第17話 魔王たちは逃げ出した!(3)

 新たなる仲間ベーメリア、いやカメリアが加わったが依然状況は混迷している。魔王と暗黒騎士打倒という利害は一致しても当の魔王が腰から下を失い、身体は激しく損傷している。


「とりあえずここから離れないか?このまま居たら移動する気力も奪われてしまう。ん?なんじゃ?」


 周囲の森から何やら甲高く不気味な音をジャックは耳にした。


「なあ、いま何か聞こえんかったか?チゥエ、チゥエ、チゥエみたいな」


 ジャックの言葉を遮り身体の痛みに耐えかねたアダルマは大声をあげる。


「いま貴様らは余の命の値踏みをしていい気になっているようだが、このままだったら利用する前にその価値は消え失せる!余の分身の身体を奪ったのなら回復呪文を使えるだろう。余を死なせたくなかったら今すぐありったけの魔力を注ぎ、この傷を癒せ!」


 ある意味堂々とこのままでは自分は死ぬ、自分を救えとアダルマは訴えた。


「もう!さっきまで殺し合いをしていた相手によくもまぁそんな上から要求できるわね…。でもまずは…」


「おい!やっぱりこの森、何かいるぞ!」


 ジャックは再び不気味な鳴き声が木霊こだまするのに気付き、カメリアの言葉を遮った。


「え?私には聞こえないわよ。この身体のせいかしら」


 亀の形をしているからといってカメリアが該当するのか不明だが、亀の聴力は高音が聞き取れない。


 カメリアはジャックに促され周囲の黒い雪をかぶった針葉樹の森を見渡すと、動く物体に気付いた。初めは風に揺れる大枝かと思ったが風は和いでいる。

 よく観察するとその物体は人の形をしていた。


「ごめん…。あれはまさか…」


 カメリアは反応が遅れたことを謝罪した。


「この場に止まり過ぎたわ!早くこの森から脱出しましょう!」


 〈チゥエ、チゥエ、チゥエ、チゥエ、チゥエ、チゥエ、チゥエ、チゥエ、チゥエ……〉


 耳障りで不快な輪唱がジャックたちの鼓膜を刺激する。

 すると目の前に躍り出たのは身体を小刻みにぶるぶる振るわせる、銀色の鎧を纏った騎士たちであった。


「なんじゃ⁈こいつ。それに一体ではないぞ、十は超えている!」


 ある者は折れた足を引き摺り、ある者は砕けた下顎から血液なのかわからない液体をぼたぼたと垂らしている。

 ジャックたちの背後から現れたもう一体はさらに損傷が激しく両足が欠損していて、匍匐前進のような体勢で、皮がめくれ骨が露出している両腕を使い地面を這いずりながらこちらに近づいてくる。


「こいつら!生ける屍〈リビングデッド》か⁈しかし、この数は」


「違うわ。それよりもさらに凶悪よ。こいつらは死を超越した屍…〈ビヨンドデッド〉よ!やっぱりまだこの地に徘徊しているのね!」


 ▽ビヨンドデッドが現れた!▽


 その数は徐々に増えていき、いまや20体以上は確認できる。

 砂糖菓子に群がる蟻のようにジャックたち生者の血肉を求め吸い寄せられているようだ。


 黒魔術に分類される〈死霊魔術ネクロマンシー〉という"死"の領域を専門とする魔術が存在する。この魔術の起源は元々、罪人をあの世に行かせないよう魂を繋ぎ止める魔術とも、死体を操り労働力とするための魔術だとも言われている。

 いずれにしろその歴史は古く、この魔術によって活動する生ける屍は〈リビングデッド〉と呼ばれ恐れられていた。

 リビングデッドにはいくつかの特徴と制約がある。


 ・死後36時間以内に死霊魔術を施すことでリビングデッドと化す

 ・死後36時間が過ぎた遺体はリビングデッドと化すことはない

 ・日光の元だと活動は停止する

 ・術者である死霊使い(ネクロマンサー)が継続的に魔力を注入し続ける必要があるため、術者一人につき一体の制御が限度である


 しかし、いまこの目の前に現れた〈ビヨンドデッド〉は太陽の元でもその活動の制限はない。またビヨンドデッドに殺されたものは同じくビヨンドデッド化する。また死後どれくらいの時間が経とうが肉体さえあればその遺体はビヨンドデッドと化すことが可能という。


 このビヨンドデッドは冥王の魔力により生み出されたリビングデッドの完全上位となるだろう。

 ビヨンドデッドはただいたずらに生者へ襲いかかるだけではなく、敵味方の識別も可能であった。そのため冥王軍の初期の中核を為し、最盛期においてはその数は十万を超えたとも言われる。

