279 野宿初日

「それじゃあ今日はこの辺で野宿にするね~」


 夕暮れが迫ってきた頃、カズールがゆっくりと馬車を停車させた。


「はーい、カズールさんお疲れ様。お昼はパンで申し訳なかったけど、夕食は期待しててねん」


「ぬふふ、何と言ってもアイテムボックス持ちがいるんだもんね。もちろん期待してるよ~」


 セリーヌの言葉にカズールが頬を緩ませながら御者台から飛び降りると、俺たちもぞろぞろとその後に続いていく。地面に降り立った途端にビュウと風が吹きつけ、俺はその冷たさに体を縮めた。


 今回馬車に乗せてもらうにあたって、食事は全てこちらが提供することになっている。しかし昼は移動を優先して馬車の中で白パンにソーセージを挟んで食べただけだったので、その分夕食はしっかりとしたものを出すことにしよう。一行の食料を全て保管している俺は、セリーヌから食事メニューを一任されているのだ。


 エステル家でたんまりと貰ったビーフシチューでも出そうかな? カズールも普段の移動中は汁物なんてあまり食べられないだろうし、熱々のビーフシチューを食べれば冷えた体も温まることだろう。


 夕食の献立を考えながら馬車の中で固まった体を軽くほぐしていると、すぐ近くにひときわ目立つ大岩がそびえ立っているのに気づいた。今夜はあの岩の周辺をねぐらにするみたいだ。


 カズールは大岩の近くに馬を移動させ、甲斐甲斐しく馬の世話を始める。やさしくたてがみを撫でながら馬具を外している姿からは、本当に馬を大事にしている様子が見てとれた。そしてエステルがその手伝いを買ってでて、セリーヌは周辺の見回りに出かけるようだ。……さて、俺も自分のやれることをやらないとな。


 まずは宿泊施設の設営だ。シュルトリアで収納した俺の自宅をここに出してみよう。あの大きさの物を収納したことが初めてなら、出してみるのも初めてになる。なるべく慎重にっと……。


 俺は頭の中の収納リストから《コンテナハウス》とラベリングされたものを選ぶと、広い平原に向かって手を伸ばした。


 ズシィィンッ!


 地響きと同時に巨大なコンテナハウスが出現し――


「ヒイイイイイン!」

「うわっとと、どうどう、どうどうどう~……。ダレル、ケビン、大丈夫だからね~」


 馬の嘶きとそれをなだめるカズールの声が聞こえた。ああ、もう少し離れたところでやればよかったな……。


「ごめんなさいカズールさん。馬のことに気が回ってなくて……」


「あー、いやいや、気にしないで~。それにしても……すごいね」


 カズールは俺の謝罪に手をひらひらと振って返し、二階建てのコンテナハウスを見上げながら感嘆の声を漏らす。


「うん、僕もこんな大きいのが収納出来たときは自分でビックリしたよ。えと、それじゃあちょっと中の確認に行くね」


「そういう問題じゃないんだけど……。まあいいや、いってらっしゃい~」


 そっと取り出したつもりが結構派手な音がしたので、中に残した家具が少し心配だ。俺はカズールに見送られながらコンテナハウスの玄関へと向かった。


 そして玄関扉の前に立つと、魔道具製の錠前にマナを通して木製の扉を開く。以前は石製の扉だったのだが、重いとニコラに不評だったので大きな板を貰ってきて俺がDIYしたのだ。


 現在、玄関扉とトイレ扉は木製になっている。土魔法で石を加工するよりも数十倍大変だった割に、シンプルな板切れの扉でしかないことには不満も残るけれど、こればかりは仕方ない。


 玄関先で足を止め、家の中をぐるりと見渡してみる。机や椅子は倒れていないし、見える範囲では窓ガラスも割れてはいないようだ。


『お先に入りますね』


 俺が玄関で足を止めていると、さっきからずっと俺の傍にくっついていたニコラがスッと前に割り込み、慌てた様子で靴を脱ぎ捨てると足早に中へと入っていった。行く先にあるのはトイレだ。


 ……ああ、そういえば一度しかなかった休憩の時、ニコラは寝ていたもんな。それならあの慌てっぷりも仕方ないだろう。ニコラの靴を揃えながら俺は軽く息を吐いた。


 しかし俺が家の中に入って暖房の魔道具にマナを込めようとしたところで、焦った声色のニコラから念話が届く。


『おぉ、お兄ちゃん、今すぐトイレに来てください……!』


『うん? どうしたの』


 俺が作業を中断しトイレに駆け寄ると、トイレの扉に向かって声をかけた。


「開けるよー?」


 返事を待たずに扉を開ける。そこには便座の前でプルプル震えるニコラの姿があった。ニコラがすぐさま口を開く。


「は、早く穴を開けてください」


「……あー、そっか」


 コンテナハウスのトイレはいわゆるボットン便所だ。俺がなるべく深い穴を掘り、その上に便座を作っていたのだ。しかし家を設置した直後の今は、便座の下には普通に地面が見えるだけ。これでは用を足すのにも躊躇してしまうだろう。


「……あぁぁ、開放直前でこのことに気付いて寸止めしたせいで、本当に私のダムは決壊寸前なんです。は、はは早くお願いします……!」


 ニコラが青白い顔をプルプルと震わせながら俺に訴えかける。食べすぎてはよくお腹を壊すニコラなので、俺はニコラのこの手の顔色には詳しい。


 これは段階にしてレベル5。危険度マックスどころかマクシミリアン・ジー◯ス級の一刻の猶予もならない事態だ。撃墜されればニコラは「カキザ◯ィー!」と叫ぶことになる。


 俺はニコラと入れ替わるように便座の前に立つと、便座に向かって手を伸ばして土魔法で地面を掘り、その土をアイテムボックスに収納しながら掘り進める。そして十分に深い穴が出来たことを確認すると、穴全体を土属性のマナで補強した。そして最後にE級ポーション二つ分を穴の中に注ぐ。


 これは消臭目的だ。最初はダメ元の思いつきではあったけれど、長いコンテナハウス生活で継続的に試してみた結果、確かにポーションには消臭効果があることが判明した。こういうのは薬草の効能と魔法がうまく作用しているのだろうか。なんにせよありがたいことだね。


「はい、完成――」


 ニコラは俺に最後まで言わせず押しのけるように便座に座り、すごい勢いでスカートの中のパンツをずり下ろした。俺との間に羞恥心はないとは思うけど、それでもこの行動はと思った。本当にギリギリだったんだな……。


 俺はこれ以上何も言わずに個室から出ると、そっと扉を閉めた。そしてニコラの「ふあああああああ~」と歓喜に打ち震える声を聞きながら、その場を後にしたのだった。

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