第18話 魔王たちは逃げ出した!(4)

 ジャックたちが転移した場所はアロンギルダ台地の南西に位置する〈幽明ゆうめいの森〉と呼ばれる針葉樹の森林で、そこから北に行けばかつての冥王の城があった場所となる。

 冥王の残滓ざんしとも言える20体あまりのビヨンドデッドを何とか振り切り、そこから西にある、この台地と本土をつなぐ唯一の洞窟へと一行は向かっていた。


 ビヨンドデッドは例えバラバラになろうと生者への攻撃を止めない。神聖魔術の中でも高等呪文に位置する〈退魔の呪文〉により消滅させることが可能ではあるが、現在の魔王たちにはその手段はない。

 そのため索敵を怠らず、包囲される前に逃げるというのが当面の対応策となる。


「ふぅ、なんとか逃げ切れたな。足が遅くて助かったな、あいつよりも」


 魔王はその慣れない短い足をちょこまかと動かしジャックたちの後へと続く。

 その姿は魔王の威厳からは遠くかけ離れていた。


「カメリア、さっきのビヨンドデッドの鎧に刻まれていた紋章に気付いたか?火蜥蜴ひとかげとラフレシア、亀もあった」


 火蜥蜴ひとかげをシンボルとするのは〈エリュシトロン公国〉で〈死者の舞踏〉の最初の被害国であり、ジャックはこの国の神働騎士団という民間騎士団の兵士出身であった。

 そして巨大な花・ラフレシアの紋章はカメリアの出身国でもある〈クロークン公国〉、亀の紋章は冥王に最後まで抵抗した軍事大国〈ブラウ公国〉のもので、この三ヶ国は〈ミーデン三国〉と呼ばれ、伝統的に王族間で婚姻を結ぶなど強固な同盟関係にあった。


「私たちが冥王を倒したあとエリュシトロン、クロークン、ブラウの3ヶ国によるアロンギルダ台地の共同調査があったと言うわ。しかし、戻ってこられたのは数名のみ。そしてその人間も数日後…皆発狂して死亡したとか。まぁこの部分は怪談話みたいだけどね」


「さっきの連中はその調査隊の亡骸がビヨンドデッド化したということじゃろうか?」


「恐らく。このアロンギルダ台地は元々強力な魔物が徘徊していて、猛吹雪に荒れ狂う極寒の地だった。でもその時はこんな黒い雪なんて降ってなかったわ」


 カメリアはかつて冥王討伐のため勇者とともにこの台地を渡っている。


「元からこうじゃなかったのか?」


「ええ。今から1年前、私たち勇者パーティーが冥王を倒したあと台地に異変が起こり、この黒い雪が降り積もった。それは確かよ。その瞬間に私は立ち会ったしね」


 勇者の一刀により冥王は倒れる刹那、断末魔の叫びとともに凍てついた波動を放った。

 伝承によれば冥王の覚醒と同時にこの冥王城はアロンギルダ台地に一夜にして出現したという。

 現れるのが一夜なら消えるのも一夜ということなのか。冥王の魔力を失った城は崩壊を始める。

 勝利の余韻に浸る間もなく、辛うじて城から脱出した勇者たち。その目の前に広がる光景は一変していた。

 黒い雪がしんしん降り、陽の光が差し込まない、色彩を失った闇の世界となっていた。


「私たちは漠然と冥王さえ倒せば地上のビヨンドデッドは全て停止するかと思い込んでいた。でもその思惑は外れた。この極夜黒昼きょくやこくちゅうとなった台地でビヨンドデッドは活動を続けたわ」


「まぁ、冥王とかのトップを倒せば魔物が消えて、魔族も逃げ失せてみんなチャラになるってわしら思い込みがちだよな」


「そうね。でもそんな都合のいいことはなかった。それどころか冥王はその死と引き換えにこの台地を地獄へとつなげたのよ」


 呼吸を乱しながら少し遅れて付いてくる魔王は嘲笑する。


「ふふふ、そうか、この台地の現象は異界化か!ただでは死なぬか、冥王め」


「しかし静かじゃ。かつては魔物もウロウロしてたんじゃろ?それに猛吹雪やらの過酷な環境というほどではない。だが命の営みが無いというか。実際この地の空気を吸うだけでどんどん生命力が失われていく感じがさっきからするんじゃ…」


