292 ふよんふよん
――
俺は座ったまま
この魔法で身体を浮かすにはそれなりに魔力が必要になるけれど、それと同じくらい重要なのが風属性のマナの絶妙な出力だ。
うっかりマナの出力を間違えると、サドラ鉱山で
出力バランスのコントロールが上達すれば、歩く程度の速度でしか動けない今よりも早く動くことが出来るようになると思う。今一番上手くなりたい魔法なのだ。
俺がふよんと宙に浮くと、それに気づいたセリーヌとエステルがギョッとした視線をこちらに向けた。しかし俺が暇さえあれば魔法の練習をするのはよくあることなので、特に何も言うことはないらしい。俺も構わずふよんふよんと浮き続ける。
すると前の座席に座るティオも俺に気づいたらしく、不思議そうに目を瞬きながら声をかけてきた。
「ねー、マルク。あんた……浮いてない?」
「うん、浮いてるよ」
「ルキが言ってたけど、本当に宙に浮けるんだね……。それで浮いて何をしてるの?」
「そのままだよ。宙に浮く練習」
「ふーん。……ねぇねぇ、浮くってどんな感じなの?」
ティオは興味深げに俺を見つめたまま席を立つと、目の前まで歩いてきた。突然手の甲から尻の感触が消えたニコラはハッと息を呑み、悲しみにガクリと肩を落とした。それを横目に見ながら答える。
「うーん……。浮いてるって感じ?」
「もう少し何か言い方ないの?」
「そうとしか言えないしなあ……」
俺からの納得のいく回答を諦めたティオは、しばらく俺の尻と座席の間に手を差し入れて浮いてるのを確認したり横から眺めたりと、俺の周りをうろうろと回る。
そしてそれにも飽きたのか、好奇心に目を輝かせながら俺に問いかけた。
「ねぇ、あんたの上に私が乗ってみてもいい?」
「上に?」
「そうそう。だって宙に浮くなんて機会、もう二度とないじゃない」
俺の上に座ってもそれは浮くと言うことになるのだろうか。それはともかく、シュルトリアで川を渡る時にセリーヌを担ぎ上げたときは必死だったのでよくわからなかったけれど、人を抱えるのは結構いい訓練になるような気がしないでもない。
「いいよ、訓練にもなりそうだしね。遠慮なく乗ってみてよ」
さすがに大人と子供ではサイズが違うので、少し脚を広げて座りやすそうにしてあげた。ティオは俺に背中を向けると、そのままゆっくりと腰を下ろしてくる。
「へへ、それじゃあ乗せてもらお。……よいしょっと」
「おっとっと」
少しバランスを崩したので、慌ててティオの腰に手を回して持ち直した。おお、これはやっぱりいい訓練にもなるんじゃないかな? 身体全体でバランスを取りながら、重量によるマナの込め具合も調整するのが結構難しい。ティオがはしゃぎながら声を上げる。
「おおー、本当に浮いてるね! あはは! マルクってすごいね~」
「フフン、言ったでしょう? 私だって
セリーヌがすかさず俺自慢をした。そこにニコラから念話が届く。
『な、なな……』
な?
