第一章 炎獅子の青年①

 目を開けると、白い世界にいた。

 一面、真っ白な雪で覆われている。しやへい物はなく、風にあおられたせつぺんくうっていた。けぶる銀世界で、飛鳥はただ一人、ぽつねんとたたずんでいた。

「……どこ? ここ……?」

 飛鳥は周囲を見回した。

 わたかぎり、だだっ広い雪原が続いている。当然だが、人の姿はかいだった。

 飛鳥はしゃがみ込み、水気をふくんだ雪をつかもうとする。しかし、飛鳥の手は雪にれるどころか、そのまますり抜けてしまった。

「えっ!? 通り抜けた!?」

 反射的に腕を引っ込め、まじまじとおのれの手を見つめる。心なしか、陽炎かげろうのように手のりんかくがぼやけている。足元に視線を落とせば、いているブーツのつま先が見えた。

「雪にもれていないって……もしかして、いてる?」

 これではまるでゆうれいみたいではないか。

 つぶやいた飛鳥は、気を失う前の記憶を必死にせる。

 東京駅の待合室から出たところで、黒い人物に話しかけられた。

 その時の様子を思い返し、ぞくりと背筋にかんが走る。

「確か……その直後にどっかで爆発が起きたんだよね?」

 冷静に思い返していくと、体ががくがくとふるえ出す。いまさら、その時感じたきようや不安が、全身に伝わってきた。震える両手を見下ろし、飛鳥はポツリともらす。

「私……死んだ?」

 全身をチェックするが、とくにをしている様子はない。

 ただけむりのように体が揺らいでいて、飛鳥の不安は一層強くなった。

 記憶では、落ちてきた天井が覆い被さってきた。

 そこから先の記憶はないが、まず無傷だったとは思えない。

 死んでしまった。

 頭に浮かんだその言葉が、飛鳥の全身に重くかってきた。

「誰かぁっ! いませんかぁっ! おーいっ!」

 声を張り上げてさけぶ。吹雪ふぶく風の音だけが、むなしく聞こえるばかりだった。

「私、なんでこんなところにっ立っているんだろ……?」

 半ば現実とうするように飛鳥は呟いた。

 真っ白に吹雪く世界で呟かれた疑問に、答えてくれる者はだれもいない。

 崩落したれきが辺りに散乱しているならともかく、いきなり何もない雪原が目の前に広がるなど普通はありえない。ここは東京駅とはまったく別の場所と考えるのがとうだろう。

「死後にもそうなんって……私、つくづく運がない?」

 どうしたものかと思案していると、背後で雪をみしめる音が耳に届いた。

「もしかして、人っ!?」

 飛鳥はパッと背後を振り向いた。彼女の希望は、あっさり打ちくだかれる。

 真っ白な毛並みを持つおおかみが、周囲の風景と同化するように佇んでいた。

 それも、飛鳥の知る普通の狼ではない。

 温かそうな毛並みの間から、所々に氷柱つららのようなものが生えている。全身からきようが生えているようなものだ。さったら確実に流血ものだろう。大きさも飛鳥の身のたけを優に超えている。こんな化け物サイズの狼など、日本ではついぞ見たことがなかった。

