40 セジリア草

 薄暗い森を進んでいると、急に木々が途切れ視界が広がった。明るい日差しに照らされた小さな泉があり、その周辺に緑の濃い草が生い茂っている。


「着いたぞ。ここだ」


 ここが目的地だと言うことは、この泉の周辺に生えている草すべてが薬草ということなのか。雑草とはとても思えない、すっごい存在感が伝わってくるし。


 ふと隣を見ると、ジャックの顔が悔しそうに歪んでいた。……本当は一人でここまでたどり着きたかったんだろうな。


 ラックの話によると、この辺り一帯に生えている薬草が普段使いの薬草よりも品質がいいらしい。とりあえず一株引き抜いてアイテムボックスに入れて鑑定してみた。


 《セジリア草》と表記された。


「お前ならわかっていそうだけどよ、取り尽くしたりはするなよ?」


 ラックが俺に釘を刺す。もちろんその辺は俺だって心得ている。冒険者のマナーってやつだね。


 本当は根っこから持っていくのも良くないかもしれないけど、量は自重するので勘弁してもらおう。もともと俺が自宅で栽培できるかどうかを試すだけだ。たくさんは必要ない。


 群生地の隅っこで作業を開始する。まずは土魔法で一メートル四方の土を掘り起こし、根っこごと露出した草をアイテムボックスに詰めていく。


 手に取って鈍色の穴に投げ込むことでアイテムボックスに収納できるが、周辺が俺のマナに満たされていれば、手を添えて念じるだけでも収納されるのだ。


「お、おまっ、アイテムボックス……」


 アイテムボックスを見たジャックは目を丸くして驚いていた。やはりアイテムボックスは珍しいものらしい。……そういえば俺以外に持ってる人は未だに見たことないな。隠し持っているだけかもしれないけど。



「終わったよー」


 俺の用事はあっさりと終わり、ラックに作業の終了を報告した。


「早えーなー。アイテムボックス便利すぎだろ。それじゃあ少しだけ休憩してから帰るか」


 この辺りはどういうわけか魔物が近づかないそうだ。泉から離れなければいいぞと言われたので、泉の回りを散歩でもしようかと思っていると、ニコラが俺に声をかけた。


「お兄ちゃん、あれ見て」


 ニコラがスッと泉の周辺を指さす。そこには一匹の野生のウサギがいた。というかニコラが指さすと条件反射的にストーンバレットの準備に入りかけたのが怖い。条件反射になってるがな。


 どうやら野生のウサギが水を飲みに来ていたようだ。ニコラと二人でそっと近づいてみる。


 するとウサギはこちらを一瞬チラッと見るが、特に逃げることもなく水飲みを再開した。この辺で薬草を取りに来る人を見かけることもあるのだろう。人に慣れているようだ。


 ニコラは更に近づいてウサギのなでなでを決行する。


「おお……もふもふ」


 なでなでに成功したニコラは、セリーヌのおっぱいを揉んでるときと変わらぬだらしない顔を晒していた。


 俺も近づいて、なでなでのご相伴にあずかる。ああ、もふもふかわええなあ……。もふもふもふもふ。


 もふもふもふもふもふ。


 もふもふもふもふもふもふ。


 もふもふもふもふもふもふもふ。



 ――しばらくもふもふを堪能して、ふと正気を取り戻した。


 はっとして辺りを見渡すと、ラックは念の為に周囲の警戒しており、ジャックは「俺はもうそういう歳じゃないんで」と言わんばかりに口を曲げながらこちらを横目に見つつ、木にもたれ掛かって休憩していた。


 フフフ、青いな。俺に言わせれば、老若男女かわいい動物を愛でる気持ちは変わらないと思うんだけどね。犬は駄目だけど。


「よし、休憩は終わりだ! そろそろ帰るぞー」


 ラックの声を聞き、俺達はすぐさま集合する。バイバイウサギちゃん。


「帰りは探索をすることもないし、まっすぐ川を目指せば囲まれることもないだろう。コボルトはマルクに任せていいか?」


 やってみたいと思ってはいたが、ラックの方から頼まれるのは意外だった。


「いいの?」


 俺が問いかけるとジャックが驚いたように声を上げる。


「えっ? 兄ちゃんなんでこいつが!?」


「まあ黙って見てろ。マルク、頼んだぜ」


 ラックがジャックの肩に軽く手をやり、ジャックを黙らせてからそう答えた。俺としても異論はないので頷いて答え、それから一つだけ質問した。


「ラック兄ちゃん、コボルトって討伐依頼が出たり、素材が売れたりとかしないのかな?」


「コボルトは基本的に外には出ないからな。討伐依頼は出ていないと思うぜ。爪や牙は素材として売れないことはないが、手間がかかるくせにワリに合わねえから持って帰るやつは殆どいないな」


「そっか。それならすぐ帰れそうだね」


 そういうことならひたすら倒して突き進むだけである。俺はニコラに念話を送り、戦闘プランを相談することにした。



 ――そして森からの帰り道。俺は存分に魔法を奮った。


「お兄ちゃん、あっち」


「うん」


 ドシュッ!


 ニコラの指差す方向にいたコボルトが石弾ストーンバレットを受けて弾け飛ぶ。体の硬さなんかはゴブリンと変わらないようだ。


「お兄ちゃん、そこ」


「うん」


 ズドッ!


 囲まれると怖いらしいが、向こうの感知外から一匹たりとて逃さなければどうということもない。


「お兄ちゃん、あっちに二匹」


 ドスッドスッ!


 行きはジャックの安否を心配したり、未知のコボルトに警戒したりとしんどい思いをしたが、帰りはラクチンだ。


 このまま行けば夕食までには帰れそうだな。もちろん気を抜くつもりはないけれど、それでもついつい軽く安堵の息が漏れた。



 ◇◇◇



 ラックジャック兄弟は一言も発することなく、マルクニコラ兄妹が森をまっすぐ突き進んでいく姿を眺めていた。ラックは軽く首を振ると、呆然とした顔を浮かべていたジャックの頭に手をやり、顔を寄せて小声で語りかけた。


「ほら、見ろよアレ……。お前な、あいつらに張り合うのはもう止めとけ」


 ラックが見つめる先では、マルク兄妹がサーチ・アンド・デストロイを繰り返し、付近のコボルトを一体残らず倒し続けていた。


 ニコラはジャックからは見えないような場所にいるコボルトを見つけて指を差し、マルクはそれを石弾ストーンバレットで即座に爆散させている。自分が一体のコボルトに見つからないようにどれだけ神経を張り詰めさせ、その力に恐れていたのか――


 それを思い返したジャックは大きく、大きく、息を吐き、ラックに伝えた。


「……うん、兄ちゃん。俺、もうあいつらに張り合うのはやめるよ」


 気の抜けたような声でそう答えると、ラックはジャックの頭をポンポンとやさしく叩いたのであった。

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