第2話 そして伝説が終わった!(2)
魔王は夢を見る。傷つき敵に追われる夢を。そこが魔界なのか地上なのかは分からない。
しばらくすると目の前に大きな泉が広がっていた。すぐ後ろには敵が迫っている。泉を迂回することは最早出来ないため、魔王は意を決して泉に飛び込む。幸いなことにその泉は浅く腰までしか水位がなかった。
そのまま対岸に急ぐと突然、泉の中から黒い影が無数に現れ魔王に纏わりつく。
魔王はもがきながらも泉を渡り切り、対岸へと上がると腰から下を大量の毛むくじゃらの怪物が食いついていた。
魔王はそれを降り払おうとするが一向に離れない。そして気付く。
それが自分の身体の一部であることに。
× × ×
この城は元々地上を統一していた人間の王のものであった。人間の王は魔王に敗れ、城の主人は魔王に取って変わった。
当時一流の築城の職人たちが精魂込めて作りあげた頑強な内壁はこの激しい戦いで破壊され、その細かい破片が魔王の高まる魔力によって宙に浮遊する。
「この魔力!冥王のものと同等、いえ、それ以上だわ!」
かつての恐るべき強敵と比較してそれをなおを上回る危険性を感じ取った女賢者は警告する。
「ああ!でも冥王を倒してから半年、僕たちだってさらに大きく力をつけている」
勇者の言葉は常に熱を帯び、周りに伝播する。その熱は勇気とも言い換えられるだろう。彼の勇気はこれまでのどんな逆境も跳ね返してきた。
勇者たちに怯えはない。今一度臨戦態勢を整える。
玉座の間は既に魔王の禍々しい魔力で充満していた。黒い花嫁はいまや黒い包帯でぐるぐる巻きになったミイラと化した。
魔王はゆっくりと両手を上げると顔の前で手を交差する。
「はああああああああ——ッ!!」
魔王は絶叫し、交差させた手をすばやく振り下ろし空を切り裂く。
東の海を渡った大陸のある国に変面という一瞬で仮面が別のものに変わる伝統芸能がある。まるでその変面のように腕を振り下ろした瞬間、顔まで覆われた全身の包帯はびりびりと剥がれ現れたのは鱗に覆われ、口が大きく裂けた魔物であった。
「こ、これは!いくらなんでも変わり過ぎでしょ!」
女武道家はその変容に驚愕した。
全身の包帯は剥がれていくと顔だけではなく、首から下も同じように鱗に覆われている。南方の海域より突如として現れ地上に上陸したという魔王の出自は海に因んでいるのかもしれない。
腰から下が激しく泡立つ。その鱗に覆われた身体はまだ変化の途上であった。童話の人魚姫は泡になって消えたというが、そういった"メルヘンさ"とはかけ離れた赤い血で出来たような泡がどんどんと下半身を覆っていく。
地面にこぼれ落ちる赤い泡はうず高く重なり魔王の上半身を徐々に持ち上げていく。
そしてぶくぶくと音を立てながらその泡は次第に液体から固体へと変化していった。
急速になにかのかたちを成していく。それは巨大なカエルのように見えた。
この奇怪なカエルの背中あたりにちょうど魔王の腰から上が"生えている"。ケンタウロスという人馬一体の神話上の存在がいるが、この魔王の姿は
そうして変身、いや"羽化"は完了した。
「はぁはぁ•・待たせたな。これが余の第二形態である」
聳え《そびえ》立つ巨体のために先程までの魔王と比較するとずいぶんと目線が上となった。勇者たちよりも遥か上空から魔王は見下ろす。
鱗に覆われ、唇は裂け、鋭利な牙が僅かに除くその顔は爬虫類を思わせる。
しかし深紅の髪とライラック色の
女武道家はそのグロテスクな姿に胃液が逆流しそうになったが、無理やり飲み込む。
すると下半身の蛙が「ドウォ、ドウォ、ヴオロー」と不愉快で野太い鳴き声を上げた。
「きゃっ!私、カエルって苦手なのよね。そのどこを見ているかわからない目線とかが特に…」