 飛鳥は身をこわらせた。

 狼はうなり声を上げながら一歩、飛鳥に近づく。

 明らかにこちらをかくしているようだ。

「気のせい……じゃないよね。ばっちりこっち見てるし……すごくうれしくないけど」

 飛鳥も狼が近づく分だけ一歩ずつ後退する。

「やだ……うそでしょ」

 顔を上げると、雪の中からいつぴき、二匹と似たような姿の狼たちが姿を現した。

 そう言えば、狼って群れで生活していたような……。

 飛鳥ののうに悲しい知識の断片がよぎる。彼女が下がった分だけ、狼たちはこちらを取り囲むように近づいてきた。しっかりロックオンされたらしい。

「言っとくけど、私を食べても何の腹の足しにもならないからね!」

 震える声でそう狼たちにうつたえる。こちらの言葉が届いているかどうかは絶望的だ。

 とにかくげなくてはならない。

 飛鳥は狼たちに背を向けて逃げ出した。

 訳のわからない場所で、いきなり狼とそうぐうしてわれるなどごめんである。

 狼の一匹が飛鳥の頭上を飛び越え、飛鳥の目の前に着地する。

 逃がす気はないとでも言うように、低くえた。

「ひっ……」

 狼の開いた口からするどきばがこちらに向けられた。

「いやっ、誰かぁっ!」

 飛鳥は頭をかかえて身を強張らせる。

「ぎゃんっ!」

 目の前の狼が悲鳴を上げ、いきなりほのおに包まれた。苦しげにぜつきようし、もんぜつしている。

 とつぜんのことに、飛鳥は目を見開いて固まった。

 狼たちは炎が飛んできた方角をけいかいしている。

 飛鳥も視線をそちらに向けた。

 燃え上がる炎が近づいてきた。

 目をらすと、それはのような姿をしている。

 全身の毛が炎そのもので、立派なたてがみだいだいから紅へと絶えず変化していた。身の丈は、三メートルを優にえているだろうか。飛鳥をおそう狼たちがひどく小さく見えた。

 まさにえん。ゲームやアニメで見るようなファンタジーな生き物が目の前にいた。

「あっ、終わった……私の人生」

 飛鳥は絶望のあまり、へなへなとその場にへたり込む。

「せめて……痛くないといいな」

 いのるような気持ちで飛鳥は固く目を閉じた。

 目の前までやってきた炎獅子は、ちらりと飛鳥をいちべつした。軽く鼻を鳴らしたかと思うと、炎獅子は遠巻きに威嚇する狼たちをにらえる。

 いつまでっても何も起こらないので、飛鳥はおそる恐る目を開いた。

ゆきおおかみどもが……」

 炎獅子は低く唸りながら人の言葉でき捨てた。

 飛鳥は思わず息をむ。とつに自分の耳に手をやってしまったほどだ。

「獅子がしゃべった……」

 狼たちも、人語をあやつちんにゆうしやに対して激しい敵意を向けている。

 一匹が吠えたのを合図に、狼たちがいつせいに炎獅子へと飛びついた。

「散れっ!」

 獅子の全身から炎が燃え上がる。

 飛びかかった狼たちは炎をもろに浴び、雪の上を転げ回った。

 それでも負けじとらいつく一匹に、炎獅子の太い前足がそのどうを踏みつけて押さえ込んだ。そのまま前足に体重をかけると、雪狼の胴が二つに割れる。

 氷のざんがいと成り果てた仲間を見て、狼たちが炎獅子からきよを取った。

 炎獅子は口を開いて鋭い牙を見せつけ、虚空に向けて吠える。炎獅子の周囲に小さな文字や模様のようなものが浮かび上がった。映画やまんで見たことのあるほうじんのようだ。そこから放たれた炎のかたまりが狼たちをきようしゆうした。

 どうにか生き残った狼たちは、果てた仲間のしかばねを置いて一目散に逃げ出した。

 炎獅子もそれ以上、狼たちを追う様子はない。

 へたり込んだアスカのそばには炎獅子だけが、王者の風格を持ってその場に佇んでいた。

 そのゆうぜんとした佇まいに、飛鳥は自分のじようきようも忘れて見入ってしまった。

「おい、そこのむすめ──」

 炎獅子のひとみがひたりと飛鳥に向けられた。あざやかなしんの瞳に、引きつった自分の顔が映し出される。飛鳥は顔から血の気が引いたのを感じた。

「おいしくないですよ! 腹下すこと受け合いです!」

「いや、食わねぇよ!」

 うでを突き出して主張する飛鳥に、炎獅子が叫び返した。

「でもでも、獅子って肉食だから……人間を食べたりしますよね?」

「確かに肉は好物だが、俺にだって好みくらいある。そもそも俺は人間だっ! 人間同族を食うようなしゆはねぇっ!」

「人間……?」

 炎獅子がまとう炎が、大きく波打った。獅子のりんかくくずれ、やがて大きな炎の塊となる。

 飛鳥が見守る中、炎の塊がじよじよに縮んでいった。

 やがて、視界をおおっていた炎がき消える。

 炎獅子の立っていた場所に、一人の青年がたたずんでいた。

 かつしよくはだをしたあかがみの青年だ。

 細身だが、引きまった筋肉をシャツに押し込み、脚衣ズボンにベストといった動きやすい服装をしている。両手足は籠手ガントレツトと具足で武装し、宝石のめ込まれたがくかんいただいていた。

