7 ドギュンザー

 母さんのお誘いに応えて一階に降りた。厨房では父さんが新作らしい料理を前に、引きつった顔をしている。


 ウチの宿屋はファティアの町にいくつかある宿屋の一つ。町の端っこ辺りに位置する宿屋で、中央あたりの立派な宿屋ほど繁盛してるとは言えないが、町の外へとつながる門から近いため、そこそこ一見さんの旅人や冒険者が訪れたりもする。このまま続けていってもそうそう潰れることはない程度には儲かってるみたいだ。


 ウチの父さんは先代の爺ちゃんから宿屋を継いだ二代目。母さんは近所の防具屋の娘で幼馴染だったそうだ。


 で、そんな父さんがどうして一人変顔グランプリをしていたかと言うと……


「さあ、マルク、ニコラ、食べてみてちょうだーい」


 母さんがニッコニコ顔で俺たちに目の前の皿を勧める。皿の中には白いスープが入っている。具はジャガイモとニンジンかな……? 肉は無い。


 ちなみにこの世界にも前世と似たような野菜が結構あるらしい。異世界言語翻訳のギフトの効果なのか似た野菜はそのまま前世の名前で通じる。便利だね。


 そんなわけで目の前のスープはホワイトシチューによく似ていて見た目はそれほど悪くはない。だけど父さんの顔が全てを物語る。ああ、これはアカンやつやと。


 うちの宿屋は基本的に父さんが料理をして、母さんとお手伝いのおばさんが宿泊用の部屋の掃除や、宿屋一階の半分ほどを占める食堂の接客業務を務める。


 つまり母さんは本来、仕事では料理をすることはないんだが、それでも料理を作りたがる。ちなみに父さんは生粋の宿屋の二代目なので子供の頃から料理が得意で、母さんはそれに餌付けされながら幼馴染として成長し夫婦となった。


 そういう過程なので特に料理について学ぶことなく宿屋に嫁ぎ、今は掃除係兼給仕係として家庭を支えているわけだが、本人は料理が出来ないのがコンプレックスだったようだ。子供が生まれたからには子供に自分の料理を食べさせてあげたい、子供が生まれて初めて芽生えた感情だったそうだ。


 父さんとしてもその気持ちは嬉しいらしく、母さんに今更ながら料理を教えてはいるようなんだが、結果はあんまりよろしくない。


 努力の結果、家庭料理なんかは一応のプロである父さんに劣るもののそれなりにはなったらしいんだけど、どういうわけかひと味加えた創作料理を作りたがるんだよね。


 父さんも見守ってるので、そうそう不味いのは出来ないはずなんだが、ふと目を外した瞬間に自分の考えた隠し味を入れてしまうらしい。


 本人曰く、父さんの言う通りにしても父さんの味は超えられない。それならば自らの考案した隠し味で差を付けるしかないとのこと。そんなことあるかいとは思うんだけど、俺たちを想ってのことなので、できることなら微笑ましく見守っていきたいのだ。


 そういう生暖かい環境で育成されている母さんの今回の手料理なのだが、父さんの顔を見るからにして目を外した隙にナニカを混入させられたのは確実。問題はソレがどの程度の破壊力であるかということだが。


「ねえ、母さんは味見はしたの?」


「ええ、したわよー。今まで食べたことのない味がするし、これはいけると思うのよねー」


 美味しいや不味いでは語ってくれない。なにを隠そう、母さんは味覚オンチなのである。そして父さんはなんだかんだで母さんには甘いし口下手なので厳しいことは言えない。つまり味見は俺たち二人にかかっている。


 俺たちがヘタにお世辞でも言おうものなら、この料理が宿屋の料理として食堂に並ぶこともあるかもしれない。今はそれなりに順調な宿屋ではあるが、これが凋落への第一歩になる可能性もあり、俺たちの生活がかかってるとは過言ではない。五歳児の肩にかかる重圧としてはこれほど重いものはない。


 ちなみにこれまでは手伝いのおばさんが味見をしていて、的確なアドバイスを送っていたそうなんだが、俺たちがある程度成長してきたことで最近の味見役は俺たちにシフトしつつある。母さんも我が子に一番に食べてもらいたいという善意からか、おばさんがいないタイミングを狙っているフシもあるな。


 とまあ悩んでも始まらない。まずは実食……!


 ……白いスープはやはり牛乳がメインらしい。牛乳を使ったスープ自体は別に珍しいものではない。じっくり玉ねぎ等の具材を溶かし込んだスープは大変やさしい味で、俺も前世では行きつけの居酒屋の隠しメニューとして、酒を飲んだ締めとしてたまに頂いていた。


 ……が! これはそれとは異なる別のモノである! やさしいはずの味がとにかく苦い。これはなんだ……何を入れたらこんなに台無しの味に仕上がってしまうんだ?!


『お兄ちゃん、早く引導を渡してやってください』


 ニコラが感情を無くした顔でスープを啜りながら念話で俺に伝えてくる。こいつはいい子ぶるので、母さんを困らせることを嫌う。なので引導を渡すのは俺の役目となる。父さんの監修のもと、それなりに美味しく出来たときは俺が言うよりも早く「おいしーね!」と天使の笑顔で言うんだがな。……とにかく今は感想を率直に言おう。


「母さん、これおいしくないよ。何入れたの?」


 どやっ、はっきり言ったったわ! 父さんは片手で顔を隠して天を仰ぎ、ニコラは気配を消している。すごいな、なんだかニコラが掠れて見える。なにかのギフトじゃないだろうな?


「あれえ? おいしくない? おかしいわねえ。隠し味にドギュンザーの実をすりつぶして入れてみたんだけど。あの実の苦味が牛乳のやさしさを引き立ててより甘く感じられない?」


 はい来ましたー! 翻訳の壁を超えてくる食材が! こちら特有の食材ということですわ。俺は知らないけど、とにかく苦い実らしい。そりゃこんな味になるよな。


「甘い味に苦味を加えても引き立たないと思うよ? なにより入れすぎたせいか苦さしかないし」


「そうなの、またやっちゃったのね……。今度こそはあなた達を喜ばせることが出来ると思ったんだけどなあ……。ごめんね?」


 母さんはへにょんと眉を下げて謝る。ほんと善意と愛情の料理だからNOと言うのはこちらにも罪悪感があるな。美味しいといって食べてあげることは出来なくもないけど、それで今後の宿屋の業績が傾いても困る。父さんとニコラにもこの断罪人の気持ちを少しは分かって欲しい。


 父さんの方をチラリと見ると、片手を縦に顔の前に掲げスマン! とジェスチャーしていた。そのジェスチャーってこの世界でも通じるのな。


 まあでもマズいはマズいが食べられないことはないし、なにより食材がもったいない。


「でも食べられないことはないから全部食べるね。今度は美味しいもの作ってよね!」


 とニッコリ。フォローを忘れない俺は実にイケメン息子であると思う。


 そして完食。……うっ、まだ口の中が苦いし、お腹の中も苦いスープで満たされてると思うと気持ちが悪くなってくる。これは早急に腹ごなしの運動が必要だな。とりあえずその辺を歩きに行ってくるか。


「ごちそうさま。それじゃあ近所の空き地に行ってくるね!」


 俺はスープを啜る機械と化した妹を厨房に残し、ひとり空き地へと向かった。

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