第三話

 見合い当日。ヴィクターは今日も今日とていつもと変わらず仕事をしていた。わざわざアドニスが城内に見合い席を用意してくれたおかげで、ギリギリまで執務室にいることができている。

 提案書を持って現れた貴族相手にあたってしまった気もするが……まぁ、いつもとさほど変わりないので問題はないだろう。


 時間の限り仕事を捌いているとセバスに肩を叩かれた。どうやらもう時間らしい。かけていた眼鏡をはずして、机の上に置く。肩を軽く回し、溜息を吐きながら立ち上がった。

 セバスから渡された普段よりも華美な装飾がついたコートを羽織り、手袋を装着する。セバスはヴィクターの前にまわると、ササッと襟首や装飾の位置を確認して離れた。



 セバスに見送られ、扉を開けるとガンッと何かにぶつかる音がした。驚いて扉の向こうを覗くと額を押さえて蹲るロベリアがいた。慌てて近寄り、押さえている箇所をみると、腫れてはいないが少し額が赤くなっていた。


「ロベリア医務室に……」

「大丈夫ですわ。そんなことよりもヴィクター! 結婚するって本当ですの?!」


 伸ばした手を初めて拒まれたことでヴィクターの顔に戸惑いが浮かぶ。その隙にロベリアは襟元を掴んで問い詰めようとした。しかし、ふと握っているその服が普段の趣とは違うことに気づく。ロベリアはゆっくりと手を離した。

 距離をとり、全身をその目に映してぽつりと呟いた。


「今から、その方と逢うんですのね」

「ああ」


 嘘ではない。結婚する相手と会うというのは本当だ。アドニスからどのように伝えられたのかは知らないが、誤解しているのならそのまましてくれていた方が都合が良い。————卑怯だと思われるかもしれないが、これもロベリアの為だ。


「そう……」


 ロベリアの瞳が揺れ、伏せられる。ツキリと胸が痛んだ。ロベリアを傷つけた余波が自分にも返ってきた。このまま突き放すのがベストだと頭では理解しているのに気づけば名を呼んでいた。


「ロベリア」

「……戻ります」

「ロベリア!」


 常とは違うロベリアの様子に取り返しのつかない選択をしてしまったのではないかという焦燥感にかられた。もう一度ロベリアの名前を呼ぶ。しかし、ロベリアは一度も振り返ることなく背を向け、行ってしまった。

 一部始終を見守っていたセバスが追い打ちをかけるような言葉を口にする。


「ヴィクター様、お相手との約束の時間が迫っていますが……いかがいたしますか?」

「……っ、行ってくる」


 吐き捨てるように言うと、拳をきつく握り、一度だけロベリアが消えていった方を見つめ……反対方向へと向かって歩き始めた。

 執務室にはヴィクターの背中を見送ったセバスが物憂げに佇んでいた。




 その後の見合いは言うまでもなく最悪だった。


 見合い相手は八歳年下の女性。一度婚姻歴があったが、子供ができる前に夫と死別していて、数年前には実家に戻っていた。若い頃には社交界の華だともてはやされていた人物で、今でもその美貌とプロポーションは変わらず保っていた。


 そんな彼女は今回のチャンスを絶対にモノにして、社交界に返り咲いてやると意気込んでいたのだが。

 見合いが始まって十分後にはこの場に来たことを悔やみ始め、今すぐこの場から逃げ出したいとさえ思っていた。それもそうだろう。いくら自慢の笑顔を浮かべ、豊富な話題をふっても、ヴィクターは「ああ」と「そうか」の二パターンで返すのみ。視線すら合わない。むしろ、だんだんと眉間の皺が深くなる。不興を買っているようにしか思えない反応。何度も沈黙が場を満たした。耐え切れなくなった見合い相手はとうとう泣き出してしまった。


 泣き出した女性に対してハンカチの一つを貸すわけでも、フォローするわけでもない。そんな素振りすらみせないヴィクターに女性は立ち上がって、「今回の話はなかったことにしてください!」とだけ叫んで走り去っていった。


 しばらくして、ヴィクターは「ようやく終わったか」と息を吐くと、立ち上がりその場を後にした。




 後に見合い相手の令嬢は仲の良い友人達との茶会で涙を零しながら語った。

「あれは見合いなんてものじゃないわ。まるで、拷問を受けている罪人の気分だったわ」と。多少盛ってはいるが、彼女にとってはが真実だった。その噂は未婚女性達の間に驚くべき早さで広まっていき、ヴィクターに見合いを申し込むような相手は二度と現れなかった。



 ————————



 ブーベン王国の第二王子一行は予定通り昼頃に到着した。

 ライアンは噂通りの美貌の持ち主だった。白磁のような透き通る白い肌に、癖の無い金髪と碧眼。どちらかというと中性的な容姿で、身長は百七十八センチ程度。少し華奢な体格ではあるが小柄なロベリアならばすっぽりと隠れてしまいそうだ。年齢はロベリアより五つ年上と少し離れている。とはいえ、ヴィクターと比べればその差も無いに等しいのだが。気がかりはライアンがどの程度女性が苦手なのかということ。友好的な笑みを浮かべてはいるが、王妃を前にした時だけ、明らかな作り笑いを浮かべていた。