魔王が"生えた"苗床の蛙は瞳がぱっちりと開かれ、女武闘家の言う通り、戦闘中であるにも関わらずどこか遠くを見つめている。その巨大な口からは舌が垂れ下がり、太い胴回りは蛙の中でもガマガエルを連想させる。
一瞬耳が生えているように見えたがそれは蝙蝠のような羽根であり、小さ過ぎてこの巨体を宙に浮かべることは出来ないだろう。またその全身は灰色の短く柔らかそうな毛に覆われていた。
この奇妙な蛙の化け物が仮に二本足で立てばナマケモノのように見えるかもしれない。
すると魔王の左右の空間が歪む。その歪みに両手を差し入れると魔王は二振りの大剣を無造作に取り出した。右手には太刀、左手には小太刀(小太刀といっても人の背丈ほどの長刀であるが)を構える。
「余がこの姿になったからには…綺麗に死ねると思うな。一人残らず無残な死を与えてくれよう!!」
魔王はこれまで見せなかった粗暴さを露わにする。一度は冷静になった勇者パーティーたちに戦慄が走った。
しかし、この姿を前にしても勇者だけは臆さず、一人魔王に向かって駆け出していく。
「みんな!恐るな!魔王とて無敵ではない!今こそ自分の力の全て出しきるんだ!」
勇者は両手を掲げ詠唱を始める。
「我が血肉こそ其の総身なり その炎刃穢れなき焔 昂り猛り敵を滅せよ」
それは火の極大呪文。勇者は自らの最強の呪文を持って計り知れない魔王へと勇敢に挑む。
「
魔法力で作られた炎の剣が勇者の掲げた両手の間に現れ天に向かいグングンと伸びる。そして離れた位置にいる魔王を目掛けて一気に振り下ろされる。
魔王は即座に両手の剣を十時に構え炎の刃を受け止める。その瞬間、炎が周囲に飛び散り、床の絨毯を燃やした。
いくつもの炎の軌跡が目の前を踊る。その炎の熱で戦意を取り戻した戦士が魔王の下半身、巨大な蛙となった部分に柄が短く極端に刃が大きい愛用の両刃の戦斧で薙ぎ払う。
「吹き飛べ、カタレープシス・アックス!」
大理石の床が剥がれるほどの風圧。
魔性特攻を秘めたその技は蛙部分を切り裂いた。しかし、戦士はまるで海をかき混ぜたような途方もない感覚に襲われた。
「魔王の生命力とは一体どれほどに膨れ上がったのだ!」
戦士が驚愕した次の瞬間、魔王が攻撃に転じる。両手に握られた二振りの大剣が黒い光を放つ。
「はーッ、ははははははッ!二度と元の姿に戻れぬ代償を払い、余はこの醜い姿を晒したのだ!たった一撃で死んでくれるなよ!行くぞ!
左右の剣を交互に振り下ろすと剣先から魔闘気が放たれる。勇者は咄嗟に身体をよじり直撃をギリギリで避ける。
勇者よりも魔王に近付いていた戦士は左手に持っていた盾で受け止めたがその衝撃で大きく吹き飛ばされた。
「間に合えーーーーッ!」
壁に激突する瞬間、既の所(すんでのところ)で女武道家は凄まじい膂力(りょりょく)で戦士を受け止めた。しかし勢いは止まらず、壁に叩きつけられる瞬間、戦士を抱えたまま身体の向きを水平に変え、両足をたて激突を防いだ。
「主の名においてその者を癒せ 無窮なる慈愛 仄かな敬慕
女賢者は遠距離からすぐさま回復呪文をかけた。その癒しの風は素早く、そして優しくパーティー全員を回復させた。
「そうだ。呆気なく死ぬなよ。余が人間相手にこれまで培い育んできたものを投げ捨てたのだ。最初は一人を生かし、この魔王の恐怖の語り部にでもするつもりであったが気が変わった。全員一秒でも長い苦痛を味合わせ嬲り《なぶり》殺しにしてやろう」
死の後悔よりも生の屈辱を選んだ魔王は自分を追い込んだ憎むべき勇猛な四人を一人ずつ順番に眺める。
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