346 ウォルトレイル家の密談

 ――マルクたちが去り、執事のアレックスが食堂の扉をしっかりと閉じた。それを見届けたトライアンはテーブルに肘をつき愛娘に向き直る。


「リアーネ、あれで良かったのかい? 君もマルクの優秀さは目の当たりにしただろうし、気に入っているのだろう? さっきのは私からの精一杯の援護のつもりだったのだけれどね」


 苦笑を浮かべながら手のひらを向けたトライアンに、リアーネは軽く首を振った。


「ええ、たしかにわたくしは昨夜マルク様と行動を共にし、そのお力、お心、お姿にすっかり魅了されてしまいましたわ。あれほど素敵な殿方が今後わたくしの目の前に現れることはきっとないでしょう」


「だからこそお試しで付き合ってみたらどうだと聞いてみたんだ。たしかに彼は優秀だけれど、実際に付き合ってみないとわからないことなんて、男女の間にはいくらでもあるんだからね?」


 優しく諭すように忠告する父に、リアーネはじっとりとした目を向けると大きくため息をついた。


「はあ~。……あのですね、お父様? どこの国の貴族がお試しで付き合いますか。貴族が血筋を軽んじては民をまとめることはできません。お願いですからお父様はもう少し常識で物事を押し進めてくださいませ」


「ははっ、私は家を継ぐまではそんな感じだったからね。リアーネがそのくらい奔放でも私は全然構わないよ。それに民が最終的に寄りかかるのは血筋よりも実利だ。我々が民を軽んじることがなければ、彼らも我々を裏切ることはないのさ」


「だからと言って……いえ、もういいです。それよりも一番の問題は、肝心のマルク様のお気持ちがわたくしに向いていないことなのです」


「……というと?」


「昨夜、浮遊レビテーションの魔法を使うためにマルク様がわたくしを抱き上げたあの時、わたくしはまさに天にも昇るような喜びで胸がいっぱいになりましたわ。……ですがわたくしとは違い、あの方はまるでわたくしをお人形とでも思っているのではないかというくらい、顔色ひとつ変えていませんでしたの。ですから、マルク様は未だ色恋に対して関心がないように見受けられますわ」


「ふむ。リアーネはそう考えているのだね」


「なにか?」


「いや、構わない。それで?」


「今はまだ、色恋に策を弄する時期ではないということです。それどころか過度な押し付けは逆効果かと思います」


「へえ? そのわりに妹くんにはずいぶんと好意を押し付けているように思えるけどね?」


 矛盾に気づいたトライアンがにんまりと口元をゆるめる。だがリアーネは何を言ってるのかわからないとでもいうように、きょとんとした顔で答えた。


「……? わたくしは適切な距離を取って、ニコラちゃんに接していますけれど。お父様は何をおっしゃっているのでしょうか?」


 その答えはトライアンにも想定外だったのか、一瞬顔をこわばらせる。だがすぐに気を取り直して話題を修正した。


「そ、そうかい、それならいいんだ……。それで、マルクはどうするのかな?」


「はい、とにかくマルク様と仲を深めるためには時間が必要ですわ。それに今のわたくしにはマルク様の隣に立つにふさわしい力もありませんもの。今やるべきなのはわたくし自身を磨き上げることと、マルク様の成長を焦らず待つこと。後はわたくしに興味を持っていただける環境を作り上げることですわ」


 リアーネがそう言い切り胸を張ると、その姿にトライアンは相好を崩して笑った。


「ふふっ、本当に懐かしいよ。私がセレナにプロポーズをした時のことだがね。あの時は彼女によって念入りに場が整えられていてね、私はこれはもうプロポーズするしかないといった状況まで追い込まれていたものだ。大変よろこばしい反面、心の底から恐ろしくもあったのだけれど、その気質はしっかりとリアーネに受け継がれているようだね」


「まあ、さすがはお母様ですわ。わたくしもそうありたいと思います。幸いなことに叔父様の不祥事が明るみになりそうですし、ウォルトレイル家はしばらくは安泰でしょう。わたくしも事を急ぐ必要はなくなりました。これからはゆっくりじっくり……ねっとりと、マルク様との仲を深めていくつもりですの。……ふふっ、うふふふっ。絶対に逃しませんわよ、わたくしの天使様……」


 リアーネが頬を赤らめ恍惚の笑みを浮かべると、その様子にトライアンが引きつったように声を震わせた。


「そ、そうかい。本当にセレナに似てきたね……。ま、まあお手並み拝見といったところかな……。私はいつでも力を貸すからね」


「ええ、その時はよろしくお願いいたします」


 これで話は終わりとばかりに紅茶をひと飲みしたリアーネは、視線をテーブルに置かれた白磁の器へと移す。そこには料理長カーナメルの新作茶菓子が載せられていた。


 彼女はそれをひとつ摘んで口に入れ、目を丸くして呟く。


「あら、これはクッソうめえですわ」


「どこで覚えたんだい? そんな言葉……」


 呆れたようなトライアンの言葉に、壁際に立つマイヤの額からまるで滝のような汗が流れたのだった。

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