第二話

 数週間ぶりに執務室の扉が激しい音を立てた。ヴィクターは何食わぬ顔で手元の書類を伏せると、扉の方へと顔を向けた。

 突然の来訪者ロベリアと視線があう。どことなくいつもと違っているように見えてジッと見つめる。

 全身を見てその正体がわかった。今日ロベリアが着ているのは、淡いピンクのシフォン生地に極粒の宝石が控えめに散りばめられた少し大人びたドレス。似合わないわけではないが、普段の装いを見慣れているヴィクターには少々背伸びをしている印象を与えた。

 一方、ヴィクターに見つめられたロベリアは最初の勢いを無くして立ち止まり、視線を泳がせていた。けれど、このままでは埒が明かないと気合を入れて距離を詰める。


 どこか緊張した面持ちのロベリアがヴィクターの前に立った。————また、何かあったのだろうか。ヴィクターがそう尋ねるより先にロベリアが口を開いた。


 驚きの発言が耳に飛び込んできた。上手く脳内処理ができず、もう一度言って欲しいと頼む。ロベリアは真剣な表情で頷くと、「んんっ」と喉の調子を整え、再び告げた。



「ヴィクター。私と結婚してください」



 聞き間違いではなかったようだ。一体全体、今度は何があったというのか。

 ヴィクターはペンを机の上に転がすと立ち上がり、ソファーに移動した。いちごのクッションを取り上げ、空いているスペースを軽く叩く。

 ロベリアがすぐさまそのスペースにちょこんと座った。いちごのクッションを手渡すとぎゅっと抱きしめている。ロベリアの様子が落ち着いてきたのを見計らって尋ねる。


「今度は何があったんだ?」


「怒らないから話してみなさい」というトーンで問いかければ、ロベリアは一瞬ムッとした表情を浮かべたが、渋々話し始めた。


「お父様が次の婚約者をもう決めてしまったの」


 初耳だった。ヴィクターの眉間の皺がより深くなる。

 宰相の自分に話が届いていないという事実に、アドニスの何らかの思惑が働いているのではないかと勘ぐる。


「……そうか」


 とはいえ、国王アドニスが決めたことならばヴィクターが異を唱えることは出来ない。ロベリアは大変不満そうにしているが。婚約破棄から間を空けずに決めたということは、次の相手が相当な好物件なのではないだろうか。


「相手は誰なんだ?」


 ひとまずは相手がどんなやつなのか徹底的に調べる必要がある。ロベリアが傷つく顔など二度と見たくはない。アドニスかロベリア、どちらにつくかはそれからだと思い聞いてみた。

 ロベリアが浮かない表情でぽつりと告げる。


隣国ブーベンの第二王子ですわ」

「第二王子というと……ライアン王子か」


 ライアン王子の名と一般的な評判はヴィクターも知っていた。持ち合わせている情報だけで言えば確かに好物件だ。ただ……一つだけ見過ごせない点があった。


「だが、確かあの王子にはすでに婚約者がいるはずだが」

「ところが、にも私と同じタイミングで、婚約が白紙になったらしいのですわ。それで、ぜひ私のお相手に……という話になったのですが。……正直ありえませんわね」


 確かにこのタイミングで第二王子の婚約が白紙になるのはあからさますぎる。ぷくりと頬を膨らましているロベリアも政略的な婚約ものだと分かってはいるのだろうが、それ以上に婚約破棄された自分とライアン王子の元婚約者を重ねて嫌悪感を覚えているのだろう。その証拠に、最後のセリフにはただならぬ怒気が籠っていた。


 なるほど、その打開策として思いついたのが『ヴィクターとの結婚』だったのか。本当に結婚するかどうかは別として、婚約者が『ヴィクター』というのは確かにいい防波堤になるだろう。————ようやく、ロベリアの発言が腑に落ちた。


「第二王子はこちらの返事を待たずに、すでに国を出たらしいのですわ。第二王子が到着する前に、ヴィクターお願いです。私と結婚……いえ、まずは婚約してくださいませ!」


 ロベリアがヴィクターの手を両手で握る。その手が微かに震えている事に気がつき、思わず言葉に詰まった。しかし、頷くわけにもいかない。ヴィクターは言葉を選びながら慎重に口を開いた。


「ロベリア。申し訳ないがそれは……」

「ヴィクターは私が……嫌い?」

 

 これが、ロベリア以外の相手から言われた言葉だったら遠慮なく冷たい視線を向け、辛辣な言葉を返していたことだろう。だが、相手はロベリアなのだ。

 相手を気遣う事などほぼしたことのないヴィクターは、一体どう返すのがベストなのかわからず答えられないでいると背後から咳払いが聞こえてきた。

 意を決して、できるだけ傷つけないように答える。


「嫌い云々ではなく。まず、俺とロベリアとではあまりにも年が離れすぎている」

「政略結婚ではままあることだわ。ほら、好色ジジイの元に嫁ぐ幼妻なんて話、珍しくはないでしょう?」


 ロベリアの直接的な表現に衝撃を受ける。————おい、誰だ。ロベリアに『好色ジジイ』なんて言葉を教えたやつ。今すぐ出てこい。

 こめかみの血管がぴくぴくと動くのを自覚しながら、何とか言葉を絞り出した。


「それとこれとは話が違う。第一、俺が相手ではアドニス様の許しをもらえるはずが」

「大丈夫よ! お父様にはもうすでに伝えてあるから!」


 まさかの返しに思わず真顔になる。ロベリアの表情でなんとなく予想できてしまったが、その予想が合っているとは思いたく無い。————無いが、一応聞いてみた。


「アドニス様はなんと?」

「がんばってこい! と」

「なるほど」


 普段見せないあくどい笑みを浮かべるアドニスが脳内をよぎった。

 ヴィクターの頬が引き攣る。ちなみに、後ろで控えているセバスも別な理由で頬が引き攣っていた。


「ロベリア。申し訳ないが、俺は生涯独身でいるつもりだ。ロベリアがどうこうではなく、誰ともするつもりが無いんだ」

「……それは、どなたか心に秘めた方がいらっしゃるから?」


 ロベリアが恐る恐るといった風に聞いてくる。

 思わず瞬きを繰り返してしまった。


「いや? そんな人はいないが」


 途端に晴れやかな顔を浮かべるロベリア。


「わかりましたわ。それならば、ここは一旦引きます。それではごきげんよう!」


 何が『わかった』なのかもわからないまま、台風のごとくロベリアは執務室から飛び出して行った。呆気にとられ、固まってしまったヴィクターの背後にセバスが立つ。そして、呟いた。


「諦めたようには全く見えませんでしたな」

「……」


 セバスに何も言い返せなかったのは、ヴィクター自身もそう思ってしまったからである。

 そして、宣言通り(?)翌日からロベリアの怒涛のアプローチが始まった。


「ヴィクター。お昼ご一緒しましょう!」


 ある日は、手作り(ほぼ料理長作)の昼食を持参で突撃。


「ヴィクター。まぁ、図書室へ? 私もご一緒していいかしら?!」


 また別の日は、偶然出くわしたというていで図書室デートを敢行。


 そして、事前にセバスから聞き出したヴィクターの休憩時間を狙って執務室を訪れること数十回。さすがのヴィクターもこの猛攻撃には参っていた。

 どうすればロベリアを傷つけずに諦めさせることができるのかとアレコレ考えていた頃、国王から呼び出しがかかった。


 普段ならば呼び出し理由を予測して、アドニスの元へ行く前にある程度処理しておくのだが、如何せん今回の呼び出し理由がロベリアだった場合を考えると柄にもなく尻込みしてしまう。

 とはいえ、行かないという選択肢はないので、重い腰を上げて向かった。


 アドニスはいつも通りの朗らかな笑顔でヴィクターを待っていた。しかし、ヴィクターにはその笑顔がのあるものにしか見えなかった。

 ヴィクターの警戒を余所に、形式上の簡単な挨拶が済むと早速本題に移っていく。


「ブーベン王国の第二王子から明日の昼頃にはこちらに着くと連絡があったよ」

「承知しました。準備はすでに整っております」

「そう。……で?」


 。そう直感した。決して動揺は見せず、努めて事務的な言葉で返す。


「その『で?』とはロベリア様のことでしょうか」

「もちろんそれしかないよね。で? タイムリミット間近なんだけど、ヴィクターはどうするの?」

「どうするといわれましても、私はすでにロベリア様の申し出にお断りをしています。……私のような者よりも、もっと相応しい方はいくらでもおります故」

「ライアン王子のような? どうせ裏取りはすでに終わっているんでしょう?」

「……はい。ロベリア様は婚約白紙の件でライアン王子に悪印象を受けたようですが。ライアン王子を調べてみたところ、元婚約者との関係は良くも悪くも事務的で、かといって女癖が悪い訳でも無く、むしろ女性を苦手としている節がありました。一連の動きはライアン王子というよりはブーベン王国の総意ととった方が良いでしょう。あちらから申し込んできたのですから、よほどライアン王子が愚かでない限りロベリア様を疎かに扱うことはしないでしょうし、浮気の心配もありません。……お相手としては及第点かと」

「そう。それを聞いて安心したよ。なら、コレ」


 差し出されたのは遠い昔に見たことがある白い台紙。開かなくても予想できるソレをまるでかたきを見るかのように睨みつけた。だが、アドニスは差し出す手を戻そうとはしない。仕方なく受け取った。


「最終判断は君に任せるけど、お相手と会うのは強制だから。ロベリアの為にもね」


 そう言われてしまえば従わざるをえない。ヴィクターはせめてもの抵抗に黙って頭を下げ、退出した。閉めた扉の向こうから忍び笑いが聞こえてきた。否、聞かせてきたというべきか。ヴィクターは踵を返すと、己の執務室へと歩き始めた。

 悲運にも向かい側から歩いてきた文官は遠目からヴィクターを視認すると、慌てて端によけた。できるだけ己の気配を消して魔王ヴィクターが過ぎ去るのを待つ。姿が見えなくなると安堵からアドニスの部屋に入って開口一番にその旨を告げてしまった。渡された報告書に目を通しながら聞いていたアドニスは「そう」とだけ言うと何故か愉快そうに目を細めた。

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