 しかしジャックがシェイクソードと共に冥王軍と戦い始めた時には既にこのビヨンドデッドは冥王軍から排除されていた。

 冥王軍中期ともなれば上位魔族によって編成された精強な軍隊〈冥王衛士めいおうえじ〉が編成され、その立ち位置を取って変わられていたためだ。


 そのためジャックはビヨンドデッドの存在を教科書でしか知らない。ただその当時から"生ける屍"とは不思議な表現だなと思っていた。

 腐敗でもしているならともかく、人の形をして動いているのだ。いちいち心臓の鼓動を感じてそれが人と認知している訳ではない。つまり生きた人間とビヨンドデッドとでその外見上の見分けがつくのか、などと子供の頃ぼんやり考えていた。


 しかしそれは完全な誤りだった。

 リビングデッドの表情は断末魔の叫びがそのまま顔に張り付いている。

 一目でそれはかつて人だった"人ならぬ存在"だと理解できた。


「カメリア、ビヨンドデッドを倒す方法はないのか?」


「倒すというのをどういう状態になったら倒せたと定義するかによるわね。どれだけ傷つけてもその活動をビヨンドデッドは止めない。身体を切り刻んだところで指一本になっても人間を襲ったという記録もあるわ。でも完全消滅を持って倒すことと言うなら聖なる水、聖なる油、聖なる呪文。そんなところかしら。でもいま私のこの身体では退魔の呪文は使えない」


「くそ、厄介じゃな。隙を見て逃げるしかないのか。魔王はいまのままだと動けんじゃろ。急ぎ回復してやってくれ!そのあとわしが突破口を開く!急いでここを離れるぞ!」


 ジャックは剣を構えリビングデッドに向き合う。


「仕方ないわね。アダルマ!感謝しなさいよ!癒しの清流アクアベネトレーション!!」


 呪文により現れた水の膜が魔王を覆う。カメリアも昨夜苦労させられた蛇亀の回復呪文をまさか自分が使うことになるとは想像もしていなかった。


 魔王の肉体に痛ましく刻まれていた無数の打撲痕と裂傷がこの回復呪文を受けると急速に癒えていき、失った両腕、腰から下の部分が徐々に再生されていく。


 一方近付いてくるリビングデッドは鋭利な乱杭歯らんくいばを剥き出しにし、戦闘の機微やこちらの呼吸などを無視してジャックに襲いかかる。


「くそ!こっちに来るな!」


 ジャックは隼迅の剣によって応戦する。一呼吸で放たれる2回攻撃は正確に一体ずつリビングデッドを斬り伏せていく。しかし、腕を斬り落とし、脚を切り落としてもその動きは止まらない。


「おい!魔王の回復はまだか⁈キリがないぞ!」


 魔王の傷口は完全に塞がった。だが手足の再生が途中で止まってしまっている。


「回復呪文を完全には受け付けてくれない⁈」


「この中途半端さはなんだ!真面目にやれ!」


 腕は一見すると元の形に近いがその長さは短く、勇者や暗黒騎士に振るった鋭利な鉤爪も耳掃除くらいしか出来ない小さな爪となっている。下半身は毛むくじゃらの蛙の復元どころか上半身と同じように鱗に覆われた普通の足が形成されていて、こちらも腕と同じように短く見える。


「うーん…これ以上は何度やってもダメよ。効果はない」


 ジャックは一人ビヨンドデッドに対抗しながら大声で呼びかける。


「簡単に諦めるな!どういうことじゃ!元に戻せないのか⁈」


 ジャックはそう言いつつも、またあの巨大で禍々しい魔王がこの場に現れるのはなかなか厄介なんではと今更思った。だが、その周回遅れの懸念は現実には起こしたくても起きないようだった。


「おそらく私の使った石化呪文の影響ね」


「くっ、やはりあの忌まわしき石化呪文のせいか!」


 アダルマは自分の身体に起きている異変に薄々気付いていたようだった。勇者との最後の一騎打ち、フラメルとの戦いの最中においても石化の呪文効果は続いており、魔力を常にその解呪に充てる必要があった。

 そのため本来であれば極めて高い魔法耐久力を誇るアダルマであったが、勇者とフラメルの呪文攻撃で通常より大きなダメージを受けていた。


「あの魔法は命を触媒にした禁呪の一つだからね。石化現象自体は止まったようだけど今もその身体にはその影響が呪いのように色濃く残っていて、身体の再生を邪魔しているんだと思う」


 魔王は再生したばかりの手足を使ってよろよろと立ち上がると、自分の身体を見て嘆く。


「くそう!!なんなのだ!この哀れな姿は!!」


 足はO脚で腰が後ろにわずかに反り、腕は下ろしたとき太腿の付け根辺りにまでしか届かない。顔をリリパットと揶揄されたが今度は全身がまさしくそのサイズへと近くなった。


「あの毛むくじゃらの蛙よりかはその方がマシじゃ!とにかくここから逃げるぞ!魔王、走れるな!!カメリアもついてこい!」


 アダルマも呆然としていられない。慌ててカメリアと共にジャックに近づく。


「野分来たりて そのさまよう力 彼方よりここに集い爆ぜよ 風烈回天衝アーデントゲイル!!」


 突風が吹き荒れ前方の針葉樹をビヨンドデッドと共に薙ぎ倒すと、その場から一目散に駆け出した。

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