第27話 お気の毒ですが魔王の能力は消えてしまいました(6)

 開花の神殿の建立は古く、1,000年ほど前に遡る。現在地上で最も広く信仰されるスーダ教が誕生するよりも前、始まりの民と呼ばれた先住民の人々が信仰していた古代神を祀られていたという。


 その後、スーダ教の信徒の拡大とともにその信仰は薄れていき、六つの王国時代には神殿としての機能よりもこのパンスペルミア大陸全土の英知が集まる場として歴史書、魔導書グリモアール、民間伝承が口述された文献、果ては東の大陸から海を越えてもたらされた武芸書などが蒐集され、保管されていった。

 すなわち今もなお"神殿"と呼ばれてはいるものの実際は"図書館"へとその立ち位置を変えた。


 そして現在、〈死者の舞踏〉に端を発する100年に及ぶ魔族の侵略の最中、その貴重な蔵書から"賢者が知識を修める場"となり、さらにその英知を求め冒険者たちが集った。


 こうしてこの開花の神殿は賢者により"現在の職業クラスを習熟した者"の更なる眠った資質を見極め、新たな職業クラスへと目覚めさせる〈転職の秘蹟〉を施される唯一の場となった。


 ジャックもカメリアも最後にこの地に訪れたのは冥王軍との激闘を繰り広げていた、およそ1年前のことであった。


 開花の神殿といっても神殿が一つぽつんと建っているのではなく、神殿を中心に町が形成されていて大いに賑わっていた。


「やっと着いたわねぇ。でもなんだろう、やっぱりこの神殿に来るとこう、気持ちが新たになるなぁ」


「わしは馬車の中で待っててたまに馬のふんを片付けたりしてたわ、へへ…」


「もうさっさと切り替えてよ。ここは"そりゃ気持ちが新たになるじゃろ、亀になってるんだから!"とか嫌味なツッコミするところでしょ」


「わしは陰気な男なんよ」


 パーティーから戦力外通告を受けた一連の流れを振り返る機会が続き、ここのところのジャックは少々不貞腐れている。しかしうだうだ言っていてもしょうがない。


 神殿の敷地内に入るとそこでは市場が開かれ、掘り出し物を探す冒険者や、冒険者へ飲食を提供する屋台などがごった返している。およそ神殿特有の峻厳しゅんげんな雰囲気からは程遠い。


「ほーう。中はこんな感じなんじゃな」


「ええ。やっぱり賑やかね。各国から商人が集って市場を形成しているのよ。結構強い武器や防具もあって、転職クラスチェンジしてすぐに新しい職業専用の装備も手に入れることができるわ」


「わしも新しい防具をちょっと見たいな。剣は良いのあるし。ほれ、アダルマ、お前もその体型にあった武器や防具を探した方がええんじゃないか?」


「フンッ。人間が取り扱う程度の武具など必要ない」


 そう言いながらもアロンギルダへの洞窟内で拾った魔法のローブを身に纏ったままのアダルマであった。フードで顔も隠れるため、重宝しているのが本音であった。


「おい、あれはなんだ?」


 アダルマは出店の一つを指さす。


「おお!あれはディアマンテ国の隠れた名物、バッテスパンじゃないか!」


 ディアマンテとは現在地上に存在する七つの公国の一つで、現在は魔王領の一部となっている。公国の中でもっとも広大な面積を誇り、灼熱の砂漠が広がる。鉱物資源も多く、豊かな国であった。

 芸術が盛んな文化大国であるがその反面、戦争は強くないというのが定評で、魔王の侵略に対してこれと言った抵抗もなく降伏した。


「この2日間、ろくに物を食べてないよな。そうじゃ!奢ってやるわ」


「あれ、これって…」


 カメリアは何かを察した。

 この〈バッテスパン〉はディアマンテ公国の名物の発酵パンである。真っ黒な色をした一見するとチョコレートのように見えるジャムを塗りたくり食べる。

 パンを口に運ぶとまず歯が欠けるような硬さに直面し、次は発酵食品特有の強烈な臭いのするジャムがその本領を発揮して、甘そうな見た目とは違い、ほのかな苦味と塩っ辛さで舌が痺れさせる。

 "世界一まずいパン"として売り出されたこともある珍品で、他国では罰ゲームで食べさせられるような代物であった。


「ディアマンテといえば余の国の一部だったな。よし、人間の食文化とやらを味わってやろう」


 その硬いパンに躊躇なく齧り付くアダルマを見てジャックはニヤニヤする。

 しかし、アダルマはそのまま無言で一気にパンを平らげた。


「あれ…?」


 ジャックは呆気にとられた。


「な、な…ッ」


 アダルマの様子がおかしい。ブルブルと震えながらうわ言のように声を漏らす。


「なんだっ!この舌を蕩けさせる芳醇な味は!!」


「おい、何言ってるんじゃ?それはわしの欲してた感想じゃないぞ!"牛の唾液を拭いて乾いたあとの雑巾"みたいな凄まじい臭いが口の中いっぱいに広がるじゃろ?」


「何を訳のわからんことを抜かしておる。美味である!何故余はこのような逸品をこれまで知らず、素通りしてしまったのか!!」


「もしかして魔族ってまともな食文化がなかったんじゃ…」


「ああ。イメージじゃと大鍋で蛙や蛇を煮たドロドロのスープを木の棒でかき混ぜてそうじゃが」


「よく知ってるな、その通りだ」


「当たりかい!」


「もっとも余の食するものは全て庶民では口に出来ない逸品ばかりよ。竜の舌の煮込み、巨大蝙蝠の目玉のスープ、ヒトカゲのジビエ…」


「もうええわ!気持ち悪い」


「魔族の食は魔力錬成に全て直結する。貴様ら人間共は欲と直結しているのだろうがな。まぁ人間は魔族と比べて寿命が短い。食で自分たちの儚さを慰めるためそのような文化が発展したんだろう。哀れな背景とも言えるな」


「わしからしたら蝙蝠の目ん玉をありがたく食ってる方が哀れじゃ」


 魔王は新たなパンを購入し、バクバクと食べ続ける。その姿はいまの容姿からすると大分化け物じみて見えた。


 しかし魔王はひたすらパンにハマる。

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