278 森を抜けて

 ハーフエルフの村シュルトリアを出発して、一時間ほど経過しただろうか。相変わらず細く入り組んだ山道を進む馬車の中、トリスに貰った本を読みながら時間を過ごしていると、誰ともなしに呟くカズールの声が聞こえた。


「さて、そろそろだよ」


 その声に俺は読んでいた本を閉じて、カズールのいる御者台に顔を向ける。するとこれまで馬車を取り囲むように生い茂っていた木々が視界からスッと消え、代わりに地平線まで見渡せるような広大な草原が目の前に現れた。わだちも街道もなにもない、枯れたような茶色の草が荒れ放題に群生している一面の大草原だ。


 どうやら馬車は無事に森を抜けたようだ。日差しを遮っていた緑のトンネルを抜けたことで、外の風景を一層眩しく感じる。俺は思わず目を細めた。


「うわー、これが森の外なんだね!」


 エステルが御者台に身を乗り出すようにしながら声を上げる。エステルからすれば十五年間生きてきて初めての外の世界だ。感動もひとしおだろう。


 そんなエステルをセリーヌが微笑ましそうに見つめ、その膝枕ではニコラがセリーヌの腹の方に顔を向けて横になっていた。ちなみにニコラはさっきまで狸寝入りでクンカクンカと念話でうるさかったのだけれど、いつの間にか本当に寝てしまったようだ。


 俺は馬車の後方に膝立ち歩きで移動すると、後ろの幕を押し上げて外を覗いてみる。すると高い木々が密集した深い森が少しづつ遠くなっていく様子が見てとれた。


 この馬車はあの森から出てきたはずだけれど、今となってはどこが森の出入り口だったのかもわからない。行商で行き来するのも大変そうに思えるが、わかる人にはわかる目印でもあるのかな?


 そんなことを考えながら元の場所に戻り、ニコラの髪をやさしく撫でつけているセリーヌに声をかける。今まではカズールには危険な山道の移動に集中してもらいたかったので静かにしていたけれど、そろそろ雑談をしたって構わないだろう。


「僕たち随分と深い森の中にいたんだね」


「そうよお。元々はご先祖様たちが森の中をうろついて、ポータルクリスタルを発見した場所を中心に村を作ったのが始まりらしいわ~。だからあんな辺鄙なところにあるのよ」


 なるほど、ポータルクリスタルありきの村だったのか。それにしてもあんな深い森の中でよく見つけたものだ。エルフの血が混ざっていると、森にある何かを敏感に感じ取れたりするのだろうか。ディールもセリーヌのこと限定で恐ろしく勘がいいみたいだし……って、さすがにこれは関係ないか。


 ともあれポータルクリスタルのある場所を住処すみかにするのは、とても理にかなっていると思う。精製に時間と手間がかかるとはいえ、とても便利で誰だって欲しい代物だろう。……そういえば、誰だって欲しいってことは人たちに狙われる可能性もあるのかな?


「ねぇセリーヌ。ポータルクリスタルって他の場所にもあるの? 例えばいつ命を狙われてもおかしくないような王様とか貴族様とか、そういう人たちが密かに確保していてもおかしくないと思うんだけど」


 俺の問いかけに、セリーヌは首を傾げながら答える。


「んー、ポータルクリスタル自体は他にもあると思うわよ。アレは大自然から引き上げたマナが結晶化したものだと言われていて、祖先にあたるエルフの里なんかにもあったという話を聞いてるわ。……でもそれをお貴族様が確保してるかというと、どうかしらね~」


 へえ、やっぱり他の場所にもあるんだ。セリーヌは言葉を続ける。


「ポータルクリスタルは今でも周囲の自然からマナを引き上げてるわ。きっと近くにお城なんか建てて周辺を整地して森が消えたら、すぐに枯れちゃうでしょうね。それじゃあ森を確保したまま、その土地までマナを込めに通うことになると……。ポータルクリスタルは週に一度はマナを込めないと、精製中のポータルストーンは本体に吸収されちゃうの。だから足繁く通う必要があるんだけど、それだと『ここに何かありますよ』って言ってるようなもんだろうし、素直にお城に隠し通路でも作ったほうが手っ取り早いんじゃないのかしらん?」


 確かにバレバレの避難場所なんて脱出用には使えない気がするな。結局は森の奥深くに住み、魔法が得意な上に長い寿命でコツコツとマナを込められるハーフエルフだからこそ、ポータルクリスタルを有効に扱えるということなんだろう。


