第14話 魔王たちは逃げ出した!(1)

 ジャックは既に意識を取り戻していたが目を開けることを躊躇ためらっていた。

 そのとき目の前に広がるのは天国なのか地獄なのか。身体をじわじわと凍えさせる冷気から少なくとも天国ではない気がしている。そのためしばらくじっとしていたが突然尿意を催したためにたまらず目を開く。


「ここは・・・」


 黒、黒、黒。地面は土の色ではなく黒。周囲の針葉樹らしい植物も黒かった。目の前では小さく黒い物体が無数にひらひらと落下している。すすでも落ちてきてるのかと思いなんとなく手のひらでその黒い物体を受け止めるとひんやりとした。無意識下で想像していたものと違ったため必要以上に強く振り払う。


「つめた!なんじゃこれは。雪か?でもなんで黒いんじゃ」


 視界には黒い雪が降り積もる異常な景色が広がっていた。


「こんなもん地獄で確定じゃろ…」


 気落ちしつつ、改めて先程の出来事が脳裏を過ぎる。暗黒騎士フラメルの最強の呪文によって出現した巨大な氷の鳥。それが猛スピードで突進し衝突する刹那、痛みこそなかったが耳の奥がきーんと鳴り響き、地面が空に向かって急浮上するような感覚に襲われた。その瞬間これが死か、と思ったがいま冷静になるといかにも魔術的な出来事であった。そのときの感覚はかつてどこかで似たようなものを体験した。

 なんであったか……そうだ、かつて勇者シェイクソードと共に冒険をしていた頃、ダンジョンの奥深くから一瞬で地上に帰還する呪文を女賢者が使ったときの感覚に近かった気がする。

 もっともその時は馬車で待機中であったのだが。


 ジャックのいるところはちょうど20平米ほどの森の中の切り開かれた空間で、ここは冒険者たちが天幕でも張り一夜を過ごす野営地とするのに適しているだろう。

 その証拠に燃えた薪や天幕を固定していたと思われる地面に突き刺さった木が黒い雪に埋もれ、この場の冷気がその人工的な営みを凍りつかせていた。


「人でもいるのか?おっと、やばい、漏れてしまう」


 この開かれた空間で用を足すのは躊躇われたので、手頃な木陰を探す。

 尿意に急かされるが森の中の視界は悪く、慎重に歩かなければ転んでしまいそうだ。


 そう思った矢先、一歩踏みおろした足元に嫌な感触が伝わる。

 その瞬間ジャックは幼い頃、水辺でカエルを踏んづけてしまったことを思い出した。足を動かすのも嫌でそのまま数秒身動きも取らずにいたが、意を決しゆっくりと足をあげる。


 目を細め足元に視線を向けると、そこには無惨にも上半身のみとなった魔王アダルマが転がっていた。


「のわああああああああああああッ!」


 自分でもびっくりする程の大声をあげてしまい慌てて口元を抑えた。

 アダルマはぴくりともしない。

 息を潜め魔王をよくよく観察する。その顔は魔王という言葉から想起するような荘厳さや、威風さからは程遠い。

 以前ある森で戦った小鬼とも呼ばれる亜人、リリパットを思い出す。


「このリリパットは死んでるのか…?まぁ、半身失えば普通死ぬよな、魔族といえども」


 足元に転がる木の枝を手に取り魔王の身体へそっと近付ける。その枝先が触れた瞬間…


「誰がリリパットだ」


 カッと魔王は目を見開きジャックを睨みつけた。


「ぎゃああああああああッ!」


 またしても大声をあげるジャック。

 急に声を上げたためゴホッゴホッとむせた。


「先程の契約を忘れたか。余が死ねば貴様も既に死んでいるのだぞ」


 そうだった。いまのジャックは契約により魔王と命を共有している。


「うるせえ、なかなか実感ないわ。そもそもなんでお前は生きてられるんじゃ。というか普通死ぬじゃろ、その怪我だと」


 魔王は腰から下を失っていて、その切断面からはしゅーしゅーと音を立てて蒸気のようなものが噴き出している。また右目は大きく腫れ上がり痛々しい。身体中には切り傷と殴打された痕が無数にあり、この状態で生きているものを目撃すれば人類は半死半生や、重症以上の表現を早急に作らねばなるまい。


