286 旅は道連れ世はお酒

「いらっしゃい! ……っと、おかえりなさーい」


 俺とエステルが宿屋の玄関扉をガラガラと開けると、さっき見かけたルキの姉が両手にトレイを持って忙しそうに歩き回りながら出迎えてくれた。


 夕食に近い時間ということもあり、食堂のテーブルは半分近く埋まっていてそれなりに賑やかだ。食堂の中央付近ではルキが唇を尖らせながらテーブルを拭いている。そして俺と目が合うと、照れくさそうに軽く手を上げた。


「おかえり~。先に頂いてるわよん」


 声をした方に顔を向けると、食堂の隅のテーブルでは少し顔の赤いセリーヌが木のコップをこちらに掲げていた。その隣に座るニコラはモグモグと料理を食べながら、俺の方を見向きもせずに念話をよこす。


『おかえりなさい、お兄ちゃん。エステルとのデートは楽しかったですか?』


『デートって……。一緒に駄菓子を食べて、近所の子供たちと遊んだだけだよ。お前も来たら良かったのに』


『逆によくあれだけ馬車に揺られて外に行こうって気になりますね……。それよりも駄菓子ですか。もちろんかわいい妹にお土産はありますよね?』


 俺は念話に答えずにニコラのいるテーブルまで歩くと、帰り道に追加で買った駄菓子を差し出した。


「はい、ニコラ。お土産の駄菓子」


「……えっ、これニコラにくれるの? わぁい駄菓子! ニコラ駄菓子大好き!」


 ニコラが白々しくも駄菓子に喜んでみせるが、ニコラの手に渡るよりも先にひょいっとセリーヌが取り上げた。


「ニコラちゃん、良かったわね~。でもお菓子は夕食の後にしましょうね?」


「はーい……」


 確かにセリーヌの言う通りだ。俺はセリーヌが取り上げた駄菓子を再びアイテムボックスにしまうと、ニコラはしゅーんと眉尻を下げながら俺を恨みがましい目で見つめた。文句があるならセリーヌに言ってほしい。


「あんたたちも一緒のテーブルでいい?」


 いつの間にか近くにやってきていたルキの姉が俺たちに尋ねる。


「あ、はい」


 俺とエステルはそのままセリーヌたちと同じテーブルに着く。テーブルの上を見ると、セリーヌは何やらパイ状の物をちびちびと食べながら赤ワインを飲んでいる。


「これは?」


「タマネギパイだよ。特産のタマネギをふんだんに使ったレフ村自慢のメニューさ。村の連中からすると食べ飽きてるくらいだけど、ワインには合うから酒場じゃあ定番の料理よ」


 ルキの姉が慣れた口調でつらつらと答えると、セリーヌが上機嫌にタマネギパイにフォークを突き刺す。


「結構イケるわよ~。これ移動中も食べてみたいんだけど、お持ち帰りはできるかしら? できるなら三つほど包んでほしいわね」


「それはいいけど、あまり日持ちはしないから気をつけてよ? それであんたらは何を食べる? 私としてはこっちの女の子と同じ料理がおすすめだね」


 ルキの姉がニコラの皿を指差す。ロールキャベツのキャベツが肉になったバージョンとでも言うのか、薄い肉で具を巻いて濃厚な褐色のソースをかけた料理が皿の上に乗っている。


 駄菓子ショックから復活したニコラが巻いた肉にナイフを差し入れると、中からみっちり詰まったタマネギやニンジン、ベーコンがジュワ~と皿に流れ出した。確かにこれは美味しそうだ。


「うん、これと白パンでお願いします。エステルは?」


「ボクも同じで!」


「あいよ、しばらく待ってね」


 ルキの姉はくるっと背中を向けて、カウンターにいる店主の元へときびきびと歩いていった。途中ですっかり顔の赤くなった男が彼女に声をかける。


「ティオ、こっちにエールを一杯頼む~」

「あいよー」


「はぁ、この尻も今日で見納めか~」


 そう言いながら男はルキの姉――ティオの尻を触ろうとするが、ティオは素早い足さばきでスッと避けると手をペシンと叩いた。


「ったく懲りないねー。明日からはルキの尻なら触ってもいいから、これからも贔屓に頼むよ」


「ちょっ、姉ちゃん勘弁してくれよ!」


 ルキが泡を食って男から後ずさると、男が手をさすりながら苦笑を漏らした。


「痛てて……。俺にそんな趣味はねーよ! まぁここは料理もうめえし、心配しなくても毎日通ってやるさ」


「もちろん俺も通うぞ!」「ティオちゃん元気でなー!」「がんばれよ! 今日は祝い酒だ!」


 周囲の常連らしき客が口々に声を上げる。ティオが今日で仕事を辞めるような口振りだけど、どういうことだろう? そう思いながら様子を眺めているとニコラから念話が届いた。


『彼女は明日の乗り合い馬車で一緒みたいですよ』


『え? そうなんだ』


『店主も言ってましたけど、冬場はヒマみたいですからね。トルフェの町にいる親戚に夜の飲食店を経営している人がいるみたいで、しばらくそこに出稼ぎに行くんだって、さっき話しているのを聞きました。美人のお姉さんの同行者が増えるのは楽しみですねえ。私もあの引き締まったお尻には興味がありますフヒヒ……』


 などと供述しており――と、それは置いといて、ルキが明日から忙しいかもと不満そうな顔を浮かべていたのは、姉ちゃんがいなくなるので寂しかったってわけだ。難しいお年頃だろうし、本人は認めないだろうけど。



 それから少しの間、セリーヌにタマネギパイを摘ませてもらいながら時間を潰す。ちなみにパイはあっさりしすぎてて俺には合わなかった。


 しばらくするとティオが俺たちのテーブルへとやってきた。ティオはテーブルに料理を並べながらセリーヌに話しかける。


「ねぇ、今、父ちゃんから聞いたんだけど、あんたたち明日の乗り合い馬車に乗るんだって? それに私も乗るんだけどさ、そこのボクは魔法を使えるらしいし、この子はハーフエルフ、あんただって只者じゃあないんだろう? 馬車で一緒だと心強いね、よろしく頼むよ」


「あらあら、私たちを護衛に雇うなら高くつくわよ?」


 セリーヌの冗談とも本気ともつかない言葉にティオがニヤッと口元を緩めると、小脇に抱えていた物を取り出す。


「おおっと、それもそうだね。まあ私も目の端に留めておいてくれると嬉しいってだけさ。……で、これはサービス。常連にしか出さないとっておきだよ」


 ティオはワインが入っているであろう小さな樽をテーブルの上にドンと置いた。セリーヌは鼻をぴくぴくさせた後、喉をゴクリと鳴らす。どうやら良い物らしい。


「あ、あら、気が利くわね。でもあんまり期待されても困るわよ?」


「わかってるって。私はあんたたちと仲良くなりたいだけ。明日はせいぜい野盗や魔物が現れないことを祈ることにするよ。それじゃあごゆっくり~」


 ティオは軽く手を振って見せるとトレイを片手に踵を返した。セリーヌは軽く息を吐くと、真面目な顔でエステルを見つめた。


「エステル、あんたも冒険者になるのなら、こうやって安く利用されないように気をつけるのよ?」


 エステルは頬をかきながら言いにくそうに答える。


「う、うん。そうだね。でも、それならお酒を返せばいいんじゃないかな? 向こうもそこまで本気じゃないだろうし……」


「んー、まあ、お酒に罪はないからねえ?」


 セリーヌは視線を小樽に移すと、さっそく蓋をこじ開けながら舌なめずりをした。この人はお酒が絡むと定期的に駄目になるよね。

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