7.「小説じゃない」と感じる理由としての「刷り込み」
「小説じゃない」と感じる理由が、「説明不足な文体」や「テンプレ展開」なのだとして、どうしてそんな小説が多いのかの愚考を5と6で語りました。
でも、おそらく「なろう小説は小説じゃない」と感じる方の何割かは、「いやいやそれもあるけど、そうじゃなくて」と思われるのではないかと思います。
「小説じゃない」と感じる理由。
実際、散々なろう小説をかばうようなことを書いている自分自身でさえ、なろうサイト様にある小説を無作為に十作品えらんだとして、確実に全部読んで理解できるかというと自信がないのです。
(自分が読んだ量にしても、七十万分の千と、全体の約0.0014%しか読めてない。最終的に1%……は多いので、せめて一万作品くらいは読みたい)
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(自分が読んだ作品をメモしていて、約千作品読んだ時になろうサイト様にあったのは約七十万作品だった。今さっき見たら八十七万三千十一作品に増えてた。1%はとても読めない)
自分がどうして読む自信がないのか考えてみます。
その理由のひとつが、自分はポンコツAIなため、話の筋道がハッキリしていないとどう思えばいいのかわからなくて困ることなのですが(異世界ものでも着地点がわからないふんわりした内容だと作者の意図を読み取れなくて、そんな自分にガッカリして脱落する)、他にも理由があります。
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そんな自分にとって長いタイトルは覚えにくい難点はあるものの、「どういう風に読んでほしいのかわかる」という意味で助かります。
長くて完結していないと、連載途中でも登場人物や世界観を忘れてしまうので、長くて未完結な作品ほど途中で脱落しやすい。
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ネット小説は長い作品が多く、長くても世界も人物もハッキリしていれば覚えていられて更新を心待ちにできるのだけど、うすくて忘れてしまうと更新分を読むたびに何回も読み直すことになる。もういっそ最初から読まないか、できれば完結してから一気読みしたい。
どうしても苦手な文体がある。
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基本的にはどんな文体でも読めるんだけど、イメージしにくいというような具体的な理由じゃなく、「この文章はムリ」というのがあって、それだけは話がどうこう以前に読めない(男性向けの作品に多いので、明らかに男性向けっぽい作品は読まなくなりました。半分捨ててるようでもったいないけど仕方ない)。
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これ、わざと読んで確かめてみました。苦手な文体を読むとき、自分の文章が副音声みたいに頭の中で同時に流れてきて混乱しました。だいぶ違うけど、外国語を訳しながら読んでいるのに近い感じです。読めなくはないけどすっごく疲れる。
極端な話、自分は、「男性向け」で、「なにが言いたいのかわからないふわっとした筋道」の、「とっても長い未完結作品」だと、高確率で脱落するので、申し訳ないけど、自分から読もうとは思わないです。
(自分にそういう苦手ジャンルがあるので、異世界ものが受け付けないという方の気持ちもわかる気がします。できれば読みたくないですよね)
この3つは、まだカタチのはっきりした、わかりやすい理由です。
もうひとつ、どうもよくわからない「根本的にムリ」というのがありました。
言葉にすると「都合が良すぎる展開」なのですが、「そんなこと言い出したら、すべての小説は主人公にとって都合良く進んでこそ話が進むのに、なに言ってんだ」と書き手としては思うし、読み手としても、「いや、それはわかってるし、そうなんだけどそうじゃなくて、なんか気持ち悪い感じがするんだけど」と、どうしてもゆずれない部分。
これ、だいぶ考えたのですが「刷り込み」みたいなものなのかな、と。
自分が最初に出会った物語はおそらく日本昔話でした。
その後、教訓的な童話、名作児童文学、ジュニア文庫、大衆小説、二次小説、ミステリ小説、ライトノベルと読み進めてきました。
そんな中ずっと、自分の根本には初めのほうで刷り込まれたであろう「良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば報いを受ける」というのがあるのです。
