287 宿泊
一足先に食事を済ませ、俺は用意された四人部屋へと入った。すぐに観光に出かけたり、戻ってきてもそのまま食事になったので、部屋に入るのはこれが初めてとなる。
サドラ鉱山集落で泊まった四人部屋に比べて一回り大きな部屋だ。部屋の手前には年季の入った木製のクローゼットとテーブルセットが置かれ、奥にはベッドが四台横並びで設置されている。左の二つには使った形跡があるので、一番右を使わせてもらうことにしよう。
俺はベッドに腰掛けると、アイテムボックスから桶とタオルを取り出して体を拭くことにした。今日は日課になっている入浴タイムがないのは残念だ。乗り合い馬車では二泊ほど野宿をするらしいので、その時はしっかりお湯に浸かりたい。
――ひと通り体を拭き終わった頃、カタンと扉の開く音に顔を上げると、扉の前にニコラが一人で立っていた。俺と同じく先に一人で戻ってきたのだろう。ニコラはベッドに座る俺に顔を向け、何も言わずにスタスタと一直線に近づいてきた。
「おかえり。てっきり食堂でゆっくりしてると思ってたんだけど早かったね」
「んー、エステルがセリーヌに相談事があるみたいでしたから、空気を読んで戻ってきました」
「へえ、一体なんだろうな」
なにか悩みでもあるのかな? 俺が少し考え込もうとすると、それを遮るかのようにニコラがスッと前に手を伸ばし、手のひらをこちらに向けた。
「お兄ちゃん、考えたって仕方ないですよ。それよりも駄菓子をください」
「ああ、そうだったね。はい」
俺は今度こそニコラに駄菓子を手渡した。ニコラは棒状に固めた焼き菓子を顔の高さまで上げ、じろじろと観察すると口元を緩めた。
「ほほう、ジャンクな感じがいかにも駄菓子っぽくていいですねえ。……これってセリーヌの分はないんですか? いえ、他意は無いんですけど、川のせせらぎを眺めるような穏やかな気持ちで、この縦長い駄菓子をセリーヌがくわえるところを見学したいと思いまして」
「絶対そう言うと思ったから買ってきてないよ。バカなこと言ってないで、食べたいなら早く食べなよ」
「はいはい、相変わらずですね。それじゃあいただきまーす」
ニコラは肩をすくめて見せると、あんぐりと口を開けて駄菓子をパクリとかじり――眉間にシワを寄せながら奇妙な声を発した。
「んー? んー! んぎーーー!」
「うん? どうしたの?」
「ぐっぐぐぐぐぐぐ……」
既にニコラの顔は真っ赤だ。どうやら硬すぎて食べられないらしい。だが――
「うぐううううううう――」
――ボリンッ!
すごい音を立てて噛み切ったかと思うと、勢いそのままに決死の表情を浮かべてボリボリボリボリッ! と全力で口内の駄菓子を噛み砕いた。そしてそれをゴクンと飲み込んだニコラは、肩で息をしながら俺を睨む。
「はあ、はあ……、お兄ちゃんとエステルはよくこんな硬い物を食べられましたね……。たくさんエーテルを吸収した結果、Tボーンステーキを骨ごとサクッと食べられるような顎の力でも得たんですか?」
「いや、近所の子供たちも普通に食べてたけど……」
俺をあんな「ギュウウウ……ナポ……」なんて音を出しながら美味しそうにステーキを食べる人と同じにしないでほしい。ニコラは額の汗を拭うと俺に駄菓子を突き返した。
「とにかく、かよわい私には無理な食べ物のようです。これはお返ししますね」
突き出された駄菓子を思わず受け取ると、ニコラは手についた駄菓子の粉をパンパンと払い、左から二番目のベッドへと向かった。やはりそのベッドを選んだのはニコラか。俺の性格を読んだ上でセリーヌとエステルに挟まれる位置である。
ニコラはベッドに備え付けられている棚から自分の鞄を取り出し、更にその中から歯ブラシと歯磨き粉の入った小壺を取り出す。
「それじゃあ私は今日はもう寝ますから。セリーヌとエステルはちょっと遅くなるかもしれませんし、お兄ちゃんも待たずに寝るのをおすすめしますよ」
そう言いながら歯ブラシと小壺を片手に持って、さっと部屋から出て行った。部屋の外にある洗面所へと向かったのだろう。
そして俺の手元には歯型のついた唾液まみれの駄菓子が残った。お前はこれを俺にどうしろというのだ……。俺はその駄菓子を見つめながら大きくため息を吐いた。
――残された駄菓子はこの後スタッフが美味しくいただきました。もうニコラには絶対に硬いお菓子は買ってやらないからな。
◇◇◇
結局ニコラの言う通りに、セリーヌとエステルを待たずに就寝した翌日。俺は衣擦れの音に目が覚めた。ぼんやりしながら音のした方に顔を向けると、ベッドの上で着替えの真っ最中のセリーヌと目が合った。
「おっ、おおおはようマルク! 起きるの早いわねっ!?」
下着姿のセリーヌが慌てたように靴下を穿きながら声を上げる。
「おはようセリーヌ。……あの、僕、外に出ていようか?」
「な、なななに言ってるの! そんなの気にしないわよ!? 何ならじっと見てくれてもいいんだからね? 本当よ!?」
黒の下着に映える白い肌がほんのり赤く染まっているが、つっこむと泥沼化しそうだからスルーに限るね。
「わかったよ。それじゃ僕も着替えるね」
セリーヌが気にしないというのなら、お言葉に甘えることにしよう。俺はセリーヌを気にすることなく粛々と自分の着替えを始めた。ちなみに隣のエステルのベッドは空で、ニコラは――たった今目覚めたらしい、念話が届いてきた。
『ぐぬぬ、ラッキースケベイベントの波動を感じたのですが、少し遅かったようです。「キャー、マルクのエッチ!」みたいなのはなかったのですか?』
『落ち着いて対応すれば、なんてことはないね』
『……はぁ、枯れる前だというのに、まるで枯れたような発言ありがとうございます。さて、それでは起きますか』
ニコラは今起きたと言わんばかりにむくりと体を起こし、ん~と背伸びをする。
「おはよー。お兄ちゃん、セリーヌお姉ちゃん」
「おはよ、ニコラ」
「ニコラちゃんも起きたのね~。おはよう」
先程の余裕たっぷりの台詞のわりに急いで着替えたのか、いつの間にか黒いドレスを身にまとい、すっかり落ち着きを取り戻したセリーヌが朝の挨拶を交わす。まだ耳が赤いけれど、それには触れまい。
すると入り口の扉が開き、エステルが中へと入ってきた。顔を洗ってきたらしく、タオルを頬にパタパタとあてている。
「二人とも起きたんだね。おはよマルク、ニコラ」
「おはよう」
「おはよー」
二人声を合わせて返事をする。……あれ? なんだかエステルに違和感があるな……。
「んー……。エステル?」
「あはは、変じゃないかな?」
エステルが照れたように笑いながら、自分の耳の辺りに手を添えた。……あっ、そうか!
エステルの耳が丸くなってる!
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