第6話 明日に向かって 3

「やあ!待たせたね!」

そう言いながら車のドアを開け、後部座席にペキを座らせた。

「オモチ、ご挨拶しなさい。」

助手席に乗っていたオモチはちょっと不機嫌そうに、前方を向いたままだ。

「はじめまして、オモチです。」

「やあ、ちっちゃくて可愛いな」

「可愛いのは当たり前、小学生なんだからちっちゃいのは仕方ないでしょ、その内あなたみたいにでかくなるわよ。」

「あ、あぁ、そっかあ。」

ペキはジンジャーに小さな声で

「この子どうして怒ってんだ?」

ジンジャーは、さぁどうしてだろ?肩と腕を同時に少しだけ動かし解らないとポーズをとった。

「ところで貴方のお名前教えてくれる?」

ジンジャーがすかさず

「お兄ちゃんは名前もまだ思い出せないんだよ。」

「えっ!自分の名前も分からないの?」

オモチはおもわず振り返りペキを見た。

ペキはばつが悪そうに苦笑いすると窓の外に目をやった。

「オモチ、ちゃんと前を向いて座りなさい。」

ジンジャーに促されて前を向いたオモチはため息混じりに小さな声で

「こりゃあ大変だあ。」

ジンジャーはオモチの小さな膝をポンと叩いて

「さあ、出発だ!」

勢い良く車は走り出した。

駐車場の木陰から走り去った車をアンチョはしっかり見ていた。

「こんな所に隠れてたのか。おい!しっかり見張ってろよ!」

手下の悪魔の襟をおもいっきり掴んで去って行く車を見せ付けた。

「痛いっす、分かりましたからアンチョ様、痛いっす。」


ペキは窓の外をずっと見ている。

「何考えているんだい?」

ジンジャーはペキの様子を気にして尋ねた。

「この町の何処かで俺は生まれたのかな?」

「もしかしたら、本当は案外ご近所だったりしてさ。私達、何処かですれ違った事有るかも!」

すかさずオモチが嬉しそうに言った。

「だよね、パパ?」

「ああ、オモチの言う通りだ、近くの学校に通っていたかも知れないなあ。」

「そ、そっかあ、其れも有りだよな。」

ペキの顔が少し明るくなった。

「じゃあその辺を一回りしてからお昼にしよう。」

一時間ほど車を走らせ町の中を見て回ったが、さすがにオモチが退屈になってきた。

「ねえ、私アイスが食べたい。」

「アイスもいいけど、ご飯が先だよ。デザートは、アイスで決まりだな。」

バックミラー越しに

「君もお腹空いただろ?其処のピザが結構旨くてね、よく利用してるんだよ。公園で一休みして腹ごしらえだ。」

「そう言えば俺も腹減ったなあ。」

食事は心を和ませる力があるらしい、オモチがクスクスと笑うと続いて二人も笑った。

公園の芝生に座りペキ達はピザを食べている。

「ねえ、何か思い出した?」

オモチが尋ねた。

「全く!なんにも思い出せない、笑うしか無いよな。」

ペキは潔く言った。

「大丈夫、本当に何にも思い出せない時は、私が貴方の名前考えてあげるからね。」

「えっ!オモチが俺の名前を?さすがにそれは遠慮するぜ。」

「心配しないで、名前を考えるのは得意だから。」

そう言いながらオモチはペキの肩をポンと叩いた。

「全く。」

ペキは呆れてジンジャーの顔を見たが、ジンジャーは苦笑いで誤魔化している。

食事も済み再び三人は車を走らせる、オモチはお腹が満たされたのか眠ってしまった。車が行き交い歩道は人で溢れている。活気に満ちた町中の何を見てもペキの過去を甦らせる物が見当たらない。ペキは絶望にも似た気分の中、ペキが発見された工事現場へと向かったが、

