レイアとは真逆にこの国に必要な存在として扱われていた。

 顔を合わせれば、今のようにアルトはレイアに対してあつ的な態度をとる。

 最初はどんな形であれ気にかけてくれていることがうれしいと思っていたレイアだったが『青の王子が妹に厳しいのは、魔力なしの色なし姫の兄だと呼ばれていることに腹を立てているからだ』といううわさを聞いてからは顔を合わせることを重荷に感じるようになっていた。

 今日のように王族が集まる場所ではいやでもアルトにつかまり、長い説教が始まる。

 威圧的な口調や王族としての誇りにあふれた態度に、自分の無力さを思い知らされるようで、レイアはアルトがこわかった。

「もう時間か……レイア、わかったな。引きこもってばかりいるなよ」

 何か用事があるのか、乱暴に話を切り上げたアルトは何度もレイアをり返りながら去っていく。

 アルトの背中を見送りながら、一人になったレイアはようやく本当にため息を吐き出した。

 なみだにじみそうになるのをすように、七色にきらめく空を見上げる。それは王国を守る結界の色だ。

 色のない自分の世界でゆいいつと言えるほどに美しい光景が、レイアは好きだった。

 一の小鳥が七色の結界をすりけていく。魔力がないものや無害なものに結界の効果はないのだ。

「私も、飛べたらいいのに」

 魔力もなく役に立たない姫なのだから、いっそのこと捨ててほしいといつも願っていた。

 この国以外では魔力がない人間も少なくないという。うらやましい、と思った。魔力という基準で判断されず自由に生きていける人たちがねたましくもあった。

 たとえその願いがかなっても、生きていけるはずがないことも知っている。一人で生きるすべもない無力なむすめに何ができるというのだろう。

 前世とは違い健康な身体からだがあるというのに肩書きはお荷物のまま。今世でも不自由なかごの鳥として生きることしかできないのかと、レイアは何重もの意味で自分の無力さに打ちのめされながら、ただ悲しげに七色の空を見つめた。

 だが、今のレイアには一つだけ心の支えがあった。

 それは先程の彼らが話題にしていた『異世界からの召喚勇者』の存在。

 お荷物と呼ばれる自分とは違い、人々から必要とされ、期待を裏切らずにかつやくしていると噂の勇者の姿を想像しては、なんとらしいのだろうと羨みつつも心から尊敬していた。

 異世界というひびきに、もしかして前世の自分と同じ場所から来た人なのではないかというあわい期待があこがれをさらにつのらせる。

「私にも勇者様のように特別な何かがあれば、お荷物ではなくなるのに」

 会いたい。話をしてみたい。もしかしたら同じ世界から来た人かもしれない。転生者である自分に理解を示してくれるかもしれない。

 そんな淡い期待だけがレイアの心をわずかにふるわせるのだった。

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