329 レシピ講習会

 俺は生卵と、普段から卵の洗浄に使っている土魔法製の容器をアイテムボックスから取り出す。事前に準備をしていたので、すでに水も入っている。そこに殻のついたままの卵を数個、どぷんと沈めた。


「まずは卵の殻をきれいに洗います。そのため、この中にはE級ポーションを薄めた水が入っています。この大きさの容器で商人ギルドで扱っているポーションの瓶三本分くらいですね」


「ふむ……。なぜ殻を洗う必要が?」


 料理長が首を傾げながら尋ねる。殻に付着しているサルモネラ菌が食中毒を起こすからなんだけれど、この世界で菌に対する知識が広まっているかは不明だし、その話はしないほうがいいだろう。なにより俺も詳しくは知らないので、ポーションの不思議パワーに丸投げしているのだ。


「ええと、生卵のまま料理に使うからです。生卵をそのまま食べるとお腹を壊しますけど、ポーションで殻を洗った場合はこれまでの経験上、お腹を壊したことはありません」


「殻を洗えば卵を、な、生で食べられる……ということかい?」


 あくまで冷静を装いながらも顔をこわばらせる料理長。生卵を食べたくないんだろうなあ……。前世でも卵の生食は海外の人には敬遠されがちだったし、普段から食べ慣れていないと気持ち悪いものに映るのは仕方ない。


「ええ、食べられます。ただし、なるべく新鮮な卵を用意してくださいね。後でお酢も入れるので、傷みにくくはなるみたいですけど」


「そ、そうかい……。しかし君は平民の子供だと聞いている。普段から高価なポーションを使って殻の洗浄を?」


「はい。でもポーションは自作しているので、あまりお金はかかってませんよ」


 俺の言葉に周囲の料理人たちがざわめくと、リアーネが囲みの輪の中から一歩前に出て俺に尋ねる。


「マルクさんはポーションを作れるくらいに光魔法も扱えますの?」


「ええ、そうなんです。それじゃあ説明を続けますね」


 薬草はどうしているんだとか、どの等級まで作れるんだとか色々と聞かれても面倒なので、さらっと会話を流して作業を再開することにした。


 リアーネはなにかを言いたげな顔をしていたけれど、ぐぬぬと口をへの字にしながら調理人の輪の中に戻る。


「しばらく卵を洗ったら、殻を割って黄身だけを取り出します。僕はマヨネーズに白身を使いませんが、白身を入れてもまた風味の変わったものになるので、そのへんは皆さんで試してくださいね」


 戸惑いながらも頷く料理人たちを横目に、二つのボウルに黄身と白身を分別し終わったら次の作業だ。コレ、人力だと大変なんだよな……。


 俺はトリスにプレゼントしてもらったバケツサイズのガラス製ビーカーをアイテムボックスから取り出し、作業をしながら説明を続ける。


「黄身をこのガラス容器に入れます。今回は見やすいようにガラス容器に入れましたけど、本来はなんでもいいです。そこに酢と塩と油を混ぜて……」


 俺はたっぷりと材料の入ったビーカーを両手に持つと風魔法を発動させた。ギュオオオオオンと音を立てながら電動ミキサーのように中身が撹拌かくはんされていく。初めて風魔法で撹拌をしたときには中身が飛び散って大変だったが、今ではお手の物だ。


「僕は魔法でかき混ぜてますけど、これは手作業でも大丈夫です。かなりかき混ぜないといけないので頑張ってくださいね」


「か、風魔法まで……」


 リアーネが目をまんまるに見開きながら呟く。ちょっとお嬢様がしていい顔じゃない気がするので、気づかなかったことにしよう。


「そして油を少しづつ足しながらかき混ぜていきます。そうするとが出てくるので……」


 それからひたすら油を足しながらの撹拌作業を続け――


「――ふむ、そろそろかな」


 ビーカーの中は少し黄がかった白色のねっとりとした液体で満たされている。マヨネーズの完成だ。


「ほう……。見たこと無い色のソースだ」


 生卵を混ぜ始めた時には苦い顔をしていた料理長だったが、完成品を前にして再び目を輝かせている。やはり新しい調味料への好奇心が上回ったのだろう。


「それじゃあ、ポテトサラダを作る前に少し味見をしてみますか?」


 俺はアイテムボックスからキュウリを取り出し短冊状に切り、料理人やリアーネに手渡していく。


 こうしていると以前「アイリス」でパメラたちに振る舞ったときのことを思い出すね。それとついでにディールの顔も脳裏をかすめた。今も元気にフハハハと笑ってるのだろうか。


 俺が思い出に浸っている間に、料理人たちは次々とマヨキューを口に入れる。半数は好奇心に顔を輝かせ、もう半数は生卵を使ったことに顔を引きつらせながら食べている。リアーネも後者だ。


 だけど食べた後の顔を見るからに、どうやら悪い印象はなさそうだ。一本食べ終わった料理長が俺に話しかけてきた。


「濃厚な味わいにかすかな酸味。この酸味が後味をさっぱりとさせているね。最初に生卵を使うなんて聞いた時は戸惑ったが……これは素晴らしいソースだ。いろんな料理にも応用が効きそうだよ。君はこれを自分で開発したのかい?」


「いえ、実家の宿屋に泊まっていた旅人さんに教えてもらいました」


 とりあえずうちの家族以外に伝える場合は、前世のレシピは架空の旅人さんに教えてもらったことにしている。俺が発明したなんて言ったところで面倒なことにしかならないだろうしね。


「へえ、そうなのかい。いい人に巡り合ったんだね。……それで、このマヨネーズがポテトサラダには欠かせない調味料ということでいいのかな?」


 そのとおりだ。これはまだ最初のワンステップ。ここから次はポテトサラダを作らなければならない。でもこっちはマヨネーズよりも簡単だ。


「そうです。それではマヨネーズができたところで、次はジャガイモをふかしましょうか――」



 ――この後、ふかしたジャガイモにマヨネーズと調味料を加え、あっさり風味のポテトサラダが完成した。さっそくそれを皆に振る舞ってみせると、料理長はゆっくりと咀嚼し、満足げに口元を緩めた。


「ふむ、独特の食感にまろやかでやさしさを感じる味だ。ふふ、食事の席でトライアン様が事あるごとに話しておられたのも、今となってはよくわかる」


 事あるごとに言ってたんかい。トライアンに悪気はないんだろうけど、料理人からすると肩身も狭かったことだろう。これで我々も不甲斐ない思いをしなくて済むと、料理長は軽く息を吐いた。


「おいしい……」


 可愛い声が聞こえたので顔を向けると、手を頬に添えてうっとりとしているリアーネと目が合った。彼女の頬を赤く染めながら声を上げる。


「た、たしかに! お父様がお気にいるのも当然の素晴らしい料理です! ですが、これくらいでわたくしがあなたを認めるとは思わないことですわね!」


 そう言い捨てると、ぷりぷりと頬をふくらませ厨房を出ていった。思わず料理長と顔を見合わせるが、彼は軽く首を振る。どうやら料理長にもここまでリアーネが俺に反発する理由は分からないみたいだけど――


 どうやら俺を簡単には認めてくれない何かがリアーネにはあるみたいだ。きっとこれもトライアンが余計なことを言ったのだと想像がつくんだけどね。

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