 しかし、その心配はライアンとロベリアの顔合わせをかねた会食の席にて霧散した。


 アドニスと本人達を除く人々は目の前の光景に酷く困惑していた。その中には、宰相ヴィクターもいた。会食にライアンの従者や護衛騎士達も加わったのでその対応をする要員として呼ばれたのだ。


 外野を余所に、ライアンは蕩けるような笑みをロベリアに向けていた。演技をしているようには見えない。その証拠にライアンの従者も驚いたような表情で主を見ていた。

 ライアンはもちろんだが、ロベリアの様子も普段とは違っていた。くるくる変わる表情はなりを潜め、言葉遣いや仕草は洗練された淑女のよう。見た目だけがいつも通りだった。

だからこそ、普段のロベリアを知る面々は無理をしているのではないかと心配した。


 そして、ヴィクターは顔には出ていなかったが、おそらく彼らの中で一番ロベリアの変化に動揺していた。————『女性は失恋をすると綺麗になる』そんな言葉が頭をよぎる。


 ロベリアがヴィクターと結婚をしたいと言い出したのは、あくまで望まない結婚を避ける為の防波堤であり、そこに恋慕は含まれていない……と、そう勝手に決めつけていた。


 だが……もしかすると、自分は一人の男としてロベリアに求められていたのではないだろうか。


 ありえない可能性に気づき、ドクリと心臓が音を立てた。慌てて『そんなはずがないだろう』と一笑する。

ふいに脳裏をよぎるものがあった。ロベリアの酷く傷ついた瞳。時折見せていた物言いたげな表情。頬を染めてヴィクターの名を呼び、笑いかける姿。

 まるでパズルのピースが噛み合うように、思い浮かぶ全てがロベリアの気持ちを裏付けているように思えた。


 ようやく、ロベリアの気持ちに気付いたヴィクターの頬に朱がさす。だが……すぐに我に返った。

 だから何だというのだ。今更気付いたところで、どうすることもできない。自分にできるのはこのまま無駄な期待などロベリアにもたせずに、ライアンとのこれからを見守ることだ。


「ロベリア嬢……とお呼びしても?」


 ヴィクターが視線を向けると、ちょうどライアンがロベリアの名前を呼ぶ許可を願い出たところだった。ロベリアは完璧な淑女の笑みを浮かべ頷いた。


「もちろんですわ。私も、ライアン様とお呼びしても?」

「ええ。ぜひ、そう呼んでください。本当はライアンと呼んで欲しいところですが。それは、婚約してからの楽しみにしておきます。そうだ、アドニス陛下。例の件ですが彼女にお願いしても?」


 アドニスに視線が集まる。例の件とはいったい何のことだろうか。ロベリアをちらりと見ると、落ち着いた様子でアドニスの言葉を待っていた。


「そうだね。ロベリア。ライアン王子が滞在している間、城内や観光地への案内を任せてもいいかい?」

「もちろんですわ。お父様」


 ロベリアはすぐさま頷いて答える。その返事を聞いたライアンは嬉しそうにロベリアへ感謝の言葉を述べた。そのまま二人だけの会話が始まる。他の人々は、二人の邪魔をしないようにしながら各々会話と食事を楽しみ始めた。


 ライアンの提案に別の目的が含まれていることなど、この場の誰もが理解していた。それが、どういう意味なのかも。


 ライアンとロベリアが歓談するのを横目に、ヴィクターはブーベン王国の人々と会話をしていた。貿易や流通、武器、流行りの物等、多岐に渡る話題にそつなく答えながらも、心はざわついていた。


 せめて、ロベリアが一度くらいこちらを見てくれたら。


 そんなことが一瞬思い浮かび、驚いた。今自分は何を考えたのだろうか。まるで、これでは自分の方がロベリアを気にしているようではないか。ヴィクターは心を落ち着かせる為にワインを手にすると一気に煽った。会話をしていたライアンの護衛騎士達が「オー!」と感嘆の声を上げる。

 自分らしくもない行動をとってしまったことに焦ったが、強面の護衛騎士に「ブーベンに帰る前に酒を一緒に飲みにいかないか」と誘われて安堵する。飲みに誘われるのはいつぶりだろうか。ヴィクターは珍しく、素の笑みを浮かべると頷き返した。

 強面の騎士カイザーとの会話は思いのほか弾み、ヴィクターは気づけなかった。この時、ロベリアがヴィクターを見ていたことに。

この場でただ一人そのことに気付いていたアドニスは、手にしたワイングラス越しに二人の姿を捉えると、香りを楽しむフリをしながら、ほくそ笑んだ。

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