39 コボルトの森

 コボルトの領域を慎重に進む。川の反対側に来ただけなのに、妙に静かで空気も冷えて感じるのは、格上の魔物の領域に侵入したという気分の問題なんだろうか。


 しばらく進むとニコラが俺たちに小声で呼びかけ、向こうを指差した。その先に見えるのはコボルトだ。大きさは人間の大人よりは一回り小さい、茶色の犬が直立したような姿で腰にはボロ布を巻いている。


 犬猫では断然猫派だし、前世で犬に追いかけられたことのある俺としては、あまりお近づきになりたくない魔物だ。


 だからというワケではないが、初見の魔物ということでもう少し情報を得たいところだ。じっとコボルトを見つめるラックに声をかける。


「ラック兄ちゃんなら、どうやってコボルトを倒すの?」


「ん? ああ、さっき言ったとおり集団行動が得意だからな。騒がしくしていると仲間がすぐにやってくる。気づかれねえように背後から近づいて、一気に首を切り落とすのが一番ラクだな。……そうだな、ちょっと見とけ」


 ラックは鞘から剣を取り出すと、死角に回り込みながらコボルトに迫る。結構な速度で近づいているのに物音は一切立てていないのがすごい。


 ――ザンッ!


 そしてコボルトに気づかれる間もなく、背後から首を切り落とした。おお、セリーヌ曰く期待の新人の名は伊達じゃないな。俺とニコラはすぐにラックに駆け寄った。


「すごいね。ラック兄ちゃん」


「これくらい出来るやつならザラにいるんだけどな」


 剣を鞘に戻しながら、なんてことのないようにラックが答える。


「そうなの? 僕は剣術は全然できないから、やっぱりすごいと思うよ」


「ありがとよ」


 ラックはフヘッと笑い、それから顔を引き締め周囲を見回した。


「さて、この先に例の薬草の群生地がある。ジャックもこの獣道沿いに進めば迷いようはないんだが……。まずは薬草の群生地を目指すか」


 先程の教えに従い、ここからはなるべく静かに行動することにした。俺の石弾ストーンバレットでは派手に物音を立てることがあるので、コボルトは全てラックに任せて薬草の群生地を目指す。



 それから二匹のコボルトに遭遇したものの、ラックがあっさりと倒して森を進んでいると、ふいにニコラが声を上げた。


「あっちに誰かいるよ」


 ニコラが指差す先にあるのは、むき出しになった大岩。獣道からはずいぶんと離れた場所だ。


「わかった、とりあえず行ってみよう」


 ラックの声に頷き、三人で大岩へと駆け寄る。


 すると大岩の陰で、地面を見つめながらしゃがみ込んでいる少年を発見した。少年は俺たちの足音に気づくと、驚いたように顔を上げた。――ジャックだ。


「兄ちゃん! きっと来てくれると思ってたぜ!」


 ジャックが待ち待ったヒーローが来たような、弾ける笑顔を浮かべた。思ったよりも元気そうだ。ラックはそんなジャックを見つめて一度大きく息を吐き、それからグッと握った拳を彼の頭にゴチンと落とす。


「痛ってぇ~……」


 ジャックはうめき声を上げながら両手で頭を押さえた。


「一人で行くなっていつも言ってるだろ、バカ野郎が。それで何でこんなところに隠れてるんだ?」


「ああ、それは――」


 ジャックの説明によると、やはり彼は薬草の群生地まで行こうとしていたらしい。そしてゴブリンに一度遭遇したものの撃退し、コボルトの森に入ってからは一度も魔物に会うことなくに進んでいたが、コボルトから身を隠す際にうっかり足を滑らせて捻挫したそうだ。


「それでしばらくここで足の怪我の様子を見てたんだ。もしかしたら兄ちゃん助けにくるかもと思ったし。……ところで、そろそろ聞きたいんだけど、何でお前らがいるんだよ?」


 ジャックが口を尖らせながら俺を睨む。当然の疑問だろうね。でも、これなんて言えばいいんだろう。君が遭難したから捜索を手伝いに来た……じゃあ駄目だよね。プライドを傷つけないようにうまく言わないとね。


「ええと、ラック兄ちゃんがジャックを探しに薬草の群生地に行くっていうから、無理を言ってついてきたんだ。僕、薬草が欲しくてさ」


「フ、フーン、そうか。奇遇だな。俺も同じ薬草を取りに来ていたんだよな~」


 ジャックが頬をかきながら、しらじらしいことを言う。上手くごまかせたか微妙なところだが、やぶを突くようなマネはすまい。ラックも空気を読んだのか、特になにも言わなかった。どうやら異性の話以外では空気は読めるらしい。


 当面の疑問が解けてスッキリしたのか、ジャックは自慢するように得意げな顔を俺に向けた。


「ところで、ここに来るまで見たか? 俺の兄ちゃんはすごかっただろ!? 思ったとおりにすぐに助けに来てくれたしさ!」


 兄ちゃん好きすぎだろ。それより反省しろ。そう思っているとゴチン! と二度目の拳骨の音が鳴った。


「たまたま気づかなければどうなってたか分からねーんだぞ。それにここまで早くこれたのはこいつらのお陰だからな」


 ポンと俺とニコラの肩を叩く。「どういうこと?」とたずねるジャックを無視し、ラックは呟く。


「さて、それじゃあどうすっかね。薬草の群生地はすぐそこだし、ついでに行ってもいいんだが、ジャックの足がな」


「お、俺はもう歩け――痛っ!」


 ジャックはすぐさま立ち上がるが、足をかばい顔をしかめる。


「そういうことだ。マルク、すまねえけど今日は薬草は諦めてくれ。今度俺が採ってきてやるからよ。……それじゃあ森から抜けるか。ジャック、背中におぶされ」


 ラックがしゃがみ込む。おっと、だが少し待ってほしい。ラックがいれば安全は十分の確保できそうだし、このまま帰るのはもったいない。


「……ジャックの怪我が治ればいいんだよね?」


「おう、そりゃそうだが……。一体なにをするつもりなんだ?」


 以前ニコラに光魔法について聞いて以来、たまに回復魔法の練習はやっていた。細かいマナの操作はまだ難しいけれど、その分大量に光属性のマナを与えることで患部の回復を早めることはそう難しいことではない。俺はそう考えている。


 ちょっとした切り傷擦り傷なら試したことはあったんだが、捻挫の治癒は初めてだな。まあ、とにかくやってみよう。俺はジャックの患部に手を当てて光属性のマナを与え続ける。


 俺の手がぼんやりと光り患部を照らす。するとまるでビデオの逆再生でもしているように足首の腫れが引いていった。


「え? 痛くない?!」


 ジャックが足首をぐにぐにと触りながら驚く。俺もちょっと驚いている。どうやら切り傷だろうが捻挫だろうが光属性のマナを与えまくれば何とかなるみたいだ。魔法ってすごい。


 ニコラ曰く、複雑なマナの操作を覚えればもっと省エネでやれるらしいけど、出力を上げる訓練をしたほうが手っ取り早い気がしてきた。力こそパワーだよ。


 ……って、まぁ今はそれよりも――


「ラック兄ちゃん、これで薬草採りに行けるよね?」


「お、おう。そうだな……行くか」


 しゃがんだまま、口をポカンと開けていたラックが慌てて立ち上がる。


 ジャックにあまり反省の色が見られないのは残念だが、それでも大事に至らなくて本当に良かったと思う。今後の教育はラックに頑張ってもらうとして、せっかくだからここからは俺の要望を手伝ってもらおう。薬草、いただきます!

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