「その感じ方は正しいはずよ。調査隊のレポートによると例えばこの台地の植物は枯れもしないし、成長もしない。でも死んでいるのではない。生命の時計の針が止まったようだと表現されていた。冥王の断末魔によって時間の流れが凍ってしまったと言えるのかもね」


「冥王を倒した代償か。ほんとに死んでも迷惑なやつじゃ」


「フンッ。冥王め、死の際に郷愁きょうしゅうにでもかられたか。どうりでこの地は余にとっては居心地が良いはずだ。漂う瘴気は魔界のそれに極めて近い」


「まさに調査隊の報告を受けて各国の魔術学者たちはこの現象を〈辺獄化〉と名付けたわ」


 辺獄とは地獄の外周部を指す。ここは地上であるのにも関わらず、魔界の一部と化したというのだ。恐るべき冥王の魔力である。


 ビヨンドデッドを警戒し木々の密集していないところを慎重に選びながら進む。


「アダルマ、あなたそんな身体になったのにも関わらず随分と偉そうにしてるけどどうやって暗黒騎士フラメルを倒して、城を取り戻すつもりなの?腹案でもあるんでしょうね」


「当たり前だ。やつとはもう一度戦えば必ず勝つ。やつはもう死んでいるのも同じ。恐るるに足らん」


「嘘つけ!このまま再戦したら確実にとどめを刺されるぞ!そこでおしまいじゃ」


「でも一面、真実とも言えるんじゃないかしら。魔王は魔の勢力間の戦争において敗北したのか?これは否だと思う」


「なんでじゃ?恐らく魔王城も今日明日で暗黒騎士に占拠されるだろうし、いまもこうして逃げ回っているじゃないか」


「カメリアよ。さすが元賢者という訳か。貴様の認識は合っている。余がこうして生きている。これが全てだ」


「元は余計よ」


 人間たちは魔族同士のこの身勝手な戦争を〈百鬼戦争〉と名付けた。


 百鬼戦争における魔王、冥王、暗黒騎士、各国のそれぞれの敗北条件とは何か。


 人間の国家対国家の戦争の場合は一方の劣勢が極まり、降伏を宣言し、それに関する文書への調印を持って敗戦となるのが一般的だろうか。


 まず確実に言えるのはこの地上を舞台とした魔族間戦争において各陣営の"陣取り"はそれほど重要な要素ではない。三大勢力外の悪竜などはそもそも国家、国土を持っていない。


 さらに百鬼戦争の各陣営のうち魔王国と冥王国はナンバー2が不在の、どちらも圧倒的な権力を持つ君主が君臨している。その絶対君主が不在となった場合、勢力内の別の魔族がその権力の空白を代わりに埋めることは出来ない。

 実際冥王の死によってこの地上の覇権に最も近かったはずの冥王国は早々に瓦解した。どれだけ強国であろうが、冥王国はトップ不在となれば国は維持出来なかった。しかし裏を返せば冥王国、魔王国はどれだけの領土を削り取られようが関係なく、トップさえ生存していれば国は維持できる。つまり魔王国は魔王の死をもってのみ敗北となる。


「この状況を打破するにはまず戦力の立て直しが急務ね。いま暗黒騎士たちにとって一番厄介なのは魔王軍の戦力の結集。そう!貴方の忠実なるしもべ、〈八大地獄衆〉の結集こそが逆転の鍵よ!そうでしょう?」


 カメリアは熱く語った。亀にも表情があるようで興奮しているのがジャックにも見て取れる。


「ははははは!忠実なしもべか、そんな殊勝なものは八大地獄衆に一体もおらぬわ!」


 しかし魔王アダルマはその小さくなった身体を仰け反って大笑いした。


「え?どういうことよ?」


「忠実じゃないのか?まぁ、お前の性格だと人望は無さそうじゃが」


 そもそも魔王が配下を御するのに人望が必要なのかわからないが。


「ぬかせ。余と八大地獄衆の間にそもそも忠誠や信頼といった類のものは一欠片もない。連中にあるのは地獄の責め苦への恐怖と、現世に留まりたいという仮初(かりそめ)の生への執着のみだ!」


 〈八大地獄衆〉とは魔王アダルマの八体の眷属を指す。魔王アダルマは呪禁〈八亡招魂〉で地獄に堕ちた亡者八体を現世へと召喚し、魔力で生成した肉体に受肉をさせその配下とした。勇者パーティーもこれまで何体かの八大地獄衆と激戦を繰り広げてきた。