「まっ、あんたみたいにサクッと作れちゃえば話は別だろうけどね」


 セリーヌはいたずらっぽく笑い、話は締めくくられた。



 ◇◇◇



 それから数時間、馬車で草原を走り続けた。これまで二度ほど馬車に乗ったことはあるけれど、カズールの馬車はそれよりも速い速度で駆けているように感じる。


 しかもそんな高速馬車であるにもかかわらず、ここまで馬に与えた休憩は一回のみ。そのうえ十分に水を飲ませるとすぐに出発といった有様だった。かといって馬がバテているようにも見えなかったので、素直にカズールに尋ねてみることにした。


「カズールさん。この馬車ってかなり速度が出てると思うんだけど、それなのに馬の休憩があんなに短くても平気なの?」


「ふふふ、よくぞ聞いてくれました~」


 カズールは御者台からこちらに振り返ると、得意げな顔を俺に見せた。


「俺にはね~、『獣友の加護』ってギフトがあるんだ」


 獣友……けものと友達の加護か。どんなギフトなんだろう。


「すっごーい!」


 さきほど目を覚ましたニコラが驚きの声を上げる。何のギフトか知ってるのかな。いや、違う。きっと言いたかっただけだ、間違いない。しかしそんなニコラの反応に気を良くしたカズールは、にんまりと笑みを浮かべながら眼下の二頭の馬を指差した。


「このダレルとケビンみたいに俺と仲良くなった動物限定なんだけどね、俺は近くにいる獣に疲労の回復効果を与えることができるんだ。つまりこの二頭は常に俺に回復されながら走っているわけ」


 なにそれなにそれー!? ギフト「獣友の加護」は本当にすごい効果のようだ。俺も疲労の回復については光魔法でなんとかできないかと色々と試したこともあったけれど、傷を治すならともかく疲労の回復というのはとても難しい。未だにポーション風呂でじっくり疲労回復するくらいが関の山なのである。


「俺がこのギフトを持っていることがわかった時、これはもう行商人になるしかないと思ったね。このギフトのお陰で普通の行商人よりも長い距離を移動出来るし、盗賊なんかに絡まれても簡単に逃げ切れるんだよ~」


 自慢げに語るカズールにセリーヌも言葉を添える。


「そんなカズールさんのお陰で私たちも目的のレフ村にたったの二日で着くしね。ほんとありがたいわ~」


 予定では明後日に村に着くと聞いているが、仮にカズールが捕まらなかったら徒歩だったのだ。かなり大変な旅になっていたことだろう。ニコラを背負って歩く俺の姿が目に浮かぶ。


「そのレフ村に着いたらカズールさんとはお別れなんだよね?」


「そうだよ~。俺はそこから別の村に行商に行くからね。その村からは乗り合い馬車が出ているから、それで宿場町まで行くといいよ」


 セカード村なんかがそうだけど、乗り合い馬車が通らない村もある。聞いてはいないけれど、わざわざその村を行き先に選んでくれたのかもしれない。


「私たちはそのレフ村に着いたら、そこから乗り合い馬車でトルフェの町に向かうのよ。あ、そうそう、マルクに聞いておきたいんだけど――」


「ん? なにかな」


「トルフェの町から別の宿場町を経由してファティアの町にも行けるんだけど、領都経由でも行けるのよね。マルクはどっちの進路で帰りたい?」


「かかる日程や経費は変わらないの?」


「そうねえ~。日程はほぼ変わらないかしらん。経費は……領都のほうがちょっとだけ物価が高いくらい? まあ大して変わらないからお金は気にしないでいいけどね」


 今回の旅の予算はシュルトリアで買い込んだ食料や衣服はもちろん、立ち寄る宿代までセリーヌが出してくれることになっている。便乗でついてくることになったエステルも、ファティアの町で落ち着くまではセリーヌが経済面で面倒をみてやるそうだ。


「二人はどう思う?」


 俺としては既に心は決まっているが、自分一人で決めるわけにはいかない。エステルとニコラにも尋ねてみた。


「領都ってこの辺で一番栄えている町なんだよね? ま、まあ興味がなくはないけどマルクに合わせるよ」


「ニコラはどっちでもいいよー」


 エステルは遠慮がちに答えながらも好奇心が抑えきれないワクワクした顔で、ニコラは心の底からどっちでもよさそうな顔で答えた。


 そういうことなら話は決まりだ。俺はセリーヌに向き直ると自分の気持ちを伝えた。


「セリーヌ、僕、領都に行ってみたい」


「うふふ、決まりね。それじゃあ領都目指して頑張りましょう……って、まだ最初の村にも着いていないんだったわね」


「そういうこと。暗くなるまでもう少し、ダレルとケビンには張り切ってもらおうか~」


 そう言ってカズールが軽く撫でるように手綱を動かすと、二頭の馬はブルルと楽しそうに嘶き、馬車は更に速度を上げながら草原を疾走するのであった。

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