第14話


 またしばらく一人で夜風に当たっていると、今度は見知った顔がやってきた。


「あら、リリさん。どうしてこんなところにおりますの?」

「なんだか眠れなくて。シャリアさんも?」

「……ええ」


 どこか遠くを眺めながらそう答えたシャリアさんは、心ここにあらずといった様子だった。

 そんなシャリアさんに声をかけるのははばかれたため、二人で夜の海を眺めていると、しばらくしてからシャリアさんがぽつりぽつりとしゃべり始めた。


「……リリさんは、今回は何をしに行く予定ですの?」

「魔核っていうのを取りに行く予定だよ。シャリアさんは?」

「私はライリザードの動向調査ですわ」


 ライリザードというのはゲル島の食物連鎖でも最上位に君臨している生物で、図体こそは小さい(といっても3mほどはあるのだが)ものの、硬い筋肉や鱗と鋭利な牙、そして俊敏な動きを併せ持ち、その脅威は類を見ない。

 そしてとくに厄介なのが頻繁に縄張りを移すことで、探索者たちの行進ルートに一番影響を与えているのがこのライリザードだった。


「ライリザードの動向調査って、どうやるの?縄張りに入っちゃったら、危険なんじゃないの?」


 ゲル島の生物に関しての知識は持っているものの、調査という点については何の知識もない私には、それがずっと不思議だった。


 他の生物に関してもそうだ。

 あの生物は火に集まってくる。

 あの生物は水を撒けば近寄ってこない。

 それらがどのようにして発見されたのかということは、一切知らなかったのだ。

 少し間を置いたシャリアさんは、その口を重たそうに開いた。


「まずは元の縄張りに行くところからですわね。護衛の方を先導で送らせて……帰ってこなかったら縄張りは移っていないと判断しますわ。

 もし縄張りが移っていたら、私たちがその痕跡から移動したと思われる方を特定して、そちらの方に何組か護衛の方を派遣。そして帰ってこなかった方を絞り込んでいって、新たな縄張りを特定する……という方法ですわね」


 私はその説明を聞いている間も聞き終わった後も、何も言うことができなかった。

 胸の奥が締め付けられて、それでも頭の中ではそうするしかないのだとわかってしまったため、声を出すことができなかったのだ。


「ダーディマさんは、それが人類の進歩のためだと言っていたけれど、本当にそうなのかしら……」

「それは……」


 シャリアさんの問いに、私は何も答えられなかった。

 そのことに、どうしようもない怒りを感じた。

 私は何も決まっていないのだ。自分の気持ちも、覚悟も、考え方も。

 こんな私のために、チルムさんや他の護衛たちの命を懸ける意味など、あるとは思えなかった。


「私は、これまで自分のことだけに必死で生きてきましたわ。他のことなんて、考える暇もなかった。けれど、もうそんな甘ったれたことは言ってられないんですわね」


 そう言ったシャリアさんの目は、揺れていた。

 それがまるで私を写した鏡のようで、思わず目を逸らしてしまった。


「私は、元々ゲル島の私物に興味があったわけではありませんわ」


 シャリアさんは何を思ったのか、夜の海に浮かぶ暗闇を見つめながら、突然にすらすらと自分の過去話を語り始めた。


「私は東の帝国の貴族の次女でしたの。帝国の貴族の娘なんていうのは、権力争いのために使われる駒のようなものですわ。礼儀作法だけ教え込まれて、階級の高い男に気に入られるように振舞うだけの人形のようなもの……」


 シャリアさんの瞳には、冷酷な光が籠っていた。


「私のこの紅い瞳は、帝国で引き継がれてきた高貴な血の象徴ですの。それを持って生まれた私は、それは期待を背負わされたものでしたわ。……くだらないですわよね。誰も私ではなく、私の紅い瞳しか見ない」


 シャリアさんは、それを思い出したように、鼻で笑った。


「本当にくだらない。親も、周りの貴族たちも。……そう思っていた時、ラディーナ様の発表会に同行させられましたの」


 ラディーナ様という言葉を聞いて、私はラディーナさんもシャリアさんと同じ紅い瞳をしていたことを思いだした。


「帝国の貴族たちの間では、彼女をよく思っていない人が大勢でしたわ。貴族の淑女たる象徴の紅い瞳を持ちながら、野蛮にもその道を外れた痴れ者だと。けれど、私にとって太陽のような方だった。多くの人の前で堂々と自分の研究成果を発表するラディーナ様の瞳の色は、私と同じ色でも、鏡で見る自分の瞳とは輝きが違うように思えましたわ。

 ……私は紅い瞳を持っていたから、生まれた時から特別に専属のメイドが配属されていましたの。リリさんも見たことがあるでしょう?リエルという、あの金色の髪をしたメイドですわ」


 私は、シャリアさんと初めて出会った時にそばで控えていたあのメイドを思い出しながら、妙な納得感を抱いていた。

 あの時は違和感を抱きすらしなかったが、確かにアカデミーから配属させられたにしては、シャリアさんと通じ合いすぎていた様子だった。


「私はリエルに頼んで、ゲル島の生物に関する書物を読み漁りましたわ。当時まだ幼かった私には、ラディーナ様が進んだ道を真似ることしか思いつかなかったのです。そしてひたすらゲル島の生物の知識を詰め込んでいたら、ある日ラディーナ様が帝国を追放されたという知らせを耳にしましたわ」


 それは、私も鮮烈に覚えている出来事だった。

 私の人生を大きく動かした、あの出来事だ。


「その時丁度、私の嫁ぎ先が決まった時期でしたわ。十七になったら、とある侯爵家に嫁ぐことが。ですから私は、その準備が本格的に始まる十六の誕生パーティーの前夜までは従順なふりをして知識を増やしながら、その日にリエルと共に帝国を抜け出しましたの」


 一通り語り終えると、シャリアさんは私の方に向き直った。


「リリさんに近づいたのは、ラディーナ様の助手がどんな方か気になったからですわ。それを黙っているのが申し訳なくて……ずっと話そうと思っていたのだけれど、それがこれから死ぬかもしれないから話す決意が固まっただなんて、情けないですわね」


 自虐するように言ったシャリアさんは、それでも清々しい顔をしていた。


「ありがとう」

「……なぜ、リリさんが感謝するのかしら」


 それを聞いて私が笑ったのにつられるように、シャリアさんも笑った。

 この時のシャリアさんの笑顔を見て、私はシャリアさんと本当の友達になったように感じていた。

 家の手伝いと書物の盗み読みしかしてこなかった私にとって、それは初めての友達だった。

 その日、私とシャリアさんは、日が昇るまでずっと二人で海を眺めながら、お互いの話をしたのだった。

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