 ひだりかたに引っけている外套マントには獅子とつるぎもんしようが刻まれている。背には彼の身長と同じくらいの大剣を負っていた。

「すごい……変身した」

 けものから人間に姿を変える様を間近でもくげきし、飛鳥はまじまじと青年をぎようする。

 ほうける飛鳥を、むしろ青年はなものでも見るような様子だ。

「こんなことはつうだろ。ったく、強い魔力を感じて様子を見に来てみれば……お前、こんな雪原のど真ん中で一体何をしていたんだ?」

 青年の言葉に、飛鳥は言葉を失った。

 人が獣に変身するのが普通だなどと、飛鳥の生まれ育った日本ではありえない。

 いやおう無しに、それは自分が置かれた立場を無情にもきつける。

 やっぱり、死んでごくに来たんだ。

 飛鳥はうなれた。死後の世界がこんなファンタジーな場所とはさすがに予想外だったけれども、夢にしては出来過ぎている。

 飛鳥は頭の中が真っ白になった。

 そのせいで、青年の呼びかけに反応するのがおくれた。

「……い。おいっ、聞いてんのか? もしかして、さっきの雪狼どももお前が呼んだのか?」

 だまったまま答えない飛鳥に、青年の目が鋭さを増す。彼は背に負った大剣のつかに手をえていた。それを見た飛鳥は、千切れんばかりに首を横にる。

ちがいます違います! 気づいたらこんなところにいて、私も何が何だかわからないんです!」

「なら、お前のその身体なりはどう説明するつもりだ? 肉体もなしにこの世にとどまっているなど、普通じゃねぇ」

 青年の言葉に、飛鳥はぴたりと動きを止めた。

 肉体がない。

 青年ははっきりとそう告げた。

 動きを止めた飛鳥を警戒する青年だったが、飛鳥は彼の様子など目に入らなかった。

「本当に……死んじゃったのかぁ……」

 飛鳥は自分の両手に視線を落としたまま、かわいた笑いをもらした。

「うん、そっか……やっぱり、他人の目から見ても、私……死んじゃったんだ。そっか、そっかぁ……」

 なみだは出てこなかった。まぁ、肉体がないのなら当然とも言える。

 今の飛鳥はばくれいのようなものなのだろう。


 ──人生はあっという間だぞ。


 祖父の言葉が思い出される。当時は笑ったその言葉を、今ならなおに受け止めただろう。

「おじいちゃんの言う通りだ……本当……死ぬってあつないんだね……」

 思い返すのは家族のことだ。社会人になって家を出てから、両親にもなかなか会いに行けなかった。祖母だって、今回のことで孫まで失ったと知ればさぞ悲しむだろう。

「あぁ……せめて、家族にお別れを言いたかったな」

 飛鳥は顔を両手で覆うと、身を縮ませた。

 涙は流れずとも、自分の中でうずく悲しみは消えてなくならない。このまま全身がぼうちようして、風船がはじけるようにばくはつしてしまいそうな心地ここちだ。

 肉体がなくとも、人は「痛み」を感じるのだと初めて知った。

「……家族」

 飛鳥を見下ろしていた青年は、家族という単語にぴくりと反応した。

 大剣の柄に添えていた手を静かに下ろす。

 青年はしばらく険しい表情で飛鳥を見下ろしていた。おもむろに目の前でひざをつく。

「おい」

 呼びかけに飛鳥は顔を上げる。

 青年は真っぐ飛鳥の瞳をえた。

「お前、生きたいか?」

「え……?」

 青年の問いかけに、飛鳥は間のけた声を上げた。

「今のままだと、お前は消えちまう。わかるか? このまま何もしなければ死ぬって意味だ」

 青年は飛鳥にも理解できるよう、しゆんじゆんしつつも真っ直ぐな言葉で事実を告げる。

 飛鳥は青年にげんな目を向ける。

 先ほど、彼は飛鳥に「肉体がない」と告げた。それはつまり死んでいるのと変わりないのではないか。生きたいか、とは何とおかしなことを聞くのだろう。

