288 丸い耳

「この魔道具を付けてみたんだ」


 少し照れながら髪をかき上げたエステルの耳たぶには、緑のピアスが光っていた。


「魔道具? でも、どうして耳を隠すの?」


「うん……。昨日ね、セリーヌに相談してみたんだけどね。村の外だと長い耳も珍しいみたいだし、厄介事に巻き込まれる前に隠しておいたほうがいいかなって」


「ああ、それで……」


 昨日は子供たちにわいわいと絡まれていたね。アレを気にしていたのか。


「この魔道具は元々トリス先生から貰っていたんだよ、餞別としてね。でも、使わずに済むならそれでいいかなって、そのままにしていたんだけど……。結局昨日はマルクに助けられちゃったし、もう少し外の世界に慣れるまで、ピアスを付けておくことに決めたんだ」


 まぁ長い耳は目立つと言えば目立つし、これからは町、領都とどんどん人の多い場所へと移動する予定だ。田舎から出てきたばかりのエステルに不安がないと言えばウソになる。


「それがいいわよ。昨日も言ったけど、物珍しさに近づいてくる連中は子供に限らずいくらでもいるし、厄介事を避けるためにその魔道具を使ってるハーフエルフは結構いるんだからね」


 セリーヌが事も無げに言い放った。えっ、そうなんだ? それじゃあ俺が気付かなかっただけで、今までにもセリーヌ以外のハーフエルフに会ったことがあったかもしれないのかな。


「それでも魔道具を使わない人もいるって聞いてたから、ボクも使わずに頑張るぞって思ってたんだけどなあ」


 エステルは少し気落ちしたように肩をしょんぼりと下げた。この時に耳もペタンと下がるのを見れなくなったのは少しさみしい。


 それが顔に出ていたのだろうか。エステルがベッドに座る俺の前に屈み込むと、クスリと笑って耳をこちらに向けた。


「耳が丸くなっている様に見えるけど、魔道具で見せている幻影だから実際には存在しているんだよ。触ってみる?」


「いいの? それじゃあ遠慮なく」


 エステルには乗っかられたり、おんぶしてもらったりと接触する機会は結構あったが、あの長い耳に触れたことは一度もなかった。心の隅で一度くらいは触ってみたいと思っていたので、俺はエステルからの提案にノータイムで手を伸ばした。


「ひゃっ……」


 エステルが短い声を上げるが、とりあえずスルー。まずは見えている耳たぶと、そこに付けているピアスを軽く触る。ふむふむ、耳たぶは人間族と変わらないな、つるんとしていてふわふわしている。


 ピアスは魔道具だと言っていたが、中心に輝く緑の石は魔石のようだ。風属性のマナを利用して幻影を見せているのだろうか。


 耳たぶから伝うように指を上に動かす。すると丸い耳の頂点よりもまだ先まで何かに触れている感触があった。


「ああ、本当だ。なにかあるね……。へえー、ここが耳なんだ」


「う、うん。そうだよ……」


 何もないはずのところに意識を集中し、マナの流れを探ってみる。するとピアスから立ちのぼるマナが、長い耳を覆い隠している様子が見えてきた。


 どうやら魔法を嗜んでいると簡単に見破れるような代物のようだ。でも周囲の人のちょっとした好奇心を抑えるにはこれで十分だろうな。


 さっそく具現化した長い耳の真ん中辺りをふにふにと揉んでみた。おや? 人間の耳より柔らかくて繊細な……もちもちとふわふわが混在したような感触がする。


 そのままツーッと耳の頂点まで指を動かす。そしてその先端を指でちょんちょんとつついてみる。あっ、なんだこれ!? ちょっと触っただけでふんにゃりと曲がって、つついているだけで気持ちいい!


 ふにふにふに。ちょんちょんちょん。


「あ、あの……」


 ふにふにふに。ちょんちょんちょん。


「んっ、あふっ」


ふにふにふに。ちょんちょんちょん。ふにふにふに。ちょんちょんちょん。ふにふに――


「――マ、マルク、もう許して……」


「あっ、ごめん!」


 ハッと我に返り、手を引っ込めた。ついつい夢中になりすぎてしまったようだ。エステルは顔から湯気でも出るんじゃないかというくらい赤い顔をしていた。


「気持ちよくってついつい触り過ぎちゃった。ごめんね?」


「ううん。その、気にしないでいいよ……」


 俺の謝罪にエステルが俯きながら答える。やっぱり恥ずかしかったのだろう、マナでかたどられた長い耳はギューンと直立している。


『ぐぬぬ、うらやま死刑……』


 横からニコラの怨嗟の念話が聞こえ、エステルの背後ではセリーヌが苦笑を浮かべていた。そりゃそうだ。いくら友達だからって、女の子の耳をベタベタ触るもんじゃないよね。これは反省しないといけない。



 ◇◇◇



 少し微妙な空気になったりもしたが、顔を洗い身支度を整えているうちにそんな空気も薄れていった。それぞれが荷物を手に持ち、最後は部屋に忘れ物がないかの確認だ。


「ヨシ!」


 ニコラが片足を上げて指差し呼称をしている。なんだか逆に何かを忘れていそうな不安な気分になるね、ソレ。


「ふふっ、なあにそれ? それじゃあ出るわよ」


 セリーヌが笑いながら扉を開け、それに続いて残りの三人も部屋の外に出た。


 階段を降りて食堂に到着すると、カウンター席では少し大きめのバックパックを横に置いたティオが座り、その周囲を宿屋の主人や女将、ルキといった家族が囲んでいた。どうやら家族の別れを惜しんでいるようだ。

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