「余が使役した八体の怨霊は生前、口にするのもはばかる悪行をなした大罪人共だ。どいつもこいつも卑劣で悪辣。欲望に塗れ、他者のことなぞ歯牙にも掛けん。貴様ら人間のみならず神仏の敵と言っても過言ではない」


 悪し様に自分の配下を罵るアダルマ。思わず本来敵だったはずのカメリアが擁護じみたことを口にする。


「私には八大地獄衆の全容はわからない。でもその一人、焦熱地獄メルクアドソは勇猛で質実剛健な武人という印象だったわ」


 焦熱地獄メルクアドソは勇者たちが魔王城を攻略したとき、唯一立ち塞がった八大地獄衆の一人で、カメリアの言う通りその最後は勇者との正々堂々たる闘いで敗北し、消滅した。


「貴様ら人間も一人殺せば殺人者、千人殺せば英雄という評価を下すだろう。英雄も極悪人も紙一重、行い自体だけを見ればさほど変わらん。その場合例え性根が善良であろうと成したことは単なる大量虐殺なのだから地獄にも落ちる」


「うーん、納得はいかないけど…。でも忠誠心はないのになぜあなたに従っているのよ」


「そうじゃ、命令しても聞く耳持たんじゃろ」


「分からぬか?そういう契約をしている」


「契約じゃと?」


 ジャックは嫌な予感にさいなまれる。


「八大地獄衆を召喚すると余はまずこの指で相手の額を抉る」


 魔王は短くなった人差し指を突き出しわずかに曲げるとくいっと抉る仕草をする。


「いやーん!なにそれ、痛そう!」


「そうして刻まれるのが〈咒怨紋じゅおんもん〉という服従の証だ。この咒怨紋を施されたものはまず爪が濃い紫の瑠璃色となる。しかし、余への反感、反抗、敵意を向ければ爪はそれに反応し徐々に赤く染まっていく。最終的に真紅となればそのものの肉体は消滅、即座に元にいた地獄へと逆戻りだ。地獄の責め苦というものはどんな英雄も大罪人も根をあげるらしい、ふふふふ」


 加虐的な笑みを浮かべる魔王。地獄の責め苦とは語るのも恐ろしい拷問であるという。例えば全身の皮が剥がされると鉄の釜で煮られ、葉のかたちをした刀剣が生い茂る山を駆け上がり、暗闇の中で煮えたぎる闇の炎に全身を焼かれるなど…。そしてこれはほんの一部であり、数千億にも及ぶ種類の拷問が永遠とも思える時間続く。


「お、おい!もしかしてわしにもその咒怨紋とやらがかかっているんじゃないじゃろうな!」


 ジャックは両手を広げ、全ての爪を確認している。この黒い雪の地でブーツを脱ぎ足の爪まで確認しそうな勢いで慌てた。


(悪魔に魂を売ってしまったんじゃないだろうか)という不安は言葉にはせずとも常にジャックに付き纏っていた。魔王とパートナーシップを結ぶという"邪悪な決断"を追い詰められた状況だったとはいえかなり軽々にしてしまった。それを全く後悔していないと言えば嘘になる。


「ジャックくん、落ち着いて。咒怨紋というのは恐らく死者を現世に受肉させるという奇跡の代償なのよ。絶対服従という誓約でもって初めて死者は地獄から一時的に救済される。あなたは生きているんだし、本質的に魔王との契約とは別物なはずよ」


「そのとおりだ。貴様と余の契約は誠に遺憾ながら主従ではない。あくまで対等な同盟関係なのだ。繰り返すが契約不履行で死ぬのは貴様だけではなく、余も同じだ」


「くそ、なんか信用できないんじゃ…」


「でも絶対服従が条件なのであればいますぐあなたを救出に来るよう命じることは可能でしょう?」


「ふむ。それはもう無理だ」


 魔王は即答した。あまりに容易くなされたその否定にカメリアは声を上げるのを忘れた。


「まぁ、余もさっき気付いたのだがな」


 魔王は少し躊躇いながらゆっくり言葉を続ける。


「いまの余は魔力が一切ないようだ」


「ん?呪文は第二形態に変身した時点で使用できないんだろ」


「呪文が使えないというのと、魔力が一切ないというのは似て非なる状態だわ。それって魔力自体の錬成が出来ないと言っている?つまり魔導フィラメントが機能していない⁈」


「人間風に言うとそうなる」


 魔導フィラメントとは人間、魔族が持ち合わせているとされる魔を司る擬似器官である。

 身体能力が骨や筋肉、神経等で決定されているようにこの魔導フィラメントの性質や総量によって"魔力"が決定される。


「それはどういうことじゃ⁈」


「石化呪文の影響に、フラメル戦での激しい肉体の損傷も相まって、余は魔力そのものの生成が出来なくなった。先程の回復呪文の効果が薄かったのは魔導フィラメントが機能していないことに起因しているのだろう」


