冷酷無慈悲な宰相は小動物系王女に振り回される

黒木メイ

第一話

 エストリア王国。国土はさほど大きいとは言えないが、他国との貿易が盛んで、先進国の一つとしても注目されている国。


 初めてエストリア王国へ訪れた外交官達は皆、いかに国王に気に入られるかを考え、国王と会うは一寸の隙も見せないとばかりに気を張っている。そして、実際に国王と会い、驚愕するのだ。————自分達が想像していた国王像とは全く違う、と。

 もはや実年齢が予想できない程の幼顔。王座に座っていなければ国王だとはわからなかっただろう。見た目だけでなく、国王が浮かべる朗らかな笑みがさらに見た者に彼が害意の無い人間だと印象付ける。


 故に、皆国王に会った瞬間に安堵するのだ。————なんだ、そんなに警戒する必要はなかったか……と。


 だが、次の瞬間その考えは打ち砕かれる。国王に名を呼ばれ、現れた人物を見て、彼らは認識する。————魔王が現れた、と。


 漆黒の髪は全て後ろになでつけられ、露わになっている額には深い皺が縦に刻まれている。切れ長の黒目を向けられると、睨まれてもいないのにまるで睨まれている心地になる。口元を見ても口角は少しも上がっているようには見えず、むしろ真一文字に閉じている。一見して、すこぶる機嫌が悪いようにしか見えない容貌。

 先程以上の緊迫感を覚える外交官の耳に、低く腹にくる声が届いた。まるで死刑宣告をするかのように淡々と両国の外交について説明する宰相。そう、彼はこの国の宰相なのだ。本来自国の外交官が説明する内容を宰相が一人でしているのだが、自国の外交官当人さえも口を出すことなくただ端っこで怯えた様に俯いている。その様子がさらに来訪した外交官の恐怖を煽った。————ふと、宰相と視線があう。


 気付いた時には両国の貿易契約が締結していた。エストリア王国に有益な形で。その後、外交官は逃げるようにして母国へと帰り、すぐさま主へと報告をした。


 エストリア王国には安易に触れてはならない人物がいる、と。


 無慈悲で冷酷な宰相ヴィクター。国に不利益をもたらすものならば誰であろうと処分する。例えそれが血縁者であろうとも、国の為ならば率先して切り捨てる。

 最近では水面下で、今のエストリア王国を牛耳っているのは宰相なのではないかという噂がまことしやかに囁かれていた。さらにはその噂を裏付けるようなヴィクターと実際に対面した人々の証言。『彼がいるうちは下手な策略は打てない』という認識が近辺国に広まった結果、エストリア王国は多国と非常に良好な関係を結び、着々と貿易事業を拡大し続けている。



 という噂は、ヴィクターの耳にもしっかりと届いていたが、特段何もせずに放置していた。大半が事実であり、事実にしておいた方が都合が良いという点もあったからだ。


 そんな自他ともに認める男にも、苦手な人物がいた。現国王アドニスの娘ロベリア。

 直属の部下でさえ、ヴィクターとは距離をとろうとする中、何故かロベリアだけは幼少期から懐いていた。ヴィクターがどんなに無表情で接しようとも、泣くことも怯えることも無く、むしろ笑顔で抱っこを迫ってくる強者つわもの。さすがのヴィクターも国王の娘となれば無下にもできず請われるがまま、抱き上げていた。

 ロベリアは社交界デビューをする年齢になるまではヴィクターの執務室に入り浸っていた。ヴィクターが執務をしている間は大人しく待ち、ヴィクターが一息つくタイミングを察知すると、よじ登って膝上に座りかまってもらう。——というのが一連の流れだった。ロベリアを迎えに来たアドニスはこの光景を見ても驚くことなく微笑まし気に笑ったが、ヴィクターを幼少期から知る老齢の側仕えセバスは思わずハンカチで目元を拭いたという。

 ちなみに、偶然執務室を訪れてしまった者は、書類を置き慌ててその場から逃げ出した。その後、口止めをしたわけでもないのに何故か箝口令がしかれていたという。





「ロベリア様もとうとう結婚ですか」


 しみじみとセバスが告げる。独り言のつもりだったのだが、ヴィクターから返事が戻ってきた。


「ああ。そうだな」


 セバスはヴィクターが背中を向けているのをいいことに瞠目した。


 鬼やら、悪魔やら、魔王やらの二つ名を持つような方ですが、さすがに可愛がっているロベリア様が結婚してしまうとなると寂しいのでしょうな。特に、ヴィクター様は生涯独身を貫いている方。お子様がいない分、まさにそのような感情をロベリア様に抱いていたのやも……。


 セバスが勝手に主の心情を推し量っていると、ヴィクターに名前を呼ばれた。動揺を表に出すことなく返答する。


「花を……祝いの花を手配してくれ。ロベリアが喜びそうな花を」


 セバスは思わず口元を覆った。初めて、主が女性に花を贈ると言ったのだ。すぐさまセバスは頷いた。


「承知しました。ロベリア様が好きそうな可愛らしい花を必ずやご用意してみせます」


 ヴィクターがゆっくりと振り返る。その表情はやはり普段とは少し違っているようにみえた。ヴィクターが口を開こうとした瞬間。けたたましい音とともに執務室の扉が開かれた。