うまく表現できてないですが「勧善懲悪の物語じゃないと認めない!」というわけではなくてですね。作品に物語として現れることもあるけれど、作品の向こう側にうっすら透けて見えるその人の人生観みたいなのです。
それがない(自分が読みとれない)小説だと、どれだけ文章がうまかろうが、世界観が素晴らしかろうが、「表面上だけで語られても」と理不尽に思えてしまう。
読みとれても、自分の刷り込まれた信条に反していると、自分にとっては気持ちが悪い。
2で書いた、自分が昔話である「アリババと40人の盗賊」や「アラジンと魔法のランプ」で覚えた違和感は、どちらかというと「気持ちが悪い」というよりも、自分には「昔話は教訓的な内容であるはず」という「思い込み」があり、そこから逸脱している2作を異質に感じたのです。
もし、この2作が現在の日本で日本人が書かれたものだったとしたら、「気持ち悪い」に移行したのですが、この2作は大昔の異国に住む異国の方が書かれた物語でした。
だから自分は「当時はきっと安全性にかける国で、小さい頃から危機感を煽る物語が喜ばれたのかもしれない」と勝手に解釈して、「昔話としては異質だけど、国民性によるものなのかな」と思ったのです。
「異質に感じること」と「気持ち悪い」のふたつは似ているのですが、ちょっと違います。
(実際のところ、あの2作が書かれた時代にその国がどんな様子だったのかも、あの2作がそもそも子ども向けか大人向けかも知らないので、いつか調べてみたいです)
長くなりましたが、以上のことから、おそらく「なろう小説は小説じゃない」と感じた方は、その方の「小説とはこういったものだという、その方の思う小説のかたち」あるいは「その方にとっての刷り込まれた信条」と、たまたま読んだなろう小説が、なにかしら違ったのだろうと思われます。
ラノベは一般的な小説とは違って、「ライトノベル」という通りに読みやすくわかりやすく書かれています。児童文学的な教訓もほとんどなくて、読んでいて、面白くて気持ちよくなれる作品が多い。もちろんそれだけではないですが、従来の小説とはやはり少し違います。
その上なろう小説は、ゲームっぽい異世界ものにあふれています。
発言者様が普通の小説を好きで、今まで読んできた小説によって作られた「小説像」を持っているのなら、「異質」という意味で「小説じゃない」はすごく真っ当な反応だし、「気持ち悪い」なら「もっと素晴らしいなろう小説もあるのに、運が悪かったんだなぁ」と思いました。
で。
自分はすでにいい年で、どんな作品だろうと、読んだり読まなかったりを取捨選択できるようになりました。
どう思ったらいいのかわからなかった名作も、そろそろ理解できるんじゃないかと思い、小学生と一緒に「ここがポイント(この小説のテーマはコレ! と明記されている)」を読んでから本文を読むと、なんとなくわかるような気がしてきました。名作を読み尽くす頃にはもっとわかるようになっていると嬉しいです。
基準がないなりに年を重ねているので、たとえ「これがここでイチオシの作品なんですよ!」と言われても、「そうなんですか(でも自分の好みとは違います)」と不遜にも思えるようになったのですが。
もし、今までに昔話を読んでもらったり、古き良き児童文学的な本を読んだりしなかった子どもが、大人からしたら微妙な作品に出会って初めて感動したとしたら。
その子の「刷り込み」は「2.昔話を知っていますか」でお話ししたあの「油断したら殺されるから、利用できる物は利用して、いつでも気を抜かないようにして生き延びろ!」になる可能性があるのです。
すでに「刷り込み」があったり、そこそこ年齢がいっていたりすれば、同じ作品を読んでも、「主人公はなにもしてないけどスリリングなのがいいね」「主人公に都合が良すぎるけど面白い」と思い、違和感を覚えつつ楽しめるのですが、自分のように基準のない読み手だと、「油断したら殺されるから、利用できる物は利用すればいいんだ」「主人公とは優遇されるものなんだ」と認識して刷り込まれる可能性が出てきます。
もちろん、そんな簡単に刷り込まれないとは思いますが、もし、そんな刷り込みをされた人が増えたら、美徳とされている「正直」や「誠実」さがなくなって、今より自己中心的で殺伐とした世界になりそうだなぁとこわくなりました。
自分は、日本昔話みたいに、正直に生きてきた人が長生きできて、最終的に幸せになるような世界を望みます。
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