「貴様ら人間とは出来が違う。もちろんその辺の魔族ともな」


 半身の魔王は首をわずかに曲げようとしたがダメージが酷く動かせないようで瞳だけで周りを見渡した。


「ここは余の国の領内ではないな。だが悪くない、懐かしい気分だ。ここは魔界の瘴気に満ちている」


 アダルマはぼろぼろの身体にも関わらず心地良さそうに呟いた。


「ここがどこかはわしにもわからん。雪が黒いし、あとなんというか本来の雪より冷たくない。これは本当に雪なのか?」


 寒いには寒いが防寒服を着ていなくても凍死するほどではない気温であった。


「それに寒さよりもお前と違ってわしはここにいると息苦しいぞ。心なしか体力が奪われていく感じがする」


 この空間はまるで毒の沼地のように人間の体力をすり減らす効果があるようにジャックには感じた。


「まぁ、わしよりいまやばいのは圧倒的にお前じゃ。もう喋るな、このままじゃ死ぬぞ」


 ジャックは魔王を気遣う自分自身に若干の不快感を抱きながらぶっきらぼうに言う。


「しかし魔王国の領内でなければここはどこじゃ。動こうにもここがどこかわからんとどうしようもない。つうかやっぱりあの世じゃなんじゃないだろうな。どっちも既に死んじまっているのか⁈」


「ここはあの世じゃないわ。かつて冥王の城があったアロンギルダ台地よ」


 突然女の声がした。それもどこか聞き覚えのある懐かしい声。慌ててあたりを見回すが誰もいない。


「こーこーだってば!」


 足元の黒い雪がのそのそと動く。黒い雪がばさりと落ちると本来の雪の色であったはずの白い物体が現れた。その物体をよく見ると白い甲羅の亀であった。


「・・・なあ、いまこの亀みたいなの喋らんかったか?わし、頭がおかしくなったのか?それともやっぱりここはあの世的な場所じゃろうか⁈」


「違うってば!あなたは生きているって!でもあの世的というのは遠からずってところね」


 あの世では黒い雪が降り積り、亀がしゃべる。それほどセンセーショナルな特徴とも言えずこれを他人にそのまま伝えてもそうなんだ、でおしまいだろう。


「貴様は…。我が分身⁈」


「そうね。かつてそうだったものなんでしょうね」


 その白い甲羅の亀は魔王の第二形態への変身時に現れた二体の分身のうちの一体、亀のような見た目をして尾が蛇となっている〈蛇亀〉であった。〈蛇亀〉は魔王が傷付くと即座に回復呪文を唱え、超スピードで敵を翻弄し魔王に有利な補助系魔術をバラまく〈妖鳥〉とともに昨夜の勇者パーティーを大いに苦しめた。

 しかし、パーティーの一人、女賢者の命を触媒とした古代語魔術で石化し、その生命を絶たれたはず。


 アダルマでも瞬時にそれがかつての分身であるとは理解出来なかった。黒く滑らかでオニキスのような美しい甲羅だったのが白いペンキによって塗り替えられたように真っ白となっている。そして1メートル程あったはずの体長が30センチほどに縮小していてまるで獰猛なトラが猫になったような違和感を覚える。事実甲羅の横に申し訳程度に生えていた蝙蝠のような羽を使ってふわりと飛ぶとジャックの顔のあたりまで浮遊した。


「そして久しぶりね、ジャックくん。どう思うか分からないけど私は君と再会できて嬉しいよ」


 魔王の分身はあくまで魔王の回復呪文、補助呪文を司った機能であってそれを自動的に行う存在でしかない。

 それが意思を持ち、ましてや会話するなどはありえないのである。

 それにも関わらず蛇亀は感情でもあるようにくるくると表情を変えジャックに語りかけている。


「私もまだ状況を読み込めていないの。転職クラスチェンジはしたことがあってもまさか魔王の分身に転生することになるとはね。さっきそこの川に映った自分を見たときはさすがに気を失いかけたわ」


 可憐な少女の声が蛇亀の口から発せられる。

 しかし改めてこの声はどこか聞き覚えがあった。


「お、おまえは・・もしかして」


 その時脳裏に過ったのは一人の少女である。


「うん、そうよ、賢者ベーメリアよ。大体2年ぶりってところかしら」


 縮小した蛇亀はほんの先程、魔王との戦いにて堂々たる自己犠牲呪文を使い、この蛇亀もろとも戦死した女賢者・ベーメリアと名乗った。


「どういうことじゃ?わし、頭がおかしくなりそう…」


「私は魔王アダルマとの決戦に臨む際、いくつかの古代語魔法を再構築し準備していたの。ちょっと無理矢理な部分もあったけどその数、5つよ!」


 現在このパンスメルミア大陸では大別すると3つの魔術体系が存在する。


 1.白魔術(White magic)・・術者の祈りを通して聖なる神々の力を引き出す。肉体や精神の治癒、邪悪なるものを祓う破邪の呪文などがその主な効果である。なお聖なる神々とはスーダ教で信仰されている神、天使、聖人を指し、一般的に黒魔術より使い手が少なく習得が困難とされる。神聖魔術と呼ぶことも多い。


