362 ドライアド
「ドライアド?」
俺は謎の樹木から目を離さないまま、セリーヌに問い返した。
「ええ、木の精霊――ドライアドよ。私も実物を見るのは初めてだけど、村の爺様に聞いてたとおりの現れ方だし間違いないと思うわよん。ただ……人のすみかで見かけることはめったにないって話だったけどねえ……」
マナと自然の力が混ざり合い、意思を持つまでに至った超自然の化身。それが精霊だ。ニコラからこの世界について説明を受けたときに聞いたこともある。
ニコラもはぐれメタルより見かけないレアポップとか言っていたし、もちろんこれまで見ることはなかったので、今の今まですっかり忘れていたけど……そうか、あれが精霊なのか……。
なんだか得した気分になりながらぼんやりとドライアドを眺めていると、伸びたり絡まったりとうねうねしていた大量の木の枝が一斉にぴたりと動きを止めた。
そうして畑の真ん中に出来上がったのは、大小様々な木の枝が細部まで入り組み、体の
そして樹木はその姿を覆い隠すように鈍く薄く輝き――次の瞬間には受肉を果たし、少女の姿へと変化していた。同時にその身には草や
「……うわ、なにこれ不思議」
『うほほ、これはまた美人さんですねー』
俺の呟きにニコラが念話で返す。たしかにニコラの言うとおり、樹木から姿を変えた少女は美しかった。見た目は十八歳くらいだろうか、整った顔立ちと白い肌、それと調和するような緑の髪もさらに美しさを引き立てているようだ。
月明かりの下でたたずむ神秘的な美少女――その幻想的な光景に思わず見とれていると、ネイがゆさゆさと俺の背中を揺さぶり我に返った。
「なーなー、あの精霊が泥棒なのか? どうするんだよう、この場合……」
さすがのネイも相手が精霊というのは想定外だったのだろう。不安そうに俺の顔をのぞき込む。
「ええっと、そうだね……。怪しいけれど、まだ泥棒って決まったわけじゃないし……」
「あら、そうかしらん? 前に盗まれた時もこんな感じで畑の土が荒れていたんじゃない?」
セリーヌが畑を指差す。たしかにドライアドが立っている周辺の土は、ドライアドが出現する過程で木々が地表を伝わりうねりにうねった結果、ボコボコに荒らされている。先日見たのと同じような光景だ。
状況的にはほぼ間違いないような気がするけれど、俺もまさか精霊さんが野菜泥棒しているとは考えてなかったしなあ……。こういうときはまずは観察だ。
「とりあえず近づいて様子をみることにするよ。みんなもそれでいい?」
「私はマルクに従うわよん」
「そっ、そうだな。精霊は殴れるかどうかもわかんねーし……」
「さんせーい」
三者三様の承諾を頂き、俺たちはくっついて隠密を維持したままドームハウスから外に出た。足音を立てないようにそろりそろりと畑に近づいていると、ドライアドはおもむろにトマトを手に取り、それにかぶりつく。
「んまぁ~……」
一言呟いて美しい顔を
盗っ人精霊はギフトの効果と食事に夢中なのが相まってか、こちらにまったく気づいていない。
俺たちが近づいている間にも信じられないスピードでトマトにキュウリ、キャベツと無造作にどんどんと口の中に放り込んでいく。キャベツにそのままかぶりつくのなんて初めて見たよ。
ドライアドはキャベツを食べ終わり手の甲で口を軽く拭うと、再び
「あの、そこ僕の畑なんですけど……」
「ふえ……? あなた……だあれ?」
「マルクと――」
「あ……人の子の名前に興味ない。やっぱりいい……。それよりここ、誰もいなかったはず……?」
自己紹介を強制終了させたドライアドはこてんと首を傾げると、ぼんやりと焦点のあっていないような瞳で俺をみつめる。
「うん、まあ隠れてたので」
「ふぅん……。それで、なんの……用?」
「ここは僕の畑なので、野菜を勝手に取るのはやめてほしいなあと思いまして……」
精霊の地雷ポイントがどこにあるかわからない。そこで恐る恐る切り出してみたのだけど――
「それはうそ」
ドライアドはきっぱりとした口調で言い切った。
「この野菜……人の子にはとても作れない。これはきっと……精霊王さまが与えてくださった……恵みの果実。でも……前に見つけたとき、わたしはちょっと食べ過ぎた。おいしすぎて夢中で食べてたら……いつの間にか全部なくなってたの……」
ドライアドは顔をしょんぼりさせると、さらに言葉を続けた。
「恵みは皆に分け与えるべきなの。精霊王さま……きっと怒った。だから次に来たときには、恵みの果実は……生えてなかった。野菜から少しはマナを感じたけれど、あれなら大地に根付いて陽の光を浴びたほうがマシ……。わたし、反省した。……するとまた生えてきた。よい子のわたしは、今度は少しだけ食べる。人の子も……食べていいよ。少しだけ、ね……?」
もう話すべきことは話したとばかり、ドライアドは手に持ったトマトをもくもくと食べだした。ああ、本当に美味しそうに食べるね。そこでニコラから念話が届く。
『お兄ちゃん、どうやらこれは……』
『うん、とりあえず畑の不可解な現象については合点がいったね』