ほぼビルの体を成しているので、もはやペキがどの辺りに埋まっていたのか検討も付かない。

「ちょっと来るのが遅かったなぁ。」

ジンジャーは残念そうに言った。

「此れじゃ作りかけのビルを見に来ただけだね。」

オモチが被せて言うと、何にも思い出せない苛立ちからペキは

「だから俺は嫌だって言ったんだよ、大体こんな所に来て何かを思い出す訳ねえだろうが!」

「そんな事言ったら許さないよ!パパは貴方を心配してるんだからね!」

ペキの言葉にすかさずオモチが食らいついた。

ペキは小さな少女に思いがけず叱責され、気まずそうにチラリとジンジャーを見ると、ジンジャーは申し訳なさそうに微笑んでいる。ペキは

「悪かったよ…。」

と、ぽつりと呟いた。

オモチはばつの悪そうなペキの顔と、父のいつもの優しい笑みを交合に見て満足げに頷き、咳払いをし腕組みをすると、

「そうね、今回だけは許してあげる。ねえパパ、いいでしょう?」

「ああ、勿論だよ。オモチが怒ると怖いからね。」

「その通りだな。」

ペキは苦笑いしながら言った。

「じゃあお詫びに私を肩車して車迄連れてって!」

「ああ、御安い御用だ。」

ペキはひょいとオモチを肩に乗せオモチの笑い声と一緒に走って行く。

「子供ってのは友達になるのが早いなぁ、羨ましいよ。僕も仲間に入れてくれ~。」

そう言ながらジンジャーは後を追いかけて走って行った。

車を30分も走らせると、並木道の奥に教会が見えてきた。

「此処はママのお墓なの。」

「ママのお墓?」

「ああ、私の妻の墓だ、二年前に僕達を置いて天国へ行ってしまったんだ。」

駐車場に車を停めながらジンジャーは寂しそうに言った。教会の中に入ると高い天井と祭壇、冷たい空気がペキ達を包んだ。ペキは脇のステンドグラスに書かれてある天使の姿に引き寄せられる様に歩いて行き、瞼を閉じてゆっくり天使の羽をなぞった。

「艶やかで…柔らかい羽、やさしい香り…懐かしい…」

オモチがペキをつつきながら、

「ねえ、天使に会った事有るの?」

ペキはゆっくり瞼を開け、天使の顔を見上げ、

「ああ、この手が覚えてる。」

何の躊躇も無く答えた。

オモチとジンジャーは顔を見合せ呆気にとられた。

「じゃあこっちに来て。」

オモチはペキの手を取り引っ張って行く。オモチの母親の墓石の前まで来ると、

「此処がママのお墓よ、ママは天使達と一緒にいるの?教えて。」

ペキは暫く考えていたが

「天使と居るとママは幸せなのか?」

「きっと幸せだと思うわ。」

ペキはオモチの前で膝まずき、

「オモチのママは天使達に囲まれてオモチとジンジャーを見守っているさ。」

「本当に!」

オモチは墓石に頬を寄せて

「ママ、天使達に囲まれて幸せなのね、一人ぽっちで寂しいんじゃないかって心配してたの、良かった。」

ジンジャーはペキを見て

「ありがとう。」

ぽつりと言った。

ペキ達が帰路に着いたのはとっぷり日が暮れてからだった。

ペキはあの天使の羽の手触りが忘れられないでいた。何故こうも鮮明に覚えてるんだろう、ペキはゆっくり目を閉じてもう一度手触りの感覚を思い出してみる。なんて柔らかい羽なんだ。暗く深い迷路の中に入って行くようだ。誰も俺を助けてくれない、、誰も。

ペキはその日、眠る事ができなかった。

其から数日後、ジンジャーがペキの居る病室へ入って来た。

ジンジャーは真面目な顔で

「今日は大事な話しがあるんだ」

「大事な話しって?何だ、そんな真面目な顔して?」

ペキは拳を作り、笑いながらジンジャーの白衣を軽くパンチした。

「君はもう此処には居れなくなるんだ。」

「ん、?何言ってんだ?」

「君より重い患者が沢山いるんだ、その人達の為にベッドを空けてあげないといけないだろ。」

「ちょっと待ってくれ、そんな事急に言われても俺はまだ何も思い出してないし…第一俺は此処が気に入ってる。」

ジンジャーは苦笑いをして

「此処は病院だからね、君が気に入っても、これ以上此処に居るのは無理なんだよ。」

「じゃあ俺はどうすればいいんだ、此処を出て何処に行けって言うんだ。」

ペキは不安げに言った。

「以前話したよね、前向きに考えようって、オモチとよく話し合ったんだが君、私達の家に来ないかい?」

「私達の家って、ジンジャーの家か?」

「そうだ、此処よりは自分らしく快適に過ごせると思うけどなあ、君の新しい人生だ、どうだい?」

ペキは少し戸惑いながら、

「でも、俺は何処の誰かも判らないんだぞ。」

「ああ、そうだな。」

「もしかしたら俺は犯罪者かもしれない。」

「ああ、そうかも知れないな。」

「それでもいいのか?」

「でも君をほっておく訳にはいけないだろ。君が過去を思い出して出て行く時は私も君を止めない。君は自由だからね。其れまでは君を喜んで受け入れるつもりだ。」

ペキは一瞬次の言葉が出て来なかった。

「ハハハ、、あんた本当にお節介だなぁ…其処まで言うんだったら行くしかないだろ。」

ペキは又拳を作りジンジャーの白衣を軽くパンチした。

「じゃあ決まりだな。但しオモチが多少うるさいかもしれないが、其処は上手くやってくれ。」

「ああ、分かったよ。」

ジンジャーは相変わらずにこやかな顔で部屋を出て行った。

ペキはジンジャーの出て行ったドアを見詰めながら、

「ありがとう。」

ぽつりと呟いた。







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