『なんですかそのフィニッシュホールドは! もう少し手を上に上げれば、乳・尻・ふとももが三ヶ所同時に楽しめる完全無欠の必殺技じゃないですか! それをどこで習ったんですか? キ◯肉大神殿の壁画にでも描かれてるんですか!?』
俺は失敗したら天罰を食らうような技を使った覚えはない。
なにより体重がかかってるんだから脚に尻と太ももが乗った感触なんて一瞬だし、手だってもちろん腰から上には上げてない。せいぜいセリーヌやエステルとはまた違う匂いがするなあ、くらいしか思うところはないのである。
『ぐぬぬ、私が手の甲で密かに楽しんでいたのがまるで児戯のように感じます……。なんという屈辱……いえ、違いますね。そう……私は、ただただ、お兄ちゃんがうらやましいっ……!』
『ええぇ……』
ニコラが血の涙でも流しそうな顔で俺をにらみつける。誰もその形相には気づいていないみたいだけれど、そのむき出しの嫉妬にまみれた表情は、俺の罪悪感を刺激するには十分だった。
「……あー。もっと訓練したくなってきたなー。ねえ、ニコラ。もっと重くしてみたいからからさ、ティオお姉ちゃんの上に乗ってくれる? ティオお姉ちゃん、いいよね?」
「うん? いいよ。ニコラちゃんおいで~」
ティオが迎え入れるようにニコラに向かって手を広げる。ニコラはそれを見てパアアアアアと顔を輝かせた。
「わーい、お兄ちゃん、ティオお姉ちゃんありがとう~」
ニコラはすぐさまこちらに駆け寄ると、飛び込むようにティオの膝の上に座った。ティオは落っこちないように、ぎゅうとニコラを抱きしめる。途端に蕩けたような念話が聞こえた。
『ふおおおおおぉぉ……。私の首筋にツンとしたわがままお胸の感触が、そして脚にはキュッと引き締まったふとももの感触が同時に来てますううう! お兄ちゃん、ありがとうございます! 本当にありがとうございます!』
ニコラの感謝の念話を聞きながら、俺の魔法訓練は続いた。
◇◇◇
それから二度ほど休憩を挟みながら馬車は進み、この日は何事もなく無事に日暮れを迎えた。初日の野宿が始まる。
まずはギャレットが見張りをし、ルモンが馬車の中で仮眠を取ることになったのだが――
「私たちは野宿の用意をしてあるから、外で寝るわね」
馬車上からのセリーヌの言葉に、ギャレットが焚き火の準備をしながら振り返る。
「ああ、休憩の時に見たけどよ、坊主がアイテムボックス持ちだったな。外で寝るのは構わないが、陽が昇ったら出発するから遅れないようにしてくれよ」
「わかったわ。それじゃあまた明日よろしくね」
セリーヌたちが荷物を手に持ち馬車を降りていく。最後に俺が降りて箱馬車の中にはティオとルモンが残された。
ティオは俺たちを見送りながら、馬車の隅から毛布を取り出して寝床を作っている。ルモンは馬車の入り口に立ち、ニヤついた顔でそれを眺めていた。
……うむむ、さすがに何か事が起きるということはないと思うけれど……。なんだか嫌な感じだし、それに弟のルキにも頼まれたしな。俺はティオに声をかけることにした。
「ねぇ、ティオお姉ちゃん。よかったら僕らと一緒に寝ない?」
「ん? 外で野宿ってこと?」
「うん、そうだよ」
俺が肯定すると、ティオはまったく迷う素振りも見せずにあっさりと答える。
「それじゃあお世話になろうかな!」
毛布を持ったままティオが馬車から駆け降り、ルモンがチッと小さく舌打ちしたのが聞こえた。うーん、やっぱりこれが正解だったかな?
セリーヌたちは少し離れた場所で待ってくれていた。セリーヌは俺の隣のティオに気づくと、表情を緩めて声をかける。
「ティオ、あんたも来たのね」
「あはは、お世話になるよ」
ティオが少し申し訳なさそうに頬をかく。
「僕がティオお姉ちゃんを誘ったんだ。構わないよね?」
「もちろんよ。あの護衛の男はなんだか信用ならないし、私が言うまでもなくマルクなら声をかけると思ったわよ。よくやったわね」
「いやーあの男、いやらしい顔つきでこっちを見てたし、正直キツいなーって思ってたんだ。ありがとね」
そう言いながらティオが俺の頭をぽふぽふと撫でた。どうやらセリーヌは俺が声をかけるところまで織り込み済みだったらしい。ちなみにエステルはルモンを気にもしていなかったのか特に思うところもなかったようで、首を傾げながらポカンとこちらを眺めていた。
「わーい、ティオお姉ちゃん。今日は一緒に寝よー?」
すかさずニコラが駆け寄り同衾の約束を取り付ける。ティオはニコラの頭を撫でながら尋ねた。
「そういや、どうやって寝るの? マルクがテントでも取り出すのかい?」
セリーヌはそれに答えず、荒れた平原から見える小高い丘を指差す。
「あの丘の陰の向こう側に行きましょうか~。アレを見られると色々めんどくさそうだし」
アレを見た場合、ギャレットはともかくルモンが泊まりたいなんて言ったりすると本末転倒だし、俺としても異論はない。
俺たちはセリーヌの先導の元、少し離れた丘の向こうまで移動した。ここなら馬車の方から見られることもないだろう。
「それじゃあ出すよー」
俺はアイテムボックスからコンテナハウスを取り出すことにした。
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