 2.黒魔術(Black magic)・・呪文詠唱と魔道の記号、図形によって物理現象へ干渉し、目的の効果、現象を引き起こす。この魔道の原理を学術的なアプローチにより行使することから技巧魔術(Arts magic)とも呼称される。


 なお魔術学とは一般的にはこの黒魔術の領域を学ぶことを指し、白魔術とは違い信仰に依らず、あくまで学問的な位置付けとなっている。

 なお従来は「黒魔術=暗黒魔術」と狭い定義であったが近年その定義と領域は多岐にわたり、民間で伝わるおまじないの延長のような〈混沌魔術〉、異世界などから超常的な存在を呼び出し使役する〈召喚魔術〉なども黒魔術へと分類される。


 3.精霊魔術(Elemental magic)・・地水火風の四大元素の精霊に直接働きかけることで通常の物理現象の順序を経由することなくそれぞれの属性に関連する現象を引き起こす魔術全般を指す。その性質から自然ドルイド魔術とも呼称される。

 なお四大元素を司る精霊はスーダ教によって下記に規定されている。


 地:ノーム

 水:ウンディーネ

 火:サラマンダー

 風:シーフ


 以上のこれらの三つの体系は「魔術」とされる。魔術は科学であり、学問である。

 一方現在においてもその術理が明らかにされず、奇跡と称されるようなものは「魔法」とされる。


 三つの体系に収まらない、謂わば第四の体系とも言える古代語魔法(Ancient magic)のみが魔「術」ではなく、魔「法」とその名を冠している。

 古代語魔法はこの地上に術理が不明な奇跡を発現させる。

 古代語魔法はかつて神代よりあと、上古の時代、神と人が地上に同居していたごくわずかな時間。既に現代では信仰を失い、スーダ教から異端視され、邪神、鬼神に堕とされた不順まつろわぬ古代神との契約により、行使が可能な魔法である。


 古代神への接触アクセス、高度な魔道理論の構築、希少性の高い触媒の取得など困難な条件を乗り越えはじめて契約、行使が可能となるのが古代語魔法であるが、その影響力が強力であるあまり現代の秩序を著しく乱すなどの理由から〈禁呪〉に指定されるものも数多くある。


「用意していた5つのうちの一つが〈転生の秘跡サクラメント〉で、私は魔王との決戦前にこの魔法を自分に施していたの。転生の秘跡は前世の記憶と魔法力を継承することが可能になる。私は既に新しい依り代の目鼻をつけていて、例え死んだとしてもすぐに戦線に復帰できるよう準備をしていた」


「その転生魔法を失敗して亀に生まれ変わったのか?」


「違うわ。5つの古代語魔法のうちの一つが魔王城突入時に使った破邪の魔法。恐らくこれがその邪魔をしたわね」


「余の54層にも及ぶ防御結界を解除したのはやはり貴様か」


 魔王は空を仰ぎながらかつての分身の姿をした女賢者に恨み言をつぶやく。

 亀となったベーメリアはそれを無視して話を続ける。


「破邪の呪文によって魔王城を覆う魔の霧を払い、光の障壁で魔王城を覆って城内の弱い魔物を消滅させた。でもその光の障壁は私の霊魂のようなものもその場に閉じ込めてしまったのよ。そして魂は行き場を無くして漂い、やむなく石化したこの亀の魔物の身体を依代として選んでしまった。まぁこの依代が無ければ私はそのまま成仏?でいいのかな。でもそのまま死んでいたんでしょうから不本意だけど不幸中の幸いと思わなきゃいけないかしらね」


「それではこんな僻地に転移させたのも貴様だな、女賢者。瞬間転移など古代語魔法クラスだ。第一形態の余でも容易く使用できない」


「ええ、そのとおり。目を覚ますと魔王と暗黒騎士が戦っていた。意識はあるのに身体が動かせなかったわ。そうしたら懐かしのジャックくんが現れて、魔王と一緒に二人とも暗黒騎士にやられそうになっていて。やばいって思ったとき身体に血が巡るの感じてね。そこで無我夢中で転移魔法を唱えたってわけ。でも咄嗟のことだったから私の最も記憶に深い、冥王との決戦前のキャンプ地であったこの場所へ無意識に転移してしまったんだと思う。私もそうだけどあなたたちもそのおかげで命拾いしたんだから感謝してよね」


「あ、ああ…そうだな」


 思わぬ再会であるのにジャックはどこかよそよそしい。2年前の勇者パーティーでの忘れがたい惨めで哀れな処遇。それを引き起こしたのはベーメリアの賢者への転職が決定打となったからであった。

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