どうやらこのドライアドは以前、この畑でマナがつまった野菜を夢中で食べた結果、すべて食べ尽くしてしまったのだろう。
そして味をしめて再び食べに来たものの、今度は野菜に含まれたマナは物足りなく感じ、お残ししたというわけだ。問題は俺が作ったものではなく、精霊王さまとやらの恵みだと思ってることだけど……。
「あのー、本当に僕が作ったんです」
「そっ、そうだぞ! マルクは一生懸命野菜を育ててた! あたしはそれをずうっと見てたんだから間違いないぞ!」
毎日昼休憩の合間に畑仕事を見学しにきていたネイが、俺の言葉を後押ししてくれた。俺の背中に隠れながらじゃなかったら、もっと頼もしかったんだけどね。もしかしたらドライアドが怖いのかな。
「うそ。それなら……作ってるところみせて」
食事をしながらこちらに視線を向けることなく、ドライアドはそっけなく答える。どうやら信じてくれてはいないようだが、そういうことなら実演して証明しよう。
「ちょっと離れててね」
俺は三人に距離をとってもらうと、精神を集中させようと大きく息を吐いた。そのタイミングでドライアドがぽつり。
「無理にきまってる。うそは……よくないよ?」
残念な子を見るような顔でドライアドが俺を見ていた。むむ、そういうことなら普段よりもド派手に見せつけてやろうではないか。
いつもより大量のマナを畑に与えてみよう。俺は体内で魔力をぐるぐると回しながら練り込み、どんどん圧縮させていく。
そうして練りあげた魔力は普段なら土属性のマナに変換した後、手のひらから噴霧するのだけれど、今回は信じてもらうためにも少し派手にいくことにしよう。
イメージするのは霧ではなく雨……いや滝だ。俺は激流の滝を意識しながら練りに練り込んだマナの奔流を、畑に向かって一気に落とすっ……!
俺の全身から黄金色のマナがぶわっと広がると、それは一瞬で畑に降り注ぎ、叩きつけられるように地面に浸透していく。
まるで黄金のカーテンが降りたかのような光景を見ながら、しばらくそのままの状態を維持して……解除した。……ああー、ほんの数秒間なのに、普段の数倍疲れる作業だ。
「なにをやるのかと思ったら……。一瞬目の前が金色に染まったわよ」
作業を止めた後にセリーヌが呟く。マナが視える者ならそう視えるだろう。逆にマナが視えないネイはセリーヌの言葉に首を傾げている。
それにしても……わかってはいたけれど、見た目がド派手なだけで効率はとても悪かった。畑が吸収できるマナにも限りがあるので、完全にキャパオーバーと言ったところだ。まあ、そのわりには今回たっぷりとマナを吸収したように感じたけど。
「後は種を
ドライアドは俺を凝視したまま、ぴくりとも動かない。そして――
「――ぴいっ」
変な声を上げると、バタンと仰向けに倒れてしまった。
「おっ、おい、倒れちまったぞ!」
「あらまあ、やりすぎたわね~、マルク」
「えっ、なんで!? ドライアドさん? ドライアドさーん!」
俺はドライアドに近づき、むき出しになっている細い肩を揺さぶる。体温はあまり感じないがほんのりと温かい。不思議な感覚だ。
俺の隣にしゃがんだニコラも「お姉ちゃん大丈夫?」と言いながら太ももの辺りをさわさわ撫で回している。
『おい、セクハラはやめなさい』
『お兄ちゃんこそ、わざとやってるんじゃないですか? 木の精霊なんだから当然大地とリンクしてるわけで、そこに大量のマナを一気にぶつけたら、そりゃあこうなりますよ。今夜のお兄ちゃんはサービス最高ですねー。さっすが~、オ◯様は話がわかるッ!』
『くれてやる。好きにしろッ! とは言ってないからセクハラは止めとけっての。ああ……どうしたらいいかな』
『しばらくすればすぐに目を覚ますと思いますよ。精霊ですから。あっ、ほら』
その声にドライアドの顔を見ると、倒れていても開いたままだった目がきょろきょろと動き、俺と目が合った瞬間に勢いよく上半身を起こした。そしてその体勢のまま、ずさささーっと後ずさって俺から距離と取る。
「あの、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「今の……なに?」
「え、ええと、こんな感じで野菜を作ってます」
普段よりも頑張ったけど、少しくらいは見栄を張らせてほしい。
「そう……。うん、これならこの恵みも納得……。でも人の子に……。あっ、もしかして……なにかの精霊……?」
「いやいや、違いますよ! 人です。マルクって言います」
変な誤解されてはかなわない。即座に否定して今度こそ自己紹介だ。
「そうなの、本当に人の子なの……。そうなの……」
ドライアドは座り込んだまま、顎に手をやりしばらく考え込むと、再び顔を上げた。
「わたし、あんなにたくさん……ぎゅっと詰まったマナ、浴びたのは初めて……。ねえ……マルク、わたしと、お友達になろ……?」
そう言ってドライアドは起き上がると、仲間になりたそうな目でこちらを見つめた。
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