たましいが存在している状態の今なら、身体からだを作り直すことができるかもしれない。そうすれば、お前は死なないで済む。お前は……どうしたい?」

「そんなこと、できるものなんですか?」

 飛鳥は疑いの目で青年を見つめる。

「手段はある。だが、成功するかはお前だいだな」

 青年の表情はどこまでも真剣だった。こちらをからかっているわけではないらしい。むしろ真っ直ぐに向けられるそうぼうからは、づかいすら感じられる。

「このまま消えるか? それとも、助かる可能性を選ぶか?」

 青年はそこでなぜだか、自分が傷を負ったかのように苦しそうに顔をゆがめた。

「物事、命さえありゃ……何とでもなるもんだぞ」

 飛鳥は青年の言葉にうなずいた。

 青年の言葉がうそであろうとなかろうと、飛鳥は死んでいるのだ。

 もう失うものなどない。飛鳥は半ば、考えることをほうした。

「助かるのなら……」

「わかった」

 青年は頷くと立ち上がった。

「お前、名前は?」

「飛鳥です。紅坂飛鳥……」

「コウサカアスカ……? アスカってのが名前か? 変わった名前だな」

 青年はやや不思議そうに首をかしげている。

「俺はホムラ。フェルノ国とうたいの隊長をしている」

「ホムラ、隊長……さま、ですか? いや、隊長さま? フェルノ国、とーきたいさま?」

 今度は飛鳥が首を傾げる番だった。

 フェルノという単語に聞き覚えがない。どこかの国の名前だろうか。

「……ホムラでいい。俺もアスカって呼ばせてもらうから」

 軽くかたをすくめたえんの青年、ホムラはそう言ってしようした。

「この際だ、敬語もいらねぇよ。公式の場でもないし、もともと俺はそういうかたくるしいのは好きじゃねぇんだ」

「はい……じゃない、うん、わかった」

 ややぎこちないながらも、アスカは素直に頷く。

「さて、アスカ。これからお前の魂がしようもうしないように術をほどこす。きゆうくつかもしれねぇが、まんしろよ」

 ホムラがそう言うと、右手をこちらへかかげた。彼の手のひらを中心に、くうに複雑な模様がかび上がる。

 アスカは息をんで目の前のちようじよう現象を凝視した。

 またそこからほのおが飛び出してくるのかと身構える。

 ホムラのほうじんからこぼれた光は、アスカを傷つけることなく彼女の全身を包み込む。

 何やら光の球体の中で浮かんだ状態になった。

 子どものころに夢見た、シャボン玉の中に入ってしまったみたいだ。

「わぁっ……これは、一体?」

「そのままだと運べねぇからな」

 どこかわくわくした様子のアスカに、ホムラは回答とは言えない返事をす。

 アスカはホムラの意図がわからず、首を傾げた。

「運ぶ? どこへ?」

「ここから少し行ったところにガレルようさいがあるんだ。ひとまずそこへ行く」

 ホムラの全身が炎に包まれる。き上がる炎が、さきほど見た炎獅子の姿へと変わる。

 炎の中から紅の両目が浮かび上がった。

「うえっ、あああ、あ、あの!?」

「暴れんなよ、魂のそんもうが激しくなる」

 炎獅子の姿にもどったホムラが、アスカの入った球体を無造作にくわえた。

「ちょっ、えっ、やだっ!」

 おおかみたちとのせんとうを思い出し、アスカはきようから身を縮ませる。そんな彼女の心情などお構いなしに、ホムラはゆっくりと顔を上げた。

 アスカの視界は一気に高くなった。

 辺りの景色は変わらず、白一色だったけれども。

「とばすぞ!」

 言うが早いか、ホムラはけ出した。

「いやぁあああぁっ!」

 目を固くざし、アスカの悲鳴がを引いた。

 ガレル要塞の門をくぐるまで、アスカはホムラが自分をほうり出さないことを必死にいのるばかりだった。


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