第26話 お気の毒ですが魔王の能力は消えてしまいました(5)

 洞窟を抜けたジャックたちの足元には黒い泥濘ぬかるんだ大地が広がっていた。ジャックはここでもまだ黒い雪が続いているのかと動揺したがそれは毒の沼地であった。

 黒い雪よりはマシと思いながらも洞窟を抜けた達成感に大きく水をさした。


「なにボーッとしてるのよ。そんなところに止まっていたらどんどん命が削られていくわよ!そこの砦跡にまだ稼働している旅の泉があるわ。それを使えば開花の神殿があるクロークン国まですぐよ」


 カメリアの言う通り洞窟を出てすぐのところに、いまはその役割を失って久しい古びた砦が見えた。


 この砦は〈シオンの砦〉と言われ、かつてエリシュトロン国の国是である"冥王のしとね"の監視のための拠点であった。


 古来エリシュトロン国では冥王のしとねの監視は名誉ある職務であった。

 しかし冥王の脅威も徐々に現実感が薄れていき、単なる御伽噺のような扱いとなると監視職務はいつしか形骸化していく。


 それから長い年月が経過し、120年前、冥王復活の時にはこの砦に駐在しているのは国内で不祥事を起こした騎士や魔術師たちであり、その職務は単なる閑職の一つという扱いになっていた。


 本来冥王の地上侵略の防波堤となるはずのシオンの砦は忽ち冥王軍に奪われ、地上侵略の橋頭堡とその役割を反転させた。


 カメリアたちは老朽化した砦を探索すると目的のものはすぐに見つかった。


「あったわ!よし、旅の泉はまだ稼働してるわね。さぁ行きましょう!」


 〈旅の泉〉とはこの大陸を統一し、帝国を築き上げた初代至高王アブラメリンによって設置された離れた場所と場所を繋ぐ転移装置である。

 この旅の泉によってアブラメリンは統一後の大陸を自由に行き来し、その統治を盤石のものとした。


 だが冥王による地上侵略後はその維持も困難となり、今では稼働している旅の泉はわずかしか残っていない。


「旅の泉か…。わしこれ苦手なんじゃよなぁ。他にルートないんかな」


 ジャックは勇者パーティー補欠サブが固定化しているとき、馬車での移動が大の苦手であった。少ない出番を吐き気により、不意にしてしまったこともある。


「我慢してよね。七日以内に魔王城へ戻って再契約をしないと八大地獄衆は現世から消えてしまうのよ。そうなったら私たちが頼りに出来る戦力は0よ。いまの私たちが最も重視すべきはスピードよ」


「ちっ、わかったよ!しゃーねえなぁ」


 ジャックは意を決して目の前の旅の扉へ飛び込んだ。

 続いてアダルマも少々緊張した面持ちでそれに続く。

 振り返ればアダルマが魔王国の領土から離れるのはおよそ20年ぶりのことであった。


 × × ×


 旅の扉の先はエリシュトロン公国内の朽ちた教会に繋がっていた。


「さぁ、ここから南下していけば2日くらいで開花の神殿に着くはずよ。なるべく戦闘は避けながら進みたいわね」


 最短の平野を進むか、それとも森や山奥を経由して進むか。

 先程スピード重視と言ったが戦闘は極力避けるというのは変わらない方針である。


「ちょっと無責任な質問なんだけど冥王国の最新の状況はどうなっているかわかるかしら?ジャックくんはここからそう遠くない村に残ってたわよね」


無責任という言い方となったのは冥王を打倒したあと勇者パーティーはわずかな期間で魔王討伐へと向かったため、辺獄化したアロンギルダ台地や、冥王国内の残存戦力の打破などは放置せざるを得なかった。


「残ってたというか置いてかれたんだがな。冥王が死んだからと言って冥王軍が消えてなくなる訳じゃない。冥王の命令で人間を虐げていたのが、それぞれの意思でバラバラになって虐げるようになったってだけじゃろ。とはいえ地域差もありそうじゃな。わしのいた村は良くも悪くも冥王の死後であろうがあまり変わらんかった」


 不貞腐れたジャックの見解であったが、ほぼ正確に現在の冥王国の状況を言い表していた。


 冥王は極めて厳格な階級を国内に設け、人間だけでなく、魔族も支配していた。

 人間型ヒューマンタイプ魔族を上位魔族とし、それ以外の原生のエルフ、ドワーフ、ゴブリン、リザードマンなどの亜人間型エピゴーネン魔族を乱暴であるが一律に下位魔族と定めた。


 この上位、下位という序列は本来の魔族の価値観にはなく、人間の統治機構を取り入れた冥王国における独自の概念である。

 事実魔王国、暗黒騎士国においてはそのような概念は存在していない。


 さらにその序列は軍においても積極的且つ強行に取り入れられた。

 冥王軍の兵士たちは〈冥王衛士〉と呼称され、最大3万人の常備兵を冥王は擁していた。冥王衛士には人間の王族や騎士の子弟たちまでいたという。

 この冥王衛士の精鋭153名を〈スーペリアナンバーズ〉と称し、1位から153位までの序列を容赦なくつけた。

 さらにその1位から7位の冥王衛士は〈護門七卿ごもんしちきょう〉という地位を与えられ、アロンギルダ台地を除く、冥王国の領土を7つの行政区に分け、それぞれに統治させた。


 勇者パーティーは護門七卿ごもんしちきょう全てを倒したが、当然残る全ての魔族を殺戮した訳ではない。

 行政区によってはそのナンバー2が権限を引き継ぎ、冥王時代と変わらない統治を続けているところも存在した。

 現在その行政区は一種の独立国家の様相を呈しているが一方で魔族間のまとまりもない、無主の地となった行政区も存在する。


 それを聞いたカメリアは地上を人間の手に取り戻すためには、気が遠くなるような奇跡を何度も繰り返す必要があると感じずにはいられなかった。


「わしの肌感じゃがこの辺は冥王国残党による監視のようなものは緩い。なので魔物にさえ気をつければクロークン国には行きやすいはずじゃ」


「なるほどね。いまの冥王国は名目上〈ザ・セブン〉による管理ということになっているのかしら」


 冥王死後の冥王領はアダルマ率いる〈魔王国〉、暗黒騎士たちの〈暗黒騎士国〉と、七つの王国の代表により組織された人間たちの新たな共同体<ザ・セブン>との共同信託統治となっている。それは人間の敗北宣言の受託と三者休戦条約に於いてそう定められている。


「冥王国内の移動は問題ないが冥王国からの出入りは結構面倒じゃな。まだ冥王が統治していた頃の方が緩かったというぞ。わしも実際魔王国に忍び込むのには骨が折れたぜ」


 冥王領からの難民の流出は認めない。それは魔王軍、暗黒騎士軍、ザ・セブンにとって同様の認識で、この点の利害は簡単に一致した。


「だがそれは好都合だな。暗黒騎士も余を追って簡単にこの冥王国内に入り込むことは出来ない」


「お前、その慢心を突かれていまの窮状招いていることを忘れているじゃろ」


 ジャックが街で薬草や食品などを調達し、野営しながら南下する。

 途中平野を徘徊する魔物に襲われたが苦戦するようなレベルではなかった。


「以前はそれなりにこの辺りの魔物も脅威だったんじゃがなあ」


 南下してから2日目の昼下がり、岩山に囲まれた巨大な建造物が目に入る。


 それこそが開花の神殿である。

 冒険者たちが新たる力の覚醒を求め立ち寄る聖地である。

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