 実際いまの魔王はこと魔力に関してはその辺の訓練もしていない人間に劣ることとなる。


「そうなるといま八大地獄衆の肉体に絶えず注がれていた余からの魔力供給が途絶えている。八大地獄衆はその魔力供給がなければ肉体を維持することが出来ない」


「ちょっと!大ピンチじゃない!!じゃあ八大地獄衆は既に消滅してこの地上に存在しないの?」


「それはない。〈中陰〉といって七日の間は余からの魔力が無くても活動が可能なはずだ。だが魔力が途絶えたということは命令を下す経路が途絶えたということだ」


 現状はカメリアの想像を超える有様であった。カメリアはそもそも魔王が弱体化していようと八大地獄衆の戦力により暗黒騎士団に対抗できると考えていた。


「ちょっと状況を整理させて…。それならいま残りの八大地獄衆はどういう状況なの?急に魔王からの魔力が途絶え、混乱状態に陥っているとか?」


「全く、抜け目のないやつだ。この状況で余の懐を探っておるのだろう」


「ふざけないでよ!!八大地獄衆が戦力にならないのなら、いまの貴方と組むメリットは何があるのよ!図々しいわね!」


 カメリアは激しい剣幕でアダルマに詰め寄るが亀の容姿がそのシリアスさの邪魔をする。


「本来魔王と八大地獄衆の関連を解き明かすだけで一つの物語になるぞ。それを当事者からあっさり口頭で聞いてしまうのか、怠け者め」


「良いから早く言え!」


「貴様との契約とは違い、余と八大地獄衆はあくまで主従関係となる。余と八大地獄衆それぞれとは連動リンクしていない。あくまで余からの一方的な干渉、つまり一方通行ラインなのだ。八大地獄衆から余へのアプローチ手段はないし、余から連中に対しての意図的な発信がなければ八大地獄衆は何も余の情報を知ることはできない」


「では八大地獄衆は魔王が城から消えてしまったことや、いまのあなたのコンディションについて全く知るよしもないと」


「じゃあ残りの八大地獄衆がいまどこにいるかも今のお前ではわからないのか?」


「どちらも正解だ。本来であれば八大地獄衆の状態や居場所は把握できる。しかしいまはさっぱり分からん!」


 アダルマは開き直ったように断言した。


「はぁ…そうなると向こうからの積極的な救援は期待できないか」


「救援だと⁈ははは!救援どころかいまの余の置かれた状況を知れば、術者である余を殺すことで現世に止まれるのでは、などと妄想する痴れ者もおろうな!」


 魔王は露悪的に自らの窮状を嗤う。


「じゃあ、八大地獄衆にこの状況が知られたらやばいんじゃないのか!?」


「ジャックよ、どうして最初は間抜けな面をしていると思っていたがなかなか察しが良いではないか、その通りだ!」


 ふはははは!と魔王の高笑いが響く。どうやら八大地獄衆は魔王の最強の戦力であるのと同時に最悪の敵へと転じる可能性があるようだ。そればかりか七日経てば現世に止めておくことすら出来ない。この状況を先程よりも正確に把握したカメリアは絶句する。


「残念ながらアテが外れたな!」


「もう!最悪だわよ!とりあえず、貴方が私たちと魔王城で戦っていた時点では八大地獄衆の居所は把握してたのよね。この辺りにいて偶然遭遇なんてパターンはあり得るの?」


「うむ。早々と冥王軍に討ち取られて逃げおおせているのが一体いたな。あとは暗黒騎士軍、悪竜への警戒、そして余の護衛に充てていたが最後の者は既に貴様らに倒されたな」


 そうなると現在八大地獄衆は残り六体となる。


「ったく、案外ぼろぼろだったんじゃないのか?魔王軍って」


「わたし、この賭け、既に詰んでいるんじゃないのかしら…」


 黒い雪を掻き分け進む。その先にあったはずの希望がさらに遠ざかっていくのをカメリアとジャックは感じていた。

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