 野生のイノシシでも侵入してきたのかと言いたいところだが、この入室の仕方には二人とも心当たりがあった。先程話題に上っていたロベリアだ。


 ストロベリーブロンドのふわふわとした髪に大きな目。何も塗っていなくてもプルプルとしている唇。走ってきたのだろうか頬はチークを塗ったかのように桜色に染まっている。少女然とした可愛らしいフリルのたくさんついた服と小さな身長が相まって、実年齢よりもだいぶ幼く見える。どう見てもロベリアはアドニスの血を色濃く受け継いでいた。多少元気すぎる面はあるが、くるくる変わる表情は可愛らしく、多くの民からも愛される存在。


 そんな彼女が後一年もせずに公爵家の次男と結婚する……男二人は揃ってなんとも言えない気持ちになる。


 二人の鬱々とした空気を蹴散らすかのようにロベリアは開口一番で衝撃の一言を告げた。


「私、婚約破棄しましたの!」

「そうか……ん? い、今なんと言ったのだ?!」

「だーかーら、私婚約破棄しましたの! あのクソ男と!」


 ロベリアの口からクソ男という言葉が……思わずヴィクターが現実逃避しようとしたところ、セバスから背中を押されて我に返る。誤魔化すように一度咳をすると、ロベリアにまずはソファーに座るように促した。


 ロベリアはいちごのクッションが置かれた場所に座る。ちなみに、いちごのクッションはロベリアが以前持参した物だ。最低限必要な物しか置いていない執務室でソコだけが異彩を放っている。

 ちなみに、誰もなぜソレがあるのかをヴィクターに聞けないでいる為、『執務室の謎』の一つになっている。


 ロベリアはいちごのクッションを抱き抱えるとムニムニと揉みながら話し始めた。


「あのクソ男、浮気していましたの。しかも、と」

「は?」

「たまたま事前に連絡するのを忘れて訪問した時に、玄関先で帰ってきたばかりのフービン公爵と顔を合わせまして、案内してもらいクソ男の部屋を訪れたんですが……ちょうど二人は交尾中で、フービン公爵は激怒。その場は修羅場と化し、私も負けていられないとクソ男にどういうことかと尋ねると……言われましたの」

「何をだ?」


 思わず声に殺気を滲ませてしまったが、ロベリアはちらりとヴィクターを見ただけで口を尖らせたまま話を続ける。


「『お前みたいな子供をもらってやるだけ光栄だと思え』と。私、思わず汚らしいピーを力の限り蹴りあげていましたわ。……今後使い物にならないかもしれませんが、自業自得ですわ。公爵様も怒り心頭でその場で離縁を決め、国王お父様にも直ちに報告。婚約は破棄になり、問題の二人は仲良く国外追放が決まりました。手のひらを返したようにわーわー泣きつかれましたが……もう顔も見るのも嫌でこちらに逃げてきましたの」

「……それは、つまりそいつらがまだこの城内にいるということか?」


 ゆらりと立ち上がったヴィクターが、壁に飾っているを手に取る。後ろで話を聞いていたセバスも止めはしなかった。彼にとってもロベリアは可愛い孫のような存在なのである。後二十年、いや十年若ければすぐにでも部屋を飛び出ていたことだろう。


「いいえ。お二人はすでに監視役の手によって城外へと運ばれていきましたわ」


 監視役……本来の仕事は暗殺部隊、別名『ロベリアちゃん見守り隊』が物理的に二人を運んで行った。多少欠損部分がでてしまったとしても生きていれば構わないと国王直々の命を受けて。ロベリアは知らないだろうが、国王の裏の顔をよく知っているヴィクターは、それならばと剣を元の位置へと戻した。


「ヴィクター。ここにきて」


 久々の甘えたモードにヴィクターは一瞬躊躇したが、結局ロベリアの隣に座った。すぐさまロベリアが横から抱きつき、ヴィクターの胸板あたりに顔を擦り付ける。ヴィクターは不器用ながらもできるだけ優しく頭を撫でた。胸元あたりが湿ってきたが気にせず撫で続ける。例え嗚咽が聞こえてきたとしても、ただひたすら撫で続ける。それが、ヴィクターに思いつく唯一の慰め方だった。


 セバスは二人の様子をしばらく見守った後、そっとその場を離れた。彼女が好きなストロベリーティーを淹れてあげるために。


 タイミングを見計らってセバスが戻ってくると、おやと呟いた。


「……寝てしまわれたのですか?」

「ああ」

「そうですか。なら、後程淹れなおしましょう」

「そうしてやってくれ」

「……ヴィクター様は彼らに何もしないおつもりですか?」

「俺がそんな優しいやつに見えるか?」

「全く。そのようなお姿は……見たことがありませんな」


 言外に、ロベリアだけは例外だと伝えると、ヴィクターも自覚があるのか、苦い笑みを浮かべた。


「んっう」


 寝づらいのか声を微かに漏らした彼女の頭をそっと己の膝上にずらして、その頭を軽く撫でる。ロベリアの口元が少し緩み、ふにゃりと笑った。その変化を見ていた二人の目も安心したように細まる。


 ロベリアには笑顔がよく似合う。早く、クソ男つまらないこと等忘れてしまえ。


 ヴィクターらしくもないが、そう思わずにはいられなかった。

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