345 MVP
「それでは、アレックス」
トライアンが壁際に立つ執事のアレックスに声をかける。アレックスが持つトレイにはすでにいくつかの革袋が載せられており、彼がセリーヌの傍らに歩み寄るとトライアンが口を開いた。
「まずは私の護衛をしてくれたセリーヌさんには金貨八十枚」
「はちっ……!」
セリーヌが思わず声を上げそうになり両手で口を塞ぐ。昨日はしばらくの間トライアンの近くで護衛するだけで何事もなく終わったと聞いているので、きっとワリが良すぎるくらいの報酬だと思っているのだろう。無理やり前世の価値にあわせれば日当八十万円みたいなものだしね。
アレックスがセリーヌの前にずっしり膨らんだ革袋を音も立てずに置き、続いてエステルに歩み寄る。トライアンがエステルに顔を向けた。
「次はエステル。君はマイヤと一緒に護衛の足止めをしてくれたそうだね。彼女から君にはとても助けられたと聞いている。よく立候補してくれた。金貨百五十枚を用意させてもらったよ」
昨晩の働きにエステルは落ち込んではいたけれど、マイヤはエステルを評価しているようだ。
そりゃあもしエステルがいなかったら、手練のマイヤとはいえ護衛二人相手には苦戦したかもしれないし、俺もすぐにはダルカンを追えなかっただろう。そうなると後の展開も変わってくる。正当な評価だと思う。
「は、ははー! あっ、ありがたきっ、しあわせでしゅっ……!」
エステルが
「そして最後にマルクは――」
と、トライアンが視線をこちらに向けたところで、ニコラが恐る恐るといった風に小さく手を挙げた。
「あ、あの、ニコラには……?」
「おや? 妹くん。君はたしかにセリーヌさんについては来ていたけれど、周囲の警戒をするでもなし、セリーヌさんにべったりしているだけで何もしていなかったと記憶しているが――」
そこでトライアンは何かに気づいたようにポンと手を叩く。
「ああ、私が気づかなかっただけで、何かの仕事をしていたのかな? そういうことならすまなかったね。それじゃあ何をしていたのか教えてもらえないだろうか? そうすればセリーヌさんと同額を支払わせてもらおう」
トライアンが微笑みを絶やさずニコラに話しかけているが、なんとも白々しい問いかけだ。
一見、ニコラ相手に何もやっていないだろうと決めつけ、からかっているように見えなくもないが、実際はその逆だ。トライアンの好奇心まるだしの瞳は、
この領主、例の魔眼のせいか、やたらと勘がいいからな。ただセリーヌの傍にいただけのニコラが、裏で何かをしていたくらいのことはアタリが付いているのかもしれない。
実際、やたら高性能な感知でダルカンの居場所を教えてくれたニコラが影のMVPだと俺は思うのだけれど、ニコラは能力を他人に知られることをあまり好まないんだよなあ。トライアンのように面倒な相手ならなおさらだ。そうなるとニコラの答えはひとつしかない。
ニコラはしおしおと手を下げると力なく答える。
「ううん、ニコラは何もしてないです……」
「そうなのかい? いやあ残念だね~。ははは」
ニコラががっくりと肩を落とし、トライアンは楽しそうに笑う。そして俺の脳内に唸り声が響いた。
『ぐぬぬぬぬ……! 私、やっぱりこの領主が苦手です……!』
『同感だね。まあ俺の報酬をお前にも分けてやるから、あんまり気にしないほうがいいよ』
『本当に!? 絶対ですよ! 絶対ですよ!?』
さすがにかわいそうだもんな。まあ今度は無駄遣いしないように母さんに預けるつもりだけど。などと報酬を貰う前から皮算用をしていると、リアがトライアンに物申した。
「お父様? ニコラちゃんはなにもしなくてもその場にいるだけで周囲が明るく華やかになるのですわ! それだけでも十分な価値があると思いますの。……ねえ、ニコラちゃん。あとでわたくしからお礼を差し上げますからね?」
「ううっ、ありがとうリアちゃあん……」
甘えるようにリアに寄りかかるニコラ。よしよしと頭を撫でるリア。相変わらずリアを嫌がりながらも物には釣られているのな。
「はは、それじゃあ妹くんのお礼はリアーネに任せるよ。さて、それではマルク?」
「はい」
「報酬を渡す前に言っておきたかったんだが、昨日はリアーネにプロポーズをしたそうだね?」
「えっ!?」
「ぶほっっっっ!」
俺が声を上げるよりも先にエステルが短く声を上げ、紅茶を飲んでいたセリーヌがいきなり吹き出す。すぐさまマイヤが近づき濡らしたテーブルを拭いているのはさすがだね。口元はニヤついてるけど。
「ぐほっごほっごほっ! プ、プロポーズ……ですか?」
手の甲で口元を拭いながらセリーヌが問い返すと、トライアンが軽く頷き目を細めた。
「うん、そうみたいなんだ。ああ……懐かしいね。私も亡き妻にプロポーズする際の言葉は『来年は私と一緒に銀鷹を見に行かないか?』だったよ。似たような言葉を使うだなんて、やはり君には運命を感じるね」
「まあ、お父様。昨夜も言ったはずですわ。あれはマルク様が知らずにおっしゃっただけですって」
リアが動じることなくそう答え、そっと紅茶に口をつける。そうだそうだ。もっと言ってやってくれ。だがトライアンがしつこく食い下がる。
「ははは、もしそうだとしても……マルク、どうだろうか。婚約とは言わずとも、リアーネとちょっと付き合ってみてはどうかな?」
えっ? この人貴族だよね? ちょっと付き合うってなんだよ。この世界の貴族ってそんな感じなの? そんな軽く付き合っちゃたりするの?
……なんて一瞬考えたけれど、やっぱりどう考えてもこの領主がおかしいだけだろう。俺の隣に立ったアレックスが無言のまま目を見開き、珍しく困惑した表情を浮かべているし。
「えー、その――」
「お父様? マルク様がお困りのようですわ。わたくしたちは親しい友人という間柄なのです。その関係に水を差すようなご冗談をおっしゃっていないで、早く報酬を差し上げてくださいまし」
俺がどうやって断ろうかと口を開きかけたところで、それより先にリアが助け舟を出してくれた。そうだよね、俺たちの関係は単なる友人関係なのだ。するとトライアンは肩をすくめ軽く息を吐く。
「ふう、そうかい? いい話だと思ったのだが、二人が乗り気でないなら仕方ないね。ではアレックス頼む」
トライアンの声にアレックスが俺の前に革袋を置いた。二人に比べてずいぶんと大きく見えるけど――
「金貨五百枚を用意させてもらったよ」
「ご、五百……」
思わず声が漏れる。セリーヌの気持ちがわかった。
「うん。被害者の救助を優先した結果、大変危険な任務になってしまった。それでもダルカンの捕縛のみならず、こちらでは未確認だったフェルニルの保護にまで成功した」
そこでトライアンは申し訳なさそうに髪の毛をくしゃりとかき上げた。
「あれで銀鷹はなかなか気難しくてね……。我々が彼の子の誘拐に気づかないまま何事もなかったかのように来年の参拝に出向けば、彼の怒りを買うのは間違いなかっただろう。そうなればどんな目に遭ったことか、想像するだけで頭が痛くなってくるよ。……だが、それが万事うまくいったのは君がいたからこそだ。そのお礼だよ」
どうやら銀鷹とは面倒くさい生き物のようだ。一度くらいは見てみたいという気持ちがシュンと盛り下がった。
それはそれとして、金貨五百枚か……。貰いすぎな気はしないでもないけれど、貴族からの下賜を固辞するのってそれはそれで問題になる気がする。ここはありがたくいただいておこう。
「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」
「ああ、そうしてくれるとうれしいね。もちろん今回の件をお金だけで済ますつもりもない。君たちも私になにか頼み事があるなら遠慮なく頼ってくれるといい。マルクは気が変わってリアーネと付き合いたくなったらいつでも言ってくれ」
「もうっ、お父様!」
リアが頬を膨らませて抗議をするが、トライアンが笑って受け流す。本当しつこい人だね。
「はは、ごめんごめん。それじゃ今回の話はここまでだよ。君たちがいつファティアの町へと旅立つかは知らないけれど、ここには好きなだけ滞在してくれて構わないからね?」
「わかりました。それではその辺の話もこれから相談したいと思います。みんな、外にでましょうか」
セリーヌが席を立ち、俺たちも後に続く。そして食堂の扉を閉めた後、俺はプロポーズの件についてセリーヌとエステルに根掘り葉掘り